短編 デートの日 後編その三
・キアラの場合
それは一ヶ月前のこと。
王城勤務のメイドたちが休憩中に『手料理』を振る舞うことで恋人との仲を深めることができる、なんて話をしているのを聞いたのがきっかけだった。
『料理、ね。きひひ☆ こちとら「魔の極致」第二席として人類が到底不可能な偉業を乱立してきたのよ。人類ができる程度のものであればすぐにでもマスターできるってものよ」
とりあえずアリス=ピースセンスに許可をとって王城の厨房を借りたキアラは近場の本屋で購入したレシピ本を片手に料理にとりかかり、そして──
それはメイド長シーズリー=グーテンバックがいつものようにアリス=ピースセンスを中心とした『闘争』の後始末に奔走し終わった時のことだった。
厨房から漂う黒煙に焦げ臭いニオイ、そして轟音が炸裂する。
『ッ!?』
厨房に駆け込んだメイド長は目撃する。鉄だろうがお構いなく溶けた鍋や包丁にまな板どころか台所や床まで綺麗に両断された凄惨たる中、炭化した何かがのった皿を片手に立ち尽くす一人の女を。
キアラ。
『クリムゾンアイス』の一人であるネコミミで中身ロリの見た目クールビューティーという属性てんこ盛りな兵士の恋人にして、ミーナの古い戦友(?)である。
ネコミミ女兵士についてくる形で王城にも何度も足を運んでいるため顔見知り程度には会話をしたこともある。
印象としてはミーナに似ていた。もちろん完全完璧な無表情のミーナと違って感情を表に出してはいるが、表面的なものではなくより深い部分でミーナに近いと感じられるのだ。
だから、だろうか。
おそらくメイド長からの一方的なものではあるが、キアラには親近感が湧いていた。
『え、と……。何があったでしょーか?』
『別に。大したことじゃないわよ』
どこか吐き捨てるように。
見た目こそ大人のそれながら、いやいやする幼子のようなそれでキアラは言う。
『ワタシのようなのが「普通のこと」をやろうなんて思ったのがそもそもの間違いってだけだもの。まったく、駄目ね。なんで自分の本質を忘れちゃっていたんだか』
やはり、似ていた。
だから、だろう。爆撃でもされたような惨状が、しかしメイド長には幼子が一人で料理をしようとして失敗した後にしか見えなかったから。
結果こそ普通とはかけ離れた怪物のそれであっても、想いは何ら変哲のないそれであると伝わったから。
ゆえに、メイド長は迷いなく踏み込む。
厨房を溶かし両断するような力を持つ『だけ』の女へと。
『私で良ければ料理を教えてもいいでしょーよ』
『メイド長、だったよね。そんなに関わりないのに、いきなりそんなこと言ってきて……なにが狙い?』
『知り合いに貴女と似て不器用な子がいるでしょーよ。だから、放っておけなかっただけでしょーよ。もちろん迷惑なら無理にとは言わないけど』
『…………、』
しばらくキアラはじっとメイド長を見据えていた。ミーナの古い戦友らしき女だけあって見られているだけだというのにダース単位のドラゴンが押し寄せたって敵わないほどの圧が降り注ぐが──そんなものは表面的なものでしかないとメイド長は知っている。
だから。
本質に変わりはなくとも、だからといってまったく変わっていないわけではない怪物はぺこりと頭を下げる。
『お願いします』
『はい、お願いされたでしょーよ』
一ヶ月後、王都の噴水がある広場にて。
デートの相手であるセシリーと共に立ち去ったミーナを見送ったキアラは噴水の近くにあるベンチに腰掛けていた。
その膝にはちょこんと簡素な包みが一つ。
『普通』の、何の変哲もない弁当箱である。
「…………、」
この一ヶ月、それはもう何度も厨房をぶち壊すことになった。力加減を知らないわけではないのだが、どうにも肩に力が入っていたのか『普通のこと』に慣れていなかったからか、大陸や惑星や宇宙を消し飛ばすことよりも遥かに簡単なことができるようになるまで時間がかかった。
……ちなみにアリス=ピースセンスなどは『もうここまできたらミケにバレないようにしてやるオマケ付けて厨房使い潰していいわよぉ。もちろんこれは借りだからぁ、何かあったらバリバリ働くことよねぇっ!』などと吐き捨てながら裏で尽力してくれたために、ド派手に王城の厨房をぶっ壊したというのにここまでミケにバレずに済んでいる。
「…………、」
一ヶ月もかかって、出来上がったのは本当に何の変哲もないお弁当だった。それこそ一般的な、『普通』の家庭で見られるレベルでしかない。
本当にミケはこんなもので喜んでくれるのか。本質的には壊す者でしかない怪物が背伸びをしたって不格好で歪にしかならないのではないか。
『どうして料理をしようと思ったでしょーか?』
『何よ、似合わないって? そんなのわかっているわよ、ええワタシが一番わかっているのよそんなことは』
それでも。
メイド長に問われた時、キアラはこう答えていた。
『だけど、それでも。恋人との仲を深めることができるって聞いたらやらないわけにはいかないじゃない』
キアラは怪物だ。決してその本質は変わらない。異常に狂いに狂ったバケモノという本質はいくら努力しようとも変えられるものではない。
そもそも他ならぬ怪物であるキアラのことを、それでもミケは好きだと言ってくれた。だったらそこを変える必要はどこにもない。
だからこれは『普通』だとかそうでないかとかそんな話ではない。『普通』か、そうではないか。手段がどのような形であっても、望む結果を掴むことができればそれでいいのだ。
そう、それは、
「ミケ、喜んでくれるかな。喜んでくれたら、いいな」
幼子がサプライズパーティーを企んでいるように、それでいて恋する乙女が告白しようと勇気を振り絞っているように。
どれだけ関係が進もうとも初々しい一人の女が恋人との待ち合わせに心臓を高鳴らせていた、そんな時であった。
ドッッッ!!!! と。
衝撃が、突き抜ける。
それは禍々しい黒であった。
まるで地獄を揺蕩う悪魔から漏れ出たような黒が噴水がある広場の中心に降り立ち──真っ直ぐにキアラに向かって禍々しい黒の閃光が突き抜けたのだ。
アリス=ピースセンスやウルティア=アリシア=ヴァーミリオンであれば受けきれずに片腕くらいは失っていたかもしれない。
だが、キアラは『魔の極致』第二席。
いかに経験値やステータスやレベルアップといった性質を失っていようともその力は怪物の領域に及んでいる。
反射的に身体は動いていた。
跳ね起きた勢いのまま両腕で禍々しい黒の閃光を受け止め、そのまま上空へと弾いていた。
キアラという本質は平穏な中においても状況さえ揃えば即座に顔を出し、その本領を遺憾なく発揮する。
だから。
一連の動きの中で簡素な包みが膝から落ちて、その中身が地面に散乱していた。
そのことに気づいたのは、禍々しい黒の閃光を弾き飛ばした後だった。
「……、は、はは」
もしも、キアラが『普通』であれば闘争へと意識を切り替えていようとも片隅くらいにはお弁当のことを留めていたのかもしれない。切り捨てるか否かはまた別なれど、完全に頭から抜け落ちるようなことはなかっただろう。
あるいはそれは『衝動』のままにミケを殺しかけたあの日のように、本質的には怪物でしかないキアラは何度だって同じことを繰り返す。
「別に、わかっていたもの。『普通』じゃないし、そんなものを望んでいるわけでもないし、大体ワタシが作ったものよりも美味しいものなんてそこらに売っているんだからそっちをあげたほうがよっぽどいいし、だから、別に、だから、こんなのわかっていたことだもの」
喉がひくつく。
視界が滲む。
呼吸が荒い。
あの禍々しい黒の閃光に何か特殊能力でもあったのだろう。そうに決まっている。そうじゃなければなんだというのだ。
「ぐっがはははははは!! これは素晴らしいっ。力が漲ってくる、今ならば誰にも負ける気がしなぁい!!」
禍々しい黒の閃光を放ってきた男が高笑いしながら歩を進めてくる。それはアリス=ピースセンスに王位を返上するように訴えていた貴族のリーダー格らしき男だった。
どうやら悪魔、それも単なる悪魔の枠からはみ出た『何か』の力の一端を宿しているようだ。アリス=ピースセンスに一蹴されて捕縛されたはずだが、この短期間に不相応な『何か』に誘惑されたのだろう。
どうでもよかった。
そんなこと、心底、どうでもよかった。
依り代である貴族はともかく、彼に取り憑いた『何か』の力はいかにキアラとはいえ舐めてかかっていいものではなかったが、それでも認識することすらできなかった。
「今ならば、悪魔の右腕ジーディアとやらの力があれば! 単純な暴力であのアリス=ピースセンスを女王の座から引きずり落とすこともできるというもの!! その前に、ハッハァ、我を侮辱してくれたクソアマをぶち殺すとしようかあ!!」
そして。
そして。
そして。
「我々は、宇宙人である」
ガッッッ!!!! と。
貴族の男が放った禍々しい黒の閃光へと眩い限りの『光』が激突する。
それはいつの間にかキアラの横に立っていた女の手から──正確にはその手に握られた道具から放たれたものだった。
L字の片方を握り、もう片方から『光』を放出する何か。その何かから放出された『光』はいとも簡単に禍々しい黒の閃光を貫いていた。
「な、ん……がぶべぶばぶう!?」
「我々は科学にて超常を凌駕する者。『蝿の女王』、この世界における超常の金字塔である『魔の極致』メンバーの力の塊さえも科学的に再現できる。そんな我々を前としていかに悪魔王から分化した存在とはいえ、そのような小物を器として出力可能な力で対抗できるわけがないですよ」
言葉の通りとなった。
ガッガガッガガァッッッ!!!! と、どこから現れたのか空飛ぶ円盤から無数の『光』が放たれ、貴族の男を肉片すら残らず消し飛ばしたのだ。
だというのに。
透き通るようなレモンイエローの長髪に星が煌めくように光る瞳、どこか作り物めいた誰かは悔しそうに顔を歪めていた。
「申し訳ありません。百合を彩るエフェクトでありたいと望みながら、こんなことになる前に対処できないなどっ!! こんな、せっかくのお弁当が、こんなぁっ!!」
「誰だか知らないけど、別に気にする必要ないから。怪物が『普通』を目指して背伸びしたって不格好で歪なだけだもの。失敗するのは当然のことだったのよ」
「そ、そんなことはっ!!」
いつものキアラであれば見知らぬ誰かに心の内をそうも容易く吐露しなかっただろう。それだけいつもと異なる状態なのだが、当の本人は気付いてすらいなかった。
だからこそ、透き通るようなレモンイエローの長髪に星が煌めくように光る瞳の誰かは軽く自分のことを殺したくなったのだが──何かを見つけた瞬間、小さく笑みを浮かべていた。
「おっと、エフェクトごときが出しゃばりすぎでしたね。ここから先は我々の出番にあらず。ということで、これにて失礼をっ!!」
言下に『空飛ぶ円盤』から降り注ぐ光に呑まれて転移のように誰かは消え、『空飛ぶ円盤』もまたどこかに飛び立った、その後に。
「にゃあ、キアラだにゃーっ!」
すっ、と。
俯き、散乱するお弁当を見つめていたキアラの顔を覗き込む影が一つ。
ネコミミ女兵士。
どこまでいっても怪物でしかないキアラをそれでも好きになってくれた女の子である。
「ミケ……」
「にゃにゃっ。キアラ大丈夫かにゃ!?」
最愛が驚いたように目を瞬き、両肩に手を置いてキアラを見つめていた。どうしてそんな顔をしているのだと、別に心配するようなことは何もないのだと、そう返せばいいだけなのに、喉がひくついてうまく喋れない。
その間にもキアラの視線の先に目をやったミケは地面に散乱する『それ』で察したようで、ギュッと震えるキアラの身体を優しく抱きしめる。
「キアラ、お弁当つくってきてくれたんだにゃあ?」
「……う、ん」
「にゃははっ。それは嬉しいにゃっ」
「でも、ワタシ、本質的にバケモノだからっ、台無しに……っ!!」
「うーん。キアラのお弁当となればこのまま美味しくいただいちゃっていいんだけど、そういうことじゃなさそうだにゃあ」
むぎゅむぎゅっとキアラの背中を肉球柔らかな掌で撫でながら、しばらく思案するミケ。
そして。
そして、だ。
「きーあらっ。確かに一度目は壊れちゃったのかもしれないにゃ。だけど、キアラは一度しかつくってくれないのかにゃ?」
「み、け?」
「壊れちゃったのならやり直せばいいだけにゃっ。あっ、何なら一緒につくるかにゃ? うんそれがいいにゃっ。サプライズもいいけど、はじめての共同作業なんてのも絶対いいものになるにゃっ!! だから、キアラ。せっかくのデートなんだから、そんなに泣く必要はないんだにゃあ」
そこで、ようやく。
キアラは自分が泣いているのだと気づいた。
『魔の極致』第二席。
大陸も惑星も宇宙さえも吹き飛ばした怪物は生まれてこの方悲しみの涙なんて流したことがなかったために。
「ミケ、ごめん」
「謝る必要なんて全然ないにゃっ。キアラが頑張ってくれた、それだけで胸がいっぱいなんだしにゃあっ!!」
だから、と。
本質的に壊す側なのだと自分を責めているキアラのためにミケはこう言葉を紡ぐ。
「さあキアラっ。まずは具材の買い出しに行くにゃっ。今日は楽しい楽しいお弁当デートなんだからにゃあっ!!」
やり直すことができると、多少壊れたとしても二人ならそれ以上の幸せを手にできると、キアラと一緒ならなんだって幸福に繋がっていくのだと、溢れんはかりの想いを込めて。
そう、今日はデートなのだ。
多少躓いたとしても、最後には幸せが待っている。
「それに、にゃふふっ。今日はキアラに食後のデザートを振る舞ってもらうんだしにゃあっ。『ベルゼクイーン=レプリカ』、にゃはっ、魔族にさえも生殖機能を付加するこれがあれば、にゃは、にゃーはっはっはあ!! 今夜は寝かせないにゃあーっ!!」
「ミケ……???」
悪魔の右腕ジーディアなんて怪物が関与してこようともシリアスになんてなるわけがなかった。
ともすればミーナが天敵として機能しない分、悪魔王よりも厄介かもしれない怪物だろうがなんだろうが、デートの甘い雰囲気に呑まれるに決まっているのだから!!




