第三十四章 届いたようですね
パンチパーマのゴロツキは土壁丸出しの広大な地下空間に降り立つ。目当ての男爵令嬢を見つけ、長剣片手にウキウキした様子で駆け出そうとして──足が止まる。
「んふふ。どうやら哀れな子羊が迷い込んだみたいねえ」
男爵令嬢のそばに跪いている偉丈夫があのシルバーバースト公爵家当主であることに気づいてすらいなかった。その先。四十メートルはある巨人の存在感が強烈すぎる。
(なっ、なん、なんだあれ!? おい待てよこれやっべー展開じゃねえか!?)
巨人を縛る紫色の光る鎖であるが、どこかくすんだ色でもあった。まるで強度が低下しているように。
……あの鎖が切れたら、どうなるのだ?
(やばいやばいやばい!! もしもこれが男爵令嬢の目的なら、クソが! こっから先は男を惑わす男爵令嬢にお仕置きするだけのご褒美タイムだと思ったのに!! 最後の最後にとんでもねえ爆弾投下しやがってーっ!!)
回れ右して即逃げよう、といった思考がパンチパーマの脳裏を掠めた瞬間であった。
ズズン……ッ!! と。
立ち上がったシルバーバースト公爵家当主が一歩前に踏み出しただけで地震と勘違いするほどに強烈な震動が炸裂した。
「部下の失態だ。俺が責任をもって排除してやるよ」
「うおわーっ!? やっべーシルバーバースト公爵家当主じゃねえか!! そんなの強いに決まってんじゃんナニコレまさか俺一人で相手しろってかそんなの無理だってコンチクショーッ!!」
偉丈夫が射出される。
シルバーバースト公爵家、その頂点に君臨する男がブォッバァ!! と空気を引き裂きながらパンチパーマへと突っ込む。地響きを炸裂させ、身体が霞むほどの速度でだ。
「だあクソ! ただでは死なねえぞこらあ!!」
パンチパーマの持つ長剣に不可視のエネルギーが収束。『剣術技術』にて刃の性質を増幅し、偉丈夫めがけて突き出す。
公爵家当主は避けもしなかった。真っ直ぐに突きこまれた切っ先は正確に彼の額に叩き込まれ──バギンッ!! と長剣ごとパンチパーマの男の腕が弾き飛ばされた。
「お、ご、ぁ……!?」
くるくると長剣が宙を舞う。あまりの衝撃にパンチパーマの手首が耐えきれずに折れていた。
──まるで猛烈な速度で突っ込んでくる鉄塊に剣を突き刺そうとしたようであった。まさしく大質量の砲弾のごとき『重さ』があったのだ。
(いや、まさかマジで『重い』のか!? さっき地響きみてえな足音してたしよ!! どんだけの質量あるのか知らねえが、クソ重いくせに普通に動いてんじゃねえぞ!!)
ギヂィ! と偉丈夫の拳が握りしめられる。武器を失い、身体が後ろに崩れているパンチパーマには放たれる拳に反応すらできなかった。
空気を引き裂き、猛烈な速度で飛ぶ大質量の拳がパンチパーマの胴体に叩き込まれる──その前に、
「きゃは☆」
ガッガァン!!!! と。
飛び込んできた女の斬撃が偉丈夫の腕を真下からすくい上げたのだ。
パンチパーマの頭上を拳が突き抜ける。
ギリギリのところで軌道をズラしたのだ。
「ほう?」
「死ん、死ぬ、死ぬかと思ったあ!!」
突撃一つでパンチパーマの長剣を吹き飛ばし、手首をへし折った大質量からの拳を、しかしその女は受け流してみせたのだ。
その女の名はアリス=ピースセンス。
通常のそれより一回りも二回りも巨大な鎧を身に纏う彼女はパンチパーマと同じく『剣術技術』で強化した長剣を使っているが、使用者が違うだけでこうも結果に違いが出るものなのか。
「貴様はアリス=ピースセンスか。襲撃者は第一王子の使いっ走りだったとはな」
「誰が使いっ走りよぉ。あのクソ王子はいずれ蹴落としてやるわよぉ。それよりぃ」
アリスは後ろで悠然と微笑む男爵令嬢に視線を投げ、
「『貴族としては』優秀なシルバーバースト公爵家当主ともあろうクソ野郎がぁ、よもや男爵令嬢の手先に成り下がっているわけぇ?」
「イリュヘルナ様に従うことこそ我が存在理由だからな」
「イリュヘルナ? ああなるほどぉ、だからわっちのスキルが不発に終わったわけねぇ。なるほどなるほどぉ……うわぁ、これは予想以上の事態ねぇ。普通に逃げていたほうがマシだったわねぇ」
周囲に複数の魔法陣を展開しながら、アリスは何でもないように口ずさんでいた。そばで聞いていたパンチパーマはそれはもう顔を真っ青にしていたが。
「おいおい、ここにきてそれはねえよなんだよ逃げていたほうがよかったって!? てめっ、この、ここまで引っ張ってきたのはアリスだろうがよお!!」
「まぁまぁ」
「まぁまぁじゃねえよ! 最悪だ。イリュヘルナっていや悪魔じゃねえかなんだよ男爵令嬢悪魔に憑依されてんのかよだから男連中傅いているんだなようやく分かったぜクソが!! どうすんだよ、悪魔だぞ悪魔っ。単体で複数の国家相手取れる怪物だぞっ。つーかイリュヘルナって大陸に住む男のうち半数以上を支配したこともあるって話だったよなっ。なんだそれチートかよ!!」
「だけどぉ、そこまでだったよねぇ。イリュヘルナの敗北で終わったからこそぉ、未だに人類は悪魔に屈していないのよぉ」
「だから今回も人類の勝利で終わるって? かもしれねえが、それは選ばれし連中の偉業だ!! 過去にイリュヘルナを倒したのだって『勇者』だぜ『勇者』!! 俺らみてえなゴロツキと違って、恵まれに恵まれまくっているスーパーヒーロー様だからこそだ!! ここには『勇者』なんていねえんだよ、いるのは悲劇を演出する犠牲者枠だけだ!! 『勇者』が世界を救う前段階の前座として使い潰されるんだよーっ!!」
「かもねぇ。でさぁ、もうそろそろ弱音タイムは終わりでいいかなぁ? さっさと反撃タイムに移ろうよぉ」
「はいキタ無茶振りだよ戦えってかよ今さっき悪魔でもなんでもねえ同じ人間に殺されかけていた被害者枠をわざわざど本命の悲劇量産クソ売女にぶつける気かよ!! はいはいそうですかとんだクソッタレな職場だ!!」
ギャーギャー言いながらもそばに落ちていた剣を拾い、構えるパンチパーマ。あるいは暴れるほうが気が楽なのかもしれない。
何はともあれ戦闘は避けられない。
シルバーバースト公爵家当主に淫魔イリュヘルナ。強大な敵を見据え、アリスは舌なめずりすらこぼしていた。
余裕なんて全くないが、正直なところ『あのメイド』に比べればどんな怪物だって格下である。あの恐怖を味わったせいで恐怖を感じる神経がぶっ壊れているのだろうが、理由なんてどうでもいい。
目の前の困難に立ち向かうことができるならば、後は死力を尽くして生き残るだけだ。