第五十d(章 知らzました
騎士や私兵は全員が淫魔イリュヘルナの魅了に落ちていた。ゆえに『第一王子の身動きを封じることで、スキル「絶対王政」を封殺する』ために動いていた。こちらは頃合いを見て国外の人目につかない場所で決行する予定である。
合わせて『封印の核となっているセシリーの身の安全を確保する』ようにも動いていた。こちらは第一王子が勢い余って殺さないように調整すればいい話である。
それ以外の命令は受けていない、ということは、それ以外の行動は全てが個々人の自由意志によるものである。
ゆえに騎士団長がメイドを殺したのは、騎士団長の意思によるものだ。運良く第一王子が余計なことをと怒り狂うことがなかったから良かったものの、わざわざ殺す必要はなかったはずだ。
ではなぜ殺したのか。
理由は一つ。
恐ろしかったからだ。
明確に何がというわけではなかった。言うなれば直感、魂の奥底から最大級の警告が放たれたのだ。
あれは、生かしておいてはいけない。
この世に存在してはいけないバケモノだと。
スキル『絶対王政』という変化を封じる力が押さえつけている今が唯一のチャンスだと剣を振るった。半ば無意識での斬撃が、バケモノの命を刈り取った。
そのはずだ。
殺せたはずだ。
なのに、だというのに、
「づ、ぐ、うう……」
気がつけば『頭部』を掴んだ『胴体』が跳ね起きていた。第一王子の具現化していた炎の剣を掴み、消し飛ばしていた。
どうして生きているのか、という疑問もある。
が、それ以上に明確な『変化』が強烈なまでに視界に飛び込んでくる。
『左』手より滲み出る、腐ったような漆黒の闇がどこまでも恐ろしかった。
『まだ』力の波動すら世界に解き放たれてはいない。漆黒は『左』手の中に押さえつけられている。
では、単純な疑問が一つ。
あれが解き放たれたら、どうなる?
「……殺せ」
声があった。
足を引っ張ることしかできない、第一王子の声だった。
「そのメイドを! 殺せえええええ!!」
騎士や私兵が動く。
腐ったような闇に目を奪われ、恐れ、身動き一つできない騎士団長が止める暇もなかった。
炎や水や風や土が飛ぶ。
不可視のエネルギーを纏う武具が振るわれる。
自由度の高い特異な超常が顕現する。
魔法、『技術』、スキル。第一王子が騎士や私兵を適応範囲外と設定することで自在に振るうことができる変化がメイドに襲いかかる。
「……ぐ、ぁ」
一振りだった。
『左』手を横に薙ぐ、たったそれだけの動作で闇が溢れる、飛び散る。
殺到する超常の数々が消し飛ぶ。
そのまま騎士や私兵の肉体に付着する。
ぐじゅう!! と。
まるで塗り潰すように、漆黒の闇が肉体を消し飛ばす。
まさしく消滅。
鎧を着ていようが、超常で守りを固めていようが関係ない。平等に、簡単に、呆気なく、人の形が崩れる。闇に、覆い潰される。
漆黒の闇。
メイドが放つもの。
損傷以外の変化によって。
「なんだよ、それは。私はお前の変化を認めていないぞ。『元に戻る』はずだ! なのに、なんだよそれはあ!!」
「……うる、さいんですよ」
ざり、と。
一歩前へ。それだけの動きで第一王子が肩を震わせる。
「何を、やっている。早く殺せ、殺せ、殺せえ!!」
第一王子の命令が響くが、反応はなかった。
怒りに燃える目で周囲を見渡し、先の攻防で九割以上の人員が死んでいることにようやく気づく。
残りの人員も怯えたように後ずさるだけだった。
「おい、おい! ゴードン、そうだゴードン! お前は騎士団長だろうが強いんだろうが早くこのメイドを殺せえ!!」
叫ぶが、騎士団長からの反応はない。
最低でもアリス=ピースセンスを超える実力者は漆黒を浴びて左半身が消し飛んでいた。とっくに死んでいるだろう。
……その損傷は、漆黒が原因の現象は、『元に戻らなかった』。
「くそ、グリズビーはどこに……っ!!」
喚き散らす第一王子は走り去っていく肥満体型を見つける。シルバーバースト公爵家が長男にしてセシリーの弟はとっくの昔に逃走していた。
「どいつもこいつも使えないっ。いいだろう、なら私がやってやる!!」
叫び、叫び、叫び。
第一王子は己が力を右手に凝縮する。
周囲数キロを囲んでいた淡い光が右手に集まる。スキル『絶対王政』。『元に戻す』力を凝縮することでその性質を底上げする。
「それだ、その黒い靄だ! その変化さえ『元に戻せば』いいんだ!!」
ゴッア!! と淡い光が槍のように束ねられ、投げ放たれる。真っ直ぐに『左』手を貫き、そして──
何も変わらなかった。
闇は変わらず滲み出る。
「な、んで……!!」
スキル『絶対王政』。
あらゆる変化を『元に戻す』究極の無効化スキルであるが、弱点がないわけではない。
一つ、自然治癒力や身体能力など超常的な変化に関わらない、元から備わっている力は無効化できない。
そして、もう一つ。
スキル『絶対王政』でも『元に戻せない』膨大な量を備えた力で押し潰すこと。
例えばありとあらゆるものを斬り裂く絶対切断能力とありとあらゆるものを防ぐ絶対防御能力があったとする。その二つが激突すればどうなるか。答えはより強いほうが勝つ、である
それだけの話だった。
いかに『元に戻す』特性を持つスキルといえども、限界はある。
「は、はは。待て、待てよ。首を両断しても再生するなんていう魔族顔負けの圧倒的自然治癒力を持っていて、『左』手に私のスキルでも『元に戻せない』闇を纏い、そして何よりミーナ、だと?」
その時。
第一王子は乾いた笑いをこぼしていた。
ふと脳裏によぎった、それ。
馬鹿馬鹿しいとは思う。それでも、そんな仮説を持ってくるくらいしないと目の前の異常は説明できない。
「まさか、『魔王』だとでも言うのか?」
まさしく嫌がらせであった。
最も繊細な箇所を抉る、言葉の刃であった。
たった一言。
それだけで世界はガラリと変わる。