放課後の微百合
「この世界には二種類の人間がいる」
そう言って、ヨシノは読んでいた自己啓発本を閉じた。
「その二種類の人間がどういう人か、あなた分かる?」
フフンと笑って問う顔は意識高い系を思わせるが、その幼すぎる顔では悪戯を思いついた子供のようにも見える。
それにこの世界に二種類の人間がいるなんて、私にはどうでもよかった。
興味があるのは、西日に照らされたそのご尊顔だけだから。
「分からない」
「この本に書いてあったのはね、実行する人か、しない人かっていうことなの」
意識高いロリが、まるで坊さんの説教のように言う。
「へぇ、そうですか」
「思ったことを実行し、そこから失敗や成功を重ねて勝ち組になる人。
もしくは詭弁をたれて何もせず、他者を批判するだけの能無しの負け組」
極端すぎる例だなと思う。
でも、ヨシノはもう自己啓発本によって洗脳済みだ。
「随分と二極化されてるね」
「そうね。でも、そうだと思える。私も前者にならないと。さ、行きましょう」
「うぃ」
本をバックに仕舞い、私たちは放課後の図書室を出た。
人通りの少ない道を、二人の影が西日に伸ばされる。
揺らめく影は重なり合っているのに、垂れた手は繋がりそうで繋がらない。
「さっきの本なのだけどね」
「うん」
「大事なのは最初の一歩だっていうのが、繰り返し強調されていたわ。
最初の一歩こそが勇気が必要なの」
「考えるよりも、行動することのほうが勇気いるもんね」
そうだと思う。
私も――勇気をだして、手を繋げたらなって思う。
脳内で描くのは容易いのに、実際行動に移す難しさよ。
現実のわずか数センチが、遠すぎる。
「勇気が、必要よね」
「そうだね。必要だね」
互いに勇気が必要なことがある。
私は手を繋ぎたい。ヨシノにもきっと何かしらしたいけど、出来ないことがあるんだろう。
西日に照らされた顔は悩ましく可愛らしくて、ポートレートのモデルのようだ。
「私にも、勇気があったらなぁ」
「本当だよ」
「……」
「……」
自己啓発に洗脳されても、実行は出来ていないヨシノ。
洗脳されなくても、実行できない私。
あとこうした日々をどれだけ過ごすのだろう。高校生活はもう半ばを過ぎている。
残りの1年半弱。どれだけ二人で過ごせるだろうか。
きっと途中からは大学受験とかで忙しくなって、会える回数も減るのではないか。
そう思えば、じれったい数センチに勇気を出せないのがもったいない。
「ヨシノ」
「なに?」
「私は今から勝ち組になるよ」
荒い鼻息をたてて、立ち止まる。一歩先で止まるヨシノも振り返る。
「何をするの?」
無言で、勢いよく、ヨシノの手を攫うように掴んだ。
小さくて柔らかくて冷たい。
反対に勇気を出した私は情熱と勇気と恥ずかしさに熱を帯びる。
「これだけ?」
「そうだよ。勇気をだしたよ」
「フフ、おばか」
「うるせぇやい」
重なるのは影だけじゃなくて。じれったい数センチはもう手のひらに収まった。
「でも、モモは勝ち組になれたね」
「やったぜ。勝ち組だ」
眉をハの字にして困ったように笑うヨシノ。
恥ずかしさをごまかしたい私は、きっと力んだ顔をしているだろう。
「でも、素晴らしいこと。先を越されちゃった」
「そう? でも、ヨシノも今からでもやればいいじゃん」
「ダメよ。もう私は負け組になっちゃったから」
そう言って、ヨシノは二回。ぎゅっと手のひらを握った。