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第六章 アタシの居場所は唯一貴女様の隣にこそ

 

 アタシはセシリー様の後ろでぐぢゅぐぢゅに蕩けた思考をどうにか回復させることに成功しました。


 は、はひっ、ふっ、ふう……。こ、幸福に殺されるかと思いました。


 セシリー様による密着お料理講座にも終わりはあります。正直な話、一生をお料理講座で費やしても構わないと本気で思っていたのですが、終わってしまったものは仕方ありません。……夕食の時も是非やって欲しいものです。


「これで良し、と。さあ、セシリー様、どうぞ」


 アタシはテーブルに出来上がった料理の数々を並び終えた後、セシリー様が座りやすいよう椅子を引き、差し出します。そこに座り、セシリー様が食事を始めるのがいつものことであり、食事が終わるまで後ろで控えているのがメイドの務めでした。


 が、今日は珍しく椅子に座る前にセシリー様が口を開きました。


「食材に優劣はなく、適した調理法を施すことができればありとあらゆる命は至宝と化す、でございましたか。公爵家の厨房にある高価な食材以外も調理する機会をくれたシーズリーには感謝しないとでございますね」


「なるほど。どこで料理の腕を磨いたかと思えば、メイド長に教えてもらっていたのですね」


 シーズリー=グーテンバック。

『尽くす』分野であれば、ありとあらゆる技能を会得した従僕の鏡です。二十代前半で公爵家のメイド長にまで上り詰めた、といえば怪物具合も分かるものです。


 そんな怪物であれば、料理の一つや二つ極めているはずです。料理を教える分には申し分ない技能を持っているということです。


 しかし、


「よくあのメイド長が料理を教える気になりましたね。教育係も兼任しているあの真面目奴隷のことですし、令嬢に料理の技能など必要ないと一蹴しそうですが」


「確かにシーズリーは厳しいお人ですが、それだけではありません。あれで案外優しいのでございますよ?」


「そう、ですか」


 くすっと微笑をこぼすセシリー様はそれはもう麗しいです。その微笑みだけで既存生命体が築いてきた美の序列を踏み越え、頂点に輝くほどです。


 ……不完全な醜い有象無象どもはセシリー様の微笑みに畏怖を感じるそうですが、そんなものは有象無象どもが不完全なだけです。己では決して辿り着けない金字塔に絶望し、セシリー様の究極の祝福を素直に享受できていないだけなんです。


 まあ、その微笑を浮かべたのがメイド長の話題を出したこと、というのは気に食わないですが。大いに気に食わないのですが!


「ミーナ、どうかしたのでございますか?」


「……いえ、なんでもありません。それよりセシリー様、せっかく作った料理です。冷める前にどうぞお召し上がりください」


 テーブルに並べられた料理の数々は決して豪華とはいえないものです。イノシシ肉のソテーやキノコのスープといったものは庶民が食すものでしょう。


 それでも現在提供できる食事といえば、このレベルが精一杯でしょう。もちろん方法を選ぶ必要がなくなれば話は別ですが、それだとセシリー様を悲しませることとなります。クソ馬鹿王子どもの命運はどうでもいいですが、あいつらのせいでセシリー様が悲しむようなことがあってはなりません。


 それに、どうにも不思議な感情なのですが……セシリー様と一緒に作った料理の数々は公爵家で提供されるものよりも価値があると感じています。ですが、なぜでしょう? どう考えても公爵家で出される料理のほうが豪勢なのですが???


「ミーナ」


「なんでしょう、セシリー様?」


 なぜだか椅子に腰掛けることなく、しかも隣の椅子に手をかけるセシリー様。そう、まるで誰かに座るよう促すような──


「一緒に食べませんか?」


「…………、」


 いや、なん、え?

 一緒って、それ、こうして後ろでセシリー様の食事が終わるまで立っているのが『公爵家での』日常だったはずです。でも、あれ、へ???


「どうで、ございますか?」


「それがセシリー様のお望みならば、喜んでご一緒させて頂きます」


 せっかく回復させた思考がぐぢゅぐぢゅに蕩けるには十分すぎる出来事でした。



 ーーー☆ーーー



 すとん、とセシリーが差し出した椅子にミーナが腰掛ける。その後でセシリーもまた椅子に腰掛け──くすっと(本人の中では)嬉しそうに微笑を浮かべた。


 だが、他者から見れば、その微笑は恐喝でもしているのではないかと思えるほどに迫力のあるものだったろう。(どこぞのメイドを除き)セシリーの表情からは威圧感しか感じられないのだ。


 整ってはいるが鋭い印象を受ける外見に加えて、昔から笑顔が苦手なセシリーはよく誤解を受けていた。悪意を向けられていると、実の両親さえも勘違いするほどに。


 どこぞのメイドであれば、それが良いのだと力説するだろうが、誰も彼もがセシリーにゾッコンなわけではない。


 だから、だろうか。

 あの時王子があれだけの悪意をセシリーに向けていたのは、男爵令嬢を虐めたといった誤解以外にも原因があったのかもしれない。


 令嬢にあるまじき、他者を威圧する雰囲気が王子の癇に障ったのだとすれば──


(今更後悔しても遅いのでございますが……もう少し王子と向き合っていれば、こんなことにはならなかったのかもしれませんね)


 全ては後の祭り。

 あの婚約に政略的な意味しか見出さず、あくまで家と家との繋がりであると割り切って、王子と向き合ってこなかったツケが婚約破棄として現れただけのこと。


 思うところがないわけではないが、今は忘れようとセシリーは己に言い聞かせる。現実に向き合うにしても、もう少しだけ時間が欲しかった。


 だから。

 セシリーはシルバーバーストという重みがなくなったからこそできることを楽しむことにしたのだ。


「ミーナ」


 シルバーバースト公爵家の食卓に家族が一堂に会することはほとんどなかった。後ろには多くの従者が控えてはいたが、そんなものは『一緒』とはいえないだろう。


(わたくし、寂しかったのでございますね)


 だから。

 だから。

 だから。


「これからどうなるか分かりませんが、できることならこうして『一緒』に過ごして欲しいのでございます。どうで、ございますか?」


 おそるおそる、と。

 どこか踏み込むことに怯えた様子のセシリーであったが、隣に座るミーナはといえば、いつも通りの無表情であった。


 唇が動く。

 規則的に、淡々と、平坦な声が漏れる。


「セシリー様が望む限り、アタシはセシリー様と共に生きると誓っています。ですのでそんなことは尋ねるまでもなきことかと」


「ふふ。そうでございますか」


 表情や声音からは感情の一端さえも伺えなかったが、ミーナは嘘をつくようなメイドではない。ならば、その言葉は真実なのだろう。


(わたくしにはもったいないメイドでございますね)

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