結婚式開始
ネフィレンスはある『闘争』の後手駒と引き入れた『全知全能』からの報告に眉をひそめていた。
「悪魔王から『分化』した連中が仲間割れで一人を残して死滅した、ネェ」
悪魔にはいくつかの種類がある。単純に邪悪から生まれし者、神聖なりし性質から公平性が失われた結果堕落した者、極大の邪悪が生み出した者などなど。
その中でも悪魔王はかつて神と崇められていた神威が堕落した個体さえも束ねし極大の邪悪である。であれば、悪魔王は識別として悪魔と語られているだけであり、神と同質の性質を宿していたって不思議はない。
例えば。
神は死した時、その死体から新たな超常存在を生み出す。
異なる軸においてはある神の死体は世界へと変じた、などという物語もあるほどだ。悪魔王の死体ともなれば、それくらいの置き土産は備えているだろう。
ミーナが吹き飛ばした、その残滓。
そこから枝分かれ、『分化』したことで生まれた超常存在は全部で六つ。
悪魔の頭脳マキュア、悪魔の右腕ジーディア、悪魔の左腕ノアリ、悪魔の胴体ガジル、悪魔の右脚ミミナ、悪魔の左脚シンフォニア。
これら『分化体』が激突、悪魔の胴体ガジルが他の『分化体』を殺した……らしい。
あくまで自称『全知全能』からの報告であり、『全知全能』自体も直接確認したのではなく後から調べただけではあるが──それにしても、だ。
「一体全体なんだって仲間割れなんてしたのやラ」
「もちろん仲間なんかじゃないからだな」
「ッ!?」
その、声は。
ネフィレンスの感知能力をかいくぐり、後方から響いて……ッ!!
「ああ待てって。俺は面倒ごとは嫌いなんだよ。だから、下手に暴れずに話を聞いてくれ」
「話、だっテ?」
「そうそう。面倒なことに俺は悪魔王とかいう奴から『分化』した結果生まれたらしいな。だから何? ってのが素直な感想ってわけだ。俺は静かに波風立てずに暮らす。だから余計な手出ししないでくれ、というのを伝えにきたんだよ」
「『分化』……なるほド、お前が悪魔の胴体ガジルなのネ。そんな話をこちらが信じるとでモ?」
「じゃあ聞くが、お前ら魔族も悪魔王が垂れ流していた穢れから生まれたって話だろ。つまり俺と同じく悪魔王から生まれた生命ってわけだ。だが、お前らは悪魔王の意思とやらを跳ね除けている。ほら、俺が同じことするのはそう不思議なもんでもないと考えられないか?」
「かもネ。だけどこうも考えられル。脅威となりうる可能性が僅かでもあるなラ、事前に排除するべきヨ」
「面倒な思考だなー。俺は静かに、誰に邪魔されることなく過ごせればそれでいいんだが」
「残念だケド、私チャンとしてもようやく取り除けた悪魔王という脅威は残滓の一つすら残さず消しておきたいのヨ」
「なら仕方ない。手を出したら損をすると分からせてやるしかないかー。なぁに、さっさと降参すれば殺すまではしないからよ」
「随分と余裕ネ。『分化』する前の悪魔王はミーナに敗れタ。『分化』した胴体一ツ、ミーナを使えばすぐにでも粉砕できるというのニ」
「話聞いていたか?」
呆れたように。
あるいは面倒くさそうに。
「俺はお前ら魔族と同じだ。悪魔王から生まれた生命だ。だからといって悪魔王と完全に同質なわけじゃない。だからこそ、悪魔王の意思とやらを跳ね除けることができるんだしな」
つまり、と。
繋げ、そして悪魔の胴体ガジルはこう告げた。
「俺の力は悪魔王と同質ではない。それでいて、単純計算で悪魔王を六分割した力を持つ。わかるか? 『魔王』ミーナは悪魔王の力ならば支配できるかもしれないが、そこから『分化』して性質が変異した俺の力は支配することはできないってわけだ。さて、純粋な力と力のぶつけ合いでさえも『魔王』ミーナは悪魔王の『分化体』を上回ることはできるのやら」
「……ッ!?」
激突は一瞬であった。
するり、と。敗北の懸念を仕込んだ上でガジルは『魔王』ミーナが呼び出される前にネフィレンスを叩き潰したのだ。
ーーー☆ーーー
そして。
激突から一日後、ぶらりとヘグリア国の隣国まで足を運んだガジルはこう呟いていた。
「ひとまず仕掛けてくる気はなくなった、と。時間さえ経てば本当に静かに暮らしたいだけだと理解してくれるだろうし、分からず屋な他の『分化体』のように始末する必要はない……と信じたいが、はてさてどうなることやら」
思い出されるのは悪魔の頭脳マキュアの言葉であった。
『我らが邪悪にして偉大な王より生命を授けられたというのに、静かに暮らしたいだなんて腑抜けたセリフだよね。そんな戯言垂れ流す「分化体」はここで死んじゃうことねっ!!』
そう言って悪魔の頭脳は他の『分化体』と共にガジルへと襲いかかった。我らが邪悪にして偉大な王。悪魔王が残した意思に従って。
あそこで殺さなければガジルが殺されていたし、あそこで逃がしていれば必ずや『何か』をやらかすのは目に見えていた。
『真なるエーテルを取り込むためには適当な「設定」、そうね……幼馴染みとか? とにかくそんな「設定」があれば警戒心を和らげることができるよねっ。そんな風に「設定」を脳に直接ぶちこんで、警戒されることなく近づいて、いずれは真なるエーテルを手に入れちゃおうかねっ』、なんてことも言っていたので、単純に『分化体』としての力を振りかざす以上の『何か』を企んでいたのだろう。
「まったく、面倒なことで」
『分化体』としての力はマキュアたちとの戦闘でほとんど使い尽くしており、ネフィレンスとの戦闘で完全に失っているために、実は『魔王』ミーナなんて差し向けられたら即死間違いなしなガジルは本当に面倒そうにため息を吐いていた。
魔族や人間と違い、『分化体』としての力は有限であることを悟られれば『とりあえず』殺されていただろうから、ガジルにとってはネフィレンスに施したハッタリが唯一の命綱なのだ。
と。
そこまで考えたところでガジルの(悪魔王の力に頼らない、強大な肉体が持つ)優れた聴力が悲鳴のような声と悪意に満ちた声を捉える。
助けを求める声。
そして、その声を『無能』と踏みにじる悪意を。
「本当、面倒なことで」
ガジルに残された力はその肉体のみ。超常が好き放題蔓延るこの世界においてどれだけ通用するかは未知数。
それでも。
それでも、だ。
悪魔王から『分化』、枝分かれしたことで悪魔王とは違う個体としての意思を手にした彼は一切迷わなかった。
静かに暮らしたい。
ゆえにこそ、雑音は取り除くに限るのだから。
ーーー☆ーーー
『いえーいっ。みんな仲良くイチャイチャしてるう? 今日は仲良しの節目にしてネクストステージ、つまり結婚式っ! ひゃっふうーっ!!』
深い森の奥地でのことだった。仲良し決定戦でも司会を務めていたお姉さんが風系統魔法を使い集まった少女たちに声を届けていた。
屋外での結婚式を彩る飾り付けはミュウの言うことなら問答無用で従う悪魔たちによるものであった。そう、屋外での結婚式。ナンダカンダで悪魔王撃破から一週間という短い期間で結婚式が形となったのだ。
あまりに嬉しかったからとセシリーの口からメイド長にミーナの告白の件を惚けたのが始まりだった。あれよあれよと言う間にこうして結婚式と洒落込んでいるのだからメイド長のスペックの高さがわかるというものである。
……いかに非公式のそれとはいえ『魔の極致』を筆頭にヘグリア国兵士長や『勇者』、なぜかキアラ経由で他の国の仲良したちまで準備の段階から参加しているからか、その規模は相当のものだった。かつて公爵家を管理していたメイド長が指揮をとったのだから当然のことなのかもしれないが。
「あ、あの、なんだか凄く大ごとになっているのでございますが!?」
「何を言っているでしょーか。お嬢様の晴れ舞台、これでも足りないくらいでしょーよ」
「魔法による花火やイルミネーション、大陸の内外を問わず高級な食材を一流の料理人が調理していて、大国の王の招待さえも気に入らないならば断ると言われている『不可侵音楽隊』が演奏を披露しているでございますのに? ゼジス帝国の帝王の結婚式だってもうちょっと控えめでございますよっ!!」
うう、と隠れ家の中では外から響く演奏の音色や種族問わずに集まった者たちの喧騒にセシリーが唸っていた。
扉を開けて外に出る。そうして歩いていけば、その先には生涯のパートナーが待っている手はずとなっていた。
すなわち、ミーナが。
熱烈なあの言葉を肯定したならば、こういった『形』を望む気持ちがないとは言わない。
それでも、だ。
ミーナと二人、あるいはメイド長に見届け人となってもらって三人で、くらいと思っていたセシリーとしてはトントン拍子で進んでしまったことに思考が追いついていなかった。
ぎゅっ、と。
いつものドレスと違い、端に至るまで繊細な刺繍が施された純白のドレスを胸のあたりを両の手で掴む。きめ細やかな薄い白のベールがその顔を覆っていた。
結婚式ならば、主役が着るものは決まっていた。そうウェディングドレスである。
「お嬢様」
「なんでございますかぁ……?」
「ミーナのこと、好きなのでしょー」
「ぅへっ!? なんっ、なにをっ!? いえ、その、……もちろん、大好きでございます」
「それと同じくらい、ああもちろん種類は違いますが、私もセシリー様やミーナのことが好きでしょーよ。そんな二人が結婚して、幸せになるというでしょーよ。盛大に祝ってやりたいに決まっているでしょー」
だから、と。
セシリーが物心つく前からお仕えしてきたメイド長シーズリー=グーテンバックは実の親なんかよりも親らしい感情と共にセシリーへと手を伸ばし、こう言った。
「お嬢様、お手を。お嬢様が幸せを目指して新たな『関係』へと踏み出すそのお見送り、映えあるお役目を私に任せて貰えると嬉しいでしょーよ」
「もう、そんな風に言われたらこれ以上足踏みできないでございますよ」
伸ばされたその手をセシリーは掴む。新たなる『関係』へと踏み出すために。ずっとずっと陰ながらセシリーを支えてくれた人の手を取って、扉を開く。
その先に、彼女がいた。
セシリーとは真逆の漆黒のウェディングドレスをその身に纏った少女が、だ。
ミーナ。
漆黒の髪に瞳、華奢な肉体ながらドラゴンだろうが片手で薙ぎ払えるほどの力を持っていて、でも本当は繊細な少女が待っていた。
ほんの十メートル先。
主役の片割れたるセシリーが現れたとなって『不可侵音楽隊』が演奏を盛り上げて、集まった人々が思い思いに言葉を投げかけていたが、申し訳ないことに、本当に申し訳ないことに、セシリーにはその全てが耳に入らなかった。
たった一つ。
『好き』に目が奪われていた。
果たしてその十メートルをどうやって進んだのか、セシリーは覚えてすらいなかった。
とにかく、気がついたら『好き』がそこにいた。
「ミーナ。お嬢様を悲しませたら許さないでしょーよ。というか? あんまりうだうだしていたら、横からかっ攫われてもおかしくないくらいにはセシリー様は魅力的でしょーし」
「もちろんです。セシリー様を悲しませたりしないですし、誰にも渡しません。例え無理矢理でも、絶対に」
「おー束縛宣言とは重いでしょーよ。まあミーナの場合はどれだけ重くてもお嬢様の一言でぐにゃぐにゃになるから、案外バランスが良いのかもしれないでしょーよ」
くつくつと肩を震わせて、メイド長は握ったその手を前に突き出す。そう、ミーナに握ったその手を渡すように。
「わっ、わわっ」
「セシリー様」
その手を、掴む。
まるで奪うように、我慢できないと言いたげに、強引に。
そして。
そして、だ。
「好きです」
「ふ、ふぐう。わ、わたくしも、大好きでっ、ございますっ!」
と。
セシリーの顔が早速真っ赤に染まったが、結婚式は始まったばかりである。