第四章 ハジメテに挑みます
トンカンコン、と理想郷に通じる扉を数秒で『復元』できてしまう己の力が今は恨めしいものです。お陰で『すぐには扉を直せないから、その間見放題でも仕方がない』という建前が使えません。
いえ、切り替えましょう。未練タラタラではありますが。セシリー様が何らかの声をあげた瞬間、扉を蹴破る気満々ですが。せめて湯気に邪魔されることなく、この世の理を超越した絶対的なお身体を目に焼きつけたかったものです。
「『魔の極致』第一席なんてやってた頃に用意した隠れ家ですし、それなりに使い物にはなりそうですね」
埃が積もっていたり、劣化していたりしましたが、『復元』の要領で新築同然に整えています。正直なところセシリー様にお過ごしになってもらうにしては手狭ではありますが、方針を決するまでの仮の宿とするなら十分でしょう。
さて、セシリー様の湯浴みが終わるまでに何をしているべきでしょうか?
「そういえば結局パーティーでは何も口にすることなく飛び出していましたね。昼食の用意をしましょう」
とはいえこの隠れ家に食料は置いてありません。アタシには必要のないものですし、当然ですね。
となれば、です。
「食材を調達に出かけますか」
ーーー☆ーーー
瞬く間、であった。
ディグリーの森の奥深く、自然が作り出した迷宮に潜んでいたドラゴンの首が引っこ抜かれた。
「あ」
ズッズン……ッ!! と地響きを立てながら倒れる数十メートルクラスのドラゴン。それは太古の昔より生きてきた古龍であった。ブレス一つで町を消し飛ばすと言われている最上位魔獣の堂々たる一角、それが古龍である。
そんな怪物の上に乗り、引き千切った頭部を鷲掴みにするは無表情メイド。
「汚れてしまいました」
古龍から噴き出した真っ赤な体液で全身ドロドロなメイドの声は無味無臭を極めた、それはもう平坦なものであった。
ーーー☆ーーー
アタシは隠れ家の外で調達した食料を前にして、ようやく気づきました。
そういえば料理ってどうするんでしたっけ?
屋敷では食事の準備は料理人任せでしたし、基本アタシに食事は必要ありません。つまり何が言いたいかといえば、アタシは料理をしたことがないんです。
盲点でした。セシリー様に空腹を感じさせてはならないという思いが先行しすぎて、手段にまで思考が及んでいませんでした。
さて、どうしたものでしょう。
ここはどこかから料理を取り寄せて……いや、ですが居場所がバレるきっかけとなっては『対応』する必要が出てこないとも限らないですし、そうなるとセシリー様が悲しみます。
だからといって食事を用意しないわけにもいきません。アタシはどうとでもなりますが、セシリー様は飲まず食わずではいられませんし、何より食はセシリー様の『好き』の一つです。メイドとして、どのような状況であってもセシリー様の『好き』を絶やさず、常に幸せに過ごせるよう尽くす必要があります。
ならばどうするか。
そんなの決まっています。
「よし、焼きましょう」
ーーー☆ーーー
お風呂上がりのセシリーはパーティーの時と同じく、黒のドレスを纏っていた。舞う赤い花びらの意匠が施されたそれしか着るものがないから仕方ないのだが、このドレスを着ているとつい先ほどの出来事を思い出してしまう。
そう、王子に突き飛ばされ、悪意に囲まれたあの出来事をだ。
「……どうして、でございますか?」
震える声は何に対して問いかけていたのかすら分からないほど思考に纏まりはない。整理するには時間が必要だろう。すぐに受け入れられるわけがないのだから。
と、その時だった。
バッボォンッッッ!!!! と。
肺腑を抉るような轟音がセシリーの胸中を蝕んでいた澱みを一時的とはいえ吹き飛ばした。
「なっ、なんでございますか!?」
慌てて外に出てみれば、何やら立派な木々を超えるほどの火柱が上がっていた。先ほどの轟音はこれが原因なのだろう。
あまりの熱量に肌がほんのり赤くなるほどであった。そんな中、火柱の前に佇んでいたメイドがセシリーに気づき、恭しく頭を下げる。
……全身真っ赤な液体に塗れた状態でだ。
「セシリー様、しばしお待ちを。そろそろ食事の用意ができるかと思います」
「みっ、ミーナっ。どうしたのですか、その血は!? まさか何かに襲われたのでございますか!?」
「心配には及びません。これはそこの食材を仕留める際に返り血を浴びただけですから」
「仕留め、返り血?」
よくよく見れば炎の中に巨大な生物が確認できた。食材、ということは、もしや……、
「料理をやったことはありませんが、要は焼けばいいんですよね。だったらアタシにもできます」
「色々言いたいことはございますが、まず一つ。ミーナ、それ何を焼いているのでございますか?」
「ドラゴンです」
「どらっ……いえ、ミーナならそれくらいは軽々とこなしてみせるのでございましょう。あまり危険なことはして欲しくありませんが、ひとまずそこは置いておくとして──ミーナ、基本的に魔獣の肉は魔素が強く、食べられないのでございますよ」
「そう、なんですか?」
「ついでに言えばそんなに強い炎で焼いているから既に炭化していますし、そもそも料理はただ焼けばいいというものではございません」
メイドはといえば相変わらずの無表情であったが、表情に出ないからといって何も感じていないわけではない。いつだってセシリーのために尽くしてくれる彼女が何も感じないわけがないのだ。
だから、
「ミーナ、一緒に料理をしましょう」
「……一緒に、ですか?」
「ええ。わたくしが教えてあげるのでございますよ」