広嗣の怨霊(7)
日が沈み、夜の帳が下りはじめた頃、羅城門の下に人影があった。
白の水干に身を包み、烏帽子を被った小柄な男。そう、刀岐浄浜である。
羅城門の二階に篁の姿を見つけた浄浜は、城門の内部へと入ってきた。
「すまぬ、遅くなった」
「来てくれたのか、浄浜殿」
「本来であれば陰陽寮の者たちを率いてやってくるはずだったのだが、それは叶わなかった」
悔しそうな顔をして浄浜は言う。
「なにか、あったのか」
「中務省より、陰陽師は陰陽寮より一歩も出るなと通達があったのだ」
「なんと」
「結局、忍び出てくることが出来たのは私だけだった」
「しかし、そのようなことをしては、浄浜殿の立場が……」
「良いのだ。今宵は、友のためにやってきたのだ」
浄浜はそういうと、笑ってみせた。
そして、背負っていた包みを下ろすと中から板のようなものを取り出した。
「これは式盤というものだ。この式盤をつかって六壬神課を行う」
そう浄浜が篁に説明をしていると、篁の脇にすっと寄ってきた花が小声で篁に問いかけた。
「この方は、陰陽師なのですか」
「ああ、そうだ」
「わたしは、陰陽師は好きません」
眉間にしわを寄せて花が言う。
花と陰陽師。そこには、過去の因縁があった。以前、地獄で暴れた道摩という陰陽師によって多くの同胞たちが殺されているのだ。その思いが、花の中にはあるのだろう。
「浄浜殿は道摩法師のような陰陽師とは違う」
「わかっております。ですが……」
その会話に気づいた浄浜は顔をあげると、篁の隣に立つ花のことをじっと見た。
「そちらは……あやかし……か?」
浄浜は怪訝そうな顔で花のことを見る。
「彼女は私の強い味方だ」
「そうか」
篁の言葉を聞いた浄浜は、花の存在に興味をなくしたかのように、道具の準備をする作業へと戻っていこうとした。
「花といいます。お見知りおきを」
そんな浄浜のことを花は呼び止めるかのように声を掛ける。
先ほどの「陰陽師は好かない」と言っていた時とは別人のような声だった。
その声に浄浜は再び顔をあげて、じっと花の顔を見つめる。
「……美しい」
まるで花に魅了されてしまったかのように、浄浜は花の顔を見つめたまま呟いた。
普通の者であれば、相手があやかしとわかった途端に怯えたりするだろう。しかし、そこは陰陽師である。浄浜は花のことを恐れるどころか、美しいと口にしたのだった。
「お上手なこと」
花は浄浜の言葉に小さく笑みを浮かべる。花の方も満更ではないといった表情で答えた。
その様子を見た篁は「女とは恐ろしいものよ」と心の中で呟いていた。
「して、浄浜殿」
あまりにも浄浜が花のことを見つめたまま動かないので、篁は浄浜に声をかけた。
「あ、ああ。失礼。何の話だったかな?」
「その式盤を使うという話をしておったのだ」
「そうであった。そうであった」
浄浜は気を取り直して話をはじめたが、この男は本当に大丈夫だろうかという篁の不安は増幅する一方であった。
羅城門を守るのは、この三人だけだった。他に人はいない。この三人で、羅城門を守りきるしかないのだ。ここを突破されれば、平安京に魑魅魍魎どもが溢れてしまう。
百鬼夜行。それは見た者の命を奪っていく恐ろしい存在である。
奴らに平安京の民をひとりたりとも連れて行かせるわけにはいかないのだ。
さらには、その百鬼夜行を率いる藤原広嗣の狙いは帝である。絶対に広嗣を平安京に入れるわけにはいかない。
そう決意し、篁は気を引き締め直した。




