裏と表、その意味
「──世界には表と裏があるのじゃ」
『勇者』は祭りの影響で人通りの多い大通り内に蔓延る暴徒を殴り飛ばしながら、
「正確には悪魔王を閉じ込める空間が裏の世界、その空間を封じる蓋が表の世界であるのじゃがな。世界そのものに莫大なエネルギーが秘められておるのもその辺りが関係しておる。まあ封印を担う表の世界と違い、裏の世界はあくまで悪魔王を閉じ込める広大な空間というだけじゃから、あそこに莫大なエネルギーが蔓延しておるのは悪魔王が垂れ流す残滓に過ぎないのじゃが。その辺りを加味すれば、表の世界のエネルギーで裏の世界のエネルギーを相殺できる理由についても想像できるじゃろう。偶然でもなんでもなく、悪魔王を封じるための表の世界じゃから、必然的に悪魔王に有効なエネルギーで構築されておるということじゃな」
「きゃは☆ さっぱりなんだけどぉ、本気で説明する気あるわけぇ!?」
冒険者が突き出した槍を蹴り上げ、上空に弾き飛ばし、兵士が振り下ろした剣を奪い去り、落ちてきた槍を掴んで一閃。周囲の暴徒たちを薙ぎ払うアリス=ピースセンス。
そんな彼女へと、『勇者』は言う。
「と言われてものう。実は女神様からの神託をそのまま言っただけで、こちらとしても完全に理解しておるわけではなくてのう。まあ、あれじゃ、此度の騒乱の元凶は悪魔王とかいう奴で、この暴動も含めて世界を滅ぼし自由になろうとしている、らしいのじゃ! すなわち人類の敵、だからぶっ倒す、というわけじゃ!!」
「きゃは☆ 最初からそう言うことねぇ。それくらい単純ならぁ、後は暴れるだけだしぃ!!」
ザンゾンバンドゴンッ!! と。
『勇者』は光り輝く拳を、アリス=ピースセンスは奪った槍や剣を振り回して、大通りで暴れ狂う暴徒たちを薙ぎ払っていく。
『勇者』の身に宿りし『何か』や確率を自在に操る『運命変率』が殺意を促す超常を跳ね除けているが、祭りに集まった多くはそのような力は持ち合わせていない。ゆえに促されるままに暴れているだけなので、彼女たちは意識を奪うだけに留めて無力化していく。
悪魔王とかいう敵を見つけ出し始末するにしても、まずは不必要に争い、犠牲者を増やしている乱痴気騒ぎを止めなければならない。アリス=ピースセンスとしてはさっさと本命の相手をしたいところだが、敵が強大なのは予想がついているため、『勇者』という正義の味方を利用するためにも『合わせる』必要があった。
(まったくぅ。無駄に消耗したくないんだけどねぇ)
内心ぼやきながらも暴徒の意識を刈り取った、その瞬間であった。
ドッゴォンッッッ!!!! と。
一つ一つを識別できないほど無数の超常の濁流が『勇者』を薙ぎ払った。
「今のはぁ、まさかぁ!?」
ドンッ! と。
アリス=ピースセンスの目の前に降り立つ男が一人。その男は『勇者』を薙ぎ払うほど無数の超常を宿した王であった。
すなわちゾーバーグ=ヘグリア=バーンロット。
この国の王にして、アリス=ピースセンスの父親である。
ぼそり、と。
殺意が、溢れる。
「コロセ」
「チッ! 呆気なく呑まれやがってぇ! 仮にも一国の王のくせにぃ!!」
有象無象のそれではない、一国の頂点に君臨するだけの暴虐がアリス=ピースセンスへと襲いかかる。
ーーー☆ーーー
ドガァッ!! と森の奥にひっそりと建つ建物へと彼女は突っ込んだ。壁を蹴り砕いた彼女は左脇に『衝動』に呑まれてジタバタ殺意を漏らすメイド長シーズリー=グーテンバックを抱えていた。
『魔の極致』第八席ノールドエンス。
かつては巨人としてシルバーバースト公爵家本邸の地下に封じられていたはずだが、その身体は美しい女のそれであった。
やり直しのスキル。
死した肉体を再構築する体質と淫魔と同化していたことが影響しているのだろう。
と。
ドスッ! とノールドエンスの背中に衝撃が一つ。
黒のドレスを身につけた、真紅の瞳に金髪の少女であった。どこから持ち出したのか包丁を両手で持ち、ノールドエンスの背中に突き刺そうとしているようだが──魔族の身体にそこらの刃物が傷をつけられるわけもない。
んっんーっ! とぐいぐい刃物を押しつけてくる様子にノールドエンスは『ミーナを虜にするだけあって可愛いものねえ。まあ私の美には敵わないにしても!』と胸を張り──そのまま真紅の瞳に金髪の少女、すなわちセシリーを押し倒す。
ドッガォッッッ!!!! と。
彼女たちの頭上を何かか突き抜けたかと思えば、小屋そのものが跡形もなく消し飛んだ。
純粋な魔力の掃射。仮にも『魔の極致』第八席たるノールドエンスが回避を選ぶほどの暴虐。
それすなわち、
「来たれ、コロセ。出でよ、コロセ! 集結せよ、コロセェ!!」
眼帯、ゴスロリ、真紅のマント、龍の紋様が刻まれた大剣、怪我してないのに両腕に巻かれた包帯、漆黒の十字架や髑髏などの形をした装飾品等々を身につけたちんちくりんな女の子、『魔の極致』第九席ミュウ……だけでなく、総勢七十二もの悪魔が魔法陣より這い出ているのだ。第八と第九、単体での戦力だけならば第八たるノールドエンスが上回っているのだが、七十二もの悪魔が追加されているために戦力差が逆転していた。
七十二という数を刻みし悪魔の群れ。
その全てが殺意でもって狂い、殺しをばら撒く。
「まったく。メイド長なりミーナのお気に入りなりが呑まれるならともかく、『魔の極致』までとはねえ。まあ『衝撃伝送』がなかったら今頃そんな有様晒していたかもだけどねえ」
ノールドエンスは衝撃の伝播効率を何倍にも増幅、あるいは操作するスキル『衝撃伝送』を持つ。ここで定義されている『衝撃』とはより広く捉えることができる。
例えば洗脳。精神へと特定の『衝撃』を加えることで外から変異を促す力の流れを増幅、あるいは操作することもできるのだ。
ゆえにノールドエンスに外部から精神に干渉する類の超常は通用しない。操作し、受け流すことができるのだから。
とはいえ『衝撃伝送』を発動するには術者が触れる必要があるし、常に『衝動』を浴びせられ続けている連中を解放するには常に接触する必要があるのだが。
敵が七十二プラス一である以上、『衝動』から解放するのではなく無力化する必要があるだろう。
「とりあえず私が死ぬのを前提としても──メイド長とミーナのお気に入り、守れる気がしないわねえ。いやはやまいったわねえ。ただ死ぬならともかく、この二人死なせたとなれば後でミーナに生き返りの体質ごと粉砕されるんじゃないかねえ」
吐き捨て、そして。
ブォッバァッッッ!!!! と。
『魔の極致』第九席及び七十二に及ぶ悪魔が突如吹き荒れた純白の炎に煽られ、薙ぎ払われた。
代わりのようにだんっ!! とそれは降り立った。
ピンクのフリフリに白のもふもふを加えたドレス姿の女、すなわち『魔の極致』第五席ルルアーナが、だ。
「ルルアーナ……? でもお前に通常のはともかく、増幅された『衝動』を受け流すなり無力化する力はなかったような???」
「その、通り……だゾ」
ぶぢぃっ!! と。
唇を噛み千切り、ルルアーナは吐き捨てる。
「だから、限界、が……きて、シーズリー様、に危害を、加える、前には……死ぬ、んだゾ。だから、こそ、その前、に……シーズリー様を殺さんとする、因子、は、皆殺し、にするって、こと、だゾ」
「ふうむ。これもまた『好き』、か。あのミーナを変えたほどの神秘であれば、そのような奇跡も起こせるということかねえ。まあいつまでも保つ訳でもないようだけどねえ」
くつくつと喉を鳴らし、セシリーとメイド長をまとめて左肩に担いだノールドエンスが逆の手を伸ばす。
ぽん、と。
ルルアーナの肩に触れて、『衝動』という名の衝撃を逸らしたのだ。
「では奇跡などに頼らず、純粋に超常にて解決するかねえ。異常増幅された『衝動』は私が、暴走したミュウたちはルルアーナが、それぞれ対処すればいいってねえ。ルルアーナならばいかに七十二の悪魔が追加されたといっても、第九席に負けるわけないだろうし、ねえ」
「へえ。格下も使いようということなんだゾっ。よもやノールドエンスのカスみたいなスキルにそんな応用の仕方があるだなんて知らなかったんだゾ!」
「ハッ! さっきまでひいひい喘いでいたくせに生意気なガキねえ」
「ふっふっ! 自分一人じゃ確実に殺されるからと頼ってきたくせに生意気な奴なんだゾ!! 単体じゃ悪魔の群れに粉砕されるだけの雑魚は大人しく雑用係として働いていろって話なんだゾ☆」
直後。
七十二という数を刻みし悪魔の群れが襲いかかってきた。
ーーー☆ーーー
殺意が暴走する。大陸中の生命が促されるがままに殺し合う。『衝動』。たった一つの囁きによって。
そして。
そして。
そして、である。
ズズン……ッッッ!!!! と。
大陸中に迸った力の波動が大陸中の生命の意識を刈り取った。
意識という概念へと『干渉』、己が力の波動を解放することで殺すことなく無力化した、というわけだ。
そんな芸当ができる者となれば、一人しかいない。
「……、さて」
『魔王』ミーナ。
魔族の少女はゴギリと首を鳴らし、そして。
ぐにゅり、と目の前の景色が歪む。
そこから出てきたのは額からはねじくれた赤いツノを伸ばした、白と黒が渦巻く不可思議な瞳の女であった。
『魔の極致』第三席ネフィレンス。
異常増幅された『衝動』をいつかどこかで手に入れた『力』で凌ぎ、先のミーナの一撃から世界を跨ぐことで逃れた魔族である。
「ミーナ、早く逃げるわヨ! これはマズイ、私チャンでもミーナでもどうしようもなイ!! だっテ、敵は私チャンたち魔族の生みの親たる怪物ヨ!! 魔族がどう生まれたかを考えれバ、力の差は理解できるハズ!! だかラ、だかラ! この世界は諦めテ、どこか他の世界に逃げるわヨ!!」
「それはできません」
「なんデ!?」
「セシリー様が悲しみますから」
「ハァ!?」
「アタシとしては大抵の生命がどうなろうとも構いませんが、セシリー様はそうではありません。この世界の生命が消えてなくなったとなれば、必ずや悲しみます。ですので、守ります。この世界に住む生命を維持することで、セシリー様の笑顔を守る必要があるんですよ」
「だからっテ! 表の世界という封印から這い出てきつつあるあのバケモノに勝てるわけないじゃなイ!! 私チャンたちはあのバケモノの残滓から生まれたモノ、クソッタレな『衝動』も含めテ、あのバケモノにとっては捨てても問題ない残りカスなんだかラ!!」
「だとしても、です。ちょっと生みの親ぶち殺してきますので、その間セシリー様のことよろしくお願いします」
平坦な声音で淡々と吐き捨て、そして──バギィン!! と空間を引き裂き、裏の世界へと足を踏み入れる。