バレンタインデー
俺は遊。
5人家族の長男で弟が2人いる。
家は市営住宅で金持ちではなかったが貧乏だとも思わないくらいの
いわゆる普通の家庭だった。
週末は家族で出かけ、夜はどこかのファミレスで晩飯。
家族の誕生日にはケーキを買い、はっぴ~ば~すでぃの歌を歌ってお祝いする。
どこにでもあるような幸せに見える家庭だった。
でも小学校高学年くらいになると家族と一緒にいるのが恥ずかしくなり
避けるようになった。
いわゆる反抗期だがその中でも特に嫌だったのが
土曜日の部活に行く時のこと。
自分で望んでソフトボール部に入ったが飽き性の俺は
すぐにやめたくなった。みんな昼から遊びに行っている中でなんで俺だけ?
みたいなものがありいつも不機嫌そうにしていた。
それでもおかんは俺に昼飯を食わし向かいに住んでるばあちゃんと二人で
必ず玄関の外まで送り出してくれた。
嫌そうに歩き出した俺に後ろから
“遊さん”
振り返るとばあちゃんが満面の笑みで
“いってらっしゃい”
と言って手を振ってくれていた。
その時の俺はその笑顔が一番嫌いでムカつき、いつもシカトしていた。
…1週間の中で一番ストレスの溜まる瞬間だった。
それから1年もしないうちに俺は部活をやめた。
そのうちばあちゃんはボケてきて施設に入った。
何度か顔を見に行っていたがそこはボケた老人しかいない施設で小学生の俺には
臭いも嫌だしそこにいる人達が怖くて次第に会いに行く回数が減った。
中学、高校と進学するにつれ、ますます俺は家族と一緒にいなくなった。
平日は遅くまで遊んで帰り、土日は一人で出かけるか部屋に閉じこもっていた。
飯の時間もわざと中途半端な時間にずらし、家族とカブらないようにしていた。
高校3年生にもなると外泊も増え、受験勉強どころか学校もサボり始めた。
教師とも喧嘩をし、その度におかんはいつも謝ってくれていた。
でもそんなことあの頃の俺は何とも思っていなかった。
高校を卒業すると何とか受かった大学に進学した。
でも学校に馴染めなくていつもパチンコや麻雀をして時間をつぶしていた。
そんな中、同じ大学で彼女ができ、しかも彼女が一人暮らしをしていた事もあって
彼女の家に転がり込んだ。
プチ家出は何度もしていたが本格的な一人暮らしをしたことがなかった俺は
その生活が天国だった。
家族はいないし学校も近いので
彼女と同じ授業を選択し学校にも行くようになった。
離れていると不思議なもので家族とも連絡を取ったり話をすることが増えた。
家族の誕生日にもちゃんと“おめでとう”とメールを打ち
親の結婚記念日には花を買って実家に帰ったりもして昔の
“幸せな家族”が戻りつつあった。
でもそんな時、おかんから
“ばあちゃんが少し悪くなった”
とメールが入った。
それからはおかんといとこのおばちゃんが交代で
付き添いをしないといけない状態になった。
毎日の付き添いでおかんもおばちゃんも疲れていた。
家族の雰囲気も悪くなっていった時おかんから
「明日昼から夕方までおかあさんもおばちゃんも用事があるので
ばあちゃんの付き添いお願いできん?」
と頼まれ、ちょうど時間も空いていたのでOKした。
自分の車で病院まで行きばあちゃんの顔をみた。
何か昔に比べて痩せていて意識もあるのかないのか分からない状態で
たまにうわごとの様な言葉を発していた。
昔会いに来ていた頃の元気や表情はなく
単純に時間を消化しているだけの様に見えた。
俺はばあちゃんに声をかける事も触る事もせず
買ってきた雑誌を読んで時間を潰していた。
そうこうするうちにおかんが来て付き添いを代わった。
“もうそろそろヤバイな”
帰り道ちょっと切なくなって時代の流れを感じた。
その年のバレンタインデーの日
俺は彼女と街に買い物に行く約束をしていたので
準備をしていたらおかんから電話が入った。
「ばあちゃんが危ないからすぐ準備して病院に来なさい」
俺は彼女に事情を説明し一人で病院に向かった。
もうすでに病室が変わっており
ナースセンターのすぐ横の部屋になっていた。
部屋に入るとばあちゃんの顔は豹変しており
この間までの穏やかさは全くなかった。
俺はそこにいる生物に本気で恐怖した。
体は震え、涙は止まらず立っている事も出来ずに
その場にしゃがみこんでしまった。
“これがあのばあちゃんなのか?”
うちは親戚も少なく物心ついた頃から「死」という現実とあまりにも
かけ離れて生きてきた俺にとって物凄い衝撃だった。
息をする度に仰け反る体、ゆがむ顔、うなる声、見るからに苦しそうだった。
次第に肺の動く回数が減りしばらくして呼吸をしなくなった。
医者が来て時計を見て“ご臨終です”と言った。
看護婦さんが心電図と人工呼吸器を外した瞬間、親父、おかん、おばちゃん
みんな一斉にばあちゃんに寄りかかり泣き崩れた。
俺はどうしたらいいのか分からず
ただボケっと突っ立っている事しかできなかった。
その時にはもう涙は止まっていた。
少ししておかんに言われ、ばあちゃんの頭をなでた。
…まだ温かかった。
俺にはそれがばあちゃんが今まで必死に生きてきた
証のように感じられた。
その瞬間悔しくて涙があふれてきた。
さっきまで動いていたのに、まだ心臓は動いているのに、駄目なのか。
今までたくさん時間があったのに俺はばあちゃんに何もしてやれなかった。
人はいずれ死ぬとか分かったふりをしてカッコつけて一人前になった気でいたが
俺は一番大切なものを忘れていた。
ばあちゃんの温かさはそれを教えてくれているようだった。
しばらくすると心臓も止まり看護婦さんがばあちゃんを風呂に入れると言って
タンカに乗せて連れて行った。
みんなただ呆然とイスに座っていて無言の時間が過ぎていった。
“トントン”
病室の扉が開き、浴衣に着替えたばあちゃんが帰って来た。
顔は穏やかになっておりさっきとはまるで別人のようで
今にも動き出しそうだった。
でもたったひとつ違っていたのは体が冷たくなっていた事だった。
みんな冷静に戻り、おかんはお寺に葬儀の電話をかけ始めた。
俺も一服しようと思い、数時間ぶりに病室を出た。
“さっきここ入る時はまだばあちゃん生きてたんだよなぁ”
そう思いながらふと外を見上げると雪が舞っていた。
“ホワイトバレンタインデー”
ばあちゃんからの最後のプレゼント
“遊さん”
小学校時代に見せてくれたあの笑顔が脳裏によみがえってきた。
俺はタバコに火をつけながら空を見上げ
滲んだ雪を眺めていた。
この話を書こうと思ったきっかけが普段見ている“夢”でした。
ばあちゃんが死んでから今までに5回くらい夢にばあちゃんが出てきてくれたのに
結末はいつも病院で死んでいくシーンでした。
その度に俺は泣いて夢の中でずっと“ごめん”と言っていました。
それほどこの体験が衝撃だったのかもしれません。
あるいはあの時の後悔の思いが今も忘れられずに
頭の中を漂っているのかもしれません。
これを書くことで自分の気持ちに整理がつけられたらと思います。
ばあちゃん、次に会う時は笑って話したいね。
ありがとう。