第八十六章 やるべきことは一つだったんです
ネコミミ女兵士は路地裏の片隅でお散歩の最中であった。にゃあ、と彼女が囁けば、どこからともかく四足歩行の小動物が殺到する。手のひらサイズから、人間大まで選り取り見取りだった。
『クリムゾンアイス』の皆は好きだが、話はあまり合わない。何せ八歳児である。金だ酒だギャンブルだ女だと欲望真っしぐらなクソッタレどもとは趣味嗜好が異なるので、年がら年中一緒にいてもお互い退屈な時間ができてしまうのだ。
(八歳児とは思えない)グラマラスなボディの一部、谷間からスティック状の動物用お肉を取り出し、周囲を取り囲む『お友達』に与えるネコミミ女兵士。一心不乱に食らいつく手のひらサイズから人間大の動物たちを見つめ、にへらっと表情が崩れる。
と。
その時だった。
「きひひ☆ 良い顔ね。ミーナの、その、幸せそうではあるんだけど、どこかぶっ飛んだ笑顔よりもさ」
「うにゃ?」
鮮血のごとき長髪に赤き瞳。
服装なんてこれっぽっちも気にしていないのか、ボロ布のようなものを巻きつけただけの女だった。
「六百年以上も固執していた目標は無価値だったと知った。であれば、新たな目標が必要なのよね。ミーナは、なんていうか、ちょっと濃度というか圧が凄いし、貴女くらいがちょうどいいかもしれないわね」
路地裏の片隅で。
赤髪の女はどこか緊張した面持ちで、勇気を振り絞って、こう告げた。
「ワタシ、貴女の好きが欲しいのよ」
ぐいっと。
肩を掴み、引き寄せ、女は言う。
まさしく食らいつくように。
「好きを示して。好きを教えて! 好きをちょうだい!! ワタシを貴女色に染めて、ワタシを今とは違った何かに変えてよっ。そうすれば空虚な一生が変わるはずだから!! 貴女のような何の憂いもない、満たされた笑顔を浮かべられるはずだから!!」
いきなりだった。
好きが欲しいだの、貴女色に染めてだの、ちょっと言い回しをひねった告白みたいではないか。
対して。
グラマラスな美女にしか見えないネコミミ女兵士はこう答えた。
「んーっと……わかったにゃ!」
「本当?」
「うんうんっ。あれだにゃ、好きが欲しいってつまり友達になりたいってことだよにゃ? 大歓迎にゃっ!!」
「友達……なるほど。それがワタシを変えるものなのね。友達、友達かあ。きひひ☆ なんだか良い響きね」
……八歳児が告白だ恋愛だと勘違いするには早かったようだ。
それはそれとして、完全に不審な女のあの言葉に対して、好きが欲しいってことは友達になりたいってことだと思ったネコミミ女兵士はどこかズレていた。あるいはクソッタレどもとは違ったベクトルでズレているからこそ、『クリムゾンアイス』なんていう肥溜めに馴染めているのか。
噛み合っているのかいないのか、なんだかごちゃごちゃと拗れているようでいて真っ直ぐに繋がったような不思議な交差であった。何はともあれ、ここに一つの繋がりができた。世界を救うだの壊すだの大仰な話はどこにもなく、ただただ女の子と女の子が仲良くなる、そんな繋がりが一つ生まれた。
その繋がりが強く太くなるか、切れてしまうかは今はまだ分からないが──誰かに弱さを見せて、欲しいと口にできる赤髪の女であれば、いつかきっと望むものを手にできることだろう。
ーーー☆ーーー
「で、ミーナはどうしたいでしょーか?」
「どうって、それはセシリー様と……でも、恥ずかしくて」
「はいはい恥ずかしいでしょーよ。それじゃずっとこうしているつもりでしょーか? お嬢様と顔を合わせずにいいと?」
「……そんなわけないです」
ベッドの上で。
ぎゅっと膝を抱えるように座り込むミーナはぼすんと膝に顔を埋めて、刻むように繰り返す。
「そんなわけ、ないです」
「ならやることは一つでしょーよ。ぐちぐちと無駄に時間を使っていたようでしょーが、はじめからやることは分かりきっていたでしょーよ」
「で、でも……」
「でももだってもないでしょーよ! ミーナ、貴女の幸せはどこにあるでしょーか?」
「セシリー様のおそばにこそ、です」
迷うそぶりすら見せなかった。
だったら、答えなんて決まっている。
「ほら、見えてきたでしょーよ。はじめてのことに困惑して、混乱して、訳が分からなくなったからいつもの調子が崩れているだけだったでしょーよ。お嬢様が欲しい、それだけがミーナの幸せなら、それだけを追い求めればいいだけでしょーよ。はい、ミーナ。貴女がやるべきことはなんでしょーか?」
「セシリー様のおそばへと、ですね。そうです、アタシはセシリー様のおそばにいたいんです! ずっと、ずっとずっとずっと!! それが、それだけが、アタシの幸せなんですから!!」
ゴッア!! と凄まじい力の波動が吹き荒れる。
すっかり本調子に戻ったミーナが言う。
「メイド長」
「はいはい、なんでしょーか」
「幸せを味わってきます」
「……、はいはい」
ぱしゅん!! と。
『転送』が発動して、ミーナの姿が消失する。
しばらく消え去った後輩がいたベッドを見つめ、メイド長は微かに笑みを浮かべる。
「お嬢様のこと、存分に愛してやるでしょーよ」
それはそれとして。
今回のアレソレの前、キス未遂のせいでセシリーを怒らせたとミーナが相談してきた時のことだ。
『もういいからさっさと告白してくっつけってことでしょーよ。せっかく公爵家だなんだ面倒なものがなくなっているでしょーし、男だ女だ性別なんて気にせずやることやれってことでしょーよ』、とアドバイスしたメイド長は違和感を覚えていた。
告白やら性別なんて気にせずにやら、その辺の言葉が『通じていなかった』ような違和感をだ。
そういえばその辺の違和感はミーナが先走っていなくなってしまったせいで処理できていなかったと、今更思い出したメイド長は小さく息を吐く。
「まさか、流石のミーナでもまさかでしょーよ」
処理できていない爆弾が埋まっていそうな気がしないでもないが、まあお互い好き合っているのは丸わかりなのだ。多少拗れたって最後にはイチャラブするに決まっている。