ようこそ三ツ時町役場相談課
特に有名人がいる訳でも、特産品があるわけでもない、人口数千人の町。三ツ時町。
そんな三ツ時町には、町内外から人が推し押せる人気スポットがあった。
「ちょっとそれ、アタシのものよ!」
「これはボクが先にとったんです」
パーマを当ててい中年女性が、幸の薄そうな若い男性に向かってタックルを食らわせつつ、言い争っている光景が見えた。
ここは三ツ時町の町役場のロビー。窓口で手続きする人は数えるほどというのに、入り口近くでは黒い人間の大群が、我先にとカードらしきものの争奪戦が繰り広げられていた。
「相談カードはまだまだ数があるので奪い合いはやめてください。あと……、役場内では……ハァハァ……お、お静かに……ぜぇぜぇ」
俺、剛島充は、ぜぇぜぇと息切れをしながら、烏合の大群に向けて自分が出せる最大限の大声で呼びかける。
「早くしろよ! このままだと日が暮れるぞ」
髪にそりこみを入れた若い男性が、俺の胸を強く押す。俺はなす術も無く、その勢いで仰向けに倒れこんだ。その反動でカードは床に散らばり、人々はそのカード目掛けて鬼のような形相で走り抜け、拾った人から記入スペースへと移動していった。
「みっちー、大丈夫かい?」
役場の窓口から同僚の保川が俺に向かって駆け寄ってきて、俺を抱き上げる。
「もう……駄目」
俺はぐるぐると回る世界を感じつつ、かくりと同僚(しかも男)の胸に抱かれながら気絶した。
何故、万年体調不良の不健康優良児でロクに働くことが難しい俺が、こんな嵐のように忙しい人気スポットにいるのか。
遡る事四ヶ月前、俺が町役場に就職が決まった頃の事だ。
入社式前日、人事課の人に役場の応接室に呼び出された。担当者は難しい顔をしながら、こう告げた。
「君は筆記では非常に優秀な結果だった。しかし、体力がほぼゼロに等しい君が働ける部署がなかなか無くてね」
そんなニュアンスの話をされ、俺は入社式前日にまさかの内定切りか、と顔を青ざめて(第三者からは変化が分からない)いると、人事担当の人が口を開く。
「しかし安心したまえ。君にピッタリな部署が一つ見つかった」
その提示されたのが、三ツ時町町役場相談課だった。
***
「何がピッタリな職場だ」
役場内の最深部にある相談課。同僚に運び込まれた俺は、部署にあるソファの中で重い身体を何とか起こそうと試みるが、腕の力よりも身体の重さが勝り、再びソファに飲み込まれる。
「なんじゃ、運び込まれて来たと思えば、新手の遊びでもしておるのか? わらわも混じろうかの」
俺が鈍い動きで声の主の方向を見る。そこには黒髪おかっぱでどこか時代を感じさせる狩衣姿の幼女が濡れタオルと水を持って俺の前に立っていた。
彼女の名前は“美十妃”。この相談課のボスである。
姿は幼稚園児くらいに見えるのだが、実はこの三ツ時町の守り神的な存在である。
しかし、今はその資格を取り上げられて、幼女の姿でこんな場所にいる。
「全く、みっちーが倒れるばかりでは、わらわの完全復活がどんどん遠のいていってしまうばかりではないか」
美十妃はぷんぷんと怒りながら俺のおでこに向けて濡れタオルを叩きつけた。
彼女はまだ守り神だった時代、色々な失態を起こしてしまい、位の高い神々の怒りを買ってしまった。そして、幼女の姿に変えられてしまい、下界に落とされてしまった。
落とした神々が彼女に出した試練は、“一万件の下界の人間たちの相談に乗ること”。
試練を課せられた美十妃は、俺というお世話係(むしろお世話され係)と一緒に三ツ時町役場相談課をやっているという訳である。
「幼女の姿でロビーでのカード配りは、人の目もあるし出来ないから俺が代わりにやってあげているけどさ、よくもあんなに毎回人が押し寄せてくるよね。
そんなに美十妃の回答って人を呼び寄せる何かがあるのか?」
俺の質問に美十妃は少しムッとした様な表情をする。
「わらわの力を見くびってもらっては困るのぅ……。今日だってこの通り、スパパーンと相談に答えてしまう。わらわの能力は素晴らしいものだってことを刮目せよ」
そう言って、美十妃が回答した相談カードを俺に手渡してきた。それに目を通すと、
[Q:恋人が欲しいのですが、どうしたらいいですか?
A:そんなの自分で努力せい。]
[Q:欲しいものが山ほど買える位の金持ちになりたいです。何かアドバイスがあればご指南お願いします。
A:働け。]
等々。酷いQ&Aのオンパレードがそこにはあった。
「俺には毎度の如く、全く答えになっていない答えの数々に見えてしまうのですが?」
美十妃が答える相談への回答は、大体こんな感じの投げ遣りなものが多い。こんな答え方で果たして解決に至っているのか、疑問である。
「いいか、みっちー。相談は聞いてあげることにこそ意義がある。だから、わらわの回答がいくら雑であろうとも、聞いてくれたという事実で人々は満足するのじゃ」
「雑っていうのは、認めるんだな」
俺の指摘に美十妃は目線を逸らす。
「それに、アレだ。ホレ、わらわは、資格は取られようとも一応神様じゃから、この答え一つ一つに言霊を宿らせておる、だから人々に解決の道筋を示してあげているような気がするから大丈夫じゃ。なんの心配もノープログレムなのじゃー」
美十妃はそう言って自慢げに鼻を鳴らす。
「気がするだけかよ。また適当なチート設定を作っているし」
俺のツッコミを美十妃は華麗にスルーし、嬉しそうに語る。
「あと数十件でノルマも達成されて、わらわもやっと真の姿を取り戻せる。この時をどれほど待ちわびたことか。この惨めな姿ともおさらばなのじゃ」
俺がここに来て四ヶ月で、押し押せるように烏合の相談者がやって来て、ノルマも残り少しになりつつあった。美十妃はそのことがとても嬉しいらしい。
「俺はその姿でしか見たことないけど、美十妃の真の姿ってどんなものなんだ?」
俺は椅子に腰掛けて、先ほど手渡された相談カードを封筒に封入する作業の傍ら、美十妃に話しかける。
「わらわの真の姿は、そりゃもうボンキュッボーンのグラマラスなボディなのじゃ。世の男どもが見惚れる位に。みっちーも忽ちわらわの姿を見て虜になってしまうかもしれぬのう。モテモテになってしまったら困ってしまうわい」
「残念ながら、幼女に惚れるほど俺は飢えていないので」
俺はそそくさと作業に打ち込みながら、ズバッと答える。
「全く、みっちーは欲が無さ過ぎて困りものじゃのぅ。お前ほどの欲の無い奴がこの世にいるだろうか、いや、いない。折角、みっちーの願い事もわらわの復活のためにカウントしてやろうと思っておるのに」
美十妃はそう言ってつまらなそうにデスクに腰掛け、置いてあったお茶をすする。音を出しながらお茶を啜るその姿は、幼女というより年寄りだ。
そんな中、ドアのノック音が相談課に響き渡る。
「ん? こんな時に誰じゃ。みっちー見て参れ」
ようやく体力も回復し始めた俺を顎で使う美十妃を少し睨みつけながらドアを開けると、総務担当の職員が俺に一通の手紙を差し出す。
「相談課宛にお手紙です。差出人が書いてないのですが、一応お持ちしました」
俺は手紙を手渡され、それを確認すると、確かに差出人の名前は無い。
「匿名で相談に対する意見かな? とりあえず、受け取ります。わざわざありがとうございました」
俺は総務担当の方に一礼すると、担当の方も一礼して帰っていった。
「美十妃、ここ宛に手紙が来たよ」
俺は、お茶を注いでいる美十妃に手紙を見せる。彼女は俺がやったのと同じように、差出人が書かれていないことを確認する。
「匿名でお礼の手紙かのぅ? 恥ずかしがり屋だとみた」
美十妃はそうウキウキしながら、ペーパーナイフで手紙を開封した。
そこに書かれていたのは、
『相 談 課 ニ 天 誅 ヲ 』
昔のサスペンスばりの新聞の切抜きで作られた文章に、俺と美十妃は青ざめる。
「な、なんじゃ、これは」
「……脅迫文、だと思う」
「なんで、脅迫文が相談課に届いたのじゃ。お礼を言われても、脅迫なんて受ける義理がないじゃろ?」
「美十妃の回答があまりにも適当だったから怒ったとかじゃないだろうか?」
「何度もいっておろう、適当な答えでも解決の方法は自ずと開かれると」
「だーかーらー、その答えで解決しなかったんだよ」
「じゃから、いっておろう……」
そんな不変な言い争いを繰り返すこと三十分。体力の無い俺がついにバテた。
「ぜぇぜぇ……美十妃ストップ。もう、無理」
息を切らしながら俺は再びソファにぶっ倒れる。
「全く、言い争いもろくに続かないなんて、本当に貧相じゃのぅ」
呆れながら美十妃が俺にミネラルウォーターを差し出す。
「ともかくじゃ、こんな手紙を差し出す奴はとんでもない奴と相場で決まっておる。用心しないといけないはずじゃ」
「じゃあ、上に掛け合ってしばらく相談カード配布は中止に・・・・・・」
「それは駄目じゃ。わらわの復活が遠のいてしまうからのぅ」
美十妃は、俺の提案をスパッと切り捨てる。
「よいか? わらわの復活が最優先事項、それがこの相談課の存在意義だからのう。
多分、わらわの存在は一般人には知られていないはず。狙われるとしたら、みっちー、そなた一人だけじゃ」
「そんなぁ……」
美十妃の爆弾発言に、俺は全身の血の気が引いていくのを感じた。
本当に何処がピッタリの職場なんだ、ことごとくツイていないことばかりじゃないか。
パリーン!
そんな時、窓の方からすごい音が響き渡る。俺ら二人が振り返ると、窓ガラスがこぶし大くらいの大きさの石が投げ込まれたことによって割れていた。
俺が割れた箇所から恐る恐る覗くと、植えられた木々の間から人影が走り去っていくのが見えた。
普通の人なら後を追いかけるのだろうが、俺の体力だとすぐ逃げられてしまうとあっさり諦める。
俺は、大きく深呼吸して口を開く。
「もぅ、どうしたらいいんだぁぁぁぁあああああ!」
「みっちー、そんなに叫ぶと酸欠になるぞ」
美十妃の指摘通り、俺は酸欠でフラフラになり、床に座り込む。
「そんなひ弱なみっちーに、いい案がある」
座り込んでいる俺の目の前で鼻を鳴らしながら仁王立ちする美十妃。
「なんだよ、いい案って」
「この紙に相談事を書いてみよ!」
俺の目の前にずずいと出されたのは相談カード。ノルマは手堅く稼ぐつもりだ。
「いや、今は急務であって、相談しても解決するまでに俺の命がもつわけ……」
「つべこべ言わず、とっとと書くのじゃ!」
「は、はいっ!」
美十妃の激しい叱責に、俺は驚きのあまり相談カードに書き込んでしまった。
「うむ、よろしい。そなたの願い、わらわが必ず解決して進ぜよう」
美十妃はニコッと笑顔(営業スマイル)をして、相談カードに回答する。
[Q:脅迫されて命を狙われています、どうしたらいいですか?
A:成せばなる]
「わらわの有難い回答でみっちーも安泰じゃ。よかったのぅ」
これもまた、雑な回答で締めくくられていて、俺は落胆する。
「解決するより先に俺の命が無くなるのは絶対的になってきたな」
「これでも不満というなら、わらわも同伴で帰宅してもよいぞ? そろそろ終業時間になろうとしておるし」
美十妃の言葉に俺は素で「は?」と返す。
「なんで、素でそんな返しをするのじゃ?」
「だって、美十妃は町役場近くの祠が住まいだろ? 俺の家まで行って祠に帰るのは二度手間だろうし、俺が怪しまれそうだし……」
美十妃は町役場から歩いて一分もかからない祠に住んでいる。しかも、この相談課から直通の隠し通路があるので、人の目に触れられず役場に入ることが出来る。
俺と同伴で帰宅しているとなると、かなり注目されそうな気がする。そして、高確率で俺が幼女誘拐の汚名を着せられそうな気もした。
「誰が祠まで往復するものか。今日はみっちーの家に泊まるぞ!」
「はぁ? ちょっと待ってよ、さらに怪しまれるじゃないか!」
美十妃が俺の家に泊まるとか言い始めた。全力で断る。監禁とか罪状がついたりしたらどうしてくれるんだ。
「みっちーは一人暮らしなのじゃろ?」
「一応、一人暮らしだけど」
「なら、従妹とか姪っ子が遊びに来て、ついでに泊まるとか言い出したー。とか言えばなんとかなるじゃろう。わらわもその為なら、みっちーのことを“充お兄ちゃん”とでも呼ぼうかのう? のぅ、充お兄ちゃん?」
美十妃がそう言ってニヤつきながら、俺の腕に抱きついてくるので、俺の顔に蕁麻疹が出現する。ぞわぞわする感覚を耐えながら、美十妃を引き離す。
「やめろって。一人で帰れるから」
「本当かのぅ? わらわと一緒に居たら狙われる確率は少なくなると思うのじゃが?」
「それは、どういう意味なんだ?」
俺の質問に美十妃はコホンと咳払いする。
「この可愛いわらわと一緒にいる所を襲うなんて馬鹿な奴はいるわけないじゃろ? 百歩譲って襲われたにしろ、きっと大事にはならない。わらわがいるからな!」
自信満々に胸を張る美十妃に苦笑いしか返せない。
ここで、一つ思ったことを口に出してみる。
「もしかして、俺が帰った後、美十妃一人だけがココで狙われたら怖かったりするのか?」
俺の一言に美十妃の顔がどんどん紅潮していくのが分かった。
「ばっ、馬鹿なことを言うのはよさぬか! わらわはみっちーのことを思って言っておるだけで、お主がどうしても嫌っていうならわらわは一人で帰ったって……」
「図星だったんだな……」
美十妃があまりにもオーバーなリアクションをするものだから、俺はすぐに悟ってしまった。
しかし、美十妃にしては珍しい言動に俺は不覚にも笑ってしまった。
「何を笑っておるのじゃ! わらわは真剣なのだぞ」
「あまり気が進まないけど、仕方ない。今日だけ泊めてあげるよ」
俺が観念すると、美十妃の顔が明るくなる。
「ほ、本当かぁ! やったー」
嬉しそうにキャッキャと笑う美十妃は、容姿相応の感じだった。
ちょうどタイミングよく終業のチャイムが鳴る。
「では、いざ往かん! みっちーの砦へ」
「砦って……、はいはい、わかりましたよ」
俺は急いで身支度を整えた。
帰り際に相談カードの返信を集荷に来た郵便局のおじさんに手渡す、おじさんが美十妃の姿を見て「可愛らしい娘さんですね。お子さんですか?」と訊ねてきたので、「姪っ子です」と適当にあしらい、俺たちは町役場の職員専用扉から外へ出た。
そのとき、美十妃がくいっと俺の袖を引くので、後ろにバランスを崩しそうになり立ち止まると、空から植木鉢が落ちてきて、ガシャーンと大きい音を響かせ、地面で割れる。
「なっ……」
「悪い予感がして立ち止まってみて正解じゃったのう……。みっちーなら一たまりもなかったじゃろう」
いや、常人でも大怪我するからとツッコミを入れる余裕もなく、俺は役場の屋上を見上げる。やはり人影が見えたが、顔まではなかなか見えない。
「ここは、急いで帰ったほうがいいみたいじゃな。行くぞ!」
「えっ、ちょ、ちょっと、俺、体力が無いから走ったらし……ぎゃぁぁぁあああああ」
美十妃が俺の手首を掴んで全力で走り出す。俺は涙目になりながら走り出した。
十分後、俺の住んでいるアパートにたどり着いた。
「はぁはぁ。ここがみっちーの住んでいる居住スペースか。なかなかのもんじゃのぅ」
かなり全力で走ったのか、美十妃は息切れしながら俺に話す。しかし、俺からの返答はない。
「どうしたみっちー? さっきから静か……って、みっちー!」
美十妃が振り向くと、そこには地面で燃え尽きた俺の姿が映る。
「みっちー! おぬし、誰にやられたのじゃ! まさか、今さっきのアイツに……。おのれ、わらわの遊び道具をこんな目にあわせおって、許すまじ」
俺は抱き上げられ(本日二回目)、美十妃は、まるで亡き人を見るかのような振る舞いを見せた。
「生きているから、走って疲れただけだから」
俺はぜぇぜぇと息切れしながら、やっとの思いで立ち上がる。
「本当にひ弱よのぅ。そんな事よりもささっ、早く入ろうぞ。みっちーのお宅訪問なのじゃ」
美十妃は俺の家のドアノブをガチャガチャしながら、早く入れろと催促をする。
俺は鍵を鞄から取り出し、開錠する。鍵が開いた扉を美十妃が勢いよく開き、俺の家の中を突入する。感知センサーによって勝手に廊下の電気が付き、家の全貌が徐々に明らかになる。
美十妃の瞳に映ったのは、最低限の家具しかない質素な部屋だった。
「質素じゃのう。これじゃ気分まで質素になってしまう」
もっと派手なモノとか置けぬのか、と家の評価を辛口につけていく美十妃。
「男の一人暮らしはこんなもんだろ、それに家具移動する体力が俺にあるわけない」
美十妃は俺の言葉に、それもそうじゃな、と笑った。
「一つ思ったが、そこまでひ弱なのは栄養が足りてないからじゃないのか? みっちーは一体毎日何を食べておるのじゃ?」
美十妃がそう言って家の冷蔵庫を開けた。そこにはブロック型の栄養食が数箱とミネラルウォーターがびっしりとひしめき合っていた。
「な、なんじゃこれは!」
「何って、俺のご飯」
俺が素っ気無く答えると、美十妃は「そんなんじゃから、モヤシ男になってしまうのじゃ。待っておれ、ちょっと出てくる」と言って、部屋を出て行ってしまった。
数分後、美十妃が戻ってきたが、彼女はパンパンに膨れたスーパーの袋を重そうに両手で持っていた。
「ど、どうしたのそれ」
「もちろん買ってきたのじゃ。さぁて、いよいよわらわの得意技を披露する時が来たようじゃな」
美十妃はそう言って、胸元からたすきを取り出し狩衣の袖が邪魔にならないように掛けていく。そして、キッチンに立ち、包丁を握って深呼吸をする。その後、目にも留まらぬ早業で調理を開始した。
俺の目が追いつかないくらいの早さで食材を切っていく美十妃。その表情は充実感に満ち溢れているような気がした。
三十分後。肉じゃが・大根と人参の味噌汁・ほうれん草の胡麻和え・冷奴という一汁三菜の献立が出来上がった。
「どーじゃ、わらわの腕前は!」
美十妃はたすきを外し、ドヤ顔で俺を見る。俺は出された料理を見て感嘆の声を上げる。
「すごいけど、味はどうなんだ?」
「それくらい食べたら一目瞭然じゃ。ホレ、あーん」
美十妃が肉じゃがのジャガイモを箸でつまみ、俺の口の中へと入れる。程よく浸みたジャガイモが俺の口の中に広がる。
「……あ、おいしい」
「もっと美味しそうに言えないのか?」
俺のワントーンの声に、美十妃はやや不満げな声を漏らす。
「いや、本当に美味しいよ」
俺がやや固めの笑顔で笑うと、美十妃は意外そうな顔をする。
「みっちーでも笑うんじゃのう。初めて見たぞ」
「美十妃は俺のことをなんだと思っていたんだ」
俺の言葉に美十妃は俺から目線を逸らした。
「……ご飯が冷めてしまうぞ、早く食べるのじゃ」
「あ、話題変えてもdもごっ」
俺の意見は有無も言わせず、俺の口には着々と料理が詰め込められていく。
元々小食だった俺はものの数分でギブアップしてしまう。
「まだまだあるというのに、もうお腹いっぱいなのか? しかたないのぅ、残りはわらわが食べるとするか」
そういって、袖口からマイ箸を取り出し、ぱくぱくと食事をし始める美十妃。俺は、満腹故の苦しさから少し苦しそうにしながらその姿を眺める。
「本当にご飯は美味しかったな。何処かで習ってたりとかしていたのか?」
「ん? まぁ……な」
俺の質問に美十妃の表情がやや翳った気がした。地雷を踏んでしまったのかもしれないと危惧したが、すぐに表情が元に戻る。
「一人で暮らしていくが故のスキルじゃよ。みっちーも自炊したらどうじゃ? 健康になれるぞ」
「レジ袋を持つだけでも息切れするから結構です。あ、そうだ。この場だから聞こう」
「ん? いきなりどうしたのじゃ?」
美十妃は、俺のいきなりの質問に箸を止めて目を丸くする。
「美十妃は相談ばかり請け負っているけどさ、そんな、美十妃の願い事って何かあるの?」
「わらわの願い事か……?」
美十妃は箸をおき、暫し考える。
「わらわの願いはこの三ツ時町の皆の幸せじゃ。わらわがやんちゃだった故に皆に迷惑をかけてしまったからのぅ。謝っても謝りきれないくらいじゃ。だから、早く元の姿を取り戻して、守っていきたい、お主のこともな」
そういって、美十妃が俺にいつもとは違う大人っぽい微笑を見せてきたので、俺は不意をつかれてドキドキしてきた。
「おやおやぁ? みっちーの顔が赤いのじゃが、わらわに惚れたのかのぅ?」
図星を突かれ、俺の顔の体温がさらに高くなる。
「ち、違う! もう、眠いから俺は寝る。俺はソファで寝るから、美十妃は俺のベッドを使えばいいよ。じゃあ、お休み!」
俺はこれ以上美十妃に悟られないように、さっさと寝室から薄手の布団を持ってきて、ソファに飛び込んで目を閉じた。
「なんじゃ。からかっただけなのじゃが。まぁ、よい。お休み」
美十妃がそう言ったのを聞きながら、俺は睡眠に入った。
翌朝。俺はソファから落下して目が覚めた。それから、美十妃が用意してくれた朝ごはんを食べて一緒に町役場へと出社する。
出勤途中、近所の人々に隣にいる女の子は誰かとすれ違うたびに訊かれたが、姪っ子ということにしておいた。その度に美十妃が「おにいちゃーん」と執拗に抱きついてくるのはかなり参ったが。
また人気の無いところでは、例の奴が張り巡らせたであろう罠が量産されていた。
「うわっ、これはまた……」
その罠たちを必死に掻い潜りながら俺がため息しか出なかった。
「この罠を作った奴はよほどの暇人のようじゃな。またはそれぐらいの執念か」
俺とは格段に体力がある美十妃は華麗なステップワークで掻い潜っていく。
そんなことを言っていたら、何処かからかダーツの矢が飛んできて俺の顔を掠めていく。
「こんな場合は、【みっちーは特殊な訓練を受けています。よい子は真似しないでね】とかテロップが流れそうじゃ」
「メタ発言禁止」
慌しい出勤をなんとか切り抜け、庁舎に着く。出勤から疲れきった俺を周りは変な目でみていた。
中には心配してくれる人の声もあったが、「大丈夫です」と一言断って、相談課の室内に入った。
中に入った俺は、大きなため息を出す。
「今日こそ出勤に疲れる日は無い」
俺はそういって落胆するのを横目に美十妃は机に向かって、昨日の相談の残りに回答していた。
「人目の付かないところに罠を仕掛けるところをみれば、さすがにロビーで暴れる馬鹿ではないじゃろう。あと二十枚くらいでノルマ達成なのじゃ。カードを持って配ってくるのじゃ」
俺に目線を合わせず、美十妃は回答作業を続けていた。
「へいへい。わかりましたよ。もし、命に関わる何かがあったら美十妃を恨むよ」
「その心意気があれば大丈夫じゃ。はよ行ってまいれ」
美十妃の素っ気無い態度に、俺はムスッとした顔つきでカードを持ち、相談課を出てロビーへと向かった。
一時間後、いつもの如く揉みくちゃにされたが何とか今日は自力で相談課に帰る事が出来たのだった。コレはもしかすると、美十妃の手料理の効果か、などと考えながら、美十妃に回収したカードを手渡す。
「どうしたのじゃ? ぼーっとして」
カードを受け取って俺の顔を見る美十妃は、俺がボーっとしているのが気になったらしい。
「いや、ただの考え事」
「ふぅん。さっ、ラストスパートじゃ。コレが終われば、みっちーと過ごした相談課とはおさらばしないといけないのぅ。相談課も解散じゃ」
美十妃はそう言って机に向かう。
「えっ」
「えっ。じゃないじゃろ?」
俺の素っ頓狂な声に美十妃がツッコミを入れる。
「考えてみるのじゃ。わらわの復活の為にこの課が出来たのじゃから、わらわが復活したらその役割が終わるのじゃぞ? よって解散ということになるのじゃ」
美十妃はボールペンをブンブン振り回しながら答える。
美十妃の言うとおりだ。美十妃の為に設立された課なのだから、美十妃が復活すれば課の存在意義がなくなってしまう。
では、俺はどうなってしまうのだろう?
どの課にも属せないと言われてしまった俺に相談課が無くなってしまったら……。
「このままじゃ窓際族か解雇確定じゃないか!」
「お主は何故そんな方向性まで想像しているのじゃ……」
俺の叫びに美十妃は呆れ返った様子で回答作業を再開する。
「復活まであと少しという気持ちが高ぶって今日はペンが進むのぅ。あと数枚じゃ」
美十妃が楽しそうに回答している様子を俺はソファで眺めるくらいしか出来なかった。
解散。その二文字が俺の頭の中に焼きついて離れない。
今思ってみれば、最悪な職場だったけど美十妃と二人でなんとなくやってきたつもりだった。そのおかげで順調に相談件数を増やして美十妃の復活の手助けが出来た。
最初はこんな仕事とっとと終わらせようとばかり考えていたが、今は、終わらせることが何より心苦しいと思ってしまう。
この感情は一体なんだろう?
「おーい、みっちー? 聞いておるのか?」
美十妃の声にハッと我に返ると、俺の顔をかなりの近距離で美十妃が覗きこんでいた。
「うわっ」
いきなり美十妃が来たので、俺は驚いて仰け反る。
「わらわは必死に呼んでおったのに、いきなりビックリするとはなんじゃ」
美十妃はそう言ってプリプリ怒る。
「折角、最後の相談はみっちーの悩みを聞いてやろうと思ったのじゃが、やめようかのぅ」
「いいのか?」
「お世話になったからのぅ。最後の相談回答はお主にしようと前々から考えておったんじゃ。さぁ。わらわに何でも言ってみよ」
美十妃の誘いに俺は口を開く。
そう、言いたい事は決まっていた。
「俺は……」
そのときだった。
バコーン!
相談課の扉がノックも無しにいきなり開いた。
「へっ?」
俺と美十妃がドアの方向を振り向く。視線の先に居たのは小太りの青年だった。
「相談課に天誅を!」
そう叫ぶ男の右手には三徳包丁が握られていた。かなりピンチである。
「お主は一体何者じゃ。何故にココを狙っておるのじゃ」
「俺は相談課によって人生を滅茶苦茶にされたんだ! だから、お前らを葬って俺も死ぬ」
男はそう言って包丁を振り回しながら、俺たちを奥のほうへと追い込んでいく。
俺は、美十妃を庇いながらジリジリと後ろへ下がる。
「そんな訳がない、わらわの回答は完璧なはずじゃ」
「うるさいっ! お前らが俺の恋路を突き放しさえしなければ、俺の人生は今頃バラ色だったはずなんだ」
男はそう叫んで、机に置かれていた事務用品をなぎ払う。落下音が続けざまに鳴り響いていく。
「分かったぞ。お主、誰でもいいからお嬢様を略奪したいとか書いた不届き者じゃな」
美十妃の答えに男の動きが一瞬ピタッと止まる。どうやら正解だったらしい。
「馬鹿な考えはやめろと書いたはずじゃ。考え直せ」
「よく覚えているな、そんな相談」
俺は美十妃の記憶力に引く。
「不届き者の相談はよく覚えているのじゃ。お主の回答は阿呆すぎて欠伸が出るくらいじゃったわい」
「黙れ黙れ黙れ!」
美十妃の挑発に男はさらに激昂する。
「美十妃、挑発しすぎだって」
「しまった、つい癖で」
美十妃は両手で自らの口を塞ぐ。
「俺の夢を蔑ろにしやがって。俺が苦しんでいるというのに、お前らはのほほんと仕事しやがって、許さない!」
男は包丁を片手に、俺らの方へと走り出す。
「危ない!」
「ほへ?」
俺は必死に美十妃を抱きしめ、うずくまる。
そして、
「しねぇぇえええええ!」
ザシュ。
「ぐっ……」
「なっ。みっちー!」
男の包丁が俺の背中を斜めに切り裂いた。冷たい感触が背中に走るが、やがてそこから熱が発せられる。
力が入らなくなって、俺は床に転がった。
「みっちー。大丈夫か! しっかりしろ」
美十妃が俺を揺らすが、ふと床に視線を落とすとそこには血溜まりが出来ていた。
「すごい出血ではないか、返事しろみっちー」
美十妃の声に返事をしようと思うと思うのだが、思うように身体が動かない。
男のほうは俺の血が付いた包丁を握ったまま立っていた。
「はぁはぁはぁ。俺のことを馬鹿にするからそういうことになるんだよ。馬鹿め」
そんな男のことを美十妃は睨んでいた。
「なんだよ、何だそんな態度はぁ!」
そう言って、男は切りつけられた俺の背中を思いっきり蹴りつける。
「うっ、がぁっ!」
俺はあまりの痛みに表情が歪む。
「……! やめろ、やめるのじゃ!」
美十妃は俺に覆いかぶさるように庇ってくれた。
「……みと……」
俺は必死の思いで声を出す。美十妃を見たとき、彼女の目には涙が浮かんでいた。
「みっちー、痛かいじゃろ。今すぐ助けてあげるからのぅ。さ、わらわに願い事をいうのじゃ」
美十妃は泣きそうな顔で微笑みかける。俺は、ゆっくりと手を使って美十妃の耳元を俺の口に近づかせ、俺は口を開いた。
「 」
俺の願いに美十妃は目を見開いた。
「全く、みっちーは自分が危機に瀕しているというのにそんな願い事で良いのか?」
美十妃の問いに俺は静かに頷いた。
「良かろう。お主の願い、この美十妃が聞き届けた」
その言葉を美十妃が放った刹那。美十妃から凄まじい光が発せられた。
「うっ。何だ」
男が眩しがって包丁をカラン落とす。
ゆっくりと光が減光していき、そこに現れたのは長い黒髪をたなびかせ、極彩色の着物を身に纏った色白女性だった。
女性が現れた途端、男は魂が抜けた感じにボーっとしていた。気力を無くしたように俺は見えた。
脱力した男は相談課からとぼとぼと出て行った。
「あやつには意欲を抜き取ってやったわ。ま、そのうち元に戻っておるとは思うが、このことは忘れておるじゃろうな。これがわらわのチートパワーじゃ」
カカカと笑う彼女を俺はぐったりしながら眺めていた。
「みっちー、お主のお陰で元に戻れたありがとう。そして、スマンな」
彼女はそう言ってポロポロと涙を流す。そして、俺の背中の傷口に手を当てて、治癒させていく。
「みと……き、なのか?」
混濁している意識の中で声を紡ぐ。
「わらわ以外に誰がいるというのじゃ」
「本当に綺麗なんだな」
真の姿は美十妃の言ったとおり、見惚れるくらい綺麗だった。
「今、それをいうのはみっちーくらいなものじゃ」
治癒しながら美十妃はクスリと笑った。
「さて、応急処置は出来た。わらわの千里眼によると、このあと救急隊が突入してくるはずじゃ。今はゆっくり休むのじゃ」
そう言う彼女の身体が若干透けていくように感じる。
「美十妃、透けてないか?」
「おや、気づいてしまったか。わらわはこれから天界に帰るのじゃ。元に戻ってしまったからな」
美十妃はそう言って悲しい顔をする。
「俺は……」
俺は言葉を発しようとするが、だんだんと眠くなってくる。
「案ずる事は無い。だから、今は休め」
美十妃はそう言って右手で俺の両目を覆い被せるように目隠しをした。
「おやすみ、充」
初めてニックネームでなく名前で呼ばれたような気がするが、そんなことを気にする前に、俺は意識を失った。
それから一週間。俺は病院に押し込められ色々と検査を受けていた。美十妃のお陰で大した怪我は負わずに済んで、職場にはすぐ復帰することができた。
だけど、美十妃が復活した為、相談課は当然、解散扱いされていた。俺は、次の部署が決まるまで、相談課があった部屋でカードの送付等の雑務が任された。
相談課が無くなった為、カードを求める人々は来なくなり、町役場は静寂に包まれていた。あれだけ騒がしかったロビーも平和そのもので、町民からは賑やかでよかったのにねぇ。という声まで囁かれていた。
俺を切りつけた男はあの後警察に捕まったらしいが、当時の記憶が抜け落ちていて、保護観察処分になりそうということを風の噂で聞いた。思い出してさらに突撃してくることのないのを懸命に祈るばかりである。
「はぁ、送付作業終わったー。長かった」
俺は美十妃が使っていた椅子で背伸びをする。
「あとは退勤時に渡して、まだ時間があるな」
俺はソファに移動して寝転がる。そして、腹筋をはじめる。
「いちっ、にっ、さんっ……あー、もう駄目だ」
腹筋三回でバタンきゅーと伸びる俺。
「あ。駄目だ駄目だ、もう一回」
そう言ってさらに腹筋を開始する。
俺は、あれから少しでも体力をつけようと、筋トレをはじめた。すこしでも体力がつけば普通のところでも通用するかと考えたからだ。
「六回が限度か。道のりは長いな」
俺がそう言ってソファに寝転がる。
「何の道のりが遠いのじゃ?」
「そりゃ、体力をつけるって……えっ?」
俺はガバッと起き上がって、声の方向に顔を向ける。そこには、
戻っていったはずの美十妃がなぜかワンピース姿で立っていた。
「えっ? 美十妃、えっ?」
混乱する俺に美十妃はニヤニヤしながらこう言った。
「まだ二人で相談課を続けたいんだ」
「ぎゃーーーーー」
美十妃の発言に俺は顔から火を噴く。
「あんなことを言われたからには戻ってくるしかあるまい。いやぁ、みっちーの熱意がわらわにも伝わったぞい」
ニヤニヤし続ける美十妃に俺は顔を覆った。
「さて、三ツ時町役場相談課再開じゃー!」
そう言って美十妃は俺に抱きついた。幼女姿の頃には無かった胸のふくらみが俺の背中に当たる。
「ただいまなのじゃ。みっちー。これからもよろしくな」
嬉しそうに美十妃はそう言って俺をぎゅっと抱きしめた。
「あぁ、お帰り、美十妃」
こうして、再びこのコンビでドタバタ相談珍道中が始まるのであった。
【了】