第十二章 貴女様がお側にいないと、世界はこんなにも退屈なんです
アリス=ピースセンス。
(兵士の中では)ヘグリア国最強と呼ばれるだけあって、その身に宿す力は強大であった。
例えば魔法。
魔力を用いて炎、水、風、土の四大属性を操る力であり、アリスは第八章までの四大属性全てを網羅している。第一章から始まり第九章まで存在する魔法において第八章まで会得している人間はそう多くはないだろう。
例えば『技術』。
特定の何かへと不可視のエネルギーを纏い、その性質を増幅する技能であり、アリスは鎧の防御力を増幅する『防具技術』と剣の斬撃力を増幅する『剣術技術』、二種類の『技術』を使いこなす。
例えばスキル。
魔法や『技術』と違い自由度の高い超常であるが、その力は先天性に左右される。つまり生まれた時から使えるスキルは決まっているのだ。アリスの場合は『運命変率』。指定した一つの目的を達するために確率を変動させるその力は時に定説を凌駕する。ラッキーパンチを連発し、通常ではありえない状況を生み出し、己よりも遥かに強い相手に勝利することも多々あった。
ヘグリア国における最強の兵士。
民衆からは英雄に近い扱いを受けるほどには優れた能力と莫大な戦果をあげてきた女である。例えディグリーの森の魔獣どもであっても、そう簡単に遅れをとることはない。
ただし、例外が存在する。
(この森には一体のドラゴンが封印されているって話だよねぇ。古龍の中でも最強と謳われた怪物だっけぇ。昔に『勇者』と呼ばれていた奴だって討伐ではなくぅ、封印するしかなかったって話だしぃ、通常の古龍が相手でも手も足も出ないわっちが敵う敵じゃないよねぇ)
スキル『運命変率』を使って遭遇を回避しようとしても、遭遇確率を『百パーセント』まで引き上げられる可能性はゼロではない。それほどの力ある怪物がいるからこそ、魔獣を回避しながら進むのではなく、迅速に標的を捕らえようとしているのだ。
──通常よりも一回りも二回りも巨大な鎧に右肩から左の脇腹にかけて亀裂が入っていた。不可視のエネルギーで防御力を増幅していたからその程度で済んでいたが、それがなければ分厚い鉄板ごと輪切りにされていただろう。とはいえ、それだけの損壊があっても『防具技術』は全体に不可視のエネルギーを纏い、防壁と化す。鎧が全壊しない限り、不可視の防壁は維持されるのだ。
アリスだからこそ未だに肉体までダメージを受けてはいなかったが、他の兵士に関しては決して軽くない損傷を負っている。血の匂いが充満する。ぼたぼたと鮮血がこぼれ、地面を汚していく。
(どこにいるぅ? 早く見つけないとぉ、先にこっちが潰れるんだけどぉ!!)
そして。
そして。
そして。
ずっ……、と。
前方八メートル先に肩にメイド服をかけてマントのように靡かせる、黒髪黒目の女が現れた。
唐突に。
木々の影に隠れていたとかではなくて、本当にいきなりそこに現れたのだ。
そして。
そこで終わらない。
「おすわり」
ゴッヂャア!! と。
強靱に鍛え上げられた軍馬が一頭の例外もなく転倒したのだ。
「くっ」
投げ出されたアリスは空中で一回転、そのまま着地する。ズズッ! とあまりの重量に地面がへこむほどだった。
しかし、今のはなんだ?
メイドの言葉一つで軍馬が一斉に転倒……いいや、倒れてでもおすわりしようとした、とでも言うのか?
全速力で駆けていたのだ。そこから転倒すれば、足を折るのは避けられないだろうに、そんなことが気にならないくらいの強制力があった、のだろうか。
(言葉のままに強制するスキル?いやぁ違うよねぇ。魔法、『技術』、スキル。どれにしたって発動したなら気配でわかるしぃ。でも反応はなかったぁ。つまり今起きたのは超常由来じゃないってことぉ。単に声をかけただけで軍馬を跪かせたとでもいうわけぇ?)
そこらの馬ではない。戦争にだって耐えられるよう訓練された軍馬である。それを、言葉一つで、根こそぎ圧倒したのだ。
「くそがっ。何をやった、クソメイドがあ!!」
「あれだ、あれが標的だっ」
「テメェのせいで死にかけたんだぞ! その身体で贖えやこらあ!!」
「待っ、迂闊に近づくのは危険だよぉ!!」
アリスが声を張り上げたが、遅かった。
あるいは剣や槍を構え、あるいは魔法陣を展開し、あるいはスキルによる不可思議な現象を振るって、数十人の兵士が一斉にメイドへと殺到した。これまでの鬱憤を晴らすように、こんな森にお前が逃げ込んだから死に物狂いで駆け抜ける羽目になったのだと八つ当たりするようなものだった。気の済むまで嬲るのは当然の権利だと、所詮はゴロツキでしかない兵士どもは考えたのだろう。
だが。
迫る無数の超常を前にしても、メイドは表情一つ動かさなかった。ただ一歩前へ踏み出す。真っ先に殺到したその身を呑み込むほど巨大な火の玉へと無造作に手を伸ばす。
「『復元』」
パンッ、と。
紅蓮の塊が消失した。
「な、ぁ……っ!?」
遅れて色とりどりの魔法やスキルによる不可思議な現象がメイドへと襲いかかったが、
「『復元』」
一つ一つを確認することもなかった。ただその一言で魔法やスキルは根こそぎ消失したのだ。
「なん、なんだよ、テメェはよお!!」
ほとんど錯乱した様子であったが、そこで剣や槍を手に突っ込む兵士が大半であったのは、彼らがゴロツキだからか。恐怖に対するアクションとして、暴力を叩きつけることしか選択肢がなかったのだ。
ザンゾンザザズゾンッ!! と剣や槍といった数十の刃がメイドを襲う。あるいは右胸に、あるいは左膝に、あるいは喉に、あるいは右目に、それこそ全身くまなく鋭利な刃が襲いかかったのだ。
それもただの刃ではない。
『技術』エネルギーによって分厚い鉄板さえもチーズのように軽々と斬り裂けるくらい増幅された刃である。
メイドの柔肌など簡単に斬り裂ける……はずだった。
ガギィンッ!! と硬質な音が響く。
「っづ!? ま、じかよ……ッ!!」
攻撃は直撃したが、それだけだ。いくら力を込めようとも刃が進まない。女の柔肌を斬り裂けないようなナマクラではないというのに、メイドの薄皮一枚斬り裂けなかったのだ。
「…………、」
屈強な兵士たちに剣や槍を叩きつけられた状態でありながら、メイドの表情は変わらない。ぎゅぢゅり、と瞳が蠢く。敵性を確認する。ゆえに淡々と力ある言葉を紡ぐ。
「『復元』」
パンッ、と。
メイドに斬りかかった兵士たちが纏めて消失する。魔法やスキルを消し飛ばしたように、呆気なく。
ガチャガチャン、と剣や槍、鎧といった彼らが身につけていたものが地面に落ちる。そう、人間のみが消えてしまったのだ。
「…………、あ?」
それをアリス=ピースセンスは呆然と見ていることしかできなかった。あまりにも理不尽すぎる。戦闘云々の話ではない。そもそも力と力をぶつけ合うまで辿り着けない。『復元』と呟くだけで魔法も『技術』もスキルも人間さえも消し飛ばすことができるなんて無茶苦茶にもほどがある。
「なに、を……したのよぉ!!」
「大したことはしていません。はじまりまで『復元』しただけです」
「は、はぁ!?」
「例えば魔法。これは魔力を錬成、変質させることで属性を付加して、魔法という形に整えます。ですので魔力の段階の状態に『復元』しました。ゆえに指向性を失った魔力はそのまま霧散しただけです」
「──ッッッ!!!!」
無茶苦茶だった。
つまり彼女は対象の状態を過去のものに変えることができるということ。魔法や『技術』やスキルであれば、形を整える前の単なるエネルギーだった時の状態へと『復元』することで指向性を奪い、無力化できるのだ。
……それを人間にも当てはめた。つまり受精卵の状況へと『復元』したことで、はたから見れば消滅したように見えたのだ。
「で、どうします?」
メイドはそう問いかけてきた。
淡々と、事務的に、感情の読めない声音でだ。
「きゃは☆ 正直アホくせー仕事だけどぉ、投げ出すわけにはいかないのよねぇ!!」
アリスはいつのまにか震えていた足に拳を叩きつける。あの第一王子の命令だというのが最悪だが、だからといってここで投げ出しては『今』が崩れかねない。ゆえに、挑むしかない。
(しっかりしろぉわっちぃ! くそったれな世界で生きるにはぁ、くそったれな道を突き進むしかないんだよぉ!!)
「『炎の書』第八章第四節──」
アリスが紡ぐは秘奥に繋がる調べ。
展開されるは魔法陣。
それも第八章ともなれば上級に位置する強大な魔法である。
「──獄炎灼槍撃!!」
ブゥボァッッッ!!!! と。
漆黒の猛火が魔法陣より噴き出す。炎の性質を無視した色彩に染まったそれは既存の物理法則から生まれる炎を超越した『熱』を生み出す。
まさしく全物質焼却魔法。
空気が爆発し、吹き荒れる熱波。それだけで、触れてすらいないというのに、周囲の木々がバボッ! と破裂するように火を噴く。
漆黒の猛火が束ねられ、槍の形に収束する。ただでさえ凄まじい熱量が一点に凝縮される。
既存の物理法則から外れた、まさしく超常の熱量が射出される。一直線にメイドめがけて。
それほどの力を確認して、しかしメイドの表情は変わらない。ただ一言告げるのみ。
「『復元』」
パンッ、と漆黒の炎槍さえも呆気なく消し飛ぶが、アリスは慌てることなく全身に力を巡らせる。先の魔法で焼き殺すことができればそれでよし、無理でも時間稼ぎにはなる。
アリスの本命は別にあるのだから。
(きゃは☆ 確かにお前は強いよねぇ。それは認めるよぉ。だけどぉ絶対じゃないよねぇ。『百パーセント』確実に勝てる状況ってのはほとんどないんだよねぇ!! 『百パーセント』勝てるように見えるのはぁ、単に確率が偏っているからなんだよねぇ!! そうだよぉ、どんな事象にだってぇほんの僅かな勝機は残されているはずだよねぇ!!)
「スキル『運命変率』ぅ!!」
そして。
そして。
そして。