第五十一章 我慢さえできれば、きっと
アタシはこれまで数えきれないほど殺してきました。世界の裏側では同族を、世界の表側では多くの種族を、目についたという理由だけで殺してきたんです。
理由なんて特にありません。
ただただ殺したいという『衝動』があっただけです。
本来であれば殺しとは手段の一つみたいです。誰かが憎い、誰かを守りたい、何かを果たしたい、何かを阻止したい、とにかく様々な目的を達するために必要な手段のはずなんです。
殺しそのものが目的であったアタシは普通ではないんでしょう。『衝動』。こんなものをもって生まれた時点で生物として歪んでいるんです。
誰かを傷つけることしかできない、バケモノ。
セシリー様が嫌いだとおっしゃった暴力を散々振りかざしてきた、最低最悪の『魔王』。
それでも。
どうしようもなく破綻した、誰かを傷つけることしかできないバケモノであっても。
アタシはセシリー様のおそばにいたいんです。
それだけで、それこそが、唯一の望みなんです。
「私を殴った不敬なるメイドだ。徹底的に痛めつけてやれ」
第一王子の命にて騎士が動きます。
馬から降りて、剣や槍へと不可視のエネルギーを展開して、『技術』でその性質を増幅して、真っ直ぐに突っ込んできます。
ガギバギギィン!! と鋭い音が連続します。剣や槍は柔肌一枚斬り裂くことなく、弾かれます。いくらその性質を増幅したとしても、そんなものでアタシの皮膚を切り裂くことはできません。
「な、に!?」
「どうなってる!? 第一王子様の力で『元に戻っている』はずなのに!!」
……『技術』という明確な変化の因子を自由に使えるところを見るに、第一王子の力は『元に戻す』対象を選べるみたいですね。味方に対して『元に戻す』変化は損傷程度に限定しているのでしょう。逆にアタシの変化は損傷以外の全てを無差別に『元に戻す』よう設定しているはずです。わざわざ敵に反撃の起点を与える必要はありませんしね。
「……っ……」
隙だらけでした。
剣や槍を弾かれ、驚愕を顔に貼りつけた連中を撃破するのに変化なんて必要ありません。アタシが本来持つ膂力で薙ぎ払えばいいだけです。
ですが。
びくびくとアタシの左指は微かに震えるだけで、それ以上動きません。
別にこいつらを壊すことが嫌だったわけではありません。逆です。壊し過ぎることを押さえるしかなかったんです。
──殺せ。
「うる、さいです」
──ほら、『左』だ。分かっているはずだぞ、それを振るえば元には戻らんことを。
「アタ、シは……セシリー様のメイドです。暴力は最低限で済ませます。取り返しがつくレベルでしか壊しません」
──本質から目をそらすな。生まれた時から、いいや生まれる前から、その魂は生きとし生きる者全てを殺すことだけを目的として活動することを定められていたはずだ。
「……ッ!!」
──殺せ、殺せ!殺せ!! 忌まわしき『封印』が押さえつけていた分まで、存分に!!!!
そして。
そして。
そして。
ザンッ!! と。
懐に飛び込んできた騎士団長が振るった長剣がアタシの首を叩き斬りました。
ーーー☆ーーー
ごろり、と。
ミーナの頭が地面に落ちた。
遅れて断面から鮮血が噴き出す。
「…………、え?」
何が起きたのか、セシリーは理解したくなかった。いくらミーナが『復元』のような再生系統のスキルを使えるとはいえ、封じられていれば意味はないし、『………』しまえば使用することはできない。
「ちがっ、違うでございます。だって、そんな、ミーナはシルバーバースト公爵家の私兵と喧嘩したって無傷だったのでございます。ミーナは強いのでございますっ。だから、これは、違う、間違いで、だって、だって!!」
傾ぐ、倒れる。
残った胴体も力なく地面に倒れる。
左手だけがびくびくと痙攣していた。まるで残り火のように。
ああ。
ミーナは『………』──
「違う、違う、違うのでございます!!」
バヂンッ! と頭を抱えるように両手を叩きつけ、血が滲むほど握りしめ、幼子がイヤイヤするように首を横に振る。
見間違いなのだと。
悪い夢なのだと。
こんなのは間違っているのだと。
だってミーナが『……』はずがない。
そばにいてくれると言ってくれた。セシリーが嫌だと言ってもそばにいたいと望んでいた。そんなミーナがセシリーを置いていなくなるはずがない。
『……』はずがないのだ。
だから。
だから。
だから。
「あーあ何やってるんだよ。王都に連行して、きちんと罰してやるつもりだったってのに。そのメイド、『死んでる』じゃないか」
突き刺さる。
抉られる。
そう、そんなのは分かりきったことであった。首を両断された時点で『死ぬ』に決まっていた。
いくら目を逸らそうとも。
ミーナが『死んだ』事実は覆らない。
「いや、でございます……」
失って初めて大切だと気づく。
つい最近、セシリーはその言葉の意味を思い知った。ミーナに対して嫌いだと心にもないことを言った時に身に染みて理解させられた。
だが、そう、あの時はまだ余裕があった。
きちんと謝れば、そう酷い結末にはならないと心のどこかで考えていた。たった一度のすれ違いで破綻してしまうほど細い繋がりではないと、きちんと向き合えば最後には一緒にいられるようになると、無意識のうちに甘えていた。
だから。
そう、だから。
「し、死ぬはじゅ、ないで、ございます……。みーな、だって、ミーナはあ!!」
「ぷふっ」
笑みが、あった。
小馬鹿にしたように、侮蔑に満ち溢れた、どこまでも醜悪な笑みが広がっていく。
「はは、ははははは!! こいつはいい、傑作だ! なあセシリー、お前まさかとは思うがメイド一つにそこまで依存していたのか!? いくらシルバーバースト公爵家が長女という看板を失ったとはいえ、消耗品一つに価値を見出すだなんて傑作だなっ」
耳障りな雑音が魂の奥深くまで響く。
聞きたくないのに、認識したくないのに、見たくないのに、受け入れたくないのに、第一王子の声が現実を突きつけてくる。
「なあセシリー! お得意の『指図』はどうした!? 貴族の見本たる王族がそのような言葉遣いをしてはいけないとか何とかえらっそうに言ってくれよ!! はは、ははははは!! それともなんだ? たかがメイド一つ死んだくらいでショック受けてしまって、そんな余裕はありませんってか?」
ミーナは死んだ。
失った。
もう二度と話すことはできないし、触れ合うことはできないし、そばにいてくれることはない。
失って初めて大切だと気づく。
その言葉の意味を極限まで理解させられる。
例え婚約破棄されても、勘当されても、国外追放されても、ミーナさえそばにいれば満たされていた。これまでの十五年間、セシリーが当たり前のように持っていた様々なものを失っても、ミーナを失うことがなければ満足できた。
なぜ、と。
これまで考えることがなかった深奥が口を開く。
他の誰でもない、ミーナだからこそ、だったのではないのか。ミーナがそばにいてくれたから、様々なものを失ったとしても、それを自由と呼ぶことができたのだ。
それだけ、セシリーの中でミーナの存在が大きかったのではないのか。
つまり。
つまり。
つまり。