第四十二章 偶然、いいえ運命の出会いでした
それは夕焼けに染まったある日のことだった。
五年ほど前の、セシリーがまだシルバーバースト公爵家が長女であった頃のお話である。
学園から本邸に帰る馬車の中、『貴族としての必須項目』を果たす人形であることを仕方ないと諦めていた時だった。
ガシャッン!! と。
半ばつんのめるように、馬車が停止したのだ。
『きゃあっ』
貴族としての嗜みとして第二章程度の魔法は使えるセシリーは風魔法で空気のクッションを作る。そのお陰で頭を打ったりして怪我をすることはなかったが、突然のことにセシリーはしばらく身動きが取れなかった。
その時だ。
外から護衛として馬車の周囲を固めていた私兵たちの叫びが耳に届いた。
扉を開き、外に出るセシリー。そこには馬から降りて剣や槍を構える私兵たち、そしてその先には時空の歪みとしか表現できないような光景が広がっていた。
街道の一角、真正面に渦巻く『それ』。
見慣れた帰宅路の光景を粘土のようにこねくり回したような歪み。そんな異様な光景に突っ込まないように、馬車は急停止したのだろう。
『あれは……何でございますか?』
『何かは分かりませんが、良くないものに決まっています!!』
『ここは我らが対応しますので、セシリー様は馬車の中に入っていてください!!』
『良くないもの……本当にそうなのでございますか?』
セシリーには目の前の歪みがそう悪いものとは感じられなかった。明確な異常であり、警戒すべきであるはずなのに、気がつけば前に歩を進めていた。
『セシリー様、近づいては駄目ですよっ!!』
『でも……』
と、その時だ。
ブォッバァッッッ!!!! と歪みが爆発的に膨らみ、その中心から何かが飛び出してきた。
ちょうどセシリーにぶつかるように、だ。
『きゃっ』
『セシリー様!?』
そのまま地面に倒れるセシリー。歪みから飛び出してきた何かに覆いかぶさるように押し倒されたのだ。
それは黒髪黒目の同年代らしき少女だった。
それは感情が読めない無表情が印象的だった。
それはどこまでも無機質なようでいて、酷く寂しそうだと感じさせる目をしていた。
『貴様セシリー様に何を……っ!!』
『待つでございます!!』
剣や槍を突きつけようとしていた私兵たちを思わず押しとどめたセシリーは、じっと無表情な少女と見つめ合う。
やがて。
ゆっくりと少女は口を開いた。
『どうして、止めた?』
『貴女に敵意があるようには見えなかったでございますから』
コクン、と首をかしげる少女。
『敵意、なかったら、戦わない?』
『ええ。……いいえ、少し違うかもしれないでございます。敵意があったとしても、わざわざ暴力を選ぶ必要はないのでございます。暴力は意思伝達の手段の一つでございます。ならばそんなものを選ばずとも、言葉を尽くすことで意思伝達はできると教えてあげれば、わざわざ戦うことを選ぶ必要はないのでございますよ』
それは暴力を用いず闘争を繰り広げる『貴族としての必須項目』であったのか、あるいは誰かが傷つけるのも傷つけられるのも嫌な『ただの』セシリーの想いであったのか。
どちらであっても構わなかったのかもしれない。少なくとも、その時、『衝動』以外の何かを目の当たりにした無表情な少女にとっては。
『よく、わからない』
『そうで、ございますか』
『でも……多分、そういうのが、価値あるもの、かもしれない』
不思議な少女であった。
不可思議な現象と共に出現し、戦うことが当然と語るような危険人物であった。
だけど、どうしてだか。
そこまで理解しても、なお、セシリーは覆いかぶさるようにこちらを見る少女を拒絶しようとは思わなかった。
『貴女、どこから来たのでございますか? できることならば、お家まで連れていってもいいでございますが』
『家、居場所、帰る場所。アタシには、ない。どこに向かうかも、どこにたどり着くかも、今まで、「衝動」に従っていた、だけ。進むだけ、だから、帰る場所、ない』
『ならば、わたくしの屋敷に来るでございますか?』
そう口にしたセシリー自身、どうしてそんなことを言ったのか分からなかった。だけど、そう、だけど、目の前の少女を放ってはおけなかったのだ。
『屋敷、家、居場所……そこに、アタシ、を?』
『ええ。もちろん嫌でなければでございますが』
『嫌……では、ない。「衝動」以外、なら、そこに価値あるもの、あるかもしれない。なら、アタシ、見てみたい』
『そうでございますか。では決まりでございますね。……あっ、そういえば自己紹介がまだでございましたね。わたくしはセシリーでございます。貴女のお名前は何ですか?』
『アタシ、ミーナ』
『では、ミーナ。どれほどになるかは分かりませんが、よろしくでございます』
ここから全ては始まった。
ミーナが『衝動』以外の価値あるものを手に入れるきっかけはこの出会いにこそ詰まっていた。