第六話 傑物が奏でるは歴史なるか
△2021/6/21 月
視点:本多カナタ
「嘘でしょ……」
かつての私の家。
ボロだが、アンティークを並べてわりとオシャレに改造していた日波荘、102号室は空き部屋となっていた。
空っぽになって、がらんとしたボロのワンルームで私は膝をつく。
なんだか悪い夢を見ているようだった。
嫌なことがあった時、いいことがあった時、面白いことがあった時、疲れ果てていた時。
いつもこの部屋で過ごしてきたのだ。
玄関で倒れ込み、はいずるように中央へと。
そのまま着替えて銭湯へ行き、その後はコインランドリーへ直行、それでスーパーに行くとちょうどタイムセールが始まる。
言い知れない孤独感の中、不思議と充実感に満ちた、そんな毎日のルーティンをこの部屋で過ごしていた。
大切な部屋だった。
それを少し前の私は引き払い、持ち物を全て売り払っていたのだという。
まるで……最後の身辺整理をするかのように。
△
『……嬢ちゃんが確かに引き払うって言ったんだぜ?あまりにも思い詰めた表情だったから何があったのかと思ってたんだが……大分期間が空いたが、必要ならまだ空き家だからーー』
「必要ない」
『あんたあ……誰だ?嬢ちゃんの彼氏か?』
『違う、暫定雇用主だ』
『はあ?……暫定?』
かつての住処の管理人のおじさんと、私をスカウトした謎の恩人の会話が、脳内で反芻される。
怪訝な表情の管理人に、恩人の男は最後にこう告げたのだ。
『それを今日決めさせる、自分の意思でな』
私は彼の運転をする車の中で、こっそりと横顔を眺める。
その表情からは一切の感情を読み取る事が出来なかった。
彼の名は白山リュウスケ、サマーブースプロダクションという会社の社長なのだという。
見た目はかなり若かったが、肩書きを聞くと30代にも40代にも見えるような不思議なオーラを放っていた。
実際、いくつなのかは知らない。
私の恩人だ、聞けば倒れた私を発見してすぐに救急車を呼んでくれたのだとか。
倒れた私はそのままだと結構危なかったらしく、非常に感謝すべき相手だ。
しかしーー私は今、恩知らずなことに少しどころか、かなりこの男のことを警戒していた。
だってそうだろう、私は記憶障害なのだ。
実際に助けられたところは見ていないし、気づけば病院で、しかも担当医の旧友。
挙げ句の果てにはエンターテイメント系の社長で、事故前の私の歌を聞いて気に入ったからスカウトしたい、と……。
なんだか話が出来過ぎている。
不意にドッキリカメラを探そうとして、そんな身分でも無いことを思いだし、一人恥ずかしくなる。
ドッキリでないなら罠か?
人身売買だろうか?
私はどこか遠くへと売られてしまうのだろうか?
実は私の内臓がこっそり抜かれていて、用済みになったから突然リリースされるとか?
ていうか、私は何であの部屋を引き払っていたのだろうか?
預金通帳を見れば、引き払った時期に、はした金がいくらか加わっていて、その後ゼロになっていた。
携帯や、その他の契約も解約されていた。
……私は一体何をしようとしていたのだ?
あの貯めていたお金はどこに行ったのだろうか?
何かを失敗して、海外にでも逃亡しようとしていたのかもしれない。
実は隣の男は社長ではなく、追っ手の借金取りなのだ。
私が記憶喪失なのをいいことに、医者と結託して何か悪巧みしているに違い無い。
そんなくだらない妄想を続けながら、私は結局、白山という男に追従して車に乗り込んでいる。
それは私がいつのまにか無一文で、入院費を負担してもらっていたという負い目からなのもあるが、一番は彼が口にした言葉だった。
『お前の夢はそこでなら叶う』
少々、引っかかる部分はある。
まるで、他なら叶わないかのような言い草だ。
しかし、それ以上に。
彼のコンビニスイーツの様な甘言に、ホイホイと従う理由。
それは私が持っている夢への重さが、あらゆる胡散臭い出来事さえも跳躍してしまう程、しっかりと足元に絡みついているからだろう。
何を賭しても叶えたい、そんな夢なのだ。
それが罠であろうと、縋り付く。
私は絶対に夢を叶える。
負けてたまるか。
一人拳を握りしめていると、不意に声が響いた。
「意外と喋らないんだな」
びっくりするほど優しげな声音だった。
今まで聞いた声は短い、意味だけ通るような冷たい一文だった。
私は素直に驚きながら、彼の表情を伺う。
声音と対照的に、表情は硬いままだった。
「あの……そう、いえば」
「なんだ」
「何で、私を?」
「勝算があるからだ」
そう言われても……。
私は声優学校にも通っていないのだ。
ズブの素人をスカウトして得られる勝算なんか思いもつかない。
「お前はそのままでいい」
「どういう意味ですか?」
「着いたぞ」
質問に答えないまま、彼は車を停車した。
私はフロントガラスの先の光景を見る。
オフィス街に佇む一棟のビルだった。
一気に鼓動が高鳴る。
「行くぞ」
「は、はい」
私はさっさと降りていった、彼の後ろを急いで追う。
建物は何だかがらんとしていた。
それっぽい家具とか、機材とかはあるのに……人がいない。
あっそうか、と私は手を合わせる。
今日は休みなのだ。
何も土日のいずれかが休みと決まっている企業であるとは限らない。
平日が休みな企業も沢山ある。
そう思って尋ねると。
「他の従業員か?いない、今は俺とお前だけだ」
私が絶句していると、彼はさも当然であろうという様な顔でこう告げた。
「会社として発足したのは今日からだからな」
「ええっ!?」
私は初めて大きな声を出した。
△——/—/— —
視点:とあるテレビ局のプロデューサー
千年に1人の才能——今やありふれた言葉だ。
メディアとは所詮広告塔である。
特筆すべき才能を宣伝するとき、誇張な表現を使うのは理解できる。
だが……今、この目の前の才能を目撃し、それを表現として当て嵌めるならば、これ以上当てはまる言葉は無かった。
「彼女は……何番だったか?」
「46番です、今回ではずば抜けてますよね」
そんなレベルでは無い。
彼女の演技力、容姿、纏っている雰囲気、全てどれを取ってもベテラン女優に引けを取らない。
大手であるといえるウチのタレントオーディション会場の中で、最も彼女は輝いていた。
いつもなら足を組んで、わざとらしく不機嫌さを放ちながら不作のタレント候補生達を威圧してやる立場の私だが……今は足を下ろしてただただ目を見張る事しか出来なかった。
他の受験者も同様だ、無駄にいいだけのツラを驚愕に歪ませている。
「チェックリストに赤丸だ、絶対にヨソに渡さん様にしないとな」
「響さんがそういうなら間違いないでしょう、今日中にでも話をつけて、マネをつけれる様に手筈させます」
「ああ……彼女は別格だ、早い方がいい。だがな」
「分かってます、キャラですよね」
そう、問題は性格だ。
彼女程では無いにしても、何年かに一人は目を見張る才能はある。
だが、性格の悪さで勝手に堕ちていく者が大半だ。
ツラが良い人間程、人間性に問題がある場合が多い。
「……やはり、今日直接面談したい。君も同席してくれ」
「まじっすか?……わかりました、オーディション終わりに第二会議室に連れてくるんで、待っててください」
「ああ、頼むぞ湯崎」
その後のオーディションほど、時が流れるのが遅いと思う事は多分ないだろう。
受験者には申し訳ないが、彼女が圧倒的過ぎた。
天災と思ってもらう他ない。
△
「入ってください」
湯崎に連れられ、例の天才受験者が入ってきた。
驚くべき事に俺は受験者に対して緊張していた。
圧倒的な才能の前に、何故か妙な責任感が渦巻いていた。
この才能を潰せば歴史の損失だ、と。
そこまで思えるほどだ。
「本日はありがとうございました」
席に着くなり、彼女は短くそう告げた。
緊張など微塵もしていないような、まるで聖人かのような凛とした佇まいだった。
これには驚いた。
オーディション会場で行われていたのは感情的な演技の課目ばかりだ。
そのギャップに驚かされる様な、素人じみた反応をした自分にも驚いていた。
そもそも芝居と役者はプライベートとは別物だ。
それを再確認させるほどの演技だったわけだ。
「君は……どこかで、演技をやっていたのか?」
「いえ、今日オーディション会場で初めて致しました」
その言葉を私は半ばジョークと受けとっていた。
だってそうだろう、あれだけの演技を才能だけと言い張るのはあまりにも酷だ。
いま第一線で活躍する役者も同じだ。
長い下積みを経て、ようやく完成する。
一瞬、私は彼女に懸念を抱いた。
才能を誇張する傲慢さを持った輩なのかと。
しかし、彼女の次なる言葉で、私は言葉を失ってしまった。
「少し、語弊がありました。課目として、与えられた演技をしたのは今回が初めてなのです」
「なら君は……普段はずっと仮面を被り続けているのかい?」
湯崎の質問に、彼女はニッコリと微笑みを浮かべた。
「私はそれを理性と呼んでいます。そういった意味では、全人類同じなのではないでしょうか?」
「君……名前は」
ようやく絞り出した言葉は彼女の名を尋ねる行為だった。
彼女の資料は手元にある、正直言って名前を聞く行為自体が非常に意図としては不明確だ。
しかし、私は改めて彼女の口からその名を聞いてみたかった。
「日々谷ミオ、です」
傑物だ。
私は今歴史に残る瞬間に立ちあっている。
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