第六十六章 もう一度話せるとは思っていませんでした
男爵令嬢を背負い、ネコミミの首根っこを掴んだアリスは魔法陣を展開、風を操ることで浮力を生み出し、空を飛んでいた。
その視線の先。
ドラゴンブレスの直撃に耐えるほど強固な結界に守られた建物にこそ、
「まさかぁ、あそこに『魔王』がいるわけぇ?」
だったらぁ、と複数の魔法陣を展開するアリス。『勇者』の力を得た今であれば、あの結界を破壊して『魔王』を引きずり出すことだって可能かもしれないと考えたのだ。
と。
その時だった。
ブォン、と結界が解除される。
建物から一人のメイドが出てくる。
しっかりと扉を閉めて、何度も確認して、一つ頷く。
『魔王』ミーナ。
世界を滅ぼせるだけの力を持つ怪物は地面に落ちていた小石を拾い、軽く放り捨てるようなモーションで投げ放った。
ガッッッドォンッッッ!!!! と。
古龍が左右に引き裂かれるように貫かれた。
小石一つを軽く投げただけだ。
何らかのスキルを使ってすらいない。単純な膂力で投げた小石でもって『勇者』が擦り傷しか与えられなかった古龍の巨体が貫かれ、左右に引き裂かれて、巨大な肉片と化す。
と。
その瞬間であった。
「また来たんですね。どこぞのクソトカゲと同じく、一度殺した程度では身の程を思い知ることはなかったようですね」
「……っっっ!?」
アリスの目の前に『魔王』が立っていた。
空中と地上、加えて距離も十分に開いていたはずなのに、気がつけばアリスは例の建物の近くに立っていた。
何らかの転移能力が使われて、『魔王』の前に引き寄せられたのだ。
「とりあえずそこのクソトカゲと同じように取り返しがつくレベルで殺してやりますか」
「ちょっと待っ──」
「セシリー様が気にするので、前と同じようにきちんと『復元』します。ですのでごちゃごちゃ喚かず、黙って死ぬように。……たった一度殺すだけで済ませてやるんです、感謝して欲しいくらいですよ」
無表情に無感動に切り捨てられる。
その決定を覆すだけの起点が見えない。
『魔王』、世界を滅ぼすだけの力を持つ怪物を前にして、たかだか可能性を引き寄せるしかできないちっぽけな人間に何ができるというのか。
そして。
そして。
そして。
「すとおーっぷだわーっ!!」
ダッァン!! と。
アリスとミーナの間に入るようにエルフの女が降り立ってきた。
純白の着物を纏う今代の『勇者』の肉体ではあった。だが、その『中身』は──
「まさかシェリフィーン、ですか?」
「そうだわ! 今代の『勇者』に無理言って、身体を使わせて貰っているんだわ!!」
ふふんっ! と胸を張る『勇者』シェリフィーン。六百年前の覇権争奪大戦を戦い抜いた魂であり、ミーナを『封印』することで『次』に導いた少女であったが……その身体はあくまで今代の『勇者』のものである。六百年前のぺったんこボディと違い、(特に一部分が異様に)グラマラスなボディのため、胸を張る動作一つでバインバインと暴れ回っていた。
「ねえシェリフィーン。一ついいですか?」
「ん?」
「来るにしても時間をずらして欲しかったです」
平坦な声音のくせにどこまでも拗ねたような、不機嫌そうな、そんな色が乗っているような気がした。
何の感情もなく、意思の揺らぎもなく、『衝動』のままに殺しをばら撒いていたあのミーナの言葉にだ。
「ええと、ごめんだわ、ミーナ。来るなら来るで事前に知らせておくべきだったわ」
「……まあ、いいです。シェリフィーンに免じて許してやります。こうして話せるとは思っていなかったですしね」
それに、と。
ミーナはこう続けた。
「こうして話せる機会があったら、言いたいことがあったんです」
「何だわ?」
「『今』幸せなのは、シェリフィーンのお陰です。本当に、ありがとうです」
言って、頭を下げるミーナ。
対してシェリフィーンはといえば何かを呑み込むように一度奥歯を噛み締める。
そうして胸中に渦巻くものをねじ伏せて、たった一言だけを返す。
「どういたしまして、だわ」
ーーー☆ーーー
隠れ家の中ではセシリーが頭を抱えて蹲っていた。ぷっしゅう、と真っ赤になった顔から湯気が出てきそうだった。
(わっ、わたっ、わたくし何を、どうしてあんな、受け入れて、ひゃわーっ!!)
いきなりであった。
あんなにもセシリーについて熱弁していたかと思えば、じっと見つめられ、引き寄せられて──唇を奪われそうになった。
嫌なら命じてと言われた。
たった一言でやめると提示された。
対してセシリーの答えはどうだったか。
(うう、ううう、うううううーっ!! 仕方ないでございますよ、好きなんでございますもの!! ミーナにあんなに見つめられたら、求められたら、拒否できないでございますよお!!)
まだ告白もしていない。
明確に関係性が変わったわけではない。
それでも、ミーナが何を考えてあんなことをしようとしたのか分かっていなくとも、セシリー自身渇望してしまったのだ。
だからこそ、
(うう、生殺しでございますう!!)
途中でやめられたせいで、昂ぶった熱が焦がれるようにセシリーを蝕んでいた。あそこまで期待させて、まさかの中断であるのだ。焦らすにもほどがある。
──『外』で何かが起きていることは炸裂する轟音から察することができる。ミーナの判断は間違ってはいないだろう。セシリーは邪魔にならないようにこの場に待機しているべきだ。分かる、分かっている、理解はできる。できるが、納得はできそうになかった。
「ミーナのばか……」