変わらない現状
※医療の現場について、かなり堅苦しい文章もございます。
ですが、色んな方に考えるきっかけになる作品を書けたらと思っています。
読み苦しい表現はありますが、お付き合いいただけると幸いです。
―変わらない現状―
――10月。
暑かった夏を乗り越えて、季節は涼しくなり始めた。
過ごしやすい季節になったが、現状は何も変わっていなかった。
2か月も経過したというのに、病院の中の時間は止まったまま。
現状は、何一つとして変わることはなかった。
それどころか、新たな患者が増えるばかりで、未だに意識を取り戻した事例は未報告。
病院の経営状態も、見えないところで限界を迎えているのではないかと不安になる。
「――そろそろベッドコントロールしないとまずいですよね、先生」
「そうなんだよなぁ…退院調整、うーん…。」
私は、外来診療を終え病棟に上がってきた医師を捕まえ、現状を確認した。
電子カルテに表示される病棟マップには、現在入院されている患者さんがズラリと表示されている。
相変わらず、満床の状態が続いており、なかなか新規の入院の受け入れが難しい。
そのたびに必死にベッドコントロールをし、入院体制を整えている現状だ。
意識不明患者だけでなく、治療法が確立している従来の疾患の入院だってとっている。
当たり前のことだが、色んな患者が混在している病棟内。
在院日数が伸びてきている意識不明患者を、そろそろ何名か移動していただく調整をかけなければならなくなっていた。
「2週間以上状態が安定している方、姫川さんはどう思う?」
「伊藤さんと鈴木さんとか…どうですか…?」
「そうだよなぁ…家族が納得するかどうか…」
「お二人とも若いですしね…。とりあえず病状説明の日程を組んで、転院か在宅かを選んでもらうしか…」
医師と看護師で、ベッドコントロールについて話している。
するとそこへ面会の方から声がかかる。
「――すみません」
「はい、どうされました?」
「伊藤の家族のものなのですが、先生にお話を聞きたくて」
「ああ!伊藤さん。ちょうどお話したいと思ってたんです、今お時間大丈夫ですか?」
たまたま主治医とその話をしていたところだった。
これ幸いと時間の都合をつけ面談室の準備をし、家人にそこでお待ちいただくよう声をかける。
「先生、最新の検査データと、記録をまとめました。やっぱり異常はないです」
「そうなんだよな。じゃあ、説明してくるか。姫川さん、ICこのままつける?」
――〝IC〟……インフォームドコンセント。
〝説明と同意〟を指す言葉だ。
病状について説明を行い、その上で同意をもらう。
医師による一方的な説明になってしまわないよう、医師と家族だけではなく、担当の看護師がつき、その様子を記録することになっている。
「大丈夫です、時間を作ってきたので一緒に入ります。」
そういって、自分も記録の準備を整え、面談室に入る。
「――先生、うちの娘はいつ頃目を覚ますんでしょうか」
当たり前の切り出し方。
家族が知りたいのは、そこしかない。
「こればかりは、何ともご説明できません」
原因不明・治療法不明・機序不明。
検査データ異常なし。
入院時に話した話以上の情報は何一つとして更新されていない。
家族が不安になっても仕方がない現状と、目途のつかない治療。
これほどの現状なのに、誰も変える術を持っていなかった。
「…っ、それでも医者ですか?」
「原因不明で対処ができませんので…全身状態に以上は見られません、容体は安定しています」
「そんなことは聞いていません、いつ目を覚ますんですか」
「ご存知の通り、最近の原因不明の意識不明の患者さんで、目を覚まされた方は一人も報告されていません。こればかりは、何とも…。」
「入院費だって、バカにならないんです。何とかしていただかないと…!」
保険も適応しきれない。
病名や治療法が確立していないということは、現時点で保険適応をどう行えばいいのか、方法が確立していないということ。
「お気持ちはわかるのですが、こちらでできることは現状維持のための医療行為しかありません。」
そう伝えた後、先生は一番伝えにくい話題に触れる。
「――それから、伊藤さん。状態も安定しているため、これ以上こちらの病院では見ることができません」
「……どういうことですか?」
家人の目が、大きく見開かれる。
先生は重たい口を開いて、話を続ける。
「本当に治療が必要な方のためにベッドを開けなければならないんです」
「うちの娘に治療は必要ないって言いたいんですか!」
「そうではなく、急性期の方を助けなければならないんです。こちらは病院ですので…」
家族の言い分もわかるが、医療者としての責務を果たさなければならない。
先生にとっても、つらい病状説明だろうと思う。
「じゃあどうしたらいんですか…?」
「おうちで見ていただくか……」
「できるわけないじゃないですか!」
患者の両親ともに、仕事をしている。
家族の状況の把握は、もちろんしている。
患者がまだ若く、親も働き手である年代なのだから、当然の反応だ。
「でしたら、療養病院に転院の流れになります」
「療養病院…?」
「医療度が低く、介護が必要な方に移っていただく病院です」
「療養病院は、ここと何が違うんですか…?」
「今の現状でしたら、行える医療行為自体に特に何も変わりはないです。ただ、介護がメインのスタッフになるので看護師の数は急性期病院に比べ少ないです。ですが、今やっている現状維持の治療であれば、十分行えます」
「……看護師さんが少ない病院って、大丈夫なんですか」
「何かあれば、院内のスタッフで対応します。現状であれば問題ないかと思い、ご提案をしています」
決して見捨てるというわけではない。
だが、そう受け取られてしまっても仕方がない…この説明では、伝わらない。
そもそも、療養病院だって病院だ。その提案がなされるだけ、いい方だ。
中には、そこにすら入れない患者さんだっている。
国が在宅で看取ることを推奨しているため、療養病院だって財源が圧迫されている。
世の中の患者数が、病院のベッド数を上回っているのだから物理的に仕方がない。
当たり前のことだ。
病院は、無限に受け入れられる場所じゃない。
「……っ、こんな病院、すぐに出て行ってやります…!」
「次の病院をお探しは、当院の退院調整を使われますか?」
「結構です。自分たちで探します」
そういって、家人は足早に面談室から出ていった。
「――まぁそうなるよなぁ…」
先生はため息まじりにつぶやいた。
「でも、この疾患の診断がついて2週間以上たって安定していたら、どの急性期病院も取りませんよね…」
「探していただいて、現実をみてもらおう。」
「スタッフ人数が少ない療養病院か…在宅サービスの使用か。どういう手段を探してくるんでしょうね。」
* * *
その病状説明から1週間後。
いつまでも転院先を探す家族を待っていられないため、再び連絡調整をかけた。
すると、家族は再びナースステーションへやってきた。
「先日は失礼しました。何とかこちらの病院に置いていただくことはできませんでしょうか」
その答えで、どの病院でも受け入れ困難と断られたことがわかった。
今の世の中の流れでは、そうなってしまうことも容易に想像がついた。
「先日も説明した通り、この病院も在院日数がもう難しいです。家族さんが探された病院はどうだったでしょうか?」
「……どこも、断られてしまいました。私も主人も仕事をしています、家では見れないんです…!」
「では療養病院へ紹介状を出すということでいかがでしょうか」
「療養病院って、治療はしていただけるんですか…?」
「最低限の治療になります。もちろん、容体が悪化すれば一般病棟へ戻って加療が行えます。先日もお伝えした通り、急性期病棟との違いは、スタッフ人数が介護メインになるため看護師が少なく配置されています」
「介護メイン…。うちの娘が、もう目を覚ます見込みがないってことですよね…?」
「そうは言っていません、ですが、いつ治療が確立されるかがまったくわからないんです」
「何度もすみません…少し…時間をください…。」
現実問題、この現状を受け入れること自体、本来時間が必要なのに。
それを受け入れる前に、病院から出て行けと言われてしまう現状。
(人を助けたくてこの仕事を選んだのに、私は何をしているんだろう。)
「酷なようですが、今週いっぱいに移動していただかなければなりません」
先生も、何度も言いにくい言葉を必死の思いで口にする。
その表情は、何ともいえない顔で、私たちでも言葉に詰まる。
その表情は、自分たちのことで手いっぱいになっている患者家族には伝わらない。
「そんな…あなたたち、医療者でしょう!?」
「医療者だからです。安定している方のためにベッドを埋め、急性期の方を受け入れ出来ないという状況を作ってはいけないんです。」
「だって……うちの娘が何をしたって言うんですか」
〝一体なんで、こんなことに。〟
誰もがそう思っている。もちろん、私たちだって。
「みなさん、同じ状況です。我々も辛いんです。」
「病院は治すところでしょう!それもできないで入院費を払え、治っていないのに出ていけ、おかしいとは思わないんですか!」
「申し訳ありません…ですが、それは病院が決めたことではなく、国の方針なんです」
「お願いです!おいてください!お金なら払います、助けてください!」
「先生…これ以上は…」
家族の悲痛の訴えに、耐えかねて話に割って入る。
家族も辛そうだったが、……先生自身が、辛そうだった。
家族の気持ちもわかるが、私はそれ以上に先生を見てられなかった。
熱意をもって関わる先生だと言うことを、理解しているからこれ以上は聞いていられなかった。
「……お話、聞いてさしあげて」
そう言い残し、先生は外来診療へと戻っていった。
「――大丈夫ですか…?」
家族さんが落ち着かれたところに、話しかける。
「あなたも、どうせ早く退院させようとしているんでしょう」
「そう取られても仕方がありません。…ですが、無理矢理ではなく納得いただいて、答えを決めたいんです。突然のこの病で、国のルールも、治療法も、方針も、なにもかも当てはまらず私たちも何をすべきなのか正解がわかりません。」
「わからないって…」
「だからこそ、正解はないものと考えて、患者さんと家族さんにとって、一番いい選択を、納得いただいた上で作って行けたらと思っています。」
これは、誤魔化しでも何でもなく、心からの気持ち。
おそらく、病棟スタッフ全員が、そう思っている。
「だから、家族さん同士でもう少しお話をしてみてください。」
「……」
無言も、答えだと理解しその沈黙が破られるのを待つ。
「…たくさん、話したんですが、……わからなくなってしまうんです」
絞り出すように伝えられるその思いを、受け止める。
看護師を始めて、4年目。
何度も言うけど、4年目なんて、やっぱりまだまだ若造だと思う。
この人は、伊藤さんのお母さん。
人の親で、育児経験があって、仕事もしていて、立派だと思う。
そんな人に、まだ子育てしていない未熟な自分が。
母親という立場を経験なさっている、人生の先輩であるこの人に、私なんかがどれだけ共感できようか。
幸い、まだ身内で意識不明になったものはいない。
私が、想像しきれないこの思いを、受け止めきれるとは思えない。
――それでも、できる限り共感したい。
「…そうですよね。治療法が確立するまでの間、療養病棟に移ると思っていただけたらいいかと思います。」
「……火傷には、絶対ならないと言えるんですか…」
「保証はできません…ですが、今は安定しているのは確かです。安定している間だけでも、療養病棟へ移って、急性期病棟のベッドを本来助けなければいけない、治療の確立されている消化器や循環器疾患などの方に、譲ってくださいませんでしょうか」
また、長い沈黙の後、先ほどとは違った穏やかな声が聞こえる。
「……あなたたちも、大変なお仕事なのよね…」
「私たちも、必死です。未熟です。それでも、どうかご理解いただきたいんです。」
「……わかりました、療養病棟へ移ります。私も、病院の違いも分からず頑なに拒み過ぎ、すみませんでした」
「いえ、こちらの説明不足で不安を与えてしまい申し訳ありません。ご理解ありがとうございます…!」
何とか、伊藤さんのご家族さんにはご理解をいただけた。
病状説明や家族とのやり取り記録を看護記録に残す。
これは、情報共有であると同時に、もしも訴訟になったとき、記録開示になっても問題がないよう、自分の身を守るための記録だ。
記録を書いていると、新人看護師の上田さんが話しかけてきた。
「姫川さん…さすがです…!あのご家族さんを説得できるなんて」
「私なんて、まだまだだよ。それに、いつ熱傷が起こるかわからない。異動してすぐに熱傷なんて起こしたら、クレームじゃすまないよ。」
これで本当によかったのか。
不安は、いつだってついて回る。
それを悟ってか、先輩の青木さんが口をはさむ。
「それでも、私たちはベッドを開けないといけない…」
青木さんは、私の背中を押してくれた。
「そうですよね」
これから先も、こういうことが続くだろう。
それを、自分たちの中で〝当たり前〟と流して風化させてはいけない。
感覚を、麻痺させてはいけないんだ。
* * *
「――本当に、お世話になりました」
「お大事になさってください」
そうして、退院調整を行い、伊藤さんは療養病院へ転院していった。
実際起こったらこうなるんじゃないかなと想像しながら書いています。
難しい表現があったらすぐに修正をかけますので、教えていただけると嬉しいです!
誤字脱字報告も嬉しいです。読みづらいところがあったらすみません。