婚約破棄は相手をよく見てからするように
賑やかでいて手を伸ばせば星に届くのではないかと思うほど、天候にも恵まれた夜会。
そこかしこで陛下の誕生をお祝いする祝辞や贈り物がやりとりされたり、ダンスを楽しんだり、久々に顔を合わせる面々と会話を楽しんでいるのがわかる。
このような心踊る雰囲気は若い娘時代以来だと私も頬が緩み、気をも少し弛めていた。
ふと、見慣れた青年がこちらに向かってくるのが見え、私は更に気分が高揚するのを感じた。
「あらまぁ、殿下。お久しゅうございます」
「……ふん、相変わらず上っ面だけはいい女だな」
一瞬、何を言われたかわからなかった。私がそうであるなら周りにいた者たちもそうであろう。
まさか私がこのような事を、この青年に言われようとは。
だが私が固まってしまっている間にも青年は更に失言を重ねていく。
「貴様は私が知らないとでも思っているのだろうが、貴様がしでかした悪事は全て知っているんだからな」
「貴様はレイヴァンス嬢を事ある毎に虐げ、傷つけ、挙げ句の果てに暴漢に襲わせようとした」
「そのような残酷かつ汚い女は王妃にはできん!私はこの優しきレイヴァンス嬢と新たに婚約を結ばせてもらう!!貴様はとっととあの田舎国家に帰るがよい!」
こちらが話せないのをいいことに、一気にまくし立ていつの間にか側に立たせていた貧相な娘と抱き合い悦に浸る彼に、私は握っていた扇を取り落とし怒りに体を震わせました。
ああ、ああ。何という事!
散々吟味して選び抜いた殿方がまさかこんな酷い低俗で目も当てられないような質の男だったなんて!
「誰か!誰か来てちょうだい!この無礼者を、今すぐに私の前から下げるのです!ああ……。酷い言葉ばかり聞かされて気分が悪くなったわ、我が王、ノーティラスも可能ならば直ぐにこちらに来るようにとお願いして」
あれだけ和やかであった場が当然のように騒がしくなり、周囲にいた者たちが顔を青くしたり眉を顰めたりなどしだす中、直ぐ様私の言葉を聞いた我が国の者たちが無礼者どもを取り囲んで縄を打ってくれる。
その際また騒がしくなるが、私にあのような恥知らずな行いをしたのだ、我が兵たちも黙ってはいまい。
そしてそれからあまり経たぬうちに騒ぎを聞きつけた我が夫とこの夜会の主催者でありこの国の王であるスブェラーナ王とその妃であるキャサマリナン妃が駆けつけてくれた。
スブェラーナとキャサマリナンには目もくれず私が夫に先程自分がかけられた言葉、そして示された態度について話していくと夫も徐々に徐々に顔を赤くして怒りに震え始めた。
「一体、どういうつもりだ!我が妻、ディアマンテと我が娘を侮辱するとは……!事と次第によってはただ事では済まさぬぞスブェラーナよ!!」
私と夫の怒りに染まった顔、それに付随して国より連れてきた侍従や護衛の者達も殺気立つ。
それにあてられあちらの王妃は失神してしまった。いや、自分の息子が他国の王妃、しかも婚約を結んでいるはずの姫(娘)の母である私に向かって無礼を働いたなどという話しが出たのだ。
それを聞かされて動じないものなどいないだろう。
「おま、お待ち下さい。そのような事をするわけが……。何か間違いか思い違いがあったのでは……」
「ええ、ええ。私もまさかこのような行いをされるとは夢にも思いませんでしたわ。嘘だと思うのなら聞いてご覧下さいまし、ご子息が私にどんな言葉を投げつけたのか。周りで聞いていらした方も多いでしょう」
殊勝にも子息を庇おうとした王に私が厳しくそう返せば面白がった見物客と、先程私が受けた扱いをここぞとばかりに報告して下さる方々。
どちらに非があるかは明確。
加えて戦争にも発展しかねないような空気が蔓延しだしたのならば、いつ裏切り掌を返すかわからないような王子を育てあげるような国より、まだ信用に値する我が国に加勢した方が得ですもの。
おかげで皆さんお優しい限りで嬉しいですわ。
事を起こした王太子は拘束され、己の国の王が現れて尚喚き騒がしかったけれど話の流れから漸く自分が何をしでかしたのかわかったと言わんばかりに顔面蒼白となって、唇を戦慄かせています。
本当に、こんな仕打ちを受けたのが私で良かった。
目に入れても痛くはない程に愛している娘にこんな思いをさせるなんて、私には耐えられない。
生まれてくる際に逆子となって危うく命を落としかねなかった娘。何とか産み落としはしたものの二、三日程は生死の境をさまよった。あの時の気が狂いそうな思いはもう二度とごめんだ。
神のみならず悪魔にさえ私が代わりとなるからどうかあの子を連れて行かないでくれと願った日々。
食事も喉を通らず、ふとした瞬間に涙が溢れ咽び泣いては呼吸すらままならない。生きた心地がしなかったとはまさにあの時の事でしょう。
ああ、しかしこのような場で騒ぎを起こすような輩の元へ知らなかったとはいえ娘を追いやっていた事は変わらない。
きっと普通ならばしなくともよい心労も多く重ねてきた事だろう。傍若無人で、怒りに任せて手をあげていたかもしれないような血の気の多いあの馬鹿な男だ、気の弱い娘をいいように振り回してきたに違いない。
そう考えては何故もっと早くに気付いてやる事ができなかったのかと不甲斐ない思いに己を責めるばかりである。
帰ったなら娘とよくよく話し合おうと誓いながら私はまだ夫と話すあちらの王との会話に口を挟んだ。
「こちらの国のご意志、それにこちらの流儀は嫌という程にわかりましてよ。今回の件、我が娘には私から話します。そしてもっと娘を思いやって頂けるような素晴らしい殿方を必ず見つけだしてみせますわ。……少なくとも若い娘と化粧で年を誤魔化すような年頃の母とを間違えるなどしないような、立派な方をね」
娘は十四、私はもう三十八。そんな私と娘を間違えるだなんて眉唾ものもいいところです。
背格好や顔立ちは似ていても絶対に間違えるはずがないでしょうに。香水やドレスの色味であっても好みが違うのに一体どこをどうすれば娘と間違うのだ。
それにさえ喜びでなく止めどない怒りが湧く。
愛しい愛しい、私の娘に対し何たる侮辱の数々。全くもって許し難い。業腹ですわ。なかなかに収まらない怒りにドレスをさばく手や踏み出す足の動きが些か優雅ではないものとなるが仕方ないだろう。
いつまでも無礼ものらと同じ空気を共有したくないと決して振り返らずに会場を離れれば帰り支度を整えて、王の帰りと同時に馬車を出した。
破談の原因は明らかに彼方ではある。賠償金を積んで詫びを入れてくるか、いやしかしあの王子にしてこの親ありと言う事も無きにしもあらずだろう。
万が一に備え戦争の支度もした方がいいかもしれませんわねえ。古の竜様と親交のある従姉様へ報せを放ち、加勢してもらえるかお伺いでもしようかしら。過去の英雄、グネルダお爺様にも声をおかけして……。ふふ、見ていなさい、私の愛娘が受けた仕打ち以上の仕返しをお見舞いしてあげましょう。
end.