第五章「「俺の秘密兵器が大変です」
俺たちが住んでいるこの地域に、都合良くAJRAの本部ビルがあるわけではない。
訪ねて行こうと思ったら、新幹線か飛行機を利用したいぐらいの距離がある。
ただ日本各地に競技可能な施設が四つあり、今回呼び出されたのはその内の一つ、
「カルハホール」
である。
大きさは一般的な球場ぐらい――なのだろうか?
ただし元操車場の跡地に建設されたせいなのか、形自体は長方形だ。
このホールまでなら、電車を乗り継いで一時間ぐらいで辿り着くことが出来る。
車でも同じようなものだがAJRAは、迎えの車を寄越さなかった。
今からでも目立つ真似をして余計なところに弱みを握られたいのか? と言われればこれは甘受せざるを得ない。
ちなみにおじさんが幼かった俺を連れてきたのはこのホールだし、それからも何度もここには足を運んでいる。
そういう意味では慣れ親しんだホールでもあるのだが、関係者しか入れない禁断の領域に侵入したのは今回が初めてだ。
そして着いた途端に、俺と龍馬は控え室に案内されることとなった。
*
――とは言っても、控え室に入ってから、さほどの準備が必要になるわけではない。
元々は素人に毛が生えた程度の人間を戦場に送り出すためのシステムがロボメイルだ。
そして龍馬は戦うことに関しては素人ではない。
日曜ではあるが、学生である特権を利用して礼服代わりの制服でこの場に臨んでいた俺と龍馬の表情は硬い。
戦闘前、と言うことよりも結局はイルンのパワーを再現できなかったことが原因だ。
しかし今となっては、それについてああだこうだと言っても仕方がない。
「どうするの? どうするの? このままじゃ普通に試合するしか――」
イルンは言い続けているが。
この場に潤は来ていない。この期に及んで出し渋ったわけではなく、潤が人混みに出ることを怖がったからだ。例の体質のせいらしい。
AJRAが車ぐらい出してくれれば話も違ったかも知れないが、これも今更の話だ。
その代わり、と言っては何だが俺とイルンが同行することとなった。
イルンは通常の装甲板の上から、良く言えばパッチワーク状のコートのような装甲板で変装している。顔はとにかくプロポーションを隠せと指示した結果がこれだ。
サングラスをかけるよりは絶対にマシなはずだ……多分。
「普通に試合するに決まってるだろ。これはもぎ取ったチャンスだ。それにジンの性能が今の一線級のロボットに比べて劣っているとは思えない」
すでに合身している龍馬の強い言葉と――強い瞳。
だが相手はどう考えても武装している。
事実上、丸腰状態のジンでどこまでやれるか……いや、そもそも勝たなければならない試合なのか?
ほとんど流されるままにここに来てしまった俺は未だにそんな事を考えていた。
俺だけが覚悟の定まらないままに、ここまで付いてきてしまっている。
「準備よろしいですか?」
と、AJRAのスタッフらしき女性が控え室に現れた。
「おうよ!」
龍馬が勢いよく応じ、逡巡の時間は終わった。
俺たちは人気のない通路を通り――光の向こう側に瀬草圭介を確認した。
*
光煌めく、二振りのビームブレード。
いつか見たままの合身姿だ。
それに躊躇無く挑み掛かる度胸だけは、さすがの龍馬。
瀬草さんの戦闘スタイルは、あの時と変わりがない。つまり相手の攻撃をことごとく受けきっての守り勝ちを狙うスタイルだ。
しかし龍馬――ジンには武装はない。
結果として龍馬の初手は、とにかく間を詰めるしかない。
だからこそ龍馬は他の選択肢を捨てて、突き進んでいるのだろう。
だが、その距離は――遠い。
観客席で上から観ている時と違い、今のように同じ高さになって横から見ると異常なほどの広さを感じる。
ロボメイルの競技に使われるのは、一辺50メートルの正方形のフィールド。
その周囲を取り囲むの流れ弾を防ぐための透明なフェンス。素材はロボットの装甲板と同じ強度。実はこの素材の存在がロボメイル競技を成立させるための大前提だったりする。
そのフィールド内では、龍馬が瀬草さんに肉薄しようとしていた。
瀬草さんの愛機は、俺たちロボメイルファンには長らくお馴染みの「スクナ」
もちろんバージョンアップを繰り返しているが、それは細部に留まっており、全体的なフォルムに大きな変更があるわけではない。
装甲板の少ない、スピード重視のコンセプト。
しかしそれはジンも同じだ。ビームブレードを発振させないで済む分、身体強化にジェネレーター出力を集中させている分、あるいは有利かも知れない。
そうとなれば強さはは操縦者に依存する――事になるはずだ。
龍馬は今、相手側コーナーに向かってフィールドの対角線を真っ直ぐに突き進んでいる。
この思い切りの良さは龍馬の性格はもちろんあるが、作戦でもある。
「何だかんだで、素人相手にビームブレード振り回すのには躊躇いを持つんじゃないか?」
という、希望的観測が多分に含まれたものだが、完全な的外れでもないだろう。
実際、瀬草さんは足を止めて龍馬を迎撃しようとしているようだ。
だが――いつものスタイル、とも言える。
瀬草圭介の戦術はいつだって守り勝つ、なのだから。
あくまで直線的に突き進む龍馬、そしてその拳も。
生身であれば、その拳ごと両断されておしまいだがこれはロボメイル戦。
貼り付けられた装甲板は伊達ではない。
しかし、ビームソードに拳を叩きつける光景はさすがに見たことが――え?
龍馬が目の前に迫っているのに、瀬草さんがビームソードを落とした?
ビームソードにエネルギー供給をしているのは、もちろん本体のジェネレーターだから手を離した瞬間に、それは柄だけになる。
もちろん龍馬の拳は委細構わずに直進を続け、柄がフィールドに落ちるタイミングと同時に瀬草さんに届きそうだ。
ビームソードの柄が落ちる音。
龍馬の拳が瀬草さんを捉える音。
ガシャン!!
この二つの音が綯い交ぜになって俺の耳に届く。
だが、その内の一つは俺の予想を裏切っていた。
龍馬の拳を瀬草の掌が止めていた。
――なぜ?
という疑問が俺の頭の中で溢れかえる。
瀬草さんの戦闘スタイルでは、決してこういった展開にならない――ならないはずだ。
「パパ、もしかしてこれは試されてるんじゃない?」
イルンの声が聞こえる。
試される?
そりゃ、元々そういう目的で呼ばれたんじゃないのか?
目の前では瀬草さんが龍馬の拳を握りしめた状態で、どうやら力が拮抗しているようだ。
瀬草圭介のロボットは謂わばワークスマシン。それに対抗しているのが、横流しがあったとはいえ16才の女の子が作り上げたロボット。
それが互角ではワークスマシンの面子が――
「――そうか」
そこで俺はようやく、イルンの言葉の意味を理解した。
AJRAの興味は、あの時発したイルンのパワー。
試合をすることが目的ではない。
もっと言えば操縦者にも興味がない。
ただただ、あの時のパワーに興味があるだけなのだ。
だからこそ、イルンを手がけた技術者の最新モデルの方にも興味があった。
「……龍馬は気付いているのか?」
「そんなのわかんないよ!」
イルンの声がヒステリックに響く。
すると、それが合図だったかのように瀬草さんと龍馬はお互いに距離を取った。
拮抗状態を嫌ったのがどちらかはわからない。
AJRA――瀬草圭介の狙いがこちらのパワーを測ることにあるのなら、すでに調査は終えている事になる。そうであるなら距離をとったのは瀬草さんの意志か?
AJRAの目的が達せられたなら、この試合に残っているのはただ龍馬の“意地”だけ――ということなるな。
それでも少なくともロボットの性能は見劣りはしないのだ。例えAJRAの意図とは違っても、ここで龍馬が戦意喪失する理由は一つもない。
問題は瀬草さんがそれに付き合ってくれるか――いや、龍馬はそれを判断する暇を与えないつもりのようだ。まるで瀬草さんとゴムで繋がれていたかのように、龍馬は再び直線的に襲いかかる。
「チッ」
俺は思わず舌打ちをしてしまっていた。
そのやり方では通じないことが、なぜわからないんだ?
確かに龍馬のスピードは大した物だ。ロボメイル戦で実際に戦う選手と比べても遜色のない速度が出ているだろうし、それを生かすだけの技術もある。
だが、それはもう瀬草さんには見切られているのだ。
万全の体勢を持って瀬草さんはそれを回避も出来るし――受け止めることも出来る。
そして、その技術を圧倒するほどのパワー差は――無い。
そうであるならば、まずその速度で持って相手の技術を十全に発揮させない。
それこそが龍馬の執るべき戦術で――
「馬鹿野郎! ゴリ押しが通じる相手か!!」
俺は思わず叫んでいた。
そうなのだ。
龍馬はその恵まれた速度と反射神経を、攻撃のためだけに使いすぎる。
隙を見つければ――あるいは隙を見つけなくてもとにかく襲いかかる。
格下や同格相手なら、それでも勝てる。少なくとも負けはしない。それだけの恵まれた天稟を龍馬は持っていた。
だが、それを凌駕する才、あるいは修練を積んだ相手には……
瀬草さんは突き出される龍馬の拳を余裕で見切る。
俺たちの流派だと、その動きのままに龍馬を転がすところだけど瀬草さんはもう一度距離を取り――一度は落としたビームソードを回収しにいった。
身をかがめることをせず、ビームソードの柄の端を踏みつけるようにして宙に跳ね上げると、即座に刃を形成。
戦いを辞めるつもりもないようだが、手加減する気もさらさら無いらしい。
もちろんそれで怖じ気づく龍馬ではない。
龍馬ではないが……また、直線で突っ込むだけか!
端から見ていると、あんなにも龍馬の動きは――では俺は?
――俺の戦い方は?
脇にそれかけた俺の思考をよそに、戦いは最終局面を迎えていた。
――いや。
そんな自然の流れで、引き起こされたような局面ではない。瀬草さんの強い意志が、その一瞬を“おしまいの時間”にしたのだ。
両の手に持ったビームソード。
刃筋を無視できるその利点を徹底的に生かした――乱暴に乱雑に、そして皮肉なことに直線的にジンのボディに叩き込まれる。
その圧倒的な飽和攻撃の中に、龍馬の拳は埋没してしまった。
いやジンのボディごと、ビームソードが描く光の軌跡の中に埋没してしまう。
「いけない!」
イルンが叫ぶ。
実際、そこが限界だった。
光の奔流が収まったとき、そこに立ちつくしていたのは装甲をボロボロに切り裂かれた龍馬。
確認するまでもなく、もはや戦闘不能だ。
龍馬の体がそのまま仰向けに倒れ――戦いは終わった。
*
龍馬はそのままホールの医務室に運び込まれた。
重傷でも何でもなく装甲板のダメージの蓄積と同調しての心理的な負担を抑えるために、ジンが通常のシステム通り意識のブレーカーを落としただけだ。
しばらくは動けないだろうが、とりあえず今は放っておくしかない。
もちろん置いて帰ることも出来ないので、医務室の前でイルンと腰掛けて待っていると、職員が話があると俺たちを誘う。
それを拒否する理由も思いつかなかったので消極的同意の元に付いていくと、向かう先は関係者以外立ち入り禁止の区画。
いや、もっときっぱりとVIPルームだろうな、これは。
そしていかにもな木製の両扉の向こう側。四角四面のいかつい机の向こう。
そこにはやっぱり瀬草圭介――念のための言っておくけど合身状態ではない――がいて、ねっとりとした眼差しで俺を見つめている――いやイルンにも気付いているんだろうな、これは。
瀬草圭介。
たしか年は34才ぐらいだったかな。
ロボメイルの競技の特性上、年齢の積み重ねがイコール能力の衰えということにはならない。
むしろ経験を積み、衰え始める体力を合身でカバーする傾向が強い。
そんなわけで初めて試合を観たあの日から、十年は経過しているわけだが瀬草圭介は今も一線級の選手で……どうやらAJRAの運営の役員でもあるらしい。
ここまで案内してくれた職員の態度が、明らかに上司に対するそれだ。
元々、競技用ホールだから、まともな応接室も少ないのだろうとは思うが……見事に勧められるべきソファも椅子も見あたらない。
なんというか怒られる未来しか想像できないな。
「君と……そちらのバディが和光ジムでしでかしたんだな」
その瀬草さんが開口一番、単刀直入にねじ込んできた。
いささか表現がくどいけど、それぐらい前置きも何もなかった。
それは怒っているようなトーンではなかったが、決して機嫌の良さそうなものでもない。
俺はあまりに不意を突かれたので、誤魔化すことも出来ずに思わず後ずさってしまう。
「ここまで明かしたんだ。そっちもこちらの狙いはわかってるんだろ?」
随分フランクに話しかけてくる。
「私達のパワーが欲しいんでしょ!」
そして、止める間もなくイルンが応じてしまった。
その声を聞いた瀬草さんは、口の端を微妙に引きつらせながら自重するように呟いた。
「うん……女性に聞こえる声だな」
「当たり前でしょ! 私はパパとママの娘なのよ! すなわち女の子!」
「ちょ、ちょっと落ち着けイルン。コミバで女性としての自我を持ってるのは、地球では多分お前一人だからな」
「だってパパ!」
「パパ……ママ?」
そうだった。
他にも戸惑う材料がたっぷりだな。
「詳しく説明してもらおうか」
「えっとですね……」
正直、あまり気乗りしない。
何よりもまず、潤の行動について説明しなくてはならないのだが、あれはどう考えても他人にうかうかと話して良い内容だとは思えない。
何とかその部分を誤魔化して説明できないかと躊躇していると、
「まず、ママがパパに恋をするのね」
キラキラした声でイルンが話し始めた。
しまった。
イルンの中では“コイバナ”を語れと変換されてしまったらしい。
おのれ思春期。
すると瀬草さんの表情がまるで試合前のように鋭いものとなった。
「パパは君だな、野田鉄矢。するとママは誰だ? 君達がここ最近出入りしている家の住人か?」
やはり泳がされていたか。
「確か中谷家だったな。もちろんそこまでしか確認していないが、少なくとも宇宙人と密接な関係性は築けそうな環境だ」
そこまで調べていれば十分だ、とも思うが要するに盗聴などの非合法手段には訴えていない、ということなのだろう。
「中谷? ううん? ママの名前は野田潤よ」
「なに?」
またややこしくなった。
潤はこの辺りについて説明してないのか。
いや……そもそも説明の必要性を感じてないだろうな。
こうなった事態が特殊すぎるし。
「イルン」
俺は出来るだけ静かに語りかける。
「この人には最初から説明しないと理解して貰えないらしい」
「だから私が……」
「これは俺の役目だ。娘は黙ってなさい」
「パパ……」
来るぞ来るぞ。
「やだ、パパ格好良い! そういうことなら仕方がないから私は黙ってるね!」
さっそく……心が折れそうです。
追加で繰り出されてきた、瀬草さんの憐れみの視線も実にクリティカルだ。
だがここで説明を躊躇してしまうと、イルンによって俺の心は長時間にわたって苛まれ続けることになる。
ここは一つ覚悟を決めて、短時間で終わる道を選ぶしかない。
「その……大丈夫か?」
同情などいらぬ!
*
話すと決めてしまえば長くなる話でもない。
途中の筋道の不可思議さは黙って受け入れてもらう。
そうすれば、おおよそ十分ほどで大体の状況は説明出来た……はずだ。
何しろまるで立場を入れ替えたかのように、瀬草さんの表情が青ざめている。
まったくもって、いいザマだ。
「……では念のため確認するが、今日の俺が戦った相手――神谷龍馬のロボットも間違いなく……潤さんが作ったものなんだな?」
微妙に潤の苗字を言うことを避けながら尋ねてきた。
さすがの対応力だ。
「そうよ!」
黙っているのに飽きたのか、イルンが先に返事をしてしまった。
「俺たちも、あのパワーの再現を目指していました。が、全然成果が上がらず……」
一応フォローもしておく。
「なるほど。では問題のパワーは偶発的に生み出されたものなのだな? それで君とイルンが合身すればパワーは問題なく発生する?」
そういえば、そこの説明はしていなかった。
「そうですね」
「当然」
俺とイルンの声がダブった。
すると瀬草さんの表情が再び引き締まる。
「……つまり、あの馬鹿げたパワーを再現できるのは君とイルンのコンビだけ、というわけだ」
「……そうなりますね」
「よろしい。それでは後日、再び俺と戦ってもらう」
「はぁ?」
妙な声が出てしまった。
さっぱり理屈がわからない。
和光ジムを破壊したロボメイルの正体についてはわかったはずだ。
例えば龍馬が望むように、ロボメイル競技のリーグ戦に参加しろという要請であるなら……いや、それでも一応腕試しの意味はあるか。
だが、そもそも俺にはリーグ戦に参加するつもりはない。
正確に言うと――イルンとの合身状態で人前に出るつもりはない、と言うべきか。
「君をリーグ戦に参加させるつもりはない。つもりはないがしかし……」
まるで心を読まれたように、瀬草さんの説明が続いた。
「しかし?」
「君しか使えないというのであれば、君自身の能力を確認しておく必要がある。操縦者としての君の能力をだ」
「確認? 何のために?」
「それは君が俺に勝てたら教えよう」
な、何を言ってるんだこの人は。
「――君と龍馬君は同じ流派の元で修行しているんだったね?」
「それは……」
「彼は確かに素質はあるようだが、まだまだ荒削りだ。自分の特性をわかっていない」
それは……俺も気付いていたことだ。
あいつの戦い方は持ち味を殺しすぎている。
「それは指導者に問題があるということなのでは? その同じ指導者に教えを請うている君の強さも大体見当は付くが」
安い挑発だ。
しかし、看過できるものではない。
思わず握り拳を固めてしまう。
「パパ……」
そんな感情が伝わったのか、イルンが心配そうに声をかけてきた。
これで少し落ち着くことが出来る。
だがさすがに連戦錬磨の瀬草さん。次の手を繰り出してきた。
「――何なら和光ジムのライセンス停止を改めてちらつかせてもいいんだ」
「何!?」
それは今日、この呼び出しに応じたことでチャラになったはずだ。
話が違う。
だが瀬草さんの表情を観る限り、それは十分承知の上での事だとすぐに理解できた。
そのまま瀬草さんは相好を崩し、
「まだまだやり様はあるぞ? 大人の黒さをたっぷり味わう前に素直に応じた方が良いと思うがな。何取って食おうというわけじゃない。単純に俺と戦え、と言ってるだけだ」
「ぐ……」
「何よあんた!」
「何かな……確かイルンという名前で良かったかな?」
「そうよ私はイルン」
胸を張って前に出るが、パッチワーク上の装甲板のおかげでいまいち迫力がない。
だがイルンはそんなことには一切構わずに、
「あなたを倒す女の子の名前よ! 覚えておきなさい!!」
あ……
と、思ったが今更その発言を訂正する気にもなれない。
そうだ。
俺はすでに心を決めている。
戦いたがっている。
この安い挑発を臆面もなく繰り返す、幼い頃のヒーローを叩きのめしたいと昂ぶっている。
「――その通りだ」
気付いたときには、俺もイルンの言葉を肯定していた。
どう考えても、このまま引っ込みが付くはずはない。
「全力かからせてもらう。それだけの理由は俺にはあるようだ」
「いいだろう」
そこで初めて瀬草さんが真っ直ぐに俺を見つめた。
――試合は一週間後と決まった。
*
その後、まもなく龍馬は目を覚ました。
ジンの処置が適切だったのか、意識が戻りさえすれば後は問題ないらしい。
実際、目が覚めるとそのまま普通に歩き出しさえした。俺とは一切目を合わすこともなく。
龍馬は何も言わず、無言で着替え、無言でホールを後にした。
それからしばらくの間、帰り道の間も俺から声をかけることもしなかったし、イルンにも強く黙っておくようにと命じる。
二人電車に乗り、駅で別れるその時になって俺はようやくその背中に言葉を投げた。
――瀬草さんとやり合うことに決まった
と。
龍馬の髪が僅かに揺れた気がした。
*
瀬草圭介と戦う
その為の準備をしなければならない。
だが、具体的には何をすればいいのか?
パワーで押しきる戦術を採用して、行き当たりばったりで臨むか?
それとも、潤ともっと相談して何か新しい武装を考えてみるか?
頭の中でグルグルと思考が巡る。
だが帰り着いたときには、すでに夕刻を通り過ぎて夜中と言っても良い時間帯だ。
潤に会いに行くには、何とも常識を考えてしまう。
そこで報告はイルンに任せて、俺は道場へと向かうことにした。
功児さんに色々報告しなければならないことでもあるしな。
俺は遅い夕食を摂ると、頭の中でどういう風に報告しようか? これから先のことをどう尋ねればいいのか? など色々と考えを巡らせながら、いつもの道をたどって道場へと向かう。
道場には灯りがともり、誰かがいるのは間違いない。
夜に道場に来る東さんや高橋さん達とは、この時に顔を合わせることが多い。
俺や龍馬の様に学生ではなくて社会人で、強くなるためと言うよりは運動不足の解消が目的だ。
それならば他に選択肢があると思うのだが、それを言ってしまうと道場の経営がマジで待ったなしになりそうなので、さすがに俺も龍馬も口をつぐんでいるという次第だ。
どちらがいるとしても、今更隠し事しなければならない相手でもない。
俺は覚悟を決めて、道場の扉を開けた。
「こんばんわ」
と、夜に道場を訪れたときのいつもの挨拶を口にする。
しかし、予想していた東さんや高橋さんの声が返ってこない。
それどころか、道場内の空気が違った。
ハッとなって、靴を脱ぐために下を向いていた視線をあげてみると……
「し、師匠……」
稽古着に着替えた師匠が神棚の前に座っていた。
そして道場の脇にはすました顔で正座する功児さんの姿。
師匠は座っているのに、まるで俺を見下ろすような視線を向けて、
「負けたそうだな」
と、瀬草さんに負けず劣らず、出し抜けにとどめを刺しに来た。
思わず固まってしまう俺。
よくよく考えたら、俺が負けたわけではないのだが。
「龍馬君はあれで筋を通す子だからね。連絡があったんだ。それでも直接はまだ無理らしく僕の携帯にだったけど」
なるほど。
確かに、俺に報告を任せるのは違うか。
そのフォローで、大方の状況を察した俺は脱ぎかけの靴をキチンと脱ぐと、そのまま自首する心持ちで師匠の前に正座する。
すると師匠は真っ直ぐに俺を見つめて厳かに、こう告げた。
「鉄矢」
「はい」
「今のがお前に足りない部分だ」
「はい?」
何が? どこが? 今、何があった?
「別にお前に流儀を背負わせるつもりはない。だから負けたからと言ってどうこうするつもりはないが、この機会に成長できなければ覚悟を決めろ」
「か、覚悟?」
「そうそう。次の戦いは龍馬を連れて行け。あいつもこの機会に成長すべきだろう」
「ちょ、ちょっと師匠!」
だが師匠はそれだけ言い捨てると道場を後にしてしまった。
ど、どういうことだ?
稽古着を着ていたから、これは真面目な指導のはずだ。
しかし、今のどこに指導があった?
「やれやれ、師匠も甘いなぁ」
どこがですか?
俺は声も立てず、功児さんににじり寄ってしまった。
「僕としては君たちが自分で気付くまで放置するつもりだったからね。そこで伸び悩んだままで終わるかも知れなかったけど」
何気に酷いが、そこは性格眼鏡の功児さんだ。
しかし引っかかるところがある。
「君たち? 龍馬だけでなく俺も?」
「なるほど。龍馬君の戦い方を外から見ることが出来たのは収穫だったようだ。彼の戦い方にもったいない部分があることには気付いたようだね?」
「は、はい」
その質問に俺は力強くうなずいた。
「あいつは恵まれたスピードと天性の反射神経があります。それを一つのことにしか使わない。動きが直線的すぎる」
「岡目八目とはよくも言ったものだ」
功児さんが笑みを見せる。
「それで君は己を顧みることはできませんでしたか?」
「己……」
そうか。
俺の中で何かが繋がろうとしていた。
師匠の言葉。
龍馬の戦い方。
そして今の功児さんの指摘。
俺は――
――だが。
「……しかし功児さん。それでは……俺のやって来たことは無駄なんでしょうか?」
「無駄になるかどうかは君次第」
俺の唐突な質問に、功児さんは即座に答える。
そして眼鏡を押し上げながら、さらに続ける。
「この道場に来た頃の君と、今の君とでは随分様子が違う」
「違い……ますか?」
「ああ。ここ最近の君は確かに稽古をしていた。それは全くの無駄にはならないだろう。しかしその稽古に臨む姿勢がまず違っているんだ。君は気付いていないようだけどね」
功児さんが言うからにはそうなのだろう。
だが、俺の何が変わったというのか。
真面目に稽古をしていた、などと言い訳しても意味のないことだ。
今更ながらに気付いたことだが、俺は戦い方がもったいない龍馬と“互角”の技量なのである。
確かに俺には問題がある。
それも見えてきたような気がする。
しかし、これでは何がいけない?
功児さんの言うとおり、全くの成果がないわけではないのだ。
何とも納得しがたい“何か”を抱えてしまった俺は、そこでどうにも動けなくなってしまった。
そんな俺を見かねたのか、功児さんがどこか優しげな溜息をつく。
「……ここは一つ、中谷さんに相談してみてはどうかな?」
「潤に……ですか?」
意外な名前が出てきた。
「あの娘さんは、当時の君をタイムカプセルみたいにして保存しているような気がするんだ。心の中にね」
「……それは」
「あれだけ君のことを好いてくれている。何しろストーカーとまで疑われたんだからね」
「ここで功児さんが教えてはくれないんですか?」
「僕がそんなに甘い男だと?」
そう言われてしまえば、こちらとしては返す言葉もなくなる。
そこで功児さんは混じりけのない笑みを浮かべ、
「どのみち、次の戦いには彼女の協力は不可欠なんだ。じっくり話しあってみることだ」
「……」
それは確かに、そうなることになるだろう。
恐らく明日にでも。
「実はこれもヒント」
「え?」
「何かわかるまで道場には来なくても良いよ」
言うだけ言いきってしまうと、功児さんは立ち上がって更衣室に向かってしまった。
そのまま帰るつもりらしい。
そして俺は動くことも出来ずに、一人道場に取り残されてしまった。
さほど広くもない道場だが、こうなってしまうと随分と広く感じるし、何よりも冷え冷えとしている。そして周囲から襲いかかってくる、空虚な音にならない静けさ。
我が家のように感じていた道場の中で、俺は居場所を無くしてしまったような気がしていた。
*
俺がどういう心境であっても、太陽は巡り次の日はやってくる。
何かから逃げるように学校に行き、考えることを放棄して中谷家へと向かう。
今となっては、呼び鈴を鳴らすこともない。
ガレージの通用口を、あまり強くならないように叩く。
「来たぞ」
一応、いつも通り来る前に連絡だけはしておいたから問題ないはずだ。
「あ、はい」
と、これはいつも通りの声で潤が応じてくる。
「パパ~、いらっしゃい」
もちろん、イルンもいるだろう。
通用口を開けて中に入るといつもの光景――ではないな。
ジンの装甲板が無惨に切り裂かれたままだ。
瀬草さんに切り刻まれたダメージが具現化した、というかそもそもがそんなシステムがロボメイルである。確かに回収の手間はかからないな、これは。
「これ――どうするんだ?」
「神谷さんから特には聞いてませんが、修理そうと思ってます。ただ今は装甲板の在庫がさすがに……」
か細い声でそう説明する潤は、今日はつなぎ姿だった。もしかしたら昨日から修理そうと思ってそのままなのかも知れない。
そこにイルンが口を挟んできた。
「昨日私に貼り付けたのは?」
「そう簡単にバラせないよ。それに加工もしなくちゃいけないし」
大方の事情は二人の会話で大体わかった。
俺はいつものパイプ椅子を持ってきて、何となく潤の正面からはずらした位置に腰掛けた。
その俺の周りをイルンが跳び回る。
「イルン、昨日のことは潤に話してくれたんだよな?」
「うん!」
「あ、はい。聞いてます」
二人から同時に返事が来た。
イルンはそのまま、ふんぞり返っているが、潤は慌ててわたわたと手を振っている。
母娘で、しかも娘の人格形成をそれこそ物理でもって作り上げたのは潤のはずなのだが。
今日の潤の格好も端から見れば、かなり派手目であるが、体質ならば仕方ない。
……しかしおじさんも、ロボットの部品ばかり送ってこないで、潤の体質に合わせたものを調達してやればいいのに。
「……そんなわけで、また戦うことになった。お前には面倒をかけるが――」
「そ、それなんですけど」
「ん?」
先に詫びておこうと思ったのだが、それを遮られてしまった。
「もう、イルンは完成しきっているし、これ以上どうやればいいのか……」
「それも……そうか」
「そうよね。私は最初から強いんだから」
さてそうなると、ここから先どうすればいいのか。
功児さんに意味ありげなことを言われて、それなりに勢い込んで来たのだが、その気勢を殺がれてしまった。
いや、わかってはいる。
――“潤とじっくりと話しあう”
これはイルンの調整にかかわらず出来ることで――
「そ、それであの、今度は私もホールに行ってみます」
俺が迷っている間に、何だか潤が積極的になってしまっている。
どんな表情をしようか一瞬迷う。
喜ぶべきなのか、止めるべきなのか。
「だ、だけど、おまえ人の多いところは何か面倒事が起こるって――」
言葉だけはとりあえず曖昧にしておく。
考えてみれば“面倒事”についてちゃんと聞いたことがなかった。
本人が話すの嫌がっていたし。
だが功児さんの言うように、これでは潤と向き合っていないと言われても仕方がない……のかも知れない。
「潤」
「は、はい」
「そのお前の体質というのをちゃんと聞かせてくれないか?」
「それは……」
途端に潤の様子がおかしくなる。
「パパ、ママをいじめてるんですか?」
ややこしいのが乗り出してきた。
少しばかり頭を捻って、解決策を導き出す。
もはやズブズブなこの関係性を受け入れてしまえば、道が見えないわけではない。
「イルン、俺たちは家族だな」
「それはそうよ」
「今、マ……潤には悩みがあるんだ」
さすがにママ設定はまだ受け入れがたい。
「それを今から家族で何とかしようというところなんだ。イルンももうまるっきり子供じゃないんだし……っていうか、潤の体質のことは知らないのか?」
「ううん」
知らないらしい。
「あ、あの、私ドキドキしたりとか緊張したりすると」
潤が突然に話し始めた。
いつも行動が唐突だな。
「つまり、心拍数が上がるとってことかな?」
少しの合いの手で、その緊張を……な、なんだ? 潤の瞳がやたらに……
「そう。そうすると私の髪と瞳が濡れるというか……しっとりするというか」
は、はぁ。
いまいち想像しづらいが……あれ?
そうかプールか。
「もしかしてあの日、何かしらで酷いことでも言われたか?」
そうだった。
いやおかしいな。プールに行っていたならば、髪が濡れるぐらいのことは当たり前だ。
あの日いきなりいじめられるきっかけになるとは思えない。
一体何があったのか。
「その……私の濡れる成分というのが……ちょっと粘膜的というか」
言われてみると心当たりがある。
潤の目の中に。
その名の通り、潤み方が尋常ではない。
「そ、それで友達の……当時の友達の一人が……」
何という悲しい訂正か。
思わず遠くに視線を向けたくなってしまう。
「濡れたままの私の髪を触って――」
まぁ、無いとは言えないシチュエーションか。
「で、ヌルヌルしてるのに気付いて――」
「気付いて?」
その先が上手く想像できない。
「その……プールの中にその……私のがですね」
「わかった」
これは気付くべきだった。実際にはもっと酷いことを言われたのかも知れない。
「で、ちょっと落ち込んでいるときに俺に会った……わけか」
その時に俺は何かを言った。
功児さんに言わせれば、潤が俺のタイムカプセルということになるわけだが……無作為に尋ねて良い状況なのか、これは。
その時の何かしらの俺の言葉が、潤にかなりの影響を与えた。
これは間違いない。
だが、その言葉を言った本人が覚えていないって、どうよ?
どう考えても、もう一回人生変わる転機にならないか?
「あ、それってママが何度も繰り返しお話ししてくれてるところでしょ。格好良いよね、パパ」
イルン!
思わず叫びそうになっていた。
言葉にならない何かを。
その続きを促すべきか――いや、しかし。
「“お前が今、苦しいって事は、お前が今メキメキ成長中ってことだ。笑え”」
イルンが例の如くふんぞり返って、恥ずかしい台詞を。
――いや。
俺の台詞だった。
間違いなく俺の台詞だ。
確実に思い出した。
言葉だけではない。その時の俺の状況も。
あの頃は……俺にキャパがないとはっきりとわかっておらず……いや、もしかしたらという不安を抱えていた頃か。
だから必要以上に強気になって、虚勢を張って。
やたらに攻撃的になって。
「お、思い出してくれましたか?」
「え?」
自分の黒歴史の発見に、心が身もだえしていた俺にさらなる追加攻撃が繰り出された。
き、気付かれていた。
「わ、忘れてたのは、さすがにわかりますよ」
「え~~~!! パパ酷いよ!」
「いいのよイルン」
「だって……」
「あの時は、なんだか野田さんも辛そうだった……でも私を励まそうとしてくれて、私はその言葉で元気になれたんだもの」
「む~~」
イルンは納得いかないようだ。
俺も……何とも言えない想いを味わっていた。
「だから、この前の道場の野田さんは……」
「道場?」
「ええ。その神谷さんと試合をされた後……」
そうだ。
あの時、確かに潤は何かを言いかけていた。
それこそが功児さんの指摘したヒントだったのか?
「俺は……何か変だったか?」
ほとんどすがるようにして、俺は迷うことなく潤に尋ねてしまっていた。
「あの、その、私みたいな素人が失礼なのかも知れないけど……」
「全然構わない。潤の言うことなら、俺は軽く扱ったりしない」
「そうよ、ママ! ズバッと言っちゃえ……あれ? 相談してたのはママの方だったんじゃ」
イルンがまた一つ成長の不条理を味わったようだが、これはスルー。
「そ、それじゃ……あの。あの時、神谷さんと引き分けましたよね。でも……その、野田さんはずっと楽しそうで」
「楽し……そう?」
「いえ試合している間は、もちろんそんなことはなかったんですけど、道場にいる野田さんはとても楽しそうでした」
「そ、そりゃ、そうだよ。あそこは俺のもう一つの家みたいもので……」
俺のことを調べているのならそれは知ってるだろうに。
「で、でも道場は道場で家じゃないですよね? ロボメイルは無理だったとしても野田さんがあそこに通っているのは、強くなるつもりがあるんだと思ってました」
「もちろんそうだ」
今の潤の話にどこにもおかしな所はない。
実際、俺がロボメイルに対する適応がないと判明した後も、道場に通い続けているのは、強くなりたいと……
「じゃあ、苦しくないと変じゃないですか?」
「変? ……苦しく……ないと?」
潤の言葉に、理解が追いつかない。
いや違う。
俺は理解を拒否している。
認めたくないからこそ、俺はこれほどの衝撃を受けているんだ。
俺は潤に言い返すことも出来ず、呆然とその口元を見つめることだけしかできない。
潤はそれでも気後れすることなく、先を続けた。
「ど、道場は成長するところですよね。じゃあ苦しい部分もあるんですよね?」
「そ、それは――ある。あったはずだ……いや」
龍馬の戦い方は間違っている。
それは龍馬が自身の特性をわかっていないからだ。
あいつは気ままに、自分の好きなように戦う戦闘スタイルだ。
しかしそれは「楽」――だったのではないか?
じゃあ俺はどうだ?
俺はどちらかというと、龍馬が目指すべき戦闘スタイルを身につけようとしていた。
それは功児さんの戦闘スタイルで、目標を無くした俺がそれを目指したわけで。
敵の攻撃を華麗に捌き、敵の体勢を崩してから必倒の一撃で決める。
他の流派の言葉を借りるなら、
“柔よく剛を制す”
だ。
しかし、あの時の師匠の言葉もヒントだとするなら、俺が目指すべきだったのは――
――“剛よく柔を断つ”
……か。
もしかしたら、師匠も功児さんもそういう風に俺を指導しようとしていったのかも知れない。
だけど俺はいつからか、道場の居心地の良さに甘えて鍛錬の方向性を間違えた。
いや、間違えたわけではないのだろう。
身についた技を無駄にするかしないかはこれからにかかっている。
「……ありがとう、潤」
自然に感謝の言葉が溢れ出た。
「え? え? その……」
「それから」
俺は改めて座っていた椅子を潤の正面に据えた。
「え、あ、あ、ちょっとやだ」
潤の顔が真っ赤だ。
“体質”の説明からすると――なるほど髪がしっとりとして瞳が潤んできている。
潤の俺に対する好意は疑いようもない。
そして俺は――
「潤。お前の好意は嬉しいし、光栄だとも思う。だけど俺はまだ自分の心がわからない」
心情的には変わっていない。
しかし、俺はそれを正面から言うことを避けていた。
色々理屈をこねては、潤の好意に正面から相対することを避けていたのだ。
だけど、それでは俺は伸びない。
俺は苦しくない。
だが、それでは苦しさの先に――ん?
「ど、どうしたんだ? 潤。確かに今ははっきりしてないけど、今でもお前のことが嫌いなわけじゃ……」
潤は涙を浮かべていた。
「ち、違うんです。わ、私のこの濡れている成分はその……地球人には、び、媚薬みたいな効果をもたらす場合もあって……その大人になるにつれて」
「ねぇ、パパ。“びやく”って何?」
さすがにそれは教えてないだろうな。
イルンが肝心なところで割り込んできた様な気もするが、ちょっと潤に落ち着いてもらうためにも、ちょっとイルンに付き合ってみるか。
「つまり……無理にでも潤のこと好きになってしまう、みたいな効果があると言うことかな?」
「なんだ。それなら、パパとママとの間じゃ問題ないじゃない」
こいつの回路は論理に素直すぎるな。
「それじゃダメなんだよイルン。媚薬で好きになってもらって、それは本当に潤のことが好きになったと言えるか?」
「だって……それは……あれ?」
そうだろうとも。
俺と潤が夫婦という前提で話を進めているから、論理に破綻を来すのである。
さすがにこいつの回路も亜空間接続はしてなかったか。
「……その通りだよイルン。野田さんに、この効果がないことがはっきりして、私は良かったと思ってるの」
「だってママ……」
「大丈夫。今までは近付いて、それでこの媚薬の効果でおかしな事になるのが怖くて動けなくなってたけど、今はもう平気。ここからなら苦しさだって楽しめる」
そこで潤は俺の目を真っ直ぐに見つめてきた。
その頬はまだ赤い。だが……
「私、笑うことが出来ますよ野田さん」
そう言って浮かべた潤の笑顔。
……正直、媚薬より効くと思う。
「あれ? 今度はパパの顔が赤いね」
マジか。
いや、こうなったら行くところまで言ってしまおう。
「そうだ潤」
「な、なんでしょうか?」
「お前が良いなら、俺のことは“鉄矢”と呼んでくれて構わない。まぁ、ちょっと気恥ずかしいけど、苦労してこそだよな」
「あ、はい……その……じゃあ鉄矢……さん」
……おおう。
*
俺とイルンは手を合わせる。
『我は力を欲する』
『我は力を与える』
考えてみると、また女装……になるんだよな。
いや、ここに来て躊躇っている場合ではない。
手続きを進めよう。
『我は心を求める』
『我は心を与える』
そういや、この手続きもブラックボックス化されてて手を出せないらしい。
士気高揚のための手続きらしいが……
『我は愛機にして、我自身。合わせたその時、無敵の力が顕現する――合身!』
やっぱり恥ずかしいので、潤には是非とも解析を進めて欲しい。
その潤は同じ控え室にいて、俺の身体の周りをグルグルと回りながら神妙な面持ちだ。
今までの龍馬との力試しとは違って、これから本格的な戦闘だ。
色々と気になる部分もあるのだろう。
「あ……!」
「おい」
戦う前に気になる声を出すんじゃない。
「あ、だ、大丈夫です。カラーリングの不備を見つけただけで性能には問題ないです」
「それは問題あるでしょ!」
頭の中でイルンの声が響くが、合身状態では俺しか聞こえない。
そしてそれを外に伝える必要性を感じなかった。
「パパ! ちゃんと伝えてよ! これは大問題よ」
うるさすぎる。
必要性が生じてしまった。
「なんかイルンが、もの凄く怒ってるんだが……」
「イルン、今はどうしようもないから、帰ってからよ」
いつものおどおどした態度はどこへやら。潤は俺を――いや違った――イルンを見据えながらピシャリとやり付けた。
本当に母親みたいだな。
いや、これでは俺はまるきり娘に甘い父親のようだ。
「わかったわよ。パパさっさと片付けて帰るわよ!」
相変わらずイルンは自信満々である。
俺も無策でここに来たわけではない。
二人に気付かせてもらった自分の方向性を携えて、道場に戻ってきた俺に待っていたのは師範代・功児さん自らによる、激しい稽古だった。
今までのように上手く捌くことを目的にしていたのなら、あれほどコテンパンに転がされることはなかったと思うが、逆に言うと一瞬であっても功児さんの力の流れを乱すことも出来なかったと思う。
要所、要所を捌くのではなく力で粉砕する。
相手が捌くことの出来ない、力強い一撃で力の流れを分断する事を意識。
それは今まで馴染んできた自身の戦い方を否定すること。
道場の床に転がされる以上の痛み、上手く行かないもどかしさが襲ってきたが――それで良いのだ。
苦しさは成長の証。
困難に挑んでいる何よりの証明。
そう自分に言いきかせて、功児さんに転がされ続けた五日間。
その間に、結局龍馬は道場に顔を見せなかったが――このホールにはやって来ている。功児さんも同じだ。どうやら瀬草さんが流派ごと挑発したことについて、結構怒っているらしい。
そのこともあってか功児さんが改めて交渉した結果、迎えの車をAJRA出させることに成功していた。
そんなわけで、呉越同舟……ではないが、それぐらい険悪な雰囲気の中、俺たち――俺、潤、イルン、功児さん、龍馬、ジン――はホールにやってきたというわけである。
試合直前だというのに、緊張感よりもむしろ感じているのは開放感――これも功児さんの狙いなのか?
コンコン。
「準備よろしいですか?」
ああ。
やってやるさ。
*
自分でフィールドに入ってみると――狭いような広いような。
何か感覚を失うな。
「パパ、周囲の状況を確認。規定された大きさです。異常な点や罠は見あたりません」
それが基本的な手順なのか、物騒な想定を元に報告してきた。
潤が改めて設定し直したのか、それはわからないが何とも頼りになる。
「それから左斜め後ろ方向に、石丸さんと神谷さんの姿が確認できますね」
なるほどそこから観戦しているというわけか。
功児さんの存在はここまで来ると頼もしい限りだが、龍馬は……いや、これからの俺の戦いを見せれば伝わるはずだ。
「潤は?」
「フィールドの側にいますよ。特に危険な兆候はありません――そして正面に“敵”です」
それを合図にして、俺は龍馬戦と同じような佇まいを見せる瀬草さん――スクナと合身しているのは言うまでもない――の姿を視界に収めた。
「……イルン、念のために聞くが例のパワーは感じ取れるか?」
「うん! ぱわーまんたんだよ!!」
相変わらずパワーの発音がおかしいようだが、これで十分だ。
俺は瀬草さんへ向けて一歩を踏み出した。
龍馬のように、高速での突進ではない。
一歩、一歩確実に間合いを踏みつぶすように。そして力の流れが真っ直ぐ上に向かうように。
スクナの鳩尾辺りを見据えて、じっくりと進んでゆく。
瀬草さんは、またこちらのパワーを確認するつもりなのだろうか?
いや、何をしてこようと俺はただ圧倒するのみだ。
こちらの覚悟を見て取ったのか、瀬草さんもビームソードを出すことなく、こちらに真っ直ぐに近付いてくる。向こうも慌てるつもりはないようで、こちらにゆっくりと近付いてくる。
お互いがそんな風だから、互いに間合いに入ったのはフィールドのほぼ中央。
「パパ、気をつけて」
イルンの警告の声が聞こえてくるが、ここは我慢だ。
いや――そうじゃない。
様子見をしてやろうなどという、瀬草さんの余裕をここで断つ!
俺は断固たる意志を持って、足を踏み込むと掌打を繰り出した。目標は今まで見据えてきたスクナのボディ中央だ。
瀬草さんはやはり確認の意図があるのか、それを正面から受け止めるつもりらしい。
まだ――俺とイルンのパワーを本当の意味では理解していないようだ。
それでも一応十字受けには構えているようだが、はっきり言って甘いな。
茂木さんを飛ばしてしまった時は、あれでも全力ではなかったのだ。
イルンのサポートを受けながら、最適のバランスで右掌打を下から繰り出す。
クンッ!
と、肩から先が一瞬もげるかとも思ったが、それも一瞬。
今度は掌に尋常ではない手応え。
スクナの装甲板ごと貫くかに思えたが――これは?
飛んでいる。
瀬草さんが飛んでいる。
後方に自ら飛んで力を逃がした?
いや、疑問に思うところではない。瀬草さんが武術の心得があるのは当たり前の話で、それならばこのぐらいの対処は当たり前だ。
しかし見て取った瀬草さんの力の流れは、乱れる一方だ。
予想外、というか予想以上のパワーの洗礼を受けて明らかに力を受け流し切れていない。
そして、ここで様子を見るという選択肢は無い。
俺は果敢に攻め続けることを即座に選択。
歩法・舞雪。
だがさすがに瀬草さんで、乱れた力の流れを空中で無理矢理回転させて整理すると、そのままビームブレードを抜きはなった。
「イルン、向こうの機能に損傷は?」
「腕部装甲板に歪みはあるけど、それほどの影響は認められないわ――こっちは全力で殴ったのに!」
全くだ!
抜いたビームソードをいつものように縦横に振るわれると、例えパワーは勝ってもこちらの不利は否めない。先手先手でこちらがペースを握り続けるしかない。
空中から襲いかかるビームソードの刃。
絶望することはない。ロボットの装甲板が、ビームを弾くぐらいのことが出来なくては装甲板としての用を成さない。
だがしかし!
ここで安易に腕の装甲板でビームを受けに行った場合、それをスカされると致命的な隙を作ることになる。瀬草さんは、ビームの刃を瞬時に形成したり、あるいは瞬時に消し去ったりして間合いを幻惑する。
曰く――虚刃。
その戦い方は俺も知っている。
ビームの刃をいなすような動きをとりながら、運足でさらに奥へ踏み込んだ。
あくまで俺の技は力強く。
そこに落ちて来るであろう瀬草さんの身体――当たりさえすればどこでも良い――へ向けての体当たり。
華麗さも何もないが、パワーがあるだけに強烈な一撃となるだろう。
瀬草さんは、どうやらこちらへと振るっていたビームソードの刃を消去したらしい。
あのまま振っても当たらないからな。
それよりも俺の体当たりに対処する――いや対処しなければならなくなった。
左手のビームソードの柄を捨てると、どうにかこうにか俺の肩にその手を置いた。
そこから身体を捻りながら、俺の体当たりを回避する。
しかし、ビームソードを片方捨てさせたぞ。
攻撃を緩める手はない。
俺は踏み込んでいた足を支点にして、力の向きを強引に逆方向に向けた。
これもまたパワーあってこその方法だが、それを可能にするだけのパワーはあるのだ。
今まではそれを格好悪いと思って選択肢から無意識に排除していた。
だが“勝つ”ことを至上目的とした場合、むしろ選択しない方がおかしい。
だが、そうやって振り返った俺の鼻先に――ビームソードの切っ先。
あまりのことに、もう技術も技もなにもない。
俺はただひたすらに身体をかわすことに専念――いやただ反射神経に身を任せただけだ。
「何がどうした!?」
「パパを飛び越えたときの反動を利用して、そのまま飛びかかってきたみたい」
イルンが律儀に説明してくれる。
つまり俺を飛び越えて、その場でしゃがみ込むように勢いを吸収した後、その余力でもって逆に間合いを詰められたのか。
完全にカウンターを食らう構図だった。
避けることが出来たのは運でしかない。
「あんな繊細な機動、私には無理――」
だがスクナの性能にイルンが何か――性能か、戦闘経験値か――の違いを感じ取ってしまっていた。
操縦者として――いや父親としてここはイルンを支えなければ。
「俺には必要ない!」
イルンの不安を強い言葉で否定する。
自分でも信じていない言葉で。
だが娘を前にして弱い言葉で言を左右にしていては、信頼は得られない。
未だイルンは成長過程。
今、新たな道を歩こうとしている俺はイルンと共に成長していかなければならない。
だが、現実は想いに簡単に応えてくれるほど安易ではなかった。
体勢を崩され――つまり力の流れを乱されてしまった現状では、縦横無尽、それでいてランダムに襲いかかってくるビームソードに先手をとらっれぱなしだ。
これで二本揃っていたら、手も足も出なかっただろう。
時にはイルンの防御を信じて大胆に攻撃することで、なんとか拮抗状態に持ち込むことが精一杯だ。
「パパ。戦術予測が私の言うことを効きません!」
そりゃ、自分好みの結果しか受け付けないなら、そういうことになるだろうな。
しかし、このままじゃまずいことだけはよくわかった。
それを裏付けるように、イルンから追加が来る。
「パパ、このままじゃフィニッシュに持ち込める確率がとっても低いです」
具体的な数字で言わないのは俺を気遣ってのことか、それともOSが思春期に浸食され始めたからか。
いや言うまでもないことだからか。
装甲板にダメージを負いながらもなんとか瀬草さんの勢いを寸断して、今は勝機をうかがうしかない。
いやそんな曖昧なことではダメだ。
勝利に向けて例え苦しくても、前進し続ける強い意志。
その為には……笑え!
とにかく笑っとけ!
結果と原因を逆転させてやる!
俺は自分に向かって振り下ろされるビームソード、それを握りしめる瀬草さんの拳に頭突きを敢行する。
さすがにこれは意表を突いたらしい。
当たることはなかったが連撃は止まった。
「パパ!!」
「わかってるよ!」
イルンの突然の叫びに投げるように応じる。チャンスだって言うんだろ!?
「そうじゃなくて!!」
チャンスじゃないのか?
じゃあ、ピンチか!?
――このバカみたいな思考の流れが、本当に現実化するとは思わなかった。
何が起こったか。
イルンが髪だと言い張っている、例の銀色のチューブ。
――あれが全部ビームの発振器だったという驚愕の展開。
ギィィイィィィィィイイィィィィ!!
実に耳障りな音が鳴り響き、周囲に青白い光が満ちた。
まるで立て付けのなっていない扉を開けるときのような――いや実際このフィールド、いや世界はこれだけのビームの訪れは拒んでいたのだろう。
だが、あまりにも圧倒的な量でビームは世界の扉をこじ開けて周囲を蹂躙しまくっている。
無数にも思えたイルンの髪の先から、一斉にビームが放出されているからだ。しかも、その髪の一本一本が蛇のようにウネウネと動き、果断無くビームを放出しまくっている。
前後左右上下、隙間が見つけられないほどの飽和攻撃だ。
どうやら独自に対象物を見つけてはトレースする機能も備わっているらしい。
もちろん瀬草さんだって、こんな事態に対応できるはずもない。
かわす、でも、捌く、でもなく、とにかくひたすらに逃げている。
俺だって似たようなものだ。
兎にも角にもビームの発振源という“地の利”だけはあるが、この髪の毛ビームは発振口自体がフレキシブルに過ぎるので、割と頻繁にこっちにもビームをまき散らしてくるからだ。
死角から襲ってくる分、こちらの方が厄介かも知れない。
どうやら例のおじさんは、外見上の問題だけを追及して、姪を甘やかすだけ甘やかしたらしい。
まともに手続きしたら、確実に検閲で弾かれる。
どんな裏技使ったんだこれは。
俺の情報も伝わっていて、実際に発振器が稼働するとは考えてなかったかも知れないが……
う・か・つ・過・ぎ・る・だ・ろ!
しかも、
「イルン! 制御はどうした!?」
「アハ……」
おい。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」
「何がどうした!?」
と、突っ込んでいる場合ではない。
今度こそ本格的に恐怖を感じた。この異常事態が改善させる目処が立たない。
装甲板のおかげで、今すぐにどうこうということにはならないが、それも時間の問題だ。
どう対処すりゃいいんだ、こりゃ!!
瀬草さんも相変わらず逃げ回るだけ――いや、パニック起こしてるんじゃないか?
もう一本ビームソード拾ってきたら、それなりに対処できそうなのに一本でなんとかしのごうとしている。あるいは、そもそも拾いに行く余裕もないのか?
とにかくこっちに攻撃はないようだ。
さもありなん。
俺の髪から放出されているビームは、フィールド内を埋め尽くすように飽和攻撃の真っ最中だ。
これフィールドがなかったら大惨事だった――フィールドはいつまで保つのか?
――などと考えている暇すらない!
トッ!
パニックを起こしてしまうと、どうしても今まで身体に染みついた動きが出てしまう。
思わずビームを捌いて、向きを変えてしまった。
装甲板の働きもあるだろうけど、こんな事が?
いや、それよりもだ。
何がどうでも、ビームの発振源を束ねているのは俺だ。
今更ながらにそれに気付いた。
ここは――
“無駄になるかどうかは君次第”
そうだ。
苦しくなくとも稽古で身に染みついた“柔”の動きがここでは役立つはずだ。
幸いというかなんと言うか、イルンの馬鹿笑いは収まっている。まともなOSなら、そろそろフリーズか緊急停止か再起動。
そこまで耐えきれば事態は収まるわけだが、逆に言うとその時には合身が解けている可能性だってある。
それはまずい。
考えながらも俺の腕が円を描く。
環法・水車
身に染みついた“柔”の動きが暴れ回るビームを半ば自動的に捌いていく。
意識的に焦点をぼかしてフィールド全体を意識すれば、ビームは相変わらずフィールドの中で飽和状態だ
その中で俺の周囲だけは球状にビームの空白地帯が生まれている。
瀬草さんは――ビームソードで何とか受けに回っている。
先ほどまで逃げるだけだったから、対処し始めているのか――凄いな。
俺はビーム発振源だけあって瀬草さんほどの対処に追われているわけではない。
だが今からそれ以上の事をしなければ、勝利はおぼつかない。
そう。
目指すのは勝利。
俺は頭を振る。少なくとも髪の根元はそこに繋がっている。
であるならば、力の流れを整えて――髪を整えることも出来る。
出来るはずだ。
ほとんど鏡獅子の勢いで、グルングルンと振り回すとさすがに暴れ回っていた髪の方向も揃ってきた。その分、放出されているビームが束になるので、ビームを一点に受けているフィールドが悲鳴を上げているような気がするが、もう気にするのはやめだ。
何しろ攻撃の方向がある程度、定まってきた分、瀬草さんには対応しやすいはずだからだ。
俺は髪の毛を振り回し、そのビームの束を剣のようにして振り回す。
こうなったら逆に考えてやる。
このホールが壊れたら瀬草さんだって、ただじゃ済まないはずだ。
「壊れるなら壊れてしまえ!!」
ビビらせるためにも、本当に口に出して言ってやる。
「何を馬鹿なことを!」
予想外に突っ込みが入って驚いたが、これはこれで狙い通りでもある。
少し回転を緩めてやると、また髪はてんでバラバラに蠢き始め、予測など到底不可能な状態でフィールドの端から端までを、粒子の渦に飲み込んでしまった。
「他に武装はないはずじゃなかったのか!?」
一度、口を開いてしまったことで枷が外れたのか瀬草さんが悲鳴混じりの声を上げる。
「俺も今知ったんですよ!」
「なんという欠陥品だ!」
「ガーーーーーーーーーーーーーーー!!」
イルンの怒りの咆吼が聞こえる。
こいつ……全然再起動の気配とかがない!
ええい、宇宙人のOSはどんな処理がスタンダードなんだ?
すぐに停止するわけではないとしても、この勢いじゃジェネレーターが――よし!
――考えるのやめた!
この刹那のチャンスこそが今一番大事にすべきこと。他のことは潤に任せる!
俺は頭を振り回すのを辞めて、その場でジャンプ。
遠心力という拘束から解き放たれた髪が、再び暴れ出す。
そのまましゃがみ込むように着地すると、さらに状況は手の付けられない有様に。
俺との会話で、気の緩みを見せた瀬草さんはさらに追い込まれる事態に陥っていた。
だがこれは俺は違う。意識してこの状況を生み出した分、覚悟の量が違う。それに今まで環法・水車で装甲板のダメージを抑えてきた有利さもある。
いつの間にか開いていた間合いを潰すのに、今必要なのは強引な力技。
瀬草さんは俺の接近に気付いてはいるようだが、手の打ちようがない。
そこで俺はもう一度ジャンプ。そのまま空中で前転。その遠心力に巻き込まれて髪が再び揃い、束となる。その先からはもちろんビームが出続けているわけだから、瀬草さんの頭上から巨大なビームの剣が落ちてくることになる。
それでも瀬草さんはそれを捌く。
守り勝つことが戦闘スタイルである瀬草さん。
それで世界一にまで登り詰めた男だ。今も襲いかかってきているのがビームの束、という本質を忘れることなく、ビームソードで切り分けていく。
ビームでビームを裁断していくという、この状況下でしかあり得ない異常な状況。
それを瀬草さんが敢行したのは、髪の毛ビームの向こう側から俺が襲ってくると考えたせいだろう。
だが、俺の――俺たちの狙いは“この段階で”瀬草さんに打撃を与えることではない。
確かに俺はビームを煙幕代わりにした。
そして目指したことは――
「どうした、間合いの読み違えか?」
俺の目の前にビームを弾きまくる瀬草さんがいる。
そう、この間合いに立つことだ。
俺は瀬草さんの質問に答える代わりに、ビームへの対処で脇が甘くなっていた瀬草さんの胴を抱え込んだ。
自分の身体に向かってくる攻撃だったなら、瀬草さんも対処していただろう。
だが荒れ狂うビームの奔流と、ここまでの対処の疲労も手伝ってのことか、さすがに隙があった。
そして、俺は――こればっかり練習してきたのだ。
――瀬草さんを鯖折りで仕留めるために!
力で仕留めるなら何よりこれだ。
一度捉えてしまえば、後はパワーにまかせてしまえば良い。
「イルン! そろそろ正気に戻れ!」
その掛け声を合図に、俺は目一杯の力で瀬草さんのボディを締め上げた。
「ぐ……」
さすがに百戦錬磨の瀬草さんは懸命に弱みを見せないように声を抑えているが、俺の腕に伝わってくる手応えは、ダメージがあると伝えてきている。
ミシッ……ミシシッ……
明らかにしてはいけない音がスクナのボディからも響き始めているしな。
「ハッ!」
わぁ。
ようやくイルンが通常状態に復帰したらしい。
……本当に「ハッ!」とか言って、正気に戻る奴初めて知ったぞ。
「イルン、最後の大詰めだ。的確に相手のダメージを読み取ってくれよ」
「パパ、何を……わ! これは一体何が……ダメージ指数が向上しています。間もなく予想限界値に到達」
まだ混乱からは抜け切れていないらしい。
「こ、この……こんな……こんな技で……」
瀬草さんが最後の悪あがきに、ビームソードを振り回そうとするが、こうまで近接した状態ではそもそもビームソードを振るうだけの余地がない。
そこも計算済みだ。
逆手に持っての、自爆覚悟の攻撃を繰り出してきたとしても……
「その前に、落とす!」
俺はさらに力を込めた。
するとそれに従って、暴れ回っていたビームがどんどん大人しくなっていく。
よくわからないのは相変わらずだが、とにかくエネルギー源としては同じ所から出ているらしい。
あの膨大なビーム出力を支えた、何かしらのエネルギー。
それをこの鯖折りに注ぎ込めるとしたら。
「パパ! それ以上やられると、私の身体の方が保たない……何かこの台詞って意味深っぽいね?」
どうも戦ってる最中の方がおかしいな、このイルンは!
「い、いい……事を聞いたぞ……」
なんというしぶとさ。
だが俺はここでうまく“いなそう”となどとは、もはや考えない。
“剛よく柔を断つ”
それを頭の中で唱え、さらに締める。
締める。
締める。
締める。
締める。
締める。
と・に・か・く、締める!!!!
そんな風に無我夢中で締め続けて――
「パパ! パパってば!! 終わってます! 向こうが緊急停止しました」
気付けばイルンこの声が頭の中でこだましていた。
言われて確認してみると、スクナ――瀬草さんの身体は俺の腕の中でぐったりとしている。
龍馬がそうだったように、ロボットの機能が操縦者の安全のために瀬草さんの意識のブレーカーを落としたのだ。
合身状態が解けないのは安全上の理由によるもので、ロボメイル戦で相手がこういう状態に陥った場合は……
「……勝った」
思わず呟いてしまった。
だが、つまりそういうことだ。
想定以上過ぎるハプニングもあったが、俺は日本のトッププレイヤーである瀬草さんを仕留めたらしい。
「パパーー!! やったーーーー!! 勝ったよーーー!!」
勝利の喜びはイルンにまかせておこう。
……あ、これ外には聞こえてないんだっけ。
すぐにエピローグUPするので、そっちで……ただ一言。
切り方間違った。