短編 デートの日 後編その四
・ミーナの場合
「わぁっ。ミーナっ、内臓の串焼きでございますって! よし、買ってみるでございますよ!!」
「セシリー様。わざわざあのような得体の知れないものを口にする必要はないと思うのですが」
「何を言っているのでございますか。せっかく出店巡りという公爵令嬢だった時にはできなかったことをやっているのでございますよ。挑戦しないと損でございますっ。あ、触手の踊り食いでございますって!」
「絵面っっっ!!!! それは色々とまずいのでやめてください!!!!」
セシリーは浮かれていた。それはもう浮かれまくっていた。それこそ『魔王』ミーナを振り回せるほどに。
「確かここら一帯は食べ歩きが推奨されているのでございましたよね。テーブルマナーどころかテーブルにつく必要さえないだなんて大胆でございます」
「礼儀作法なんてものはあくまで『枠組み』を維持するためのものです。マナーなんて貴族ならできて当たり前は、言い換えればできない者を排除するというものですから。……そんな小細工で権力などという実際には何の力もないハリボテを維持したところで純粋な力の前では無力だというのに」
「あっ、スライムのドリンクでございますって!」
「セシリー様っ? もしやわざとですか!?」
『魔王』は大陸中を敵に回したって余りあるどころか、一度は世界というガワを吹き飛ばしたキアラや表と裏の世界を用いないと封じることができないほどに強大な悪魔王さえも打倒した。
単体最強戦力。
未だ破られる気配すら見せない頂点の中の頂点。
やろうと思えば国どころか惑星そのものを支配下とすることだって片手間の朝飯前で成し遂げることが可能な暴力の極致にして悪の金字塔である。
そんな『魔王』が振り回されていた。
その力を振るえばそれこそ王様にだって己の意思を強要できる怪物が、しかし己の意思とは反対に進む現状に振り回されっぱなしなのだ。
では、本領を発揮すればいいのか。
力のままに生きたほうが幸せなのか。
『魔王』が本気になればなんだって己の思いのままに進めることができる。なるほど魅力的なようにも感じるかもしれない。暴力でもってそれを成し遂げられるミーナは禁断の果実を口にできる資格があるのかもしれない。
だけど、そんな世界はつまんないものだ。
逆らう者は皆殺し、イエスマンだけで形作られた世界なんて退屈すぎる。
ミーナは知っている。頂点なんて『つまんない』と一蹴できるものだと。こんなものは固執する価値があるものではなく、ゆえにいずれ誰かに奪われたって一向に構わない。
力とは、大切なものを守れる分だけあればいい。いいや、正確には大切なもののためならどんな力だって搾り出すことができる。
現にミーナは何度だって頑張った。セシリーのためなら限界なんてものぶっちぎってきた。
好きだから。
セシリーにならば振り回されたって、己の意思の通りに進まなくとも、それはそれでいいと思えるものなのだ。
とはいえ、だ。
「うう。内臓に触手にスライムにとゲテモノ集めすぎたでございますかね……?」
「セシリー様、全部盛りは流石にやりすぎです! 絵面が、もうっ、色々とあんまりです!!」
デートだっつってんのにこの絵面は流石に苦言を呈したって仕方ないだろう。
ーーー☆ーーー
例えば、悪魔の右腕ジーディアは反女王派の貴族に力を与えて暴れさせることで注目を逸らし、その間に女王アリス=ピースセンスへと憑依、そこから好意を軸とした集団を手中に収めてと繋げていき支配領域を拡大、いずれは惑星全土へと騒乱を撒き散らそうとしていた。
例えば、『魔の極致』第四席アンノウンは因果律に干渉する『鉱石』をばら撒いて『別の可能性で語られる世界軸』を切り貼りすることで己に都合良く世界を歪め、かの存在を呼び戻し深化しようとしていた。
例えば、大天使はなんかもうむしゃくしゃするから全部どがぁーんとぶっ壊すつもりだった。
「あれ、ミーナどこいっていたのでございますか?」
「少々お花摘みに」
まあ今回の主題はイチャイチャデートなので邪魔になりそうなものはさくっと頑張ってどけておくに限る。
ーーー☆ーーー
その後もサーカス団の出し物を見たり、水浴び場で泳いだり、衣服店で互いに着せ替えっこしたりと色んなことがあった。
……切断マジックの体験者としてセシリーが選ばれて胴体が切断された風に見えた時にミーナが割とガチで泣き叫んで変な空気になったり、濡れてもいい格好で水浴びしているセシリーの服がスケスケでミーナが悶々としたり、『どれが似合うでございますか?』という質問に全部似合うというかセシリーであればもうそれだけで満点以外あり得ないミーナが物理的に頭から湯気が出るくらい答えに悩んだりとそれはもう色んなことがあったのだ。
ちなみにゲテモノの味はゲテモノ以外の何物でもなかったようだ。ミーナには味覚がないので正確なところは不明だが、あのセシリーが微妙そうな顔をするくらいだったのだから(そんな顔のセシリーもそれはそれで愛らしいと感じるので、本格的にミーナにとってはセシリーであればもうそれだけで正義なのだろう)。
「あ、夕焼け……」
王都の大通りにて、名残惜しそうな呟きが一つ。
紅に染まる空を見つめて、先ほどまで満面の笑みでミーナを振り回していたセシリーの表情に陰が生まれる。
「もうそろそろ帰らないとでございます、ね」
「そうですね」
「ねえミーナ」
ぎゅっと、絡めて繋がる手に力を込めて、セシリーはメイドであり妻でもある女の瞳を真っ直ぐに見つめる。
「今日はとっても楽しかったでございます。その、ちょっとテンション上がりすぎて振り回してしまったでございますね」
「気にすることはありません。セシリー様が笑っていれば、それだけでアタシは他の何物だって及ばないほどに幸せなんですから」
「そうで、ございますか」
ミーナの力があれば今すぐにでも家に帰ることができる。別に離れ離れになるわけではなく、いつだって一緒ではあるのだ。
それでも、デートの終わりという一つの区切りに寂しさを覚えてしまうのは仕方ないことだろう。
「ねえミーナ」
「はい、なんで、……ッ!?」
ぐいっ、と。
絡んで繋がる手を引っ張り、そのままの勢いでセシリーはミーナとの距離を縮める。
ゼロに。
唇と唇を触れ合わせて。
夕暮れ時とはいえ王都の大通りともなれば行き交う人はそれなり以上であることなんて気にすることなく、唇と唇が交わされる。
声が漏れる。甘く蕩けるそれは果たしてどちらのものだったのか。
結婚してもう数年が経っているのだから、こうして触れ合うこともはじめてではなかった。だからといって慣れることなんてあり得なかった。
頭が痺れるようで、視界がチカチカと弾けて、全身を甘くほぐす衝撃が走る。
いつの間にか抱き合うように両腕を互いの身体に回しており、より深くより強くという想いに従って唇が動く。
夢の中のように思考はふわふわとしていて、しかし生理的な要因からセシリーが唇を離す。
はぁ、はぁ、と荒く息継ぎをして、涙が浮かぶ瞳でミーナを見つめるその顔はどこからどう見ても蕩けきっていて。
「えへへ。キス、しちゃったでございます」
セシリーらしくない無邪気なその笑みに、もうミーナは我慢なんてできるわけがなかった。
何やら周囲がザワザワしているが、有象無象なんてどうでもいい。後で思い出したセシリーが恥ずかしさに身悶えるだろうと分かっていても止まってなんてやらない。
最初にしてきたのはセシリーだ。
今更、途中で、やっぱりもうやめようなんて通用するものか。
主のことを第一と考えずに己が欲望を優先する様はメイドとしては失格で、だけどセシリーの妻としては間違ってはいないはずだ。
上下と差をつくるのではなく、対等な関係を望んだからこその結婚だ。であれば、だったら、もうミーナを縛り付けるものは存在しない。
ーーー☆ーーー
ちなみに翌日のセシリーはそれはもう予想通りにベッドの上で毛布にくるまって身悶えしていた。
「う、うう、うううううっ!! あんなっ、あんなはしたなく求めて、ききっ、キスするなんて何をやっているのでございますか、わたくしはぁっ!!」
「セシリー様」
当然のように同じ部屋で目覚めたミーナは淡々とこう言った。
「今更キス云々がどうしたというのですか。それ以上のことだってやっているんですから」
「それはそうかもしれないでございますが、だからといって公然の面前でというのは違うでございますもの!!」
「有象無象に見られたからといって何かが変わるわけでもないと思うのですが」
「変わるでございますよお!!」
もちろんミーナが気にしないからといってセシリーも同じであるわけではない。同じではなく、異なっている。それが好きを誘発するのだ。
「セシリー様」
涙目でプルプル震えて唸るセシリーもまた愛おしいが、ずっとこのままというのは忍びない。どんなセシリーも最高であっても、やっぱり笑っているのが一番なのだから。
ミーナは手を伸ばす。
当然のように一糸纏わぬ姿の女は同じく生まれたままの姿で毛布グルグルでプルプルな最愛の人をそっと抱きしめて──邪魔な毛布を剥ぎ取って、その奥に広がる果実に口をつける。
「んっ、ふぅ!?」
びくっとセシリーの肩が跳ね上がり、驚きに目が見開かれるが、それもいつまでもは続かない。
驚きに硬直していた身体はゆっくりと弛緩して、貪るように求めるミーナに寄りかかる。
好きにして、と言葉なくとも身体で示す。
「ぁ、ふっ、……」
我慢なんてできるわけがなく、ただただ求める。長く深く溺れていくのを感じて、しかし抗うなんて考えすらしない。
はしたなく、狂おしく、獣のように。
本能を剥き出しとして唇を合わせる。
それ以上を知っていたとしても、キスが軽くなるわけではない。初めてのキスよりも二度目キスが、と回数を重ねていくほどに快感は熱く激しくなっていた。
だから。
もう何度目かもわからないキスは言葉で言い表す上限を軽々と突破していた。
果たしてそれはいつのことだったか。
示し合わせたように唇を離し、荒い息を吐きながら真っ赤に熟れたセシリーは『もうっ』と拗ねたように頬を膨らませる。
これまでのミーナであれば額面通りに受け取ってうろたえていたが、今のミーナは違う。それが照れ隠しであると、表情の奥にある本音を見抜いている。
見抜くことができるくらい、時間と身体を重ねてきたのだ。
「ミーナのえっち」
「セシリー様のせいですよ」
デートは終わった。
だからといって彼女たちの甘い日々が終わるわけではない。




