第十四章 己が未熟を恥じるばかりです
アタシが羽虫どもを追い払っていた間にセシリー様が朝食の用意をしてくれたようです。本来であればアタシがやるべきことなんですが、技術が追いついていません。セシリー様は簡単に済ませたとおっしゃっていましたが、アタシには『とにかく焼いている』こと以外さっぱりですしね。
『再現』で形だけ似せた料理を生み出すこともできますが、それはあくまで模倣品です。『再現』で作られたモノの成分はスキル由来のエネルギーですので、料理を『再現』しても、それを食べることで栄養を摂取することはできないんですよね。アタシはともかく、セシリー様は料理から栄養を摂取する必要がありますので、『再現』を使って料理を生み出しても意味はないということです。
はぁ、役立たずにもほどがあります。
「ミーナ、早く食べましょう?」
「……、はい」
と、そんな時でした。
椅子に腰掛け、己の未熟に奥歯を噛み締めていると、隣に腰掛けていたセシリー様がそっと二の腕あたりに触れてくれたのです。
「ミーナのおかげでわたくしはご飯を食べられるくらいの余裕ができているのでございます。ですから気にしないでいいのでございます。料理をすることは好きでございますし、ね」
「…………、」
アタシは表情が変化せず、感情が読めないはずです。なのに、何も言っていないのに、たまにアタシの思っていることを読み取ってくれる時があります。
表情や声音以外の何かで判断しているのでしょうが、アタシにだってどうやっているのかは分かりません。
ただ分かることと言えば──理解してくれるほどにアタシを見てくれている、ということです。
どうやら百発百中というわけではないようですし、隠そうと思えば隠せるのですが、精度なんてどうでもいいんです。理解してくれようとしてくれている、ということが重要なんです。
「いずれ、必ずや、アタシだけの手で料理を作れるようになってみせます」
「そうでございますか。ならば昨日みたいに教えてあげるのでございますよ」
「我が身の不備をセシリー様の手で鍛えてくれるとは恐縮の至りです」
アタシは幸せ者です。
セシリー様のメイドで良かったと、魂が叫んでいます。
ーーー☆ーーー
アリス=ピースセンスは頭を抱えていた。
撤退の二文字を覆すつもりはない。あんなのに手を出して、万が一本気にでもすればまず間違いなく殺される。ゆえにメイドと元公爵令嬢を捕まえろなんていうくだらない任務は放棄するべきだ。
だが、
(男爵令嬢の色香に呑まれた馬鹿の命令とはいえ、あれでも第一王子なんだよねぇ。命令を放棄なんてしたらぁ、今後の立場がないよねぇ。一応わっちは兵士の中では最強だなんだ言われてはいるけどぉ、上には上がいるしさぁ。第一王子や現国王にとってわっちたちは文字通りの消耗品だものねぇ。使えないと判断されればそれまでよねぇ)
なんとかしないといけない。
だが、どうすればいい?
(そういえばぁ……)
ふとアリスは思い出していた。
かのメイドは『第一王子の馬鹿が強烈で薄れていますが、本当に厄介なのはアイラ=ミルクフォトン男爵令嬢です。あれをなんとかしないと、後悔すると思いますよ?』、と言っていたのだ。
そこにどんな意味があるのかは分からない。だが、どちらにしてもメイドを捕らえることは不可能なのだ。命令を果たせず役立たずだと判断されるより前に、何らかの成果を持っていくしかない。
……第一王子は隠しているつもりなのだろうが、どう見てもアイラ=ミルクフォトン男爵令嬢にゾッコンなことが懸念材料ではあるが。
(第一王子とセシリーとの間に恋愛感情はなくてぇ単なる政略的な婚約だったのは有名な話よねぇ。だからといってぇ仮にも王族が男爵令嬢に心を奪われてぇ政略的な意味を持つ婚約を破棄するぅ? いやまああの馬鹿なら違和感ないけどぉ、誰かが止めたっていいはずだよねぇ?)
少なくとも普段は第一王子の暴走が致命的となる前にどこかで食い止められる。そもそも第一王子とセシリーとの婚約は国王が決めたことである。全てにおいて第一王子よりも『上』である国王があんなつまらない茶番を見逃すわけがない。
だが、実際には通っている。
万が一あの婚約破棄騒動を事前察知できなかったとしても、あんなことがあった後には対処しているはずだが、今のところ何らかの対応が行われる様子もない。
馬鹿の暴走を止める仕組みが機能していない。
今回の婚約破棄騒動に限り、不自然なまでに見逃されている。
(もしも誰に気づかれることなくぅ、婚約破棄騒動を成功させるためにアイラ=ミルクフォトン男爵令嬢が裏で暗躍していたならぁ──あのメイドの言う通りぃ、厄介なのはこっちかもねぇ?)
交渉材料にはなるかもしれない。
第一王子の命令を果たせなかった失態を覆すほどの『何か』が裏で胎動している可能性は高いだろう。
ーーー☆ーーー
味はしませんが、セシリー様の手作りというだけで朝食には幸せが詰まっています。どうせなら『停止』させて永久保存したいほどに。ですが、いえ、違いますよね。きちんと食すことこそセシリー様の好意に報いることです。ゆえに味わいましょう、全身全霊を尽くして!
「ご馳走さまでした。セシリー様、とても美味しかったです」
ぱん、と手を合わせ、アタシは感謝を捧げます。未熟な我が身にはもったいない施しです。
「お粗末様でございます。そうでございますか。それは良かったのでございます」
ああ、どこかほっとしたように微笑むセシリー様は良いものです。セシリー様の手料理が美味しいのは当たり前です、それこそ味覚なんてなくても魂に直接響くほどにです。それでも不安はあったんでしょう。例え昨日手料理を振る舞って問題なかったとしても、今日のは大丈夫かどうか不安な気持ちがあったみたいです。
これから先もセシリー様の手料理を味わう際は心の底からの感謝と感想を伝えていきましょう。
と、そこでアタシはふと思いつきました。
「セシリー様、一つ提案があるのですが」
「何でございましょう?」
「散歩しに出かけませんか?」
そう、散歩です。
婚約破棄や公爵家からの勘当など色々ありましたからね。気分転換にシルバーバースト公爵家としてのセシリー様であればできなかったことに手を出すのもいいでしょう。
「散歩、でございますか。ですがわたくしはシルバーバースト公爵家の……いいえ、そうでございました。今のわたくしは『ただの』セシリーでございましたね」
追い払うように首を横に振り、セシリー様は言います。
「散歩とやら、やってみようでございますか」