第三章 お風呂、甘美な響きです
お風呂です。
隠れ家について早々セシリー様の入浴タイムです。
なぜなら王子どもから逃げるために慌ただしく移動したのですから汗をかきます。ならば汗を流すためにお風呂に入って頂くのは当然のことです。
……残念なことにセシリー様は(元)公爵令嬢であるのに一人での入浴を好みます。普通公爵令嬢であれば入浴にも従者を伴うのにです!
はぁ、お着替えにしてもそうですが、何とも奥ゆかしいことです。もっとおおっぴろげで構わないのに、もっとセシリー様の素晴らしきお身体をお見せしてくれてもいいのにい!!
「アタシはメイドです。いつでも、どこにいようとも、主の身の安全を守るのがお仕事です」
隠れ家の奥、目の前の扉の先に桃源郷が広がっているのに、アタシには手が出せません。セシリー様の許しがない以上、勝手はできません。
ですのでアタシに出来るのは、扉の前で待機することのみ。ああ、こんなの生殺しですよ、セシリー様ぁ。
ーーー☆ーーー
その時、セシリーは湯船に浸かっていた。
足を伸ばしても有り余るほどに広いそれを、しかし狭いと感じるのはセシリーが公爵令嬢であるからか。
……いや、既に公爵令嬢ではないのだと思い出し、セシリーは湯船の中で膝を抱え、口まで湯船に浸かる。
ゆらゆらと湯の中で金に輝く長髪が揺れる。じわり、と目の端に涙が浮かぶ。こうして一人になって、冷静になればなるだけ、あまりの現実に気分が落ちていく。
王子に婚約を破棄された。
公爵家を勘当された。
当たり前だと思っていた環境があの一時、ほんの数分で激変したのだ。
「これからどうすればいいのでございましょう……」
王子が好きだったわけではない。あの婚約には政略的な意味しか存在しなかった。ゆえに婚約破棄自体はそこまで気にしていなかった。それよりも公爵家を勘当されたことがセシリーには辛いことだった。
と、その直後であった。
ぽたっ、と。
天井から落ちてきた雫がむき出しの白い肌に当たり、思わず『ひあっ』と大きな声が出てしまった。
ーーー☆ーーー
メイドに自由意志なんて必要ありません。主の命に従い、主のために生きて死ぬのが存在理由です。ゆえに一人で入浴するとおっしゃっているセシリー様の意に反することはできません。が、何事にも例外があります。
『ひあっ』、と。
悲鳴とも受け取れる声を聞いた瞬間、アタシは目の前の扉を蹴り破りました。なぜなら悲鳴が聞こえましたから。主に危機が迫っている場合に限り、アタシたちメイドは命令に背いてでも主のために行動することが許されます。
例え敵対者が存在しないことが分かっていたとしても、それが免罪符となるなら構いません。ええそうです、アタシは全て把握した上で突撃します。なぜかって? そんなの絶世の美女を美貌でフルボッコするほどに麗しい我が親愛なるセシリー様のお身体をこの目に焼きつけたいからに決まっています!
「セシリー様、ご無事ですか?」
「え、あ、はい。わたくしは大丈夫でございます」
「そうですか。それは良かった」
「ええ、ですのでもう下がってくれていいんですよ?」
あ、ああっ、背を向けたセシリー様のお肌が、う、うわっ、振り返って、うわ、わわわっ!?
「あの、ミーナ? そんなに見つめられると、恥ずかしいのでございますが」
湯気、ああもう湯気が邪魔でセシリー様の神秘的な肌がよく見えなっ、湯気え!!
「ミーナ。わたくしの声、聞こえていますか?」
「……っ。申し訳ありません、セシリー様」
次は湯気が吹っ飛ぶくらいの勢いで扉を蹴破るとしましょう。
ーーー☆ーーー
ガチャン、とミーナが『復元』した扉が閉まる。しばらくの間、閉ざされたそれを見つめ、セシリーはばしゃりと湯の中に頭の先まで浸かってしまった。
ぶくぶくと口から漏れる息が気泡となって溢れる。カァッと顔どころか首まで赤く染まっているのはお風呂に浸かっていることだけが原因ではないだろう。
(は、恥ずかしかったでございます……)
セシリーは(元)公爵令嬢である。好ましく思わないとはいえ、従者に肌を見られるくらい我慢できる。が、ミーナは別なのだ。どうにも彼女に肌を見せるのは我慢できないくらい猛烈に恥ずかしいのだ。
他の従者たちは我慢できて、ミーナだと我慢できない。そこに理由があるとするなら──
(……どうしてでございましょう?)
ぶくぶくと。
想いは泡となっておぼろげに弾けていった。