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第七十二章 こんなの聞いていないです

 

 セシリーは二階にあるベッドの上に腰掛けて、真っ赤な顔を両手で挟むようにむにむにしていた。熱い、熱い。頭が茹だったようにぼんやりとしていて、胸の奥は灼熱の炎に焼かれるようだった。


「うう、ううううう……!!」


 嫌ではない。

 ミーナに求められて嫌なわけがない。


 だけど、そう、ちょっと積極的すぎないだろうか? 二度も迫られて、しかも寸止めなんて頭がおかしくなりそうだった。


 ……ミーナが何を考えているのか、分からなかった。


「なんなんでございますか、もうっ」


 そして。

 そして。

 そして。



 どばん!! と勢いよく扉が開かれる。

 そこからミーナが飛び出してきた。



「セシリー様!」


「え、なん、わひゃ!?」


 まさしく突進であった。

 両肩を掴まれ、そのまま押し倒された。


 ぽふんと腰掛けていたベッドが柔らかな感触を返す。すぐそこに真っ黒な瞳があった。じっと、ミーナに見下ろされている。


 爆発しそうだった。

 もう訳がわからず、心臓だけが忙しなく暴れ回っていた。


 ドキドキと暴れる音が思考をかき乱す。意味あることなんてほとんど考えられなかった。唯一『ミーナって綺麗でございますね』とそれだけが強烈に浮かび上がる。意識してしまう。見惚れてしまう。それが、それこそが、セシリーがミーナのことを『好き』だという証明である気がした。


「やりましょう、セシリー様」


「え? 何を──ん、んむう!?」


 まず微かな衝撃があった。

 何かが唇にぶつかった感触があった。ぶつかったといっても痛みはなく、いっそ気持ち良ささえ感じる衝撃だった。


 温かな感触があった。

 それだけがセシリーの魂に刻み込まれていく。じわり、じわりと、その感触だけが生々しく感じ取れた。


 唇だけが敏感に研ぎ澄まされていく。その感触を隅から隅まで貪り尽くし、堪能せんとするがごとく。


 じわり、じわり、と。

 ゆっくりと、だが着実に思考が現実を捉えていく。



 唇と唇が重なっていた。

 しっかりと、確かに重なり合っていたのだ。



(ひゃ、ひゃわっ、ひゃわあーっ!?)


 ようやっと現実に視点が合わさった瞬間、ぼぶんっ!! とセシリーの顔が真っ赤に爆発した。ぐちゅべぢゅと思考が混線する。狂ったように回っているようで、その実何も考えていなかった。


 ただ一つ。

 ミーナと唇を重ねたという事実だけがぐるぐると頭の中を駆け巡り、暴れ狂い、蹂躙されて──気がつけば、両腕が動いていた。


 思考や理性がぶっ壊れようが、本能や欲望が身体を導いたのだ。


 受け入れるように、求めるように。

 ミーナを抱きしめ──



 ぱしゅん!! と。

 ミーナの姿が消失した。



「ん、あれ?」


 ミーナは多数の強力なスキルを持つ。

 その内の一つに『転送』というものがある。ありとあらゆるものを移動させる転移能力である。


 まさかのこのタイミングで『転送』を使って瞬間移動したのだ。一方的に唇を奪い、即座に逃げ出したということだ。


「な、な……っ!!」


 全身真っ赤に染めたセシリーがベッドの上で横になった状態でぷるぷると震える。感情が、噴き出す。


「み、みみっ、ミーナのばかあーっ!! 何がしたいのでございますかもおおおーっ!!」



 ーーー☆ーーー



「ひ、ひう、はふっ、あう……」


 ぐらり、と崩れ落ちるようにアタシは地面に倒れていました。足どころか全身に力が入りません。


 周囲を岩壁に囲まれた場所に飛んだようですが、ここがどこかなんてさっぱり分かりません。とにかくどこかに移動しないといけないと思ったんです。


 ──聞いていないです。


「あ、あひゅっ。にゃ、にゃに、なにが、ふぐう!?」


 あれ、なん、肉体接触ですよね。うなじを撫でられるように、後ろから抱きしめられるように、甘美な刺激をもたらす接触の一つでしかないはずです。


 指や腕と何か違いがあるとは思えません。

 どこもセシリー様の一部であり、優劣なんてあるはずないんです。


 なのに。

 それなのに。


「こん、な、なんで、唇と唇を触れ合わせることが、こんな、ふぐっ、衝撃が今までの比ではっ、あぐ、ふっ、ふう!!」


 メイド長、メイド長っ。なんなんですか、これは!? アタシ、おかしくなりました。唇と唇を触れ合わせただけなのに、はふっ、熱い、熱いんです、頭が沸騰しそうなくらい熱いんです!!


 溶けます。

 蕩けて、惚けて、グズグズに崩れそうです。

 アタシという存在が崩れていくというのに、恐怖も嫌悪も憎悪もありません。ただ幸せだけが迸って止まりません。


 ああ。

 ああ、ああっ!! こんなの勝てるわけないです。降伏です、抗えません、無条件で敗北するに決まっています。だって、これは、これこそが──


「好き、です」


 溢れます。

 熱が、想いが、次から次に止まることなくです。


 ぐぢゅぐぢゅと茹だった頭でマトモなことなんて考えられるわけがなくて、それでもただ好きだという想いだけが強烈に浮かび上がります。


 それだけが。

 セシリー様への想いだけが。

 溢れて、溢れて、溺れてしまいます。


「好き、好き、好きなんです。は、はひっ、アタシはセシリー様が大好きなんです。あは、はふ、ふっぐ、あははっ、あははははは!! 好き過ぎておかしくなりそうです、壊れそうですっ。だけど、ひふっ、いいです。セシリー様になら壊されていいんです。アタシの全てを砕いて、潰して、引き千切って、壊してください。ああ違います、もう壊されているんです。ひ、ひう、とっくの昔に、セシリー様に出会ったあの日から、アタシは木っ端微塵にぶっ壊れていたんです。好きです。好きで好きで好きなんです。ん、んぐっ、はふう!! そうですよね、それだけなんですよね。ふ、ふひ、ふふふ、はははははは!! アタシはあ! セシリー様が!! 大好きです!!!!」


 聞いていないです。

 聞いていないです。

 聞いていないです。


 唇と唇を触れ合わせるだけでこんなにも、ぶっ壊れてしまうほどに気持ちいいなんて……聞いて、いないです。

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