第六十二章 試練の時です
こ、これは試されているんですか?
「お、おまたせしたでございます……」
二階から下りてきたセシリー様の纏いし服は純白の布地に桜色の花びらの意匠が散らばっています。僅かにはだけた箇所からは鮮やかな緋色の襦袢が覗いていたりします。
そう、あの時の着物です。
アタシが『再現』で生み出して、お胸のことを指摘したばっかりにき、きらっ、きらっ、うぐっ。『あんなこと』を言われる原因となった服です。
それをどうしてこのタイミングで着ているんですか? というかどうしてアタシはあの服も『復元』したんですかばっかじゃないですか!?
試されています。
これ絶対に何を言うか試されています!!
実はまだ怒っていた、とかですか?
そうじゃないとしても、ここまで露骨なんです。何か目的があってのことに決まっています。
それは、なんですか?
何を言えば正解なんですかセシリー様あ!!
「ミーナ」
うえっぷ、吐きそうです。腐ったような漆黒で形作ったどこぞの『衝動』を敵に回した時よりもずっと、ずっとずうっとピンチです!! 急転直下にもほどがあります、先ほどまでの幸せはどこにいったんですかあ!!
う、うぐぐ。嘆いたって状況は変わりません。アタシは成長したんです、『衝動』だってねじ伏せたんです、今のアタシに怖いものなんて、いいえ嘘ですセシリー様に嫌われるのだけは駄目なんです、メチャクチャ怖いんです、ですからどうか怒りを鎮めてくださあい!!
「この服、似合っているでございますか?」
ひっ、ひううう!? なん、なに、いやあ!! それなんて答えるのが正解なんですかセシリー様あーっ!!
ーーー☆ーーー
前脚による振り下ろし。
数十メートルもの巨体を支えられるだけの筋肉を詰め込んだ強靭な脚と先端に伸びる爪が迫る光景は五つの巨大な塔が倒れてくるのにも似ていた。
ギャリギャリギャリッ!! と地面を削り、迫る前脚はそれこそ砦の一つや二つ簡単に撫で裂くだけの威力があっただろう。たかが一メートルから二メートルしかない矮小な生物、余波を叩きつけるだけでも粉砕することができる。
だが、
「ふむ。流石は古龍よのう」
ゴッガァン!!!! と前脚による一撃がつんのめるように動きを止める。とんがりお耳をぴくぴく動かす女の右手が古龍の前脚を受け止めたのだ。
黄金に輝く右腕こそ『勇者』の力。
四百に届こうとしている歴代『勇者』の魂の輝きである。
「グゥ、ガァアアアアッ!!」
ビリビリと空気を歪ませるほどの震動があった。古龍の咆哮が響く。矮小なる生物ごときに己の一撃が受け止められたことに憤るように。
もう片方の前脚でもって今度こそ矮小なる生物を粉砕するつもりだったのか、その脚が持ち上がられる──前に更なる黄金が炸裂した。
ネコミミ女兵士とパンチパーマが放った黄金の閃光が古龍の頭部に叩きつけられたのだ。
ゴゥン!! と頭部が跳ね上がる。バキビキと鱗にヒビが入る。微かだが鮮血が舞う。
その程度だった。
『勇者』の閃光であっても古龍には擦り傷を与えるのが関の山であった。
であるならば、
「スキル『天使ノ抱擁』」
ズッッッン!!!! と、黄金の閃光の威力が一気に何倍にも膨れ上がった。『魔の極致』第八席たる巨人と淫魔イリュヘルナの合体生物さえも打倒したコンビネーションである。
「はっ、ははは! これならいける、クソデカトカゲをぶっ潰せるってもんだ!!」
「にゃあ!!」
パンチパーマやネコミミ女兵士が黄金の閃光を放つ──その前のことであった。
ゴッッッガォッッッ!!!! と。
古龍がその喉を震わせて、先ほどの咆哮とは比較にならない大音響を炸裂させたのだ。
ビギ、バギバギバギッ!! と周囲の木々が音の波で震えて、ひび割れるほどであった。それほどの大音量が炸裂していた。
だが、それがどうしたというのか。
その程度の大音量、『勇者』を何倍にも増幅した力を獲得している今のアリスたちには通用しない。
だから。
そもそも古龍の狙いは『勇者』と接続しているアリスたちではなかった。
「わっちとしたことがぁ、迂闊にもほどがあるわねぇ。『勇者』の力に酔い過ぎよぉ」
そう呟くアリスは男爵令嬢を背負っていた。
対象を抱擁することで力の底上げを図るスキル『天使ノ抱擁』の使い手たる男爵令嬢は完全に意識を失っていた。
「スキル『天使ノ抱擁』は対象を抱きしめることでぇ、その力を倍加させるものだからねぇ。下手にスキル『人命集約』でアイラと一体化しようものならぁ、わっちたちもアイラと同じ『個体』と見なされてぇ、スキル発動条件が満たされないからねぇ。いやぁ、『そこ』を狙って突くなんてぇ、やるわねぇ」
「なんだつまりどういうことだ!?」
「『勇者』の力を獲得していなかったぁ、無防備なアイラだけを狙ってぇ、攻撃仕掛けてきたってことよぉ。この通り見事に気絶しちゃったからぁ、スキル『天使ノ抱擁』による底上げは無理そうねぇ」
己で己の身体を抱きしめたってスキル『天使ノ抱擁』は発動しない。あくまで対象を抱きしめた時だけなのだ。アイラが対象となる誰かを抱きしめた状態でないとスキル発動条件は満たされない。
ゆえにアイラ=ミルクフォトン男爵令嬢とは一体化せずにいたのだ。もしも一体化しても問題なくスキル『天使ノ抱擁』が発動するなら、護衛役の人員なんて必要ないのだから。
ゆえに、である。
古龍は広範囲に撒き散らす咆哮を放った。『勇者』と一体化した者たちは大したことないと軽視するが、一般人レベルであれば昏倒させられる一撃をだ。
意識の隙を突き、弱点を崩す。
言うのは簡単だが、逹するのは困難である。
初見のコンビネーションの核がどこにあるかを的確に見抜き、それに合わせた攻略法を瞬時に編み出すなどそう簡単にできることではない。それができなかったから淫魔イリュヘルナはアリスたちに敗北したのだから。
頭脳を駆使したのか、本能的なものなのか、何らかのスキルなのか、とにかく古龍は一手でもってコンビネーションを崩してきた。加えてスキル『天使ノ抱擁』抜きでは擦り傷程度しか与えられないことは既に証明されている。
つまり、
「これ詰んだかもぉ?」
「詰んだってマジかよ『勇者』いるのに負けるってのか!?」
「うにゃあ! やっぱりこの森好きじゃないにゃ!!」
咆哮が炸裂する。
勝利宣言のごとき高らかな大音響と共に暴虐が解き放たれた。