静かなる胎動
セシリーは拗ねていた。それでいて寂しかった。
勇気を振り絞って告白したのだ。結婚、はちょっとばかり段階を飛ばしすぎかとも思うが、それくらい好きなのだから仕方ないではないか。
だというのに、だ。
ミーナは即答した。したくないに決まっていると、何の迷いもなく。
好きだと言ってくれたのに。
あの言葉にはセシリーが望んでいるほどの感情は込められていなかったということ、なのだろう。
「ミーナのばか……もう知らないでございます」
ーーー☆ーーー
シルバーバースト公爵家がメイド長シーズリー=グーテンバックは取り潰しが決まったシルバーバースト公爵家の新入り私兵の一人とディグリーの森を歩いていた。ミーナはダメダメで話にならないので、セシリーのほうから対応しようというわけだ。
「まったく、後輩もそうだけどお嬢様も手がかかるでしょーよ。ごちゃごちゃ悩まずラブラブチュッチュッしていれば解決する話でしょーに」
「魔お……ごほんごほんっ。ミーナがあの調子では見てられないからねえ。どちらからでもいいから、さっさと仲直りを切り出して、どこぞでイチャイチャしてもらわないと」
くふふ、と己の身体を撫で回すように眺めて、背筋を震わせながらのセリフであった。
新入り私兵。ノールという名の彼女は自分の身体大好きな女であった。確かに整った外見をしてはいるが、うっかり鏡にうつる己の身体を見た日には一日中見惚れてしまう、なんてのは自己愛が高すぎるだろう。
シルバーバースト公爵家の取り潰し決定となり、私兵のほとんどはとっくに去った後でも未だに残っていて、しかもディグリーの森に入っても問題ないほどの実力を持つという変わった実力者である。ミーナ曰くアタシを敵に回したくはないはずだから、危険はないです……らしい。
何はともあれ、セシリーに逢いに行く際に護衛を引き受けてくれるぐらいには良い人であった。
「そう言えば貴女ミーナとどんな関係なんでしょーか?」
「昔の職場の同僚、といったところかねえ」
「昔、の? 公爵家に来る前のミーナを知っているでしょーか!?」
ミーナは自分のことをあまり話してくれないので、昔どこかで働いていた、なんてものも初耳であった。
ノールはというと軽く肩をすくめて、
「まあ知ってはいるけど、内緒かねえ。ミーナを敵には回したくないしねえ」
「そう、でしょーか。できれば聞いてみたいでしょーが……まあ、いいでしょーよ。前までは過去の何かを引きずっている風だったけど、最近はそうでもなさそうだったでしょーしね。お嬢様辺りがなんとかしたんだろうし、私の出番はなさそうでしょーしね」
「なるほどねえ。あのミーナが変わるわけよねえ。分かってはいたけど、良い出会いに救われたみたいねえ、ミーナ」
感慨深くそう呟くノールは己の胸を揉みしだきながら、その感触に陶酔していた。なんというか、全体的に台無しであった。
ーーー☆ーーー
「あう……」
「はっはっ! そうさ、全てはこのために。世界の崩壊と、再生。極大の移ろいの最中であれば小細工する隙もまた出来上がる。いやあ、待っていて良かった。これにて準備は完了、加えて邪魔者の大半は敵として数える価値もないほどに勝手に落ちていった」
「…………、」
「好意は暴虐を弱らせる。何せ平和な空間に暴虐なんて必要ないものね。そんなもの持ち込んでは平和ボケした連中とは仲良くなれないし。加えるならば『好き』こそが最大の弱点となるし、こりゃあチェックメイトってヤツかね」
だから、と。
無表情なダークスーツの女を無数に侍らせた『彼女』は人為的に獣の因子を組み込んだ女の子をその腕に抱きながら、こう言った。
「さてと、そろそろ真打ち登場といきますか」
ーーー☆ーーー
「むかむか……ぷんぷん……」
「むう。どうしたのだ、ルルアーナよ。ちょっと怖いのであるぞ」
「ルルアーナのシーズリー様に、第八ごときがベタベタとお!! 本当、もう、本当むかむかなんだゾっ!!」
ディグリーの森を歩くメイド長とノールの後をつけている二人組であった。
一人はマントに眼帯、見た目は大仰だが実際はナマクラな大剣を背中に担ぎ、龍やら謎の魔法陣やらをかたどった装飾品をごちゃごちゃと身につけたちんちくりん。
一人はピンクのふりふりに白のもふもふを加えた、それはもう鮮やかなドレスの上からメイド服を羽織った女。
前者は『気配を遮断する道具を持つ女のそばへと逃げた』──つまり、何かに追われており、後者は『上司であるメイド長をストーキングするために「同僚」さえも騙し通す気配遮断魔法道具を持ち出した』──つまり、それだけ深い愛情をメイド長に注いでいた。
「……、あのデカブツ殺して、シーズリー様監禁しちゃうのもアリかもだゾ。ああでもっ、嫌われたらどうしようせっかく魔法道具使ってシルバーバースト公爵家にメイドとして入り込んですぐそばでシーズリー様を感じることができるようになったのにああシーズリー様お嬢様のために尽力されるそのお姿まさしくメイドの鏡なんだゾ流石はメイド長私は知っているシーズリー様が周囲から完璧と評されようとも努力を怠らないことに常に上を目指していることにああでもたまにはお休みになられたほうがいいんだゾ昨日も2時間25分45秒しか眠れていないんだから部下の再就職先を探してあげたりどうせ取り壊しになる屋敷をいつお嬢様がお帰りになっても良いようにと管理されてああシーズリー様欲しい欲しい欲しいシーズリー様の全てが欲しくてでも私なんかの手で汚してしまうなんてそんなことできないああっせめてシーズリー様の手で私を壊してそうなんだゾ最後は最後こそはシーズリー様をじかに感じて終わりたいんだゾそれがそれこそが私の幸せシーズリー様はぁっふふっ、へへっ、ふふふふっ!!」
「うわあ……なんだか少し見ない内に悪化しているのであるぞ」
ーーー☆ーーー
アリス=ピースセンスは祭りに浮かれる街の中を歩いていた。周囲が騒がしいが、それも仕方ないだろう。何せつい先ほどまで隣国の第五王女と激突していたのだか──
「あ、終わったみたいだな。いやあ、あのぶかぶか鎧なかったから気づかなかったが、『いつもの』やってたってことは兵士長様だったんだな」
「それより向こうで剣舞あるってよ! 早く行こうぜ!!」
「おねえちゃーんっ、ちゅーっ!!」
「ちょっ待っここ街中で、あ、ああっ、んむう!?」
……最強の兵士と第五王女との激突がサラッと流されていた。祭りに水を差す気はなかったが、こうも軽く流されるとそれはそれでなんとも言えない気持ちとなる。
「なんだかなぁ……」
「また暴れておったのか。お主らも飽きぬのう」
そう声をかけてきたのは『勇者』であった。
待ち合わせ場所で待っていた、数百年もの時を生きたエルフはそれはもう呆れ顔であった。
「わっちだってしたくてしているわけじゃないわよぉ。あっちが無理矢理迫ってくるのよぉ」
「そういうことにしておいてやるのじゃ」
「……?」
どことなく拗ねたようにぷいっとそっぽを向く『勇者』。今の会話のどこに拗ねるポイントがあったのかは不明だが、相手はエルフで『勇者』なのでただの兵士長では理解できないものなのかもしれない。
というわけで両手を伸ばし、そっぽを向く『勇者』の頬を挟み、ぐいっと自分の顔の前に向け直すアリス。
「む、むう!? にゃにをすりゅのじゃ……!?」
「別にぃ。ただあれよぉ、人がせっかく大変な思いしてまで待ち合わせに間に合わせてやったって言うのにぃ、勝手に拗ねているのが気に食わない的なヤツよぉ」
「こ、こりゃ、人の顔をもむにゃ……っ!!」
「でぇ、なんで拗ねていたわけぇ?」
「にゃっにゃんでもにゃいのじゃっ」
「きゃは☆ 『勇者』のくせに隠し事なんてダメなんだぞぉ☆☆☆」
「やっやめ、ひゃふう!?」
とりあえず頬をぷにぷにするアリス。『勇者』という特大戦力と今後とも仲良くやっていくためにも拗ねている理由を引き出し、遺恨を残さないようにしなければならないからだ!!