それはかつて魔王さえも蹂躙せし猛威
アリアとエリスの攻防はあくまで敵を退け、ケーキやジュースを奪う隙を作り出すためのものであった。仲良し決定戦。イチャイチャできる口実作りにと参加した催しモノをサイケデリックな赤で染め上げようとまではいかに好戦的な彼女たちも考えていなかったというわけだ。
だから。
なのに。
ゾゥア!! と。
炎と風の剣がアリアの首めがけて振るわれ、漆黒の剣の切っ先がエリスの心臓めがけて突き出された。
「「ッ!?」」
それは刹那の攻防であった。目の前の敵との、ではない。己の内で荒れ狂う『何か』との、だ。
ボッバァ!! と炎の内側に潜り込んだ風が指向性を伴って爆発、吹き荒れた衝撃波は正確に持ち主たるエリスだけを薙ぎ払う。
ゴギリッ!! と漆黒の剣を持つ手を逆の手で掴み、へし折る。手首から折れた手の力が抜けて、漆黒の剣を手放す。
吹き飛んだエリスへと相方の小柄な少女が心配そうに駆け寄っていくのを見ながら、アリアは舌打ちをこぼす。
(私とあいつだけじゃないのは気配でわかるです。それでいてあいつの相方は影響なさそうですね。平凡な少女に見えるですが、本質は私さえも完全には抑制できないものを完全封殺するほどにえげつないのかもしれないですね)
「づっ……。今は他人なんて、どうでもいいです。関係ないことに目を向けて、問題から逃避するだなんて本格的に追い詰められているかもしれないですね」
と。
舌に損壊を癒す力を持つアリアの相方、リアラーナが駆け寄ってきた。
「アリアさん、大丈夫!?」
「なん、とか……ですね。いつ、耐えられなくなるかは、わからないですが」
「わっ!? 手首折れちゃっているじゃんっ。今治すから!!」
「いえ、どうせなら四肢を折ったほうがいいかもしれないです。リアラーナは損壊を癒す性質に助けられているようですが、その舌で私たちを蝕むものも癒せるか、どうかはわからないですし。……患部がどこか不明な以上、癒せるとしても……届くかどうかわからないんですよ」
「え、え? 何言ってるの!?」
「ああ、でも……リアラーナを安全な場所に移動するまで守る必要があるですし、私を潰すのはその後にしたほうが良さそうですね」
瞬間、であった。
ゴグベギバギゴドバゴンッッッ!!!! と広間に集まり、今の今まで仲良し決定戦を観戦していた百を軽く超える観客たちが密集しているのを幸いと拳や足を振り回し、ぶつかりはじめたのだ。
喧嘩や暴動なんてレベルではない。まさしく殺し合うレベルの激突であった。中には兵士や冒険者も混ざっていたため、腰に差していた剣などを使って早速死者を出しているほどである。
「な、なに、なにこれ!?」
「やっぱり、こうなるです、よね。私やあいつ、でも……押さえつけるのが精一杯な『何か』に、一般人が耐えられるわけないですし」
ーーー☆ーーー
ミケは猫の因子を組み込んだ獣人であった。
薄い灰色の長髪に強気そうなキリッとした鋭い目元、大陸の外より伝来したダークスーツをビシッと着こなした上で、ぴょこんと毛並みの良い灰色に覆われたネコミミが頭上で存在感を示すグラマラスな八歳児である。
……色香たっぷりな見た目のくせに八歳児というのだから人体とはかくも不思議なものであった。
キアラとミケの出会いは偶然で、それから多くの関わりがあった。服屋で互いに好きな服を着せ合ってああでもないこうでもないと言い合ったり、若者に流行りの甘味処でカラフルな甘味に舌鼓を打ったり、ミケの友達という無数の動物たちとおいかけっこをしたり、二人しかいない宿から星空を眺めながら眠りについたりと、本当に色んなことをしてきた。
だけど、本音を言えば、だ。
キアラにとって行為そのものは別に楽しいものではなかった。
今とは違う景色が見たいからと他者を殺してでも経験値を稼ぎ、遥か頂にのぼりつめようとしていたキアラである。いかに『衝動』による後押しがあったとはいえ、選んだのはキアラ自身。そんな道しか選べないバケモノが今更甘ったるく退屈な日常のアレソレで心を動かすわけがない。
刺激なんてロクになくて。
行為そのものに価値なんて見出せなくて。
だけど、だけど、だ。
『にゃははっ! キアラと遊ぶのは楽しいにゃあ!!』
そう言って笑うミケの姿に、胸が高鳴った。
行為そのものに価値なんてない。一人で同じことをしたって何も感じなかっただろう。
ただ一つ、ミケがそばで楽しそうに笑っていたからこそ、キアラの胸は高鳴っていた。
行為そのものは何でもなくとも、誰と一緒かで見える景色が劇的に変わったのだ。楽しいと、殺し合いの時には全く感じられなかった感情が胸の奥から溢れていた。
そう。
これこそミーナが言っていた『好き』なのかもしれない。
ーーー☆ーーー
「が、ぁ……くそ、が」
このままではアリアを殺してしまうと己の武器を爆破、距離を取るために衝撃波を一身に浴びたエリスは焼け爛れた身体を無理に動かし、立ち上がっていた。
と、
「お姉ちゃっ、ばかあっ! なにやっちゃってるのお!?」
「ミリファ……大丈夫? 変な感じしない???」
「自分の炎にぶっ飛ばされたお姉ちゃんに言われなくないって! わたしはいつも通りだよ、ばーかっ!!」
「戦闘力を持っている奴に限定している? それにしては観客たちは例外なく捉えられているみたいだけど……おっと」
ブォッバァ!! と。
無意識のうちに妹へと伸びていた左腕を右腕に纏った炎で真横に吹き飛ばす姉。
抉れるほどに焼き爛れた左手をぷらぷらと動かし、エリスは言う。
「油断も隙もない。殺せ殺せってうるさいことで」
「なに、なん、何やってるんだよお!! 腕、お姉ちゃん、腕がっ」
「そんなことより」
「そんなこと!?」
エリスの右手が霞む。
と、いつのまに壇上まで上がっていたのか、冒険者らしい三人の男がエリスに向かって剣を振り下ろそうとしており──纏めてエリスの右腕から迸った暴風を受けて薙ぎ払われた。
「ここから安全に逃げ出さないとね」
くふふ☆ とレイ=レッドスプラッシュ、あるいは元『魔の極致』第七席という異例の経歴を持つ公爵令嬢は甘く微笑んでいた。
微笑みながら、己の右腕を引き千切っていた。
「れ、レイさーん!?」
「ピーチファルナちゃんは……大丈夫そうでごぜーますね。超常無効化フィールドがあるでごぜーますし、当然でごぜーますか」
「超常無効化って、え? いきなりの乱闘って超常関与しちゃっている感じ!? ってそうじゃなくて、腕を千切って、なんで!?」
「殺しそうになったからでごぜーます。まったく、『好き』で振り払ったはずのクソッタレをぶつけてくるだなんて悪趣味でごぜーますね」
吐き捨て、そしてレイ=レッドスプラッシュは視線を少し離れたキアラへと向ける。顔馴染みではあるが、『魔の極致』において仲間意識なんて皆無だったため捨て置いていたが、
「力のほとんどを捨てた元第七席よりは使えるでごぜーますかね?」
そんな風に呟きながら、ピーチファルナを抱きしめるレイ=レッドスプラッシュ。わひゃわひゃ言っているピーチファルナを抱きしめるのに理由なんて好きだからで十分であるが、他に理由があるとすればピーチファルナが持つ近距離作用型超常無効化フィールドで己が身体を蝕む懐かしのクソッタレを振り払うためである。
ーーー☆ーーー
結局、キアラの一生のほとんどに意味なんてなかった。魔族は生まれた頃に他者を殺す『衝動』を宿している、なんて言い訳だ。『好き』を筆頭に何らかの生きる目的を見出した魔族は『衝動』に生き様を左右されることはないのだから。
今とは違う景色が見たい。その末にキアラは一度世界さえ消し飛ばした。その中にはミケだって含まれていた。そう、キアラは一度己の意思でミケを殺したのだ。
結果としてミーナがなかったことにしたため、その罪は誰に知られることはない。だけど、己が所業が消えてなくなったわけでなく、またキアラの本質が変わったわけでもない。
キアラは『好き』を知った。
だが、極大のバケモノであるという本質が変わることはない。
ーーー☆ーーー
ゴグシャアッッッ!!!! と骨と肉が砕ける嫌な音が炸裂した。
「あ」
キアラは内から湧き出るクソッタレな激情を押さえつけようと唇を噛み締めていた。そう、己が内側に意識を集中させており、それ以外に構う余裕はなかった。
『衝動』。
最近はミケと一緒にいる楽しさで忘れてさえいた人を殺したい激情が膨れ上がったのだ。
どういう理屈かは不明だが、突如発生した乱闘もまた『衝動』に蝕まれたからだろう。観客たち全員が魔族であるわけもなし、何らかの超常が『衝動』を植えつけたと考えられる。
つまり。
つまり、だ。
「あ、あ……」
『衝動』はミケをも蝕んだ。普段から慣れており、また能力を失いながらも未だ絶大な力を持っているがために多少は耐えられているキアラと違い、兵士とはいえそこまでの実力はないミケは『衝動』に呑み込まれた。
ゆえに、ミケはすぐ近くの生命を殺さんと襲いかかった。つまりはキアラへと、だ。
「あ、ああ、あああああ……」
もしもキアラが殺しさえも知らない純真無垢であったならば。
もしもキアラが日頃から敵の損傷さえも許せない精神性の持ち主であったならば。
もしもキアラが己のためなら世界を滅ぼすような極大のバケモノでなかったならば。
襲いかかってきた誰かを反射的に迎撃することもなかっただろう。反射的に、何か思うこともなく、ただただ邪魔だからと薙ぎ払うことなんてなかったのだ。
相手がミケであると気づくのが遅れたのは増幅された『衝動』に気を取られていたからだろう。相手がミケ以外であったならば薙ぎ払った後も特に何も感じなかっただろう。
そんなバケモノだから。
本質的に他者がどうなろうが何も感じないバケモノが自由に世界を闊歩しているせいで、ミケは適当に振るわれた暴虐に粉砕された。
何十メートルも吹き飛び、近くの建物の壁に叩きつけられたミケの腕は曲がってはいけない方向に曲がっていた。口の端からはだらりと鮮血が垂れていた。
すぐにでも治療しなければならない。だけど、キアラにはその力はない。ミーナに能力を消されたから、というのもあるだろうが、そうでなくともかつてのキアラは経験値の全てを破壊系統の力にのみ割り振っていて、治療系統の力なんて微塵も会得していなかった。
普段から他者を気遣うことができて、手を差し伸べられるような精神性の持ち主ならば傷を癒すための手段を持っているだろうし、そうでなくともどこに頼りどう動くべきか思い至ることができただろう。
そんなの。
人を殺し、破壊を撒き散らすだけのバケモノに分かるわけがないではないか。
「あ、ァああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
何か、キアラの中で芽生えていたものが軋み、砕ける音がした。