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常嗣と篁(1)

 その日は、朝から雪が降っていた。

 暖を取るために家人の用意した火鉢にあたり、沸かした湯を椀に注いで飲んでいた篁は、ふと縁側の様子が気になり立ち上がった。

 まだそれほど積もってはいないだろうと思っていたのだが、庭の木々を見てみると葉の色がわからぬほどに雪は積もっており、地面には猫のものと思われる足跡が残されていた。


 この年の正月、朝廷より三〇年ぶりに遣唐使を派遣するということが発表された。

 ちなみに、三〇年前の遣唐使では、空海くうかいたちばなの逸勢はやなりらが唐に渡り、帰国している。

 遣唐大使として選出されたのは、参議さんぎ右大弁うだいべん藤原ふじわらの常嗣つねつぐであり、遣唐副使として篁が任命されたのだった。

 此度こたびの派遣は、天台宗の僧である円仁えんにんが唐への留学を熱望したことにより、遣唐使の派遣について朝廷で話し合われ三〇年ぶりの派遣が実現となった。


 遣唐大使の藤原常嗣といえば、いま飛ぶ鳥を落とす勢いと言われている公卿である。藤原北家の流れを汲む家柄も申し分なく、父である藤原ふじわらの葛野麻呂かどのまろも遣唐大使を務め、唐へ渡ったことがあり、代々続く遣唐大使一家であった。

 遣唐副使として任命された篁は、弾正だんじょう少弼しょうひつ美作みまさかのすけの役職も兼任することとなり、仕事の役目がひとつ増えたということになる。

 遣唐使に関する任命は、大使、副使の他に判官はんがんが四名、録事ろくじが三名選出された。


 また三〇年ぶりということで、遣唐使船を一から作る必要があり、そのための大工を任命する必要もあった。

 ちなみに、ここでいう大工というのは建築業者のことではない。朝廷の宮内みやうちのつかさに所属する木工もくりょうに所属する人間の役職であり、読み方は大工だいくではく『おおいのたくみ』と読み、その下の役職として少工と書いて『すくないのたくみ』という役職も存在した。職人たちは、この役職に使われる人間たちであり、遣唐使船の建造はもちろんのこと、朝廷に関する建物や神社仏閣などの建築なども行っていた。


 篁は遣唐副使という大任を言い渡されたわけだが、なぜか気が乗らなかった。唐に行きたくないというわけではない。唐へ行けば、様々な文化や教育などに触れることが出来ることはわかっている。だが、なぜだか気が乗らないのである。これは何なのであろうかと、篁にもよくわからなかった。


「もし――――」


 午後になり、篁の屋敷を訪ねてきた人があった。

 格好を見る限りどこぞの家人のようではあるが、家人としては着ているものが立派であり、その主人の身分の高さを篁は感じ取っていた。


「何用でしょうか」

わたくしは、参議・右大弁である藤原常嗣の家の者にございます。主人の命により、小野篁様をお迎えに参りました」


 その男はそういうと、ふみを篁に手渡した。

 文を受け取った篁がさっそく中を読んでみると、遣唐使派遣についての話をしたいので屋敷に来てほしいという旨が書かれていた。


「承知いたした。すぐに参ろう」


 篁が支度を済ませて自宅から出ると、門の前には立派な牛車ぎっしゃが停まっていた。

 この牛車に篁は見覚えがあった。以前、どこぞの辻で立ち往生していた牛車である。

 牛車に乗り込もうと篁が近づいていくと、牛車の前に立っていた牛飼うしかいわらわの男が篁に気づいて声をあげた。


「あっ、お前様は……」

「久しいな、元気であったか」


 篁は牛飼童に親しみの笑みを向けてから、牛車へと乗り込んだ。

 正直なところ、牛車というものは好きではなかった。小さな箱の中に閉じ込められているような気分であり、乗り心地もそれほど良くはない。これであれば、歩いた方が早いのではないかと、篁は常々思っていた。

 迎えに来た藤原常嗣の家人は、凛とした佇まいをしており、これぞ公卿の家人といった感じであった。もしかしたら、それなりの役職に就いている人間なのかもしれない。そんなことを思いながら、篁は牛車の中から平安京たいらのみやこの雪景色に目を向けていた。


 しばらく牛車で揺られ、藤原常嗣の屋敷に着いた。

 参議ともなると、大きな屋敷を構えており、屋敷は寝殿造しんでんづくりで、庭に大きな池もあった。


「ささ、小野様。こちらでございます」


 篁は家人に案内されながら、常嗣の待つ部屋へと向かった。

 屋敷の中も立派なものであった。篁などは、屋敷に金を掛ける必要はないと考えているため、必要最低限の屋敷を住まいとしているが、常嗣の屋敷はまさに豪華絢爛といった様相であった。


「小野篁様をお連れいたしました」

「うむ」


 家人が声を掛けると、部屋にあるすだれの向こう側から声が聞こえた。

 簾が揺れ、その向こう側から黒色の直衣のうしを着た藤原常嗣が姿を現した。


「これは、これは野狂殿。よくぞ、おいでくださいました」


 人懐っこい笑顔を浮かべながら常嗣は、篁に近づいてくる。


「ささ、部屋に入られよ。寒かったであろう。火鉢に当たられよ。いま、酒の用意をさせるので、しばし待たれよ」


 捲し立てるように常嗣は篁に言う。

 よく喋る男だ。篁は常嗣の好意に甘えながらも、そんなことを思っていた。

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