第三十七章 そんな風に設定するとは思いませんでした
魔族は生命を殺す『衝動』に導かれる。ゆえに『魔王』があけた次元の穴が世界の自己再生能力で塞がるまでの七十二分の間に多数の魔族が表側に進出した。
数百もの魔族が各地に分散、国家を揺るがす破滅を撒き散らす。まさしく暗黒時代。現代よりも遥かに強者が多かった六百年前でさえも太刀打ちできるのは『勇者』のような一握りの実力者であるほどだ。その他の生命は理不尽なまでの暴虐に貪り殺されたことだろう。
そんな世界の混乱期。悲劇がそこかしこで撒き散らされ、正常な判断能力が損なわれた隙を悪魔は的確に突いた。あるいは大切な人を守るために、あるいは憎悪のままに復讐するために、あるいは全てが嫌になって絶望した末に人々は肉体を悪魔に売ったのだ。
そう、悪魔は亜空間内に存在する魂だけの存在であり、そのままでは三次元世界に影響を及ぼせない。三次元世界で活動するには三次元に適応した肉体が必要であり、そのためには双方の同意が必要なのだ。そのため悪魔は特定の誰かを狙う。誰でもいいわけではなく、そもそも魂の波長が合う者にしか世界を跨いで干渉することは不可能なゆえに。
あるいは肉体を差し出す代わりに悪魔側がその強大な力で何かを果たすといった契約、あるいは心が壊れ精神的防衛力が低下していることで反射的に肉体を差し出すことに同意する、などといったプロセスを経て、肉体を手にした悪魔が三次元世界への入場券を手にする。
かくして悪魔は大陸に進出した。支配した肉体の力に悪魔自身の力を『上乗せ』して、さらに凶悪となった暴虐を振るう形で人の世に混沌を招く。
ーーー☆ーーー
「…………、」
隻眼の大男はアリスやネコミミ女兵士に敵兵が回されないようあえて派手に暴れながら、思考を回す。
(アイラ=ミルクフォトン男爵令嬢については調べられなかった。現在の情報を俺らの手で知る方法はないってことなんだろうが……)
どいつもこいつも男爵令嬢の目的を暴くことしか考えていなかった。ゆえにアイラに関しては様々な情報を集めている。例えば彼女が昔は内気な性格であったこと、彼女の暴力は大したことがなく、使用可能な超常といえば抱きしめた対象の総力を何倍にも増幅する『天使ノ抱擁』くらいなものであること、学力は意外と高く学園内でも上位に十位以内に入ることなど、とにかく様々な情報を仕入れている。
が、それ以外はほとんど手つかずであった。
アイラ=ミルクフォトン男爵令嬢には『妹』がいて、不治の病にかかっているみたいな情報もあったが、件の妹が現在どうなっているかまでは調べていない。
(男爵令嬢が暗躍していたのは確かだろう。が、それがイコール男爵令嬢が敵の親玉であるとは限らない。もしもその先に黒幕がいるとするなら、アイラ=ミルクフォトン男爵令嬢だけを警戒、調査しているだけじゃ足りないぞ)
そこで思考は止まる。
四方八方から飛びかかってきた私兵たちに、一人として己よりも弱い者がいない圧倒的に強大な敵を前に、戦闘と関係ないことに思考を割り振る余裕がなくなったからだ。
ーーー☆ーーー
ばぢゅっ!! とイリュヘルナの背中が裂け、鮮血が噴き出す。飛び出した赤き液体が束ねられ、歪な翼のように大きく広げられる。
「ふっ!!」
翼の羽ばたきが猛烈に空気を叩く。たったそれだけの動きでイリュヘルナの身体が砲弾のように射出されたのだ。
「きゃは☆」
だが反応できないほどではない。アリスは不可視のエネルギーで斬撃力を底上げした長剣を迎え撃つように突き出す。無防備に突っ込んでくるイリュヘルナの胴体を貫く寸前、ドゴン! と轟音が響く。
淫魔が地面を蹴り、横に飛び、突きを回避。脇腹を掠めた刃に裏拳のように掌をぶつけ、弾く。空白、明確な隙。かろうじて長剣を手放すことはなかったが、弾かれた長剣を持つ腕はビリジリと痺れるように硬直している。舌なめずりさえこぼす淫魔の次の攻撃には対応できない──程度ならば、アリスは最強の兵士とは呼ばれない。
ブォン、と淫魔の脇腹に添えるように魔法陣を展開、後は力ある言葉を紡ぐだけでいい。
「『炎の書』第八章第四節──獄炎灼槍撃ぃ!!」
ゴッボォ!! と漆黒の炎という既存の物理法則を無視した圧倒的熱量が槍と束ねられ、淫魔の脇腹に突き刺さる。余波だけで木々を焼き払い、直撃すれば砦さえも貫き吹き飛ばす大規模魔法である。個人ではなく、軍勢を想定した秘奥。この国ではアリスの他には国王か騎士団長くらいしか使えない、絶対的な暴力である。
真横に薙ぎ払われ、土壁に叩きつけられた淫魔が脇腹を抉り焼かれ、そのまま貫かれる。ブゥッブォワッ!!!! と土壁が勢いよく燃え上がった。
勢いよく燃え盛るサマを見て、後ろでビクビクしていたパンチパーマが困惑したように目を瞬く。
「お、おおっ? 倒した、のか? でもいくらアリスでも悪魔に勝てるとは思えねえし……ハッ!? まさかイリュヘルナってのは嘘だったとか!?」
「いやぁあれだけ強大な力の波動放ってたしぃ、スキル『運命変率』が作用したからぁ、本物のイリュヘルナって考えていいと思うわよぉ」
それは、つまり、
「なあアリスっ。スキル『運命変率』が作用したって、ははっ、なんだよ最高かよ! それってよお、イリュヘルナを殺すのを目的に設定できたってことだよなあ!! はは、はははっ、マジモンの悪魔だってのは最悪だが、スキル『運命変率』が作用したなら勝利は確定だよなあ!!」
「イリュヘルナを殺すなんて目的設定してないけどぉ」
…………。
…………。
…………。
「な、なんっ、おま、お前え!! 何考えてんだよクソッタレがあ!!!!」
つまりは、危機は未だ去っていなかった。
漆黒の炎が内側から膨らむように吹き散る。
そこから脇腹を大きく抉られながらも、淫靡に微笑むイリュヘルナが歩み出てきたのだ。
「んふふ。第八章魔法ねえ? そんなの六百年前ならそこらの兵士でも普通に使えたわねえ」
「きゃは☆ 随分と物騒な時代なことでぇ」
気がつけば、イリュヘルナの脇腹の傷は塞がっていた。いつ、どうやって、が不明なほど高速で癒えてしまっていたのだ。
(悪魔にしろ魔族にしろぉ、人間を凌駕した生命体らしくぅ、アホみてーな治癒能力を備えていたっけぇ。悪魔は憑依した肉体に自身の力を『上乗せ』するって話だけどぉ、男爵令嬢はロクな力を持ってないしぃ、イリュヘルナ自身の力だけであそこまでやるってことかぁ)
相手は六百年前に大陸全土の国家を数百人程度で相手取った魔族と同格の怪物。生半可な攻撃が通用しないのは想定内であるし、そもそも勝利する前にやるべきことがある。
(きゃは☆ 我ながら甘ちゃんだけどぉ、どうせなら気持ちよく勝ちたいものねぇ!!)