第四話 オルトロス
「だ、旦那!オルトロスから逃げ切るのは無理ゴブ!もう追い付かれるでゴブ!」
アルバはチラリと背後を窺うと、確かにもう直ぐそこまでオルトロスが迫ってきていた。
舌打ちをしたあと、アルバは面倒臭そうに答えた。
「っ、仕方ねぇな…!おいウザイ!お前戦えるか!?」
「へい、戦えます。弱いゴブけど…」
「それで結構」
アルバはウザイに近寄る。
その行動を不審に思ったウザイが冷や汗をかく。
「まさか、あっしを囮に使うんじゃ…」
しかしウザイの言葉を食い気味にアルバが遮る。
「するかよ!いいか、作戦は挟み撃ちだ!」
アルバか急ぎ簡潔にそう伝えるや否や振り向いて立ち止まり、オルトロスと対峙した。
「ちょっ!?旦那!」
理解が遅れたウザイは、少し走った後ようやくアルバの言った作戦を飲み込み、行動に移す。
ゴブリンにとって、オルトロスは脅威的な存在に変わりなく、ウザイも非常に恐怖を感じている。
はっきり言って、このまま逃げてしまった方が身のためだ。だが、目の前でいま、剣一本で必死にオルトロスを食い止めているアルバの背中を見てしまっては、どうしてか逃げる選択肢は薄れていき、むしろ勇気が湧いてくるのだ。
「旦那は、勝てるゴブか!?」
ウザイはオルトロスの背後を取った後、アルバに向けて質問をした。
なぜ質問をしたかと問われれば、ここで加勢すればもう後退くことができないと悟ったからだ。
つまり、「本当に勝機はあるのか」とアルバに期待や希望を込めて質問したのだ。
「ふんぐぬぬッ…!ある!!」
右手の剣で一つの首を、左手で二つ目の首を力ずくで押さえ付けながら、アルバはしっかりとそう答えた。
それを聞いたウザイは黙って頷き、その手に持つ棍棒を思いっきり振りかぶった。
「ギャインッ!」
臀部の位置に渾身の一撃をお見舞いされたオルトロスは堪らず悲痛な声を漏らす。
身体をやや仰け反り、その痛打を与えたウザイのことを睨んでしまった。
「よくやった…ッ!」
この瞬間を待ち望んでいたアルバは、即座に攻撃に転じた。
真っ直ぐ、直線の軌道を描きながらその剣はスッと降り下ろされた。
その途中に、オルトロスの首が有るのにも関わらずにだ。
一切の抵抗を許さず、切り落とされた首からは、やや遅れて血が吹き溢れた。
声にならないような悲鳴を挙げるオルトロス。一つ残った頭と身体でその壮絶な痛みを表現している。
だが、それもまた隙有りだ。
「ギャンッ…」
一つ小さな断末魔を挙げたオルトロスはその後力なくその場で動かなくなる。
その残った首には、アルバの剣が突き刺さってきた。
「やっぱり、旦那は強いゴブ…!」
ウザイは、ゾンビの死体の中央に立っていたアルバの姿を思い出す。
やはり、あの時に感じた強者の雰囲気は間違っていなかったんだと。
ウザイは感動すら覚えた。
「はぁ、はぁ、まぁ俺一人じゃあちょっと厳しかったがな…」
息を整えつつ、アルバ呟いた。
だが、それは余りにも小さく、ウザイには良く届かなかった。
「なにか言ったでゴブか?」
「…いいや、何でもない」
剣を抜き取り、そのままの剣でオルトロスの胸部を切り裂き、内部にある魔石を取り出す。
「ただ、そうだな…さっきのは良い一撃だった」
アルバはオルトロスから剥ぎ取った魔石を見つつそう言った。
ウザイはその言葉を聞くと、喜び跳びはねた。
時刻は夜。
結局、アルバとウザイは別の洞窟を見つけてそこで身を休めた。
食料は道中で見付けた果物や木の実、それとオルトロスの肉だ。
だが、それらが必要なのはゴブリンであるウザイだけで、アルバはオルトロスの魔石を食べることで生命?の維持には事足りていた。
ちなみに、ウザイは魔石に関して「旦那のお陰で倒したも同然だから、旦那の物だゴブ!」と言い、貰うのを拒否していた。
暗視が効き、睡眠要らずなこの身体を便利だなと感心しながら静けさが広がる洞窟の外を見張っていたアルバに、ウザイが声を掛けた。
「…旦那に、言わなきゃいけないことがあるゴブ」
神妙な面持ちのウザイがそう言ってきた。
「どうした?」
「…アルバの旦那には、最初はあっしは『迷子になった』と言ったでゴブね。…覚えているゴブか?」
「そりゃあ今朝のことだからな、覚えている」
「…実は、それは嘘だったんでゴブ…!」
ここで殺されるかもしれないという決死の思いでウザイは告白をしたのだが、アルバの反応は意外にも薄かった。
「あぁ、そうだと思ったよ」
「!?」
予想外だと言わんばかりの表情のウザイ。
どうやら、アルバは最初からウザイが迷子になったとは思っていなかったようだ。
だがまぁそれは当然と言えば当然のことで、森に住む魔物がそう簡単に迷子になるなんて話、疑ってくれと言われているようなものであるからだ。
「そ、そうだったんでゴブか…」
衝撃の事実に力が抜けるウザイ。
「旦那は、やっぱり、あっしを殺すでゴブか…?」
恐る恐るそう聞いてみた。
ゴブリン族は、人族とは簡単に殺してくるものだと教わっているからだ。
アルバはウザイの方を見て、答えた。
「もし、お前を殺す気があったなら、最初から殺していた。オルトロスとの戦いの時だってそうだ。いつでもその首を狙う隙はあった」
「つまり、旦那は…許してくれるでゴブか…?」
「…いいや、許さない」
「え…!?」
話の流れからして許しを得たものだとどこか安堵していたウザイは急に緊張の縁に立たされた。
しかし、次にアルバが言った言葉でその緊張が大きく緩む。
「俺が許さないのは、お前が俺に隠し事をしていることだ。…何か、理由があって俺に近付いたんだろ?」
ウザイは見透かされたような感覚になる。
だが、それはどこか安心感すら覚えるものであった。
ウザイは正直に答えた。
どうしてあのときアルバに近付いたのか、どうして独りで森をさ迷っていたのかを。
「――…つまり、お前の家族や仲間、集落がオークらに襲われて大変だと、それで、強い奴をそこに連れていこうとしていたのか?」
「そうゴブ。黙っていたのは、本当に申し訳ないゴブ。…本当は、何も説明しないまま連れていくつもりだったゴブ…」
「…そうか、まぁ正直に話してくれたし、別にいい」
「それじゃあ…」
ウザイはアルバに助けを求める視線を向ける。態とではないにしろ、アルバはそのウザイの眼を見てしまったので、助けに行かない訳にはいかなくなった。
「わかった。行こう…!」
アルバとウザイは翌日、ウザイの集落へ向かうことになった。