変質、その先にあるのは
王都を十字に走る大通り、その北部を歩く大勢の人間の中に異物が一つ。
鮮血のごとき長髪に赤き瞳、そして肌が透けるほどに薄い紫のネグリジェ姿の女であった。青い花をモチーフにしているのだろう子供っぽいデザインの『髪留め』が妙に浮いていた。
彼女の名はキアラ。その正体が知れ渡ったならば国家、いいや大陸規模の騒動に発展する危険性があるほどの『負の金字塔』の一角である。
……そんな怪物の手を小さな女の子が掴んでいた。掴まれた手を見つめて、かつて大陸も惑星も宇宙さえも吹き飛ばした怪物は困ったように眉間を歪めていた。
「おかあさんは……どこ?」
「な、え? お母さんって、へ???」
かつては『百八ノ罪業』と呼ばれる、歴代『勇者』が討伐は不可能として『封印』を選ばざるをえなかった怪物どもを殺し尽くし、今代の『勇者』との戦闘にて経験値を稼ぎ、ついには『魔王』と並ぶ絶大な力を獲得した──とは思えないくらいだった。簡単に言えばメチャクチャ戸惑っていた。
「おかあさん、やだよ、おかあさん……!!」
「いや、その、ワタシお母さんじゃなくて、ええと、その……ミケえーっ! 助けてーっ!!」
魔族の精鋭、その第二位。
『魔の極致』第二席キアラ、渾身の救援依頼であった。
しばらくして(獣人ゆえの聴覚の良さで聞き取ったのだろう)ネコミミ女兵士がやってきた。毎度毎度ネコミミだなんだとしか呼ばれないが、彼女にはミケという立派な名前があるのだった。……今のところキアラしか名前を呼ぶことはないが。
「にゃあ。どういう状況にゃ?」
「おかあさんがいないのぉ!」
「っていうことなのぉ!!」
「……うにゃあ」
五歳にも満たない女の子と似たリアクションしか返せないようになっている『友人』を見つめて、ネコミミ女兵士は完全に反応に困っていた。
ーーー☆ーーー
シルバーバースト公爵家、本邸。
当主が死に、長男が先の淫魔復活騒動の首謀者として裁かれたため、没落が確定したその屋敷は取り壊しが決定していた。すでにシルバーバースト公爵家がため込んでいた財産は国家に徴収されたため、広く寂しくなってしまった空間の、一角。
かつては公爵令嬢の私室だった部屋の片隅になんか転がっていた。いつもの無表情というか、死んだ魚のような目をした少女であった。
肩にかけていたメイド服はそこらに脱ぎ散らかれており、ほとんど丸見え状態……なのだが、色っぽさを感じさせないほどにカピカピに干からびていた。
ミーナ。
大陸でも珍しい黒髪黒目の彼女が『魔の極致』第一席、つまり『魔王』と呼ばれる魔族の頂点であり、六百年前には大陸中のほとんどの国家を滅ぼし、鮮血と死をまき散らした……なんて微塵も感じさせない有様だった。
「ねーさま。あれ、重症ね」
「妹ちゃん。本当ですね」
そんな(実は過去に干渉するくらいは容易い)後輩メイドを見やる十代前半だろう姉妹がいた。ゴスロリ娘が妹、ダークスーツ娘が姉である。服装以外に判別方法が見当たらないくらいそっくりであった。
双子でもなければ、血が繋がってすらいないのに区別がつかないくらいそっくりな不思議な姉妹──完璧すぎて比較対象として選んではならないくらいには規格外なメイド長を抜きにすれば、シルバーバースト公爵家の中でも最優秀なメイドであった。
姉がリナ、妹がサナという名前だが、一心同体を具現化している彼女たちに名前による区別は意味をなさない。同化しているのでは? と疑問視するくらいには意思疎通が完璧なのだから。
「ねーさま、もう一週間」
「妹ちゃん、そうですね。ここも取り壊しになりますし、その前に立ち直ってもらいたいものです」
シルバーバースト公爵家は没落し、事実上の消滅状態だというのに姉妹は本邸に残っていた。残るくらいには、メイドの中でも一番後輩で、一番仕事を覚えるのは早くて、一番手がかかるミーナのことを気にかけているのだ。
と。
ドバン!! と扉が勢い良く開け放たれた。
「ごっはんっすよーっ! おーおーなんすかまぁだへなちょこっすか情けないっすよミーナあ!! ほら肉食うっすお腹いっぱいになれば元気出るもんっすよ、ほらほら早くう!!」
「そうそう早く元気出して、久しぶりにバトルと洒落込もうぜ!!」
「ふふ、ふふふふふ。セシリー様のお可愛いお姿はミーナしかお見えになれない。ですが! お可愛いお様子をお聞きになることはできるのです!! さあミーナ、お赤裸々にお語ってくださいまし!!」
なんというか、癖が強いメイド連中を見据えて、姉妹は呆れたように息を吐いていた。この面子でミーナをどうこうできるとも思えない、とするなら、ノールドエンスとかいう美少女(?)と一緒にディグリーの森に向かったメイド長の頑張りに賭けるしかないだろう。