第四十四章 必然的にそうなりますね
広大な地下空間をアリスとイリュヘルナが駆け抜ける。あるいは地面を蹴り、あるいは壁を駆け上がり、あるいは空中に飛び上がり、交差を繰り返す。
アリスの斬撃をイリュヘルナの血の翼が弾き、イリュヘルナの蹴りをアリスの掌が受け流す。その間にも複数の魔法陣が描かれる。炎が噴き出し、水がかき消す。土が槍と化して、風が両断する。
多角的な猛攻のラッシュ。一つでも対処を誤れば、即座に猛威が牙を剥くことだろう。ほんの僅かなミスが致命傷となりかねない中、しかしイリュヘルナはじわりと笑みを広げていた。
(ちょっと、待て……)
果たしてそれは実際に刃を交えているアリスよりも、レベルが違いすぎて置いてけぼりなパンチパーマだからこそ気づけることだったのかもしれない。
(外れたり、受け流されたりした魔法攻撃が狙ったように紫色の鎖に当たってるぞ!!)
ビギッ、バギバギバギッ!! と。
巨人を縛り、封じている鎖に亀裂が広がる。封印の核となるセシリーの距離が離れたことによる弱体化、また度重なる魔法攻撃を受けたことで崩壊が進む。
(そう、そうだ。いくらアリスでもイリュヘルナ相手に渡り合えているのがおかしいんだっ。アリスは最強の兵士だが、イリュヘルナは兵士を束ねた軍勢を保有している国家を相手取れるゲテモノだ!! 対男に特化しているからそれ以外は他の悪魔よりは下だと願望持ち出したとしても、それでも、あそこまで互角に渡り合えるわけがねえ!! だが結果としてやり合えているとするなら、そもそもイリュヘルナはアリスを殺すことを第一目標としていないってことかよ!!)
「おいアリスっ。良いように乗せられてるんじゃねえぞ!! 巨人を縛ってる鎖に馬鹿みてえに魔法ぶつけ過ぎだっつーの!! あれがマジモンの『魔の極致』だったとしたら、その鎖が壊れた瞬間──」
パンチパーマが叫ぶが、遅かった。何もかもが手遅れだった。
バギンッッッ!!!! と。
紫色の鎖が弾けるように砕け、そして、
ーーー☆ーーー
それだけ、だった。
巨人は変わらずそこにあるだけだった。
ーーー☆ーーー
「ん? あれ、なんだどういうことだ!? 巨人を縛っていた鎖は完全に砕けた。っつーのに何も起きねえだって? そりゃあ、えっと、とにかく何も起きねえならそれでいいかっ。よっしゃーっ! 助かったあ!!」
パンチパーマがガッツポーズなど決めた横にアリスが降り立つ。同じく正面に降り立ったイリュヘルナを見据える。
──変わらぬ笑みがそこにあった。
「んふふ。悪魔が肉体を得る手段、その中にこんなものがあるわねえ」
笑う、笑う、笑う。
イリュヘルナは笑みを広げに広げて、こう告げたのだ。
「気力を削ぐことで物事への意欲を失わせ、精神的抵抗力を低下させた上で肉体を奪う方法よねえ。んふっ、んふふっ、ワタシは淫魔イリュヘルナ。色欲を得意としているけど、それ以外のパターンが使えないわけじゃないのよねえ?」
つまり。
つまり。
つまり。
「覇権争奪大戦にて封印され、六百年。それだけの時間を拘束された孤独な精神は限界を迎えたみたいねえ。んふふ、いかに肉体が強くとも、精神が死んでしまえば抵抗力はほとんどなくなるものよねえ」
封印は解除された。
だが、六百年もの長い時を孤独に過ごしてきた巨人の精神は死に、精神的抵抗力は失われた。
ゆえに、届く。
今ならば淫魔イリュヘルナがその肉体を奪うこともできるのだ。
「魔族の肉体に悪魔の精神を『上乗せ』すれば、んふ、んふふ、ふはははは!! ワタシはこの世で最も強き生物として完成するわねえ!!」
ブワッ!! と。
アイラ=ミルクフォトン男爵令嬢の肉体から淡い光が飛び出す。その光は真っ直ぐに巨人の頭部へと突き刺さった。
淫魔イリュヘルナが男爵令嬢から巨人へと乗り移ったのだ。
「は、はは。おいおいアリスっ。おまっ、この、スキルで設定した目的はこれだなクソが!!」
「きゃは☆」
ぐらり、と倒れそうになる男爵令嬢に駆け寄り、抱きとめるアリス。そう、これこそがスキル『運命変率』が引き寄せた可能性であった。
目的は一つ。
アイラ=ミルクフォトン男爵令嬢の肉体からイリュヘルナを追い出せ、と設定していたのだ。
「だあクソ! 本当甘ったれだなアリスはよお!! なんだなんだ? 男爵令嬢は悪魔に乗っ取られただけだから助けましょうってか? 馬鹿が! 悪魔に乗っ取られたっつーことは、そこの巨人みてえに精神が死んでいたとかって例外でもない限り、自分から肉体を差し出したってことだぞ!! 悪魔をこの世界に呼び込んだのはそいつの意思だ!! なのに助けるってのか!?」
「まぁねぇ」
「ああそうかい! それはいい、素晴らしいことだ、慈愛に満ちてやがるぜ。問題は全員が全員アリスみてえな甘ったれの脳内お花畑じゃないってことだな!! ほら見ろっ。悪魔と魔族が合体して、とんでもねえチート生物生まれやがったぞ!!」
「どうでもいいからぁ、こいつの背中の傷治してよぉ。確か治癒系統のスキル使えたよねぇ?」
「そんなに高度な治癒能力はないがな! つーか悪魔と魔族の合体をどうでもいいって言ったか!?」
スキル『運命変率』は設定された一つの目的を達するために可能性を引き寄せる。そう、目的それ自体は設定できるが、目的を達する過程までは設定できない。男爵令嬢は解放したいけど、イリュヘルナが巨人に憑依することは禁じるみたいなことはできないため、結果として状況が悪化することもあり得るのだ。
スキルで血の翼を生やす際に刻まれた男爵令嬢の背中の傷を治したパンチパーマは顔中に脂汗を浮かべて、
「よしこれで傷跡が残ることもないだろ。それよりだ! なあおいアリスっ。こっからどうすんだ!?」
「きゃは☆ ……これは詰んだかもねぇ」
「ばっ、ばーかばーかっ!! ここまできて、おまっ、お前なあ!! ふざけんじゃねえぞ、甘ちゃんクソガキボディがあああああああああああああああッ!!!!」
巨人が、動く。
『魔の極致』第八席及び淫魔の力を掛け合わせた、前人未到の脅威が解き放たれる。
ーーー☆ーーー
ネコミミ女兵士は国を救いにきたと言った。
対してメイド長が何言ってんだこいつ? と怪訝そうに見つめ返すのはそう不思議な話でもないだろう。
「何を言ってるでしょーか? よもやシルバーバースト公爵家を襲撃することが国を救うことに繋がると?」
「んにゃ。ここにいるアイラ=ミルクフォトン男爵令嬢をやっつけることが国を救うことに繋がる……らしいにゃあ」
「ここに、アイラ=ミルクフォトン男爵令嬢、が?」
眉をひそめるメイド長だったが、状況は待ってくれなかった。
ズズン……ッッッ!!!! と。
凄まじい衝撃が炸裂したかと思えば、庭を下からぶち抜く形で巨人が飛び出してきたのだ。
「あ、あれはなんでしょーか……っ!?」
「にゃう。よくわかんないけど、お仕事っぽいかにゃ?」
シルバーバースト公爵家、その地下から出現した巨人は軽やかに降り立つ。見た目は醜悪な怪物であるのに、どこか女性的な柔らかな動きであった。
宣告が。
響く。
「んふふ。今こそ六百年前の続きよねえ! 大陸中を鮮血で埋め尽くし、死を充満させ、甘美にして荒廃した混沌を迎えようかねえ!!」
悪意が形となって産声をあげる。
ここから先は混沌を招く悪魔が席巻する。