第八十章 覆すとしましょう
『魔の極致』第二席の力の一つ、気配の希薄化は『魔王』たるミーナであっても至近に近づかないと気づけないほどの隠密性を発揮する。
ゆえに、気づけなかった。
ミーナの目の前から『好き』が吹き飛ぶ、その瞬間まで。
「…………、」
大陸よりも惑星よりも宇宙よりも大切な唯一の『好き』は消し飛んだ。だが、それでも、ミーナを殺すには至らなかった。
だから。
その邂逅は必然であっただろう。
「きひ、きひひっ、きひひひひ!!」
ぐじゅう!! と腐ったような漆黒が槍のように束ねられ、投げ放たれる。その一撃は大陸を惑星を宇宙さえも吹き飛ばす究極の破壊である。世界というくくりに収まる程度の生命体に抗えるものではない。
ただ一人。
ミーナを除いて。
そもそも赤髪の女はミーナが振るう力を得るために経験値を稼ぎ、ステータスに割り振り、レベルアップを果たしたのだ。ならば、条件は同じ。後はどちらが強いかの勝負となる。
だから。
だんっ!! と。
大きく横に飛び、漆黒の槍を避けた瞬間、赤髪の女は蕩けるように笑みを浮かべていた。
「きひひ☆」
笑みが。
止まらない。
「避けた、避けちゃった、避けるんだあ!? そうかあ、避ける必要があったんだねえ。いつものミーナなら無表情で粉砕していただろうに、今回は避けたんだあ。きひひ、ひゃははっ!!」
赤髪の女はミーナのことをよく知っている。何度も挑み、何度も叩きのめされたのだから。
ミーナが回避を選ぶことなど、あり得ない。
力を振るえば勝利が舞い込んでくる、それほどに突き抜けた怪物なのだから。
そんな怪物が勝負から逃げた。
それすなわち、勝負から逃げるだけの理由があったということだ。
今の赤髪の女はミーナと同じ土俵に立っている。いかにミーナといえども、真っ向からの勝負を逃げるだけの力を獲得しているのだ。
「ミーナ、きひ、ミーナあ!ようやく届いた、やあっと並べた!! だったら、きひっ、きひひ!! 後は凌駕して圧倒してぶっ殺すだけよねえ!!」
そして。
そして。
そして。
はぁ、と。
一つのため息が赤髪の女の魂に突き刺さる。
酷く冷めた目で。
ミーナが赤髪の女を見据える。
その態度が、ようやく届いた頂きに見下されているという現実が、赤髪の女の怒りを沸騰させる。
「なに、よ……その余裕は。ワタシはミーナと同じ土俵に立ったのよ、それなのに!!」
「余裕ですか。そんなんじゃないのですが、まあいいです。一つ聞きたいのですが──何がしたいんです?」
「何が? そんなのミーナを超えて、殺して、頂点に立ちたいのよ!! そう、そうよ、そうやって余裕ぶれるのはミーナが『上』に立っているからよ。だから、ワタシが、そこに立つ。立って、今とは違った価値を獲得して、そしたら何かが変わるはず! だから!!」
「そうですか」
六百年前にも赤髪の女はこう言っていた。
『きひひ☆ 常に最強、いつだって勝つのが当たり前って顔したミーナをフルボッコにできれば何かが変わるはずよね。「上」に立てば、頂点に君臨すれば、今とは違った景色が見えるに決まっているもの。ってなわけでミーナっ、今日こそくたばってもらうからねえ!!』、と。
赤髪の女は『上』に立つことで今とは違う景色を見て、何かを変えたいと望んでいる。つまり今の自分には満足していないということである。
だから赤髪の女はミーナを殺すことを目的と定めた。不足を補い、変わるための手段として赤髪の女が持っていた選択肢は殺ししかなかったからだ。
『衝動』。
魔族が持っているものといえば、そんなものしかなかったから。逆に言えば、そんなものだけでは満足できなかったために、そこから変わるために赤髪の女は足掻いているのではないか。
全て見抜いた上で、ミーナは言う。
「そんなんで変われるとでも思っているんですか?」
「……ッッッ!!!! き、きひ、きひゃはは!! 本当、ミーナは、本当余裕ぶってさあ!! そんなに『上』から見る景色ってのは最高みたいね。それを奪えば、殺せば、ワタシだって満足できる。こんなにも空虚な一生を変えることができるってことよねえ!!」
腐ったような漆黒が白き世界を舐める。津波のごとき巨大な壁となって、ミーナを呑み込まんと噴出したのだ。
ーーー☆ーーー
アタシは『魔の極致』第二席……いいえ、『キアラ』を見つめます。現状に満足できず、何かを変えたいと願うその姿。どうやら変わるために殺しを持ち出して頂点なんかを目指しているようですが、そんな選択で何かが変わるわけないんです。殺しを持ち出している時点で、『衝動』に従っているだけだということに果たしてキアラは気づいているでしょうか。
──『衝動』しか持ち合わせていないことに疑問を抱くことなく、しかしどこか満足できず、ゆえに空虚な心地で殺しをばら撒くその姿はまさしく過去のアタシに似通っています。そんな風にしか足掻けないんです。だって、今のキアラには『衝動』しかないから。殺ししか選択肢が思い浮かばないんですから。
アタシはシェリフィーンにきっかけを貰いました。『衝動』以外にも価値あるものはあると、殺し以外を選べばいいだけだと、そう教えてくれたシェリフィーンが『次』に進ませてくれたからこそ、セシリー様と出会うことができたんです。
今ならシェリフィーンの気持ちが分かります。
『衝動』から脱して、今とは違う何かに変わりたいと望んでいて、でも表に出ているのは殺しのみ。そんな虚しい生き方をどうにか正してやりたいんです。
シェリフィーンが大陸中を鮮血と死で埋め尽くした怪物に救いの道を示してくれたように、今度はアタシがキアラに道を示す番です。
見当違いな努力はここで終わりにしてやります。今とは違った何かへと変わるためには『衝動』を叩き潰せばいいだけだと、手を伸ばせば誰かが掴んでくれると、『好き』こそアタシたちを満たしてくれる幸せなんだと、教えてやります。
だから。
だから!
だから!!
ゴッッッバァッッッ!!!! と。
アタシはキアラが放った漆黒を世界の白で圧搾しました。
「な、にが……ッ!?」
「大したことではありません」
キラキラと。
アタシの右手が輝きます。
純白。
まさしく左手とは真逆に位置するように。
「昨日の空は見ましたか? アタシが放った漆黒はどうなりましたか? つまりはそういうことです」
「漆黒は純白に変じて……いや、まさか!?」
「昨日、アタシは自分が放った漆黒で惑星が吹き飛ぶのを防ぐために頑張りました。結果開花したのがこの純白というわけです」
「スキル『消去』の性質は、きひ、きひひっ!! よもや魔族が表側の世界の支配を可能としたとでも!?」
「必要なら、手を伸ばします。セシリー様のためならば、なんだってやるに決まっているではないですか」
そもそもスキル『消去』は世界の裏側をエネルギー源とする破壊能力です。世界の裏側に積もりに積もった穢れを利用したものですね。
世界の表側にも同じように何かが積み重なっています。それは光と影のように裏側とは相反する性質を持っています。
結合と反発。
再生と破壊。
白と黒。
世界の表側と裏側はそういった関係でした。光があれば闇が拭われるように、遮るものがあれば光が消えるように、互いが互いの天敵として機能しているんです。
正反対の性質を宿すエネルギー。
世界の表側と裏側。
双方の掌握。
昨日、あの瞬間。アタシが放出した漆黒が惑星を消し飛ばしていたらセシリー様を悲しませていたでしょう。だから頑張ってみました。結果として表側の世界を支配して、惑星の消滅を回避することができました。
そう。
漆黒を殺す力は既に獲得済みなんです。
「どこ、まで……やっと届いたと思ったのに、なのにい!!」
「届いてなんていませんよ。キアラはまだ一歩も前に進んでいないんですから」
アタシもキアラも漆黒という形で裏側の世界を支配しています。つまり互角。ならば、そこに漆黒さえも殺す純白を追加すれば? 表側の世界も支配して、エネルギー源としているアタシが負ける要素はどこにもありません。
世界の白がキアラへと殺到します。
勝敗が決するまでに一分とかかりませんでした。
ーーー☆ーーー
魔族は裏側の世界に積もった穢れから生まれた。つまり漆黒と同じ成分で構築されているということだ。
であれば、純白は天敵と機能する。
魔族を構築するありとあらゆる因子は純白によって消し飛ぶ。
ゆえに世界の白に圧搾されたキアラは跡形もなく消し飛ぶ──はずだった。
ゴッア!! と。
キアラの身体を透過した純白はキアラの持つ能力と『衝動』を吹き飛ばした。
『干渉』。
時空の壁などの本来触れることができない概念へと触れることを可能とするスキルである。そのスキルを用いてキアラの能力や『衝動』という概念に触れられるようにして、その概念を純白で吹き飛ばしたのだ。
──昨日、ミーナは『衝動』をねじ伏せた。それだけの力を獲得できた原動力は『好き』という唯一無二の熱い感情であり、具体的な方法として純白が振るわれていた。
魔族を構築するは世界の裏側に蓄積している穢れなのだから、『衝動』もまた穢れを軸としている。つまり世界の表側に蓄積しているエネルギーたる純白は天敵と機能するのだ。
そう。
純白には『衝動』さえも吹き飛ばす力がある。
「あと、すこし……だったのに」
ぼそり、と。
経験値、ステータス、レベルアップといった性質を付加するスキルや腐ったような漆黒などの力を失った、ただの魔族少女が呟く。
「変わることができたはず、なのに。頂点に立てば、ミーナを越えれば、今とは違った景色が見えるはずなのに。それさえ手にすれば、こんなにも空虚な一生から脱することができるに決まっているのに……」
「頂点に立ったところでキアラが望む変化なんてありませんよ。現に六百年前はアタシもキアラと同じように空虚な一生を過ごしていたんですから」
過ごして『いた』。
過去形で示すということは、つまり、
「なによ、それ。だったら、今は違うとでも?」
「もちろんです。何せアタシはセシリー様に出会ったんですから」
「セシリー……?」
「はい。アタシに好きを教えてくれた人です」
その時、キアラは確かに目撃した。
あのミーナが、六百年前に大勢の人間を殺し尽くした時も無表情に眺めていたあのミーナが、ほんの僅かに、染み込むように、笑顔を浮かべていることを。
その笑顔は見ているだけで胸が温かくなる、そんな笑顔だった。
「なる、ほどね。ミーナにそんな顔をさせるくらいだし、好きってのは頂点以上に価値あるものみたいね」
「当たり前です」
だとするなら、と。
キアラは改めて周囲を見渡す。白き世界。白以外何もない空虚な領域だった。ミーナにあんな顔をさせてみせたセシリーとやらも既に吹き飛んでいる。
そう。
変わるきっかけは、空虚な一生を変えるだけの価値ある何かは、他ならぬキアラ自身の手で吹き飛ばしてしまったのだ。
「ワタシは、この手で台無しにしたみたいね。何やってるんだか……」
「そうでもありませんよ」
「え?」
「失ったなら取り戻せばいいだけです」
何ともなしに。
完全なる平坦な声音で、ミーナはそう言ったのだ。
「取り戻すって、どうやって? 『復元』でも再構築できない絶対的な破壊能力、それが『消去』なのに!!」
「ですね。世界の裏側から抽出した穢れを基にした『消去』による破壊を直すことは不可能です」
「だったら!!」
「だったら『消去』が使われる前にどうにかすればいいだけです」
ぎぢり、と。
ミーナの右手が虚空を掴む。
いいや正確には、
「『干渉』を使い、時間の流れに触れています。これを振動させて、触れ合う空気に振動を伝えることで擬似的な声を生み出します。後は簡単です。過去に繋がっている時間の流れを経由することで過去の世界に擬似的な声を送り、必要な情報を必要なだけ伝えれば、キアラが何もかも消し飛ばすのを防ぐこともできるでしょう。……そうやってやり直しがきくとわかっていたから、こんなにも冷静なんですよ。もしもセシリー様が戻ってこないことが確定していたら、アタシの人格なんてとっくの昔に崩壊しているに決まっています」
時間の流れを触れられるものと捉えることによる、過去への情報伝達。不可逆なはずの概念さえもミーナにとっては簡単に捻じ曲げられるものに過ぎないのだ。
格が違いすぎる。
キアラは『百八ノ罪業』に『勇者』、他にも様々な因子から経験値をかき集めにかき集めて、漆黒という力を手に入れた。その力があれば、最大最強の破壊能力を獲得すれば、ミーナと同じ土俵に立てると思っていた。
勘違いも甚だしい。第一席と第二席には紛うことなき差が存在しており、その差は一向に縮まってなどいなかったのだ。
これぞ『魔王』。
最も強いからこそ頂点に君臨している女はいつも通りの平坦な声音で言う。過去に干渉して、未来を変えることなど何とも思っていないような声音でだ。
「今から過去に情報を伝達します。それによってキアラの敗北は確定しますし、大陸も惑星も宇宙も吹き飛ぶことにはなりません。ついでに何かを変えたいなら手伝いますよ。過去の自分に伝えたいことがあるなら、なんだって」
そして。
そして。
そして。
ーーー☆ーーー
過去への情報伝達、もって未来は改変された。
大陸も惑星も宇宙も吹き飛ぶことはなく、キアラの敗北は確定して──その他にも些細な変化があった。