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第五十八章 貴女様の望みであり、アタシの望みを叶えるためならば

 

「きゃは☆ ……これはちょっと洒落にならないかもねぇ」


 ギリギリと内臓を圧搾するかのような力の波動に顔をしかめながら、アリスは空を見上げていた。



 腐ったような漆黒が天を埋め尽くしていた。



 ぐじゅ、ぐじゅう、と異音が地上のアリスたちの耳にも届くほどだった。肺腑を抉り、人格を揺さぶる力の波動は増す一方だった。


 何よりも。

 天を見上げ、『勇者』はこう言った。


「まずいのう。何を考えていたかは知らぬが、暴走した兵士一人に足止めされたせいで()()()()()()()()()()()()()()()


「んぅ? 『勇者』には『封印』があるはずよぉ。力の大小を無視して作用する必殺ならぁ、『魔王』だって封じられるはずよぉ」


「そうじゃな。対象がどれだけ強くとも封じられるのが『封印』の長所じゃが、欠点もあるのじゃ。『封印』は近接的な力じゃ。対象を封じるにはある程度接近せねばならぬ。が、ここまで用意周到に力を展開されると厳しいものじゃ。あの漆黒が触れただけでわらわといえども確実に死ぬからのう。こうなると『封印』の効果範囲内まで接近する前に殺されるのがオチじゃ。ゆえに、こうなる前に決めておきたかったものだったのじゃが……本当、余計なことをしてくれたものよのう」


「それほどでもぉ☆」


 適当に嘯くアリスだが、決して無傷ではなかった。脇腹は引き千切られ、片腕はおかしな方向に曲がっていて、内臓は無事な箇所を見つけるのが困難なくらいぐちゃぐちゃに潰されている。


 それでもアリスは笑っていた。

 クソッタレお得意の腹芸、ではなく、


(ここまで状況が進んだらぁ、『勇者』でも対処は難しいだってぇ? だったらぁ、今もなおスキル『運命変率』がアイラから淫魔を追い出すのが可能だ不可能だとコロコロ切り替わっているのはぁ、『勇者』が原因じゃなかったってことぉ? てっきり『魔王』が封じられた結果、アイラに取り憑いている悪魔を追い払えなくなったってぇ感じだと思ってたけどぉ、実際には違うとかぁ?)


「世界の命運を左右しているのはぁ、わっちたちじゃないのかもねぇ」


「なんじゃと?」


「少なくともぉ、アイラを救える可能性が不確定だってことはぁ、今だって大陸中の生物が漆黒に呑まれて消える未来が訪れる以外の可能性が残ってるってことだしねぇ。それってつまり『勇者』以外が事態を解決する可能性を握っているとも考えられるものねぇ」


 と、その時だった。



 ゴッアアアッッッ!!!! と。

 暴風が炸裂した。



「あは、あは、あは、あは、あは」


 その暴風は祝福するかのように天を見上げ、両手を広げ、歓喜に顔面をドロドロに溶かす第五王女から迸るものだった。


 武力を司り、強敵に立ち向かい『遊ぶ(壊す)』ことに愉悦を見出す生粋の戦闘狂だけがこの状況下で喜びを噴出させていた。


「たあのしくなってきたねえええーっ!!」


 己が撒き散らしている暴風で気絶中のクソッタレどもを吹き飛ばしていることにも気づいていない第五王女を見つめ、アリスは呆れたように首を横に振っていた。


「ただでさえ面倒な状況なのにぃ、なぁんかめんどくせーのがハッスルしちゃってるねぇ」



 ーーー☆ーーー



 世界が終わる。

 巨大隕石の衝突が原因で惑星環境が激変し生命が住める環境ではなくなったとか、争いの激化によって世界中の生命が殺し尽くされたとか、惑星自体がブラックホールとなって消えたとか、そんなどうしようもない理由ではない。



 たった一人の女によって。

 拙いながらもこれまで続いてきた生命の連鎖が途絶えようとしていた。



 どこで間違えたのか。

 第一王子が攻め込んできたことか、セシリーが婚約破棄されたことか、淫魔イリュヘルナが暗躍したことか、セシリーと『魔王』が出会ってしまったことか、覇権争奪大戦にて『魔王』が多くの生命を殺したことか、魔族たちが表側の世界に進出してしまったことか、それとも──『魔王』なんてものが生まれてきてしまったことか。


 もうどうしようもなかった。

 一度大切なものを手に入れて、満たされた上での消失は『魔王』という枠組みさえも歪めるほどに禍々しい『衝動』を生み出す。


『魔王』。

 そんな言葉では説明できないほどに狂って、肥大化して、凶悪化した、どうしようもないバケモノの産声であった。


 世界は終わる。

 消え去る。

『魔王』自身にも制御不能な『衝動』が、癇癪を起こして食器を割るような感覚で、一つの世界を叩き潰す。


 腐ったような漆黒の闇は『勇者』でさえも対抗することは不可能なのだ。この世界に変異した『魔王』を倒せる者は存在しない。


 だから。

 だから。

 だから。



「みー……な」



 ざり、と。

 地面に手をつき、四つん這いのような格好で、ゆっくりと、だが確かに身を起こす女が一人。


 だらだらと首から鮮血を流しながら、霞む視界の中、それでも真っ直ぐに『魔王』──いいや、ミーナを見つめるのはセシリーだった。


「みー、な……ッ!」


 漆黒の闇を吐き出すミーナはいつも通りの無表情であった。こんな時でも外から感情を読み取れるような変化はない。


 だが、確かに。

 セシリーには今のミーナの気持ちが見て取れた。


 ゆえに立ち上がる。

 今ここで立ち上がらずにいつ立ち上がるというのか。


 空を覆う漆黒が良くないものであることくらい、セシリーにもわかる。放っておけば大勢の人間が死ぬだろう。


 だから立ち上がる? いいやそんな理由なわけがない。誰かのためではない。他ならぬセシリーのために決まっている。


 ミーナと一緒にいたいから。

 ようやく気づけた本当の気持ちを伝えたいから。


 セシリーが立ち上がる理由なんてそんなものだ。それだけあれば、世界だって救える。


「ミーナあ!!」


 ダァン!! と勢いよく地面を蹴る。

 魂を握り潰すような力の波動を、しかし意思の力がねじ伏せる。


 他の誰が放ったものであれ、耐えることは不可能だっただろうが──吹き荒れる力の波動がミーナのものであれば恐れる理由はない。


 いっそミーナに抱きしめられているような心地よささえ感じながら、セシリーは一直線に駆け抜けた。



 タックルするように。

 セシリーがミーナに抱きついた。



 胴体に両腕を回し、腹部に顔を埋めるようにぶつかったセシリーが顔を上げる。真っ直ぐに、ミーナを見つめる。


「何を、やっているでございますか」


「……ッ」


「いえ、なんでもいいでございます。早く──」


「なんで、ですか?」


 ボソリ、と。

 呟きがあった。


「アタシ、セシリー様が嫌いな暴力を振るってきて、今だって我慢できずに殺しをばら撒いて、なんで、そんな、どうして!!」


 強くなる。叫びとなる。

 平坦な声音ではあったが、いつもの無表情であったが、そんなの関係なかった。


 セシリーには全て伝わっている。

 だからこそ、


「……いいでございます」


 真っ直ぐに、飾らずに。

 想いを吐き出す。


「そんなの、ミーナさえそばにいてくれるならば、それでいいのでございますよ」



 ーーー☆ーーー



 アタシはバケモノです。

 セシリー様が傷つけられた時、その傷を癒すのではなく、感情のままに暴れることを選択した、どうしようもないバケモノなんです。


『復元』一つでどうとでもなることだったというのに、アタシは『衝動』のままに漆黒を吐き出すことを選びました。今もなお、止めることなく、です。


 なのに。

 だというのに、です。


 セシリー様はアタシがそばにいてくれるならそれでいいと、そうおっしゃいました。


「アタシ、『魔王』で、これまで数えきれないほどの生物を、殺して──」


「いいでございます。過去の殺しを償うなら支えるでございますし、未来の殺しはなくなるようわたくしも協力するでございます」


「アタシ、セシリー様が傷ついているのに、治しもしないで、できないで──」


「いいでございます。この程度、大した傷ではないでございます」


 ああ。

 セシリー様はどこまでも優しくて、大切で、まさしくアタシの全てです。


 だけど、だからこそ、


「だめ、です」


「何がでございましょう?」


「アタシ、だって、止められないんです。『衝動』が、殺せって声が! この世の全てを殺し尽くしても満足できないほどで!! ですから……もう、セシリー様のそばにはいられないんです」


 せめて矛先をアタシ自身に向けましょう。

 セシリー様のお陰で、こうして触れ合ったことで、多少の余裕はできました。『魔王』を殺すことで、終わりにします。セシリー様を傷つける悪を粉砕すれば、それがハッピーエンドというものなんです。


「なんで、ございますか、それは?」


 分かっています。

 理解しています。

 最善は見えています。


 セシリー様のために選ぶべき道は一つで、それが唯一アタシみたいなバケモノにできることで、その結果アタシがいない世界でセシリー様は幸せになれます。


 それが正解なんです、そうすべきなんです、そのはずなんです、だから!!



「『衝動』だかなんだか知らないでございますが、それが理由でわたくしのそばにいられないというのならば、そんなものねじ伏せるでございます!!」



「な、ん……」


 ガヅッ! とあのセシリー様が乱暴にアタシの胸ぐらを掴んで、引き寄せて、叩きつけるようにそう叫びました。歯をむき出しにして、感情のままに、荒々しくです。


 公爵令嬢の面影なんてかなぐり捨てて、ありのままのセシリー様が体当たりするかのように猛烈に感情をぶつけてきます。


 アタシなんかのために。

 アタシのために。

 アタシが相手だからこそ。


「もうないでございますか? これ以上何もないのならば、さっさと『衝動』とやらをねじ伏せるでございます。それが終わったら、ずっとずっと! 永遠に!! わたくしのそばにいてっ、いてよ、いなくなったりしないでよお!!!!」


 そして。

 そして。

 そして。



 ーーー☆ーーー



『そこ』がどこなのか、『魔王』にはわからなかった。


 幻覚なのか、転移なのか、妄想なのか、空間自体が歪んでいるのか、どれも推測の域を出ない。


 だけど確かに『魔王』は『そこ』に立っていた。


 腐ったような漆黒の闇が地平の彼方から天空の端まで、まさしく空間を埋め尽くしている『そこ』に。


 先ほどまで『魔王』に思いの丈をぶつけてくれていたセシリーの姿はどこにもなかった。世界が漆黒に塗り潰されたから、ではないだろう。『魔王』だけが『そこ』に飛ばされたようだ。


 漆黒の世界には見覚えがあった。

 魔族が生まれた世界の裏側にそっくりなのだ。


 そして。

 目の前には世界の黒よりもなお深き、粘着質な液体で人間を形作ったような『それ』があった。


 ぐぢゅべぢゅ、と泥をこねくり回したような、歪んだ顔が動く。口のような裂け目が開閉し、聞く者全てを不快にさせるおぞましい声を出す。


『殺せ』


 ぐじゅう、と足元が沈む。

 漆黒の闇に膝まで浸る。


 それで、理解させられた。

 目の前の『それ』こそ『衝動』であり、この空間を埋め尽くす漆黒に呑まれたら何かが終わってしまうことに。


 ゆえに。

『それ』は怨嗟のごとき声を漏らし続ける。


『殺せ、殺せ、殺せ!!』


 何度も何度も。

 これまでと同じように、これからもずっと、『それ』は『魔王』を蝕み続けることだろう。


 この光景が、空間を埋め尽くす腐ったような漆黒が、まさしく『魔王』の本質を示している。悪意から生まれ、悪意をばら撒いてきたバケモノにふさわしい光景である。


『それ』が手を伸ばす。

『魔王』の首に両手を絡みつけ、染み込ませ、ぎゅるりと眼球らしき二つの突起物を蠢かせる。


『「魔王」こそが魂に刻まれし本質を示しているではないか。であれば、受け入れよ。抗うな。我慢するな。抑えつけるな。解放せよ。──魂の底からの願いを叶えよ。殺しこそが「魔王」が望む唯一にて絶対の幸せだという現実を直視せよ。さあ、さあ! さあ!! 今こそ「衝動」のままに殺し尽くすがいい!!!!』


 その通りだった。

『それ』の言葉はどこまでも正しかった。


 どれだけ否定しようとしても、『魔王』の本質は変わらない。いくら抗おうとしても、『魔王』の中身にはドロドロとした悪意が詰まっているだけだ。そもそも抗うための起点がない。誰かを救いたいとか、誰かを傷つけたくないとか、そんな感情は『魔王』からは生まれない。


『魔王』から生まれるは悪意のみである。いくら力を振り絞ろうが、溢れ出る悪意が誰かを傷つけ殺すだけだ。


 ゆえに、ここで終わり。

『それ』が促すがままに悪意は解き放たれ、漆黒が現実世界さえも埋め尽くし、世界は終わる。



 ──はず、だった。直後に『ミーナ』の両手が動き、『それ』の二の腕付近を掴み取ったのだ。



 まるで抗うように。

 悪意以外の『何か』を振り絞って。


『……あ?』


「正しいですよ。全くもって正しいんですよ!! そうです、結局のところアタシの本質は『魔王』なんです。誰かを傷つけることしかできない、バケモノであることは変わりません」


『なら、なぜ、その手はなんだ!?』


 ぎぢ。

 ギヂギヂギヂィ!! と。

『それ』の腕が軋む。『ミーナ』の力で握り潰されていく。


「だけど、それだけじゃないんです」


『な、にを?』


 そう。

 確かに『魔王』からは悪意しか生まれない。


 だけど。

 だけど!

 だけど!!



「こんなアタシにそばにいてほしいとセシリー様は望んでくれました! 『魔王』ではなく『ミーナ』にそばにいてほしいと!! だったら抗えます。『魔王』ではなく『ミーナ』として頑張れます!!」



『魔王』だけではない。

 彼女の中には確かに悪意しか生み出せない『魔王』としての側面もありはするが、決してそれだけではない。


『ミーナ』はセシリーのメイドとして生きてきた。『ミーナ』はセシリーのそばにいることを望んだ。『ミーナ』は暴力を控え、『衝動』を抑えつけてきたではないか。


 彼女の中身に詰まっていたのが『魔王』としての一面だけなら、決して抗えなかっただろうが──セシリーを想う側面が、『それ』を跳ね除けるだけの力を生み出す。


 そう。

 セシリーがありったけ注いできた『何か』には『魔王』さえも超える力が宿っている。


 その『何か』を胸に燃やして、『ミーナ』が動く。ねじ伏せろと、セシリーが願ったのだから!!



 グッヂャア!!!! と。

『ミーナ』の両手が『それ』の二の腕を握り潰す。



『が、がが……がががAAA!!』


「……アタシもです」


『魔王』ではなく『ミーナ』として。

 彼女は微かに口元を綻ばせていた。


 そう、あの『ミーナ』が。

 微かながらも笑みを浮かべていたのだ。


「アタシもセシリー様のそばにいたいです。だって、だって! セシリー様が大好きですから!!」


 思いのままに。

 むき出しの感情を迸らせて。

『ミーナ』は真っ向から『それ』にぶつかり、そして──

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