第十九章 何もせずとも、貴女様さえいればそれでいいんです
大陸には体内に多量の魔力を溜め込むことで凶暴、強靭化した魔獣の他にも人間とは異なる性質を持つ生物が多数存在する。
例えば吸血鬼。魔法、『技術』、スキルといった超常と違う、『体質』でもって不可思議な現象を引き起こす生物である。彼らは血を吸った生物を隷属し、自在に操ることができる。それが種族全体が兼ね備えた『体質』であった。過去には少数の吸血鬼が人間や魔獣などを支配、数百万もの軍勢を作り上げ、大陸を統一しようと大陸中原にて戦争を繰り広げたこともあった。少数でも国家と戦争ができるほどの数を揃えることができるポテンシャルはまさしく脅威と言えよう。
例えば獣人。ケモノの因子が『血』に刻まれた人間から偶発的に生まれる種族であり、イヌミミや肉球など表に出てくる形態によって違いはあるが、基本的に獣人は人間よりも優れた五感を持つ。
例えばエルフ。学問としての色が強い魔法を先天的に増幅する『体質』を持つ。同じ技能であっても、人間が使うよりも強大な魔法を出力できるような『体質』を持っているのだ。
例えば悪魔。肉体を持たず、魂のみの存在であり、普段は三次元世界の外に広がる虚数領域に存在している。彼らは欲望を司り、人の堕落を誘発し、もって人の『何か』を奪うことで糧としたり、三次元世界で活動するための足がかりとする。その方法は個体ごとに異なり、人間との契約を重視する代わりに契約の達成と共に人間の肉体と魂を奪う個体。対象の好みの外見へと変身、誘惑することで色欲を増幅し対象を操る個体。人間の気力を削ぐことで物事への意欲を失わせ、精神的抵抗力を低下させた上で肉体を奪う個体。果ては決まったパターンがなく、色欲や怠惰など多種多様な『堕落の要素』を使い分ける個体も存在する。
例えば魔族。食事や睡眠等を必要としない永久機関を体内で形成している生命体である。外部からの刺激で破壊されることはあるが、それさえなければ何もせずとも永久に生存可能な回路が出来上がっているのだ。彼らは六百年前に『魔王』に付き従う形で大陸全土を標的と定めた覇権争奪大戦を起こしたことがある。魔力、身体能力共にあらゆる生物を凌駕する魔族であったが、歴史書によると『勇者』や大陸中原の軍事国家が中心となって迎撃、最後には『魔王』を封印した、とされている。今でも少数の魔族が大陸には存在するので完全に殺し尽くしたわけではないようだが、少なくとも先の覇権争奪大戦のような大陸全土を巻き込んだ闘争を引き起こすだけの力はないだろう。
それら亜種族の中でも比較的ポピュラーな(それでも人類の総数の数パーセント程度)獣人こそがネコミミ女兵士であった。
むさ苦しく厳つい顔のゴロツキどもの中に放り込まれると、それはもう浮きまくるのだが、れっきとした兵士である。
薄い灰色の長髪に強気そうなキリッとした鋭い目元、オマケに(大陸の外より伝来した)ダークスーツをビシッと着こなした上で、ぴょこんと毛並みの良い灰色に覆われたネコミミが頭上で存在感を示す女性であった。どこぞのロリ兵士長と違い、胸部の存在感が凄まじいグラマラスな大人のお姉さんの具現化ともいえる女である。これでセシリーよりも下の八歳らしいというのだから、人体とはかくも神秘的なものか。
アリスと並ぶとどっちが三十路前の女かわからなくなるものだった。人体の神秘は時に残酷なものである。
「にゃあにゃあっ。アリスーっ聞いているにゃあ!?」
「聞いているってぇ。あまりのことに呆れていただけでさぁ」
開店前の酒場にある酒のニオイが染みついた椅子にもたれかかり、三十路前のロリ体型がぐてーっと天井を見上げていた。
もう呆れるより他はない。
明日第一王子とアイラ=ミルクフォトン男爵令嬢が婚姻の儀を執り行う? 昨日セシリーとの婚約を破棄したばかりのくせに? そんなの私は婚約者以外の女性を好きになったから、婚約を破棄したんだと内外に知らしめるようなものだ。いくらなんでもあからさま過ぎるだろう。
いや、第一王子の馬鹿なら考えなしにこれくらいやるだろうが、周りは馬鹿ではない。第一王子というブランドが持つ力を正しく理解していれば、そんな暴挙は許さないだろう。
だが、
「婚姻の儀の準備には時間がかかるよねぇ。いくらなんでも明日執り行うなんて無茶は通らないはずぅ。例え第一王子派が秘密裏に進めていたとしてもねぇ。その辺どうなってるわけぇ?」
「何の問題もないにゃあ。それが大問題なんだにゃあ!!」
「つまり第一王子派以外の連中もこぞって秘密裏に事を進めていたってぇ?」
「そうにゃあ!」
「……いよいよもって隠しもしなくなったねぇ」
アイラ=ミルクフォトン男爵令嬢が『何か』した、それは間違いない。だが、肝心の手段が見えてこない。
一体アイラ=ミルクフォトン男爵令嬢は何をしたのだ?
ーーー☆ーーー
水遊びです。
アタシとセシリー様はぷかぷかと水に浮かび、青空を見上げます。滝の落ちる音が耳に響きます。こうしてまったりするのがいいようですが、アタシにとっては隣にセシリー様がいるのならば何だって構いません。最高です。
「うふ、ふふふっ……気持ちいいでございますね」
「そうですね」
ここにはセシリー様を縛るものは何もありません。秒刻みで礼儀作法やダンスなど『貴族としての必須項目』を半ば強制的に教えてくる家庭教師どもはいません。魔法や『技術』やスキルが人間にしては優れているだけで、やっていることといえば第一王子の腰巾着なグリズビー=シルバーバーストの嫌味ったらしい言葉を聞く必要もありません。あの小太りクソ豚野郎め男だからという理由だけで次期公爵家当主に選ばれているだけのくせに、どうしてあんなに偉そうにできることやら。セシリー様のことを『愛想のない貧相な女だけど、精々公爵家の権威を高めるための婚姻道具として役立ってよね』とか抜かしやがったことは一生忘れませんから。
自由なんです。
ここにはシルバーバースト公爵家が用意した『貴族としての必須項目』を押しつけてくる家庭教師どもも、婚約破棄を突きつけてくる馬鹿も、そんな馬鹿の腰巾着もいません。ですのでどうぞ魂の赴くままに幸せを追求してください。