第七章 味わうために味覚が必要とは限りません
ヘグリア国には三人の王子が存在する。
その一人こそ次期王とも名高い第一王子ユアン=ヘグリア=バーンロットである。
国王ゾーバーグ=ヘグリア=バーンロットが玉座を退けば、彼がヘグリア国の頂点に君臨することだろう。
第一王子であるから、だけではない。
彼には王として最も不可欠な力が備わっていた。
つまりは暴力。
魔法、『技術』、スキル。どれをとっても他の王子や配下を凌駕しているのだ。
魔法やスキルといった超常的な力を個々人が所有できる大陸において国家運営における軸に暴力が据えられるのはそう不思議なことでもないだろう。例えどれだけ権力があろうとも、財力を積み上げようとも、絶対的な暴力が振るわれればそれまでである。
それこそ一人で軍勢を相手取れるような怪物さえも存在する大陸において、支配とは即ち暴力にてなされるものということだ。
だからこそ、暴力を極めた彼は国家の中心であった。幼い頃から彼に意見できる者はほとんど存在しなかったし、唯一『上』に君臨する国王は放任主義であったために肥大するプライドを止める者は誰もいなかった。
だからこそ。
そんな彼に真っ向から意見をぶつけてきたセシリー=シルバーバーストの存在は目障りであったのだ。
未来の王妃となることが決まっていたも同然だからといって、次期王たるユアン=ヘグリア=バーンロットへと意見してきたのだ。
民と見本となるべき王として云々と何事か言っていた気もするが、詳しい内容など覚えてすらいない。威圧するような雰囲気で、第一王子の行動に口を出した。そんな女となぜ結婚などできるものだろうか?
「くそっ。こんなはずではなかったのに……っ!!」
男爵令嬢に対して好ましい感情があったこともそうだが、そうでなくとも男爵令嬢との諍いを利用していただろう。
男爵令嬢が虐められていたかどうかなど二の次であり、とにかくセシリーを非難できる材料があればそれで良かったのだ。
セシリー=シルバーバーストへと身の程を思い知らせることができるならば、なんだって。
ゆえに裁きは下された。
正義の側に立ち、婚約破棄を突きつけ、国外へと追放した……というのに。
「セシリーめ、あんな手駒を飼っていたとはっ!!」
油断していたとはいえ、第一王子たるユアンを殴り飛ばすだけの力を持つメイドさえいなければ、万事うまくいったのだ。セシリー=シルバーバーストを特別にしていた力の全ては奪われ、絶望と共に野垂れ死んでいたはずなのだ。
「……このままで済むと思うなよ」
ズキズキと痛む鼻を押さえたユアンの口から怨嗟の声が漏れる。セシリー=シルバーバーストが国外に出たと部下からの報告があったが……あのメイドがいる限り、野垂れ死ぬようなことはないだろう。
未だ次期王を侮辱した『罰』は済んでいない。
第一王子ユアン=ヘグリア=バーンロットへと意見した不敬はセシリー=シルバーバーストの死でしか購えないのだから。
ーーー☆ーーー
セシリーとユアンの関係は完全に政略的なものだった。ゆえに恋愛感情などどこにもなく、極力関わらないようにしていたほどだ。
だが、セシリーは第一王子の未来の妻である。好むと好まざるとに関わらず、果たすべき義務がある。
つまりは未来の夫を良き王とするために支えること。それがセシリーの存在理由であった。
そのため学園内にてユアンに『意見』することも度々あった。礼儀作法など『貴族世界における必須項目』が壊滅的であったユアンがこれから先困らないように。
それが、そんなことさえ、肥大化した自尊心の塊である第一王子ユアンには到底受け入れられるものではなかった。例え未来の王妃と選ばれるだけの教養あるセシリーの『意見』が決して的外れなものではなかったとしても。
……相手が悪かった、としか言えなかった。
第一王子の婚約者として、また未来の王妃として、セシリーは果たすべき義務を果たすだけの胆力があった。これまで第一王子の『力』に怯え、誰も『意見』できなかったことに真正面から立ち向かった──結果どうなったかは既に示されている。
ーーー☆ーーー
手を合わせて、いただきます、と。
それだけのことをセシリー様と並んでやるだけで、こう、なんだか満たされます。……セシリー様も同じだといいのですが。
と、そこでセシリー様がイノシシ肉のソテーを口にしました。思わず目で追いかけてしまいます。あ、口が動いて、ごくんって、今ごくんって白亜の城が霞むほどの難攻不落絶対防壁で守られた喉が動いてっ! あ、ああっ、口の端にソースがついて……じゅるり。
「セシリー様、美味しそうです」
「美味しいでございますよ。これもミーナが手伝ってくれたおかげでございますね」
「ん?」
「……?」
ハッ!? イノシシ肉のことですね!! セシリー様のお口についたソースで頭がいっぱいで、つい!!
「アタシなどほとんど何もしていないです。セシリー様にご教授いただくのみで、役になど立っていないですよ」
「そんなことないのでございます。誰かのために作るのもいいものですが、誰かと一緒に作るのもまた良いものでございましたもの。そうして出来上がった料理が美味しくないはずございませんよ」
「そう、ですか」
ともあれセシリー様が美味しいと感じてくれたならば、それが全てです。
正直、アタシなんかとの料理が良いものだと感じてくれたなんて恐れ多いことですが、それもまたセシリー様の幸せに繋がったならば幸いです。
……セシリー様が食べているのに、アタシが食べないわけにもいかないですよね。
ということで同じくイノシシ肉のソテーを食べてみますが、予想通り味なんてさっぱり分かりませんでした。そもそも食事という行為自体が必要ない身体なのですから、味覚なんてものが発達するわけないんですよね。
そのはずなんですが……胸が温かくなってくるのは、おそらく──
「セシリー様と共に作り上げたからでしょうか。良いものだと、感じますね」
セシリー様と共にいるだけで新たな発見が次から次に溢れてきます。まさしく超常としか言いようのないほどに、世界が劇的に変わっていきます。
これこそ魔法、『技術』、スキルに分類されない、四番目の奇跡なんでしょう。