第二十八章 新たな力に賭けるしかありません
「──というわけです。アタシには『衝動』と『忠実』しか選択肢がありません。ですがこの二つを持ち出してもロクな結果にはなりません。メイド長、どうしましょう?」
風魔法を用いた特定座標への『声』の送受信を使い、アタシはメイド長にセシリー様に嫌われた経緯を説明しました。
胃がぎゅるぎゅる壊れていますし、心臓はリズムが狂ったように暴れています。思考なんてぐちゃぐちゃで、寒気が止まりません。このままでは永久機関が内部崩壊することもあるでしょう。
だというのに、です。
全てを聞き終えたメイド長はというと、
『それだけでしょーか?』
「それだけって、それ以上何が必要なのですか? というかこれ以上なんて耐えられません。今でも許容範囲を超えているというのに、これ以上何かあれば確実に崩壊します」
『あーうん。……ミーナは例え世界が滅びる寸前であってもお嬢様のことで頭をいっぱいにしているでしょーよ』
? そんなの当然ですよね???
『はぁ。手がかかる後輩でしょーよ。メイドとしての技能は結構早く習得するのに、どうしてこうも手がかかるでしょーね』
「迷惑をかけているのは理解しています。ですが、今は一刻を争うのです。アタシもう耐えられません。セシリー様に嫌われるだなんてもう生きる意味がありません」
『はいはい。で、ミーナはどうしたいでしょーよ?』
そんなの迷うまでもありません。
「セシリー様と仲直りしたいです。好かれなくとも、せめておそばにおいてもらえるくらいの価値は見出して欲しいです。もちろんこんなアタシを今までおそばに置いてくれたのはひとえにセシリー様の慈愛あってこそです。それに甘えて、寄りかかって、負担をかけ続けた結果嫌われたことは理解しています。それでも、アタシはセシリー様のおそばにいたいんです。それが、それだけが、アタシが生きる理由なんです」
アタシは胸の内を素直に吐き出します。
そうすれば、メイド長ならば、アタシが望む未来に繋がる『力』を示してくれると知っていますからです。
『あ、相変わらず重たいでしょーよ。ま、まあいいでしょー。それを素直にお嬢様に伝えればいいでしょーよ』
「それだけ、ですか?」
『ええ。あ、でも最初は胸が小さい云々の発言の真意を素直に伝えるべきでしょーよ。ミーナのことだし、褒め言葉だったでしょー?』
「もちろんです。セシリー様は完璧です。そのままの、むき出しのセシリー様こそが美しいんです。ですがあの着物を着たことで、より一層セシリー様の美しさは際立ちました。それだけなんですが……怒らせてしまいました」
『胸が小さいことは世間一般では褒め言葉にならないからでしょーが……理解できるでしょーか?』
「できるわけありません。そこも含めて、セシリー様は完璧に美しいんですから」
『あーうん。この辺はミーナには理解できないでしょーし、無視していいでしょーよ。とにかくやることは一つ。ミーナが何を思っているのかを素直に伝えるでしょーよ。それで何とかなるでしょーよ』
本当に、それだけで?
あんなに嫌われてしまったのに、アタシの感情を伝えるだけで何が変わるのでしょうか?
とはいえアタシが使える『力』は何もありません。ならば、答えは一つです。
「メイド長がそう言うなら、信じます」
アタシの中に現状打破のための『力』がない以上、メイド長が与えてくれた『力』に頼るしかありません。
『衝動』と『忠実』、それ以外。
つまりは『素直』を使うしかないんです。
『ミーナ』
「はい、なんですか?」
『お嬢様のこと、頼んだでしょーよ』
「はい。何があろうとも、セシリー様だけは守り抜きます」
ーーー☆ーーー
過去のことである。
ある日、シーズリー=グーテンバックに回されてきた仕事はセシリーが『拾ってきた』女の教育であった。
ミーナ。
常に無表情、平坦な声音の女である。
一度教えたことは大抵すぐに吸収、会得するのは手間がかからずいいのだが、愛想はないわ突破もないことをやらかすわ、何かと手がかかる後輩でもあった。
『ミーナ、貴女はどうしてメイドになったでしょーか?』
『生物を殺す、それだけがアタシの中にある「衝動」ですが、それに従うだけでは何も感じなかったんです』
淡々と。
ミーナはそう言った。
冗談とも嘘とも思えない。
確かにミーナは本気でそんなことを言っていたのだ。
『あの人はアタシを見て、殺し合いを始めようとしませんでした。そればかりか、アタシに手を差し伸べました。それを見て、「衝動」に従っていた頃では感じたことのない、でも嫌じゃない気持ちが出てきました。「奴」の言った通り、「衝動」の外に価値あるものがあったみたいです。ゆえに、です。あの人のそばにいるためにメイドという立場が一番手にしやすいものでしたから、手に入れようと思いました』
危険な女だろう。
こんな女があの人、つまりセシリーに目をつけて、そばにいることを望んでいる現状はどうにかしなければならないだろう。
だが、その時メイド長は無表情、平坦な声音のミーナを見て、なんだか寂しそうだと感じたのだ。
(従僕としては排除するよう動くべきなのでしょーが……はぁ、私も甘いでしょーよ。お嬢様はミーナをそばに置くと決めたでしょーし、あんなに楽しそうなお嬢様の邪魔はしたくないでしょーよ。仕方ないでしょーから、いざとなればこの身を盾にしてでもお嬢様を守ればいいでしょーね)
『ミーナ。これからもお嬢様のおそばにいたいならば、相応の立場が必要でしょーよ。公爵令嬢にして第一王子の婚約者という看板は、お嬢様が望むと望まざるとに関わらず相応しい振る舞いを強要するでしょーから』
だから、と。
メイド長は己の甘さに呆れながら、こう続けた。
『お嬢様のそばに置くだけの価値あるメイドとなるでしょーよ。そうすればお嬢様のそばにいられるでしょーから』
『そうですか。ではそうしましょう』
メイド長はミーナへとメイドとしての技能を教育しながら、合わせて必要な立ち振る舞いを教育した。その『力』こそが『忠実』である。実直に、迅速に、恭しく、主の願いを叶えることがメイドに求められる振る舞いであるからだ。
それがあったからこそ、ミーナはセシリーとの接する際のとっかかりを手に入れた。『衝動』しか持ち得ない頃はどうすればいいか分からず、話しかけられても返事すらロクにできなかったミーナであったが、『忠実』という軸ができた頃から少しずつ会話が弾むようになったのだ。
ミーナとセシリーは距離を縮めていった。距離が縮まる分だけ、セシリーは公爵令嬢として望まれる振る舞いを演じるだけだった頃よりも笑顔を見せることが増えた。
だったならば、何とかなる。
例えミーナの正体が何であれ、セシリーを傷つけることはない。それ以外がどうなるかは分からないが、幼き頃からセシリーを見守ってきたメイド長はそれでもいいと判断した。
公爵令嬢としては完成していても、一人の女の子としての自分を押さえに押さえつけてきたセシリーがミーナと接するときだけは笑顔を見せるのだ。その先にどんな末路があるとしても、セシリーが幸せならばそれでいい。