本音と覚悟
―本音と覚悟―
――11月。
あたりはもう肌寒くなり始めてきていた。
意識不明患者が報告されてから、もう6か月も経っていた。
何人もの意識不明患者の入院を取り、退院調整を行った。
在宅に帰った事例は本当に少なく、病院のキャパを超えていた。
それでも、世間的には未だに原因の解明ができていない。
意識不明から目覚めたという事例の報告も、まだされていなかった。
全国で、意識不明患者は1万人をも超えた。
今もなお増え続けているという情報だけが、世間を脅かしていた。
毎日、意識不明患者と関わる中で、心が苦しくなる一方だった。
そんな中で、何とか自分を奮い立たせることができていたのは、二人の存在が大きい。
星野さんと夕田さんに、会えたからだ。
星野さんは、実際に妹さんが意識不明患者であり、患者家族という立場だ。
夕田さんは、milkywayで情報開示のため、たくさんの患者家族と関わっている。
医療スタッフ以外の人間だって、この現状と必死に向き合っている。
当たり前のことなのだが、少し前の私は、それをしっかり理解していなかった。
『この現状の過酷さを知っているのは病院勤務者だけなんだ』
そう思いつめ、世間の理解がないことに不満を感じていた。
私は、毎日のように入院患者と関わり、その生活面の全てを支える中で、患者へ感情移入しすぎていた。
患者家族の足が病院から遠のいていく現状に、やるせなさや怒りすら感じていた。
二人に会う前の私だったら、とっくに我慢の限界が来ていたと思う。
だけど、二人も頑張っている。
その事実が、今の私の支えだった。
私は二人に連絡を入れる。
『明ちゃんの容体はどうですか?』
『∟今は落ち着いている。』
『何か進展はありましたか?』
『∟こちらは何も現状は変わっていません』
同じように、二人も私に連絡をくれた。
『姫川さんの方は…?』
『∟すみません、こちらも何も進展なしです』
お互いに、1週間に1回は情報交換を行うようになっていた。
3人の中で、誰も口にはしないが、
〝原因はmilkywayによるものかもしれない〟
と、日に日に確信は強まっているように私は感じた。
* * *
『星野さん、またお話聞いていただけませんか』
私は、星野さんに話を聞いてもらいたくなった。
何となく、夕田さんには声をかけることはできなかった。
『仕事終わりでいいなら』
星野さんから、不愛想な返事が返ってきた。
私は、仕事終わりにあの日の居酒屋に行き、星野さんの到着を待った。
* * *
初めて二人で食事をした居酒屋。
少し待っていると、星野さんがやってきた。
「――星野さん、こっちです!」
「すまない、仕事が長引いた」
そう言って、星野さんはネクタイを緩めながら席に着いた。
「今日はスーツなんですね」
「まあな」
そういいながら、星野さんは「生ひとつ」と店員さんに注文を済ませた。
「急にお呼び立てしてすみません」
「まあ何となく事情は察してる」
そう言って、一息ついて
「ほどほどで頼む」
と一言。
前回、私の愚痴を散々くらったことがあるのだから、当然の反応だった。
「…今日は大丈夫、だと思います。」
「どうだかな」
星野さんはクックと笑った。
私はわかりやすく頬を膨らませた。
当たり前だが、私が話したいことは愚痴なんかじゃない。
星野さんだって、わかってくれている。
今のはきっと、冗談…なんだろう。
私が、言いにくいことを話しやすくするための。
「情報を公にするのに対して、私はもちろん賛成じゃないです。危険が伴うのはわかります」
私は、いきなり本題を投げかけた。
それを予想していたかのように、星野さんは
「そうだな」
と同意した。
「でも、じゃあ何ができるかって言ったら、何もできてないんです、現状。毎日増える意識不明患者さんと向き合う中で、この人たちが奪われている現実世界での時間を思うと、私は何かがしたくて仕方がありません」
今は何もできない。
なのに、どこかで私は〝できない〟のではなく、〝しない〟のではないかと思てしまう。
それは、〝患者の安全〟のためなのか、〝保身〟からくるものなのか、区別がつかない。
その曖昧な感情の中で、私は
『何もしないことは、彼らの時間を自分が奪っているも同じ』
とさえ、考えてしまうようになっていた。
これを言うことで、私は何を求めているんだろうか。
〝姫川のせいじゃないよ〟
って、否定してほしいんだろうか。それとも、
〝自分もそう思う〟
と共感してもらいたいんだろうか。
私は何がしたいんだろうか。
考えれば考えるほど、いっそのこと何も考えたくなくなる。
私は、星野さんから出る言葉を待った。
「…俺だって、一刻も早く、明に目を覚ましてほしい」
患者家族から、当然の答えが返ってくる。
それの願いは、患者家族からのニーズともいえるものだった。
そしてそれは、私がその責任を背負うという考え方を、誇張させた。
「…特に私には、他の人と違って見えるという力があります。それがあるのに何もしないのは、星野さんや夕田さんたちが何もしないのとはわけが違います。」
「……俺たちは何もない、か。」
星野さんは、ジョッキを横にずらしながら、静かに〝そうだな〟と呟いた。
ジョッキにはたくさんの水滴がついていて、その水滴がテーブルに線を引いた。
「…あ!あの、違っ…そういう意味じゃなくて」
私は、無自覚に失礼なことを言ってしまったことを理解し、慌てて訂正しようとする。
「何も違わない。事実だろ」
普段、相手を気遣った表情なんてめったに見せない星野さんが、私に苦笑して見せた。
その表情の変化に、私は言葉を失った。
「……」
「わかるさ。姫川に比べて、俺たちは何もできない。無力だ。何か画期的でいい策を考え付いたとしても、きっと俺たちじゃ実行できない。お前の力あっての案しか出せないだろう。何か提案したとしても、おそらく俺たちじゃできない。」
「そんなこと…」
「最終手を下すのは、姫川になってしまうだろう。そういう、責任的な面では、姫川を支え切れない。」
「……っ」
どこかで、支えてもらいたいと思っていた。
甘えたかったんだろう。
それができない、と線引きされてしまったことが、悲しかった。
その空気の変化を悟って、星野さんはつづけた。
「もちろん、俺たちの案で何かが起こったら、俺たちはその責任がお前だけにあるとは思わない。それでもお前自身は、そうならないだろ。自分を責め抜くだろう。だから、本当の意味で何もしてやれない。」
本当に、申し訳なさそうな彼が、彼らしくなかった。
そもそも、この人は他人の表情の変化を悟って話し方を変える人だっただろうか。
会って間もないが、確実に星野さんは変化をしていた。
小さくても、変わっていた。
私は、考えだけがぐるぐると変化をしているだけで、実際行動はまったく変わっていない。星野さんのような小さな変化すら、私には訪れていない。
「……でも、その何もできない現状でさえも、思うんです。私は何かできるくせに、何もしなくて卑怯だなって」
この考え方は、きっと自分を追い詰めている。
だけど、日に日にその考えは強まった。
ストレスになると思った。
そしてそれは、自分自身をも危険に追い込むと知っていた。
だから考えないようにしてきたが、患者家族や患者の状態を見るとどうしてもその考えに行きついた。
「お前本当に生きるのしんどい部類の人間だな」
(わかる。……でも、)
「できることがあるのに、後が怖いからって何もしなくて、現状何も変わらなくって。私、私…っ」
ボロボロと涙がこぼれてしまう。
星野さんがこんなにも私のことを気遣ってくれていたこと、すごく嬉しい。
何なら危険だとストップをかけ、何もさせてくれないと思っていたことが恥ずかしい。
自分の感情が言葉に追い付かない。
その追い付かない分が、どんどん目から涙になってこぼれていった。
「ごめんなさ…っ」
めんどくさいやつって思われているかもしれない。
初めて飲んだときだって、めんどくさかったかもしれない。
それでも、自分勝手に持論を貫けたのに、今はそれができない。
「――初めてここで飲んだときに、アンタに言ったことを覚えてるか?」
「……!」
まるで見透かされたかのように、初めてのことを話題に出され、ドキッとする。
「アンタ…姫川は、どうしたい…?」
「私…?」
――思い出した。
彼は、〝自分でしたいことを選んでいるんだから、誰かに何かを求めるな。〟といった。
「私がどうしたいか…?」
――選べるわけがなかった。
「だって、仕事はやるべきことが決まってます。何をしたらいいか最低限ルールがあって、それをすればだいたい感謝されます」
「…そうだな」
「今回は違うじゃないですか。例えば、私が現状を変えるために公にしたいって思って行動したとして、それでデータが取れたとして、その結果それを代償にもっと多くの人が意識をなくしてしまったら…?」
そんな自分勝手な行いで、最悪の結果が訪れたとして、
〝他人に求めるな〟
〝自分がしたかったことだろう〟
その理論を受け入れられるほど自分は強くなかった。
「……もうどうしたらいいか、本当にわからないんです。なんで私は見えてしまうんでしょうか、もうそれすら辛いんです」
今、私は、多分本音を話している。
考えもしなかったけど、頭のどこかでその考えを否定していたんだ。
だけど、今星野さんと話していることによって、引き出された本当の本音。
「こんなことなら、見れること…気づきたくなかったんです…」
特別なんていらない。平凡でよかったのに。
自分が弱音を吐いていることは、重々承知だった。
星野さんは、苦虫を嚙み潰したような顔をした。
「そんなことを言うな。俺は、……アンタに感謝してる」
普段、考えを端的にスパッと短時間で言いのけてしまう星野さんが、時間をかけて少しずつ、自分の話をしてくれた。
「――俺の家の話になるが…、俺は両親が離婚している。明とも父が同じなだけでつながりとしては薄い。父にも嫌悪感があった。母も…苦手だ」
それが、初めて見る顔で、私はいつの間にか涙が止まっていた。
食い入るように、星野さんの話に耳を傾けた。
「俺は実家と距離を置いていた。だが、いい年になっていつまでもそれではいけないと思った。俺は、久しぶりに実家に帰省した。その矢先に、……明が倒れた」
「そう、だったんですか…」
言葉が見当たらず、当たり障りのない言葉しか出てこなかった。
「恥ずかしい話、何もできなかったよ。気が動転した母の代わりに、救急要請をした。聞かれたこと、何一つ答えられなかった。明に持病があるのか、こうなる前何をしていたか、救急隊に聞かれても、何もわからない。俺は明の兄だったが、俺には何のつながりもなかった。」
「私だって、この仕事をしていますけど救急要請なんて…そんな、慣れてないこと難しくて身構えますよ…」
そういうと、
「確かに、アンタが救急車を呼んでいるところは想像できないな」
と星野さんは笑ったから、
「日本語下手ですみませんね」
と言ってやった。
「……だから、明を理解したいとmilkywayにいった。情報は、残っている分はもらえた。だが会って話したこともないあんたの方が、妹のことをよく知っている。俺よりもアンタの方が、明に詳しくなった」
夢まで見たこと、〝なんでもありだな〟と半信半疑だった星野さん。
そんな彼が、実はそんな風に私を評価してくれていたなんて。
「…それでも、明さんが知っているのは私じゃなくて、星野さんです。お兄さんなんです。星野さんに助けてほしいと思ってるに…決まってますよ」
「…ありがとう。」
星野さんは、感謝を述べてから、一息おいて言う。
「――だがな、俺には何もできない」
「……そう、でした」
何かできることがあるとすれば、それをできる人がいるとすれば……。
思い当たることは、すべて私に返ってきてしまう。
「……星野さんは、私にどうしてほしいですか」
星野さんは言葉に詰まった。
その背中を押すように、私はつづけた。
「患者家族として、私に何をしてほしいですか」
「……言えない」
それでも、星野さんは言わなかった。
「なんでですか」
「アンタが求められると、頑張りすぎるのを知っている。言えるわけないだろう」
そう言うと、ため息をついた。
「……っ」
そのため息の意味を、深く考えてしまう。
失望されてしまっているのだとしたら、と怖くなる。
怖くなるくらいなら…聞いてしまった方が早い、かもしれない。
「今のため息なんですか」
「言えないといいながら半分以上伝えてしまったと反省していた」
「……?」
「言ったら頑張らなきゃいけなくなるだろ、アンタ」
「私が、弱いから…?」
「姫川は弱くない。だが、今回の件では、責任が重すぎる」
そういうと、私は自分の役割を認識する。
「ほんとだ。どうしてほしいか半分以上言ってますね」
「……だろう」
私は、覚悟を決めて口を開いた。
「そこまで言ったら、逆に言わない方が卑怯ですよ。ちゃんと責任を…持ってほしい」
星野さんは、頭を抱えて言った。
「……ストレス過多で意識不明になるぞ。」
「はい」
「炎上したら、熱傷になるんだぞ」
「…はい」
それを覚悟の上で、話をしていた。
「そんな過酷な状態だが、現段階で……それを立証できるのも、回避できるのも、今のところ姫川だけだ。」
「……そうですね」
星野さんは、頭を下げて「すまない」といった。
そして、そのあとに
「助けて、ほしい。」
と、確かに言った。
「…!」
「人に何かを頼ったのは、久しぶりだ」
そう言って、星野さんは頭を上げた。
「一人で何でもできる、強―い星野さんですもんね」
わざと茶化すように私は言った。
「その理論で行くと、俺はアンタに頼ったわけだからアンタの方が強いな」
ぽん、と星野さんの手が私の頭の上に乗る。
星野さんのその手に、私は自分の手を添えた。
「…だから、私も。星野さんに、これからも頼らせてください」
「俺にできることなら、な」
星野さんは、申し訳なさそうに笑った。
私は、できる限り笑顔を作って
「百人力ですね」
と答えた。
夕田さんは、私が無敵だというわけではないと言っていた。
残機持ちって表現したけど、自分自身、あとどれくらい〝残機〟があるのかわからない。
情報を伝えたところで、それについてきてくれる人がいるかどうかもわからない。
それをしたところで、誰かを助けられるかどうかはわからない。
それでも、誰にもできないこと。
だけど、それは自分にできること。
悩みに悩んで、それでもなるべく安全に、私は行動に移してみることにした。




