「俺の道場が動物園で大変です」
第二章 「俺の道場が動物園で大変です」
俺は遅刻ギリギリに校門を潜る趣味はない。
従って起床時間は午前七時となる。で、そのまま朝食だ。
朝から風呂に入ったり、ましてやシャンプーなどと言うのは好みではない。というか、ウチには風呂がない。
「おはや~す」
ボリボリと頭を掻きながら六畳間に顔を出すと、
「おはよう」
と親父が食後の茶を飲みながら応じた。
親父とは、朝のこの時間ぐらいしか会わない。ちなみに別段勤め先が遠いわけではなく、俺と同じで時間に追われて行動するのが嫌な性質なだけらしい。
さすが親子。
職種は確か輸入代理店の事務職だと聞いた覚えがあるな。
「そうそう、てっちゃん」
俺の分の目玉焼きを食卓に並べながら、お袋が朝の挨拶もそこそこに話を切り出してきた。
こちらは専業主婦だが、パートにも出ている。
こういう場合も専業主婦というのかな?
……考えると、風呂付きの家にぐらい引っ越せそうな気もするなぁ。
まぁ、すねかじりの身の上でとやかくは言うまい。そもそも俺は道場で風呂に入れるわけだし。
で、一体お袋は何を――まぁ、簡単に予測できるか。
「本当に道場は関係ないの? 全然、騒ぎが収まらないみたいだけど……」
あれから時は経過してほぼ一週間後の今日は金曜日。
なにしろ、ビルの側面ぶち抜いているのだから、ただで済むはずがない。
隣のビルはなんとか持ちこたえたらしいが、ジムの入っていたビルは取り壊して再築ということになるらしい。それでも茂木さんは合身状態だったので、身体自体は無事だった。
もっとも心の方はかなり問題があるようだが、俺が見舞いに行くわけにもいかない。
何しろ俺は、無関係、ということで通しているのだ。
そしてそれを保証する、ロボットとは合身したくてもできないキャパの無さが俺にはある。
……何だか情けない気もするが、いくら何でもビルの弁償は出来ない。
意地も安いプライドも打ち捨てて、逃げられるものなら、逃げてしまう選択肢以外は選びようがなかった。
それに使用責任としてはジムに過失があるということで落ち着きそうで、和光会長はその辺やり手なのかなんなのか、上手いことやりくりしているらしい。
どうも全日本ロボメイル協会、略してAJRAから何だか金を引き出しているようだ。あとビルのオーナーが入っていた保険。
AJRAが、その交渉に応じた理由は至極簡単。
「“謎の女性操縦者を探せ”って、昼のワイドショーでも全然下火にならないみたいだなこの話題」
親父の趣味は新聞広告の週刊誌の見出しと、ワイドショーのテレビ欄の煽り分をみて世間の話題について行っている気分になることだ。
ついて行っているという気分、と自覚している分、問題は多いのか少ないのか。
「あの日、てっちゃん道場に行ったわよね? いつも通り。それなのに家にいたことにしてくれなんて……」
大丈夫。
身内の証言は偽証罪にならないから。
「お世話になっている永井先生や、石丸さんに迷惑をかけているんじゃないでしょうね?」
俺の心配よりも先に道場関係者の心配をするとは、出来たお袋だなぁ、と思うが、そもそも隠すように指示してきたのは、そちらなのだ。
そして、そういった説明は何度もしてるんだけどなぁ。
今度はなんと説明しようかと悩んでいるところに、親父が立ち上がった。
そろそろ出社の時間か。
「まぁ、いいじゃないか。実際、鉄矢にはロボメイルは無理なんだし。ビルを壊したのはロボメイルなんだろ? どうやっても鉄矢が壊したって話にはならないじゃないか? そもそも女性なんだし。あ、そろそろ行くわ」
「はい、いってらっしゃい。それもそうなんだけどねぇ」
ここ数日間、朝のやりとりは決まってこれだ。月曜には朝のワイドショーも熱心だったから、針のむしろ度合いは、今の方がずっとマシだ。
だが、数日間にわたってボディブローを食らわせ続けられると――
「あら? もういいの? お腹でも痛い?」
はい。
とても胃が痛いです。
なんとか茶碗の飯は平らげたが、味噌汁は好物の大根であったのに半分ほど残し、目玉焼きはなんとか白身部分を味わった。
これを告白すると、大体変な顔をされるのだが俺は卵は黄身は嫌いで白身部分の方が好きだ。
黄身はなんというか……押しつけがましい鬱陶しさがある。
胃が痛い状況では、まず受け付けない。
しかし、ストレスで胃が痛い……などと馬鹿正直に答えるわけにもいかなかった。
「……うん、まぁ、道場でちょっとトラブルがあるのは間違いないから」
まるっきり嘘をつくよりは、少し真実を混ぜた方が何か負担が色々と楽になるような気がする。
罪悪感とか、嘘の持っている強度とか、そういう物にかかる負担だ。
お袋は、いつも通りの俺の言い訳を聞き頬に手を当てて、はぁ、と溜息をつく。
「とにかく本当に気をつけてね。しばらくは騒がしいと思うけど」
なんともお袋はお袋である。
イルンのママであるところ潤という女もこんな風にイルンを心配しているのだろうか。
あの日以降、イルンは姿を見せていない。
――監禁、とかじゃないだろうな?
*
あの日、何があったのか。
正確に言うと茂木さんが吹っ飛ばされたあとの顛末と言うことになるだろう。
潤という女に問題がある――そうと判明したところで、圧倒的なパワー、そしてビルの破壊という当面の問題についてはなんの役にも立たない。
そうとなると当初の目的通り、合身状態からの解除を優先させるべきだろう。
何よりも合身状態のままよりは、
野田鉄矢+イルン(コミバ状態)
の方が、色々と都合が良い――もちろん、逃げるにあたっての話だ。
しかし逃げるにしても問題があった。
龍馬だ。
これだけの面倒事で、あのバカにオフレコを要求するのは、どう考えても無理だ。
それに何より、事情を全部バラしてしまえば俺が間違いなく苦境に陥る。
そうなると、それだけのためにオフレコどころか、自らベラベラと喋る可能性の方が高い。
ここで、謎の女性操縦者が居なくなったとしても、第一級の目撃者として龍馬がいる以上――
「鉄矢君、と言うかイルン。これで君たちの強さは証明されたわけだ。合身状態を解くのに同意してくれるな?」
眼鏡を持ち上げながら、未だに混乱の最中にあるジムの中で功児さんが近付いてきた。
「うん、いいよ~」
脳内で響く声で、イルンが承知の意志を示す。
まず第一関門は突破だ。俺はうなずいて、功児さんにそれを示す。
「では、すぐにここを出て路地かどこかに隠れて、合身状態を解き給え。君はそのまま帰宅。今日は道場に来なかった。いいね?」
「あ、は、はい」
この場から逃げるという目的意識は一致しているのは頼もしい限りだ。
それで少し落ち着くことが出来たのか、俺はそこでようやく口元の装甲を解除した。
「イルンは、とにかく今日一日は大人しくしてるんだ。君がうろちょろしていると鉄矢君が窮地に陥る。いいね?」
「よくわかんないけど、わかった」
眼鏡の圧力に負けたのか、あれほど聞き分けがなかったクセに、何だか素直だ。
しかし今は有り難い。
「イルンも同意してくれました。しかし龍馬は……」
龍馬はなんだが惚けた表情で、隣のビルに張り付いたままの茂木さんを見つめたままだ。
確かに無茶苦茶な光景だが、これほどのショックを受けるとは少々意外な気もする。
「龍馬君は心配ない。これは彼個人の精神状態だけについて言っているわけではないよ」
「だけど……」
「良いからここはまかせ給え。当事者が残っていては誤魔化しようがない」
と、眼鏡を光らせて圧迫してくる功児さんに押されるようにして、俺はその後、ジムを逃げ出した。
そして指示通り、路地裏で合身を解いて――そこからあまり状態は変わっていない。
イルンとはその場で別れ、あの日以来会っていない。
龍馬は沈黙を守っている。
功児さんは、色々なインタビューや質問をのらりくらりとかわす。
学校へと向かう電車にゆられながら、何となく状況整理。
もちろん座席に腰掛ける、などという贅沢は許されない。満員ではないがそこそこに混み合った車内から見えるのは代わり映えしない、いつもの風景。
そう。
ロボメイル界隈では、まさに嵐というほどの動きが起きているはずなのだが、日常の風景には目に見えるような変化はない。
当たり前の話なのだろうが、それもまた寂しい。
吊革に預けた左腕に目をやると、ダイヤに狂いもなくほぼ午前八時あたり。
今日も余裕で間に合うな。
*
最寄り駅から学校までの通学時間は十分弱、と言ったところだろうか。
我が母校、となる予定の志府川高校は街中の隙間にはめ込まるように建設されている。
学力のレベルで言えば、それほど高くはない。
まぁ、俺が入れるぐらいだしな。
その代わりなのかなんなのか、スポーツは盛んで何年か前には野球部が甲子園に行ったりもしている。グラウンドもさほど広くはないのだが、伝統か何かで上手い練習方法でも確立しているのだろう。
校門を潜った俺に、そんな野球部の一人が声をかけてきた。
「野田。また眉間に皺が寄ってるぞ」
朝の挨拶も無しにそういう風に声をかけてくるのは、朝練終わりでユニフォーム姿(練習用の無地のものだが)の難波だ。
やたらにガタイの良い奴で、175cmの俺が見上げるほどのタッパがある。多分190cm近くはあるんじゃないだろうか。
ポジションはキャッチャーではなく、ライト。
三年の引退に伴ってレギュラーになったと聞いた。ポジション的に守備はあまり期待されおらず打撃に期待されている――そんな俺の勝手な想像は大体のところで的中していたらしい。
実際、何度か見かけたことのある難波のスイングは力の向きがキレイだった。
あれなら、当たれば柵越えは間違いないだろう。
しかし当たる確率を俺は感知しない。宝くじより優秀であればいいのだが。
「なんでそんないつもしかめっ面なんだよ」
それにしてもあったそうそうに文句を付けてくるとは、相変わらず天然で偉そうな奴だ。
とりあえずは常識的な対応を求めるとしよう。
「おはよう難波。俺としては笑顔よりも、挨拶を大事にしたい」
「おお、おはよう。確かに挨拶は大事な。それでここのところなんでそんなに不機嫌なんだ?」
「不機嫌?」
俺が――と思わず自分で自分を指さす。
「まぁ、ロボメイル界に女性進出のニュースを聞けば、夢破れたお前が不機嫌になるのもわかるが」
これがイヤミでも何でもなく本心からの同情であるのが始末に悪い。
さりとて、この流れに抵抗しないと、先々大分鬱陶しい――さて、どうするか、
「――そうだ」
「何だ?」
「お、俺のことを……」
「お前を?」
くそ。いざ口にしようとすると覚悟がいるなこの台詞。
「……好きだとか言ってる女子いるか?」
これには難波も絶句した。
だがこんな事を言い出した理由は、一応はある。
謎の女“潤”は今でも謎のままだ。これも変化していない状況の一つである。
そしてその正体にまったく興味がないわけではない。
俺の個人情報の入手方法とか、イルンの謎の性能とか聞いておきたいことも確かにある。
難波を煙に巻くために――つまりはしかめっ面の理由を説明するために“少しの本当”を混ぜた嘘をつくならこの方面だろう。
特に個人情報の収集手段として俺の周囲に聞き込みをする存在があれば大体の場合説明がつきそうだ。そういった存在は、容易にその対象に好意を抱いていいるとの認識を与えやすい。
そして難波は女子に顔が広い。原因は単純に野球部だからだろう。
求道的な野球道はすでに形骸化している。
「お前……もてたいと思うのなら、まず眉間の皺をだなぁ――」
「お前のモテ講座はどうでも良いよ」
来るだろうと思っていた脱線を即座に修正。
難波もそこでフムと、一端間をとってそれからきっぱりと断言した。
「いや。お前は全然モテてない」
改めて言われるとイラッとするが、派手に情報収集を行っている者はいないと言うことか。
あるいは難波の情報網に引っかからないだけなのか。
「――と言うかお前の名前は話題にすらあがらん。そもそも学校にいないだろ」
もっともな話だ。
学校には授業を受けに来ているだけと言っても良い。
「だからモテているとしても、学外の話なら俺はわからんぞ」
「学外……」
「何だ? ラブレターでももらったか? いやそんな直接的な話じゃないな。道場で噂話を聞いたとか」
――実はストーカー被害を受けている疑惑がある。
と、素直に返事をするわけにも行かないのでそこは沈黙で答えておいた。
しかし学外というのは、ちょっと盲点だった。
「なんだ? ロボメイルのことで悩んでいるかと思ったら、今更思春期か?」
「……思春期」
もてない男子の思春期は短い。
現実の前に思春期は砕け散るのが運命なのだ。
つまり、俺に思春期はあり得ない。
これは純粋にストーカーに対する防衛本能がもたらしている欲求だ。
「――なんか随分と深刻そうだが、もしかして本気で大事か?」
答えの返しようのない問いかけに、しばらく悩んでいると難波の方で勝手に気を遣ってくれた。
「いや。とにかく学校の可能性が潰れただけでも有り難い」
なんだかなし崩し的に探りを入れることになってしまったが、これはこれで成果だな。
とにかく大人しくしていようと、ここ数日それを心がけてきたが、こちらからのアプローチから、今回の件がばれるということもないだろう。
「おい。本当に問題があるようなら、相談に乗るぞ」
その有り難い申し出にすがりつく方法を考えてみたが、現状ではどうしようもない。
「有り難いが、とにかく自分で何とかしないとな」
「そういうことなら頑張れ」
竹を割った、と言うよりももはや手応えを感じさせない朗らかさで難波が応じる。
――相談するには最適な性格かも知れない。
*
前にも言ったと思うけどが、確かに俺と学校の関わり合いは薄い。
クラスの連中とはそれなりに交流もしているが、他は……まったくないな。
これでは恋愛をこじらせるどころではない。
こじらせる大元もないのだ。
そうなると確かに難波の言うとおり学外なのか。
しかし、他の学校となるともっと関わりが薄い。
さて俺はどこでストーカーに絡まれるようなことをしでかしたのか。
あっという間に授業は終わり、俺は半ば帰路と一体化した道場への道すがら首を捻ってみるが当たり前に思い当たる節がない。
さすがにこの時間帯の電車は余裕で座ることが出来、しかも大きく足を広げて座っても誰の迷惑にもならないという余裕ぶりだ。少しの背徳感がスパイスとなって、帰り道のちょっとした楽しみとなっているのだが、今日はその楽しみを満喫できそうもなかった。
しかし、ここでいきなり推理を中断できるはずもない。俺はそのまま考え続けることにした。
学校関係が望み薄となると、やはり道場関係。
まず師匠。
下手をすると、リアルでボッチの可能性がある人なのに、その人から俺が出会いを分けて貰えるとは思えない。
これは却下。
功児さん。
大学生。つまり女子大生。
……そうか。
同年代だと思いこんでいたが、もの凄く年上とか――無いとは言えないな。
で、龍馬をはじめとする他の門下生。
連中の知り合いの男女比率は異常なほどに男に偏っていることは確かめるまでもない。
――いかん。
イルンが、男女の区別が付いているのか確証がないぞ。
最悪中の最悪の可能性がある。
言うまでもないと思うが俺には同性愛の趣味はない。
*
「それで何か具体的な行動を起こしたのかな? 鉄矢君」
道場に着いて、準備運動代わりの“船漕ぎ”――簡単に言うと自然体で構えて両腕を前後に揺する動作――を行っているところ、功児さんにそう声をかけられた。
金曜日は確か講義があったはずだが休講にでもなったのか。
この人もたいがい、道場が好きだよな。
龍馬はここしばらく顔を見せず、道場の隅では小学生の大助と博がじゃれ合っていた。
博が相変わらず、
「死ねええええええ」
とか、実に物騒なことを叫んでいるがやっていることはカードバトルである。
この道場が託児所扱いを受けるのは古い伝統だ。
俺は特に隠すことでもないので、功児さんの問いかけに正直に答えておいた。
何か問題があるとマズイし。
「いえ。可能性をあれこれ考えて気分が悪くなったぐらいですね。せいぜいが難波に尋ねてみたぐらいですか」
「それで、心当たりは?」
「無い、ということです」
功児さんがいるせいか、今日は師匠の姿がない。
まぁ、そのうちに顔を出すだろう。
「鉄矢君、重心配分が雑だね。体幹を意識して、そしてそれを意識しない」
う。
今更、初心者相手みたいな注意を受けてしまった。
「こうしてみると、君はまだ力に頼りすぎている部分があるね。となると、あの現象はロボメイルの機能に寄りかかったものなのか。君の狙いもそこかい?」
「はい?」
「君が今更、潤さんについて調べようとする動機が僕にはよくわからない」
「動機……ですか? いやけど、実際ストーカー的な――」
「そう。あくまで“的”だ。今のところ君に実害はない、と僕は思うのだが。イルンも姿を見せていないよね?」
「だけど、このままじゃ何か座りが悪いというか……」
「鉄矢君。それでは実際に座り給え。じっくりと話をしよう」
「はぁ」
言われるまま、その場に正座。
何だかこれから説教を受けるようで――いや、実際に説教なのかも知れない。
俺、何かまずかったかな?
「今頃、龍馬君は必死で潤さんとやらの正体を探っているはずだ」
だが功児さんの第一声は意外なものだった。
「龍馬が? どうして?」
「それはそうだろう。イルンの性能は素人の僕の目から見ても規格外に思えた。その技術を独占できれば、今のロボメイル界でしばらくの間覇を競うことができる。龍馬君のそもそもの目的から考えても、これを逃す手はないよ」
龍馬のそもそもの目的。
それはロボメイルという競技に操縦者として参加すること。
なるほど、それならイルンの性能に心惹かれないはずがない――待てよ?
「じゃあ、龍馬が黙っているのって……」
「そういうことだね」
自分だけがイルンの技術者と説得してロボメイルを開発してもらう。
だからこそマスコミには何も言わない。自分が独占するために。
――すると、和光ジムの対応がやたらにイルンに緩い、というか手を触れようともしないのはその辺りが原因か。
茂木さんを、ぶっ飛ばした衝撃は今の今まで俺を苛んでいたらしい。
こんな簡単な理屈に今の今まで気づけなかったとは。
「――それで龍馬の方に成果は?」
「僕は知らないな。そもそも龍馬君に報告の義務はない」
確かに。
この道場は別にロボメイルジムではないわけだし。
「僕の所にしつこくインタビューという名の取り調べを行ってきたマスコミなのかAJRAの職員も、どうもわかってないようだったな」
なるほど、世間のそもそもの関心は俺とイルンがやってしまった破壊活動よりも、その性能の方が重要視されているわけだ。
功児さんは、あの時点でそういった“力の流れ”を見極めていたのか。
確かに茂木さん吹っ飛ばしてしまったこと以外にも、自分のしでかしたことや、ビルの弁償、そしてあのパワーと動転する材料は揃っていたとはいえ――これは未熟者と言われても仕方がない。
「そして今度は君だ」
「いや、俺は開発者に興味があると言っても別件なわけですし……」
「そう言い切れるのかい?」
功児さんが眼鏡を押し上げながら、さらに踏み込んできた。
「君の中には、ロボメイルで戦うことへの憧れがある。そもそもこの道場に来たきっかけがそうなのだから、それは否定できないはずだ」
「それは……そうですけど」
「そこで君はいきなり行動を開始した。僕にはそれが随分突然のもののように思える。実際、今まで君は大人しくしていた」
「それは功児さんが、そう指示したからで――」
「それならば、いきなり潤さんのことを調べようと判断した、僕の言いつけを時効扱いにしたのは何故だい?」
迫り来る眼鏡。
「じ、時効扱いにしたわけでは。それは何というか妙な勘違いをした友人をかわすための方便で……」
「なるほど、きっかけはそれなんだね。では、それは一時の方便ということであとはスルーしてもよかったはずだ。ところが君は、潤さんのことについて考え続けた」
そこで功児さんはようやく距離を取ってくれた。
「今、君の中には自分の中で把握しきれていない力の流れがある」
功児さんの人差し指が伸びてくる。
それは俺の右肩にツンとあたり――
――正座をしていたはずの俺は、そのままゴロンと転がされた。
お見事。
そうとしか言いようがない。
「や~い、鉄也さんの未熟者」
いつの間にかカードバトルを終えていた博が、そんな俺の姿を見て煽ってくる。
「やめなよ博。いくら自分が負けたからって、他の人に当たるのはよくないよ――さぁ、罰ゲームだ」
「や、止めろ大助。こっちに来るな!」
向こうでの強弱関係はいつも通りか。
そして、俺はいつも通りではない。
「鉄矢君。君はまず自らの内にある自身の心の流れを掴み給え。曖昧な力の流れに身を任せることは、我が流派の良しとするところではない」
俺は慌てて座り直すと功児さん――いや師範代に深々と頭を下げた。
「うん――では博君に大助君。罰ゲームも良いが、その前に先ほどの一戦の感想戦をしよう」
今度は小学生たちの面倒をみるらしい。
「ええ~~」
「僕が強いから勝ったんです」
即座に拒絶の意を示す小学生。
「何を言ってるんだ。戦いが終わったあとに、お互いに命があるという僥倖に恵まれたんだ。この機会を利用しないでどうする? それとも命の大事さを思い知るかい?」
途端にやんちゃ盛りの小学生二人が、背筋を伸ばした正座。
功児さんのガチ具合が、託児所としての信頼度を裏付けしてる事実は間違いない。
――功児さんは身体にまったく痣を付けずに、心に痣を付けることが出来るからなぁ。
*
そして俺は自分を見つめ直し、自分が最良と信じる道を進む。
――ということには残念ながらならなかった。
その理由は――やはり時間なのだろう。
結局の所、時の流れは誰しも平等で、つまりは色々考えていたのは俺とか道場の人間ばかりではなかったということだ。
そしてその兆しは一本の電話で道場にもたらされた。
つまりは功児さんに忠告を受けたほとんど直後、ということになる。これでは自分を見つめ直している暇はない。
「鉄矢」
「わ!」
いきなり背後から名前を呼ばれて、正座のまま飛び上がりそうになった。
振り返るまでもなく、この呼び方と声は師匠で間違いない。
師匠の気配がないのは、いつものことだ。
「な、何ですか師匠――!」
それでも振り返ったその瞬間、俺の背筋は凍り付いた。
師匠は、推測で言えば妙齢の美女――推測なのは“妙齢”の部分であることは言うまでもない。
ただ入門したときからあまり見かけは変わらないような気がする。
師匠は門下生と一緒に鍛錬は行わないので、今は普段着。そしてそれでもわかる胸部装甲の真っ平らさもいつも通り。
普段と違うのは瞳だ。
なぜか、すでに怒りが頂点に達している。
表面上は穏やかだけど、今にも瞳孔が縦に割れそうな勢い――完全に肉食獣の瞳だ。
「お前に電話だ」
だが危険な兆候を見せているのは瞳だけにとどめてくれているらしい。
表情が完全に無くなってはいるが声だけは穏やかに、子機をさしだしてくる。
「――俺に? それで道場に? 誰から?」
可能性が高そうな龍馬であるならば、まず師匠は先にそれを言うと思うのだが。
「中谷さんと仰るそうだ」
そんな俺の疑問を察してのことか、欲しかった情報が来た。
しかし「中谷」という名前の知り合いに心当たりがない。
俺を名指しと言うことなのだから、ある程度は俺のことを――
「相手は女だぞ」
その追加情報一つで、色んなことに説明が付いた。
電話の相手に心当たりも出来たし、師匠が怒りマックスなのも理解できた。
異性からの電話がかかってきただけで「リア充」に認定するのは辞めて貰えませんかね。
そもそも心当たりが確かなら、異性だとしても問題あるような。
「出るのか?」
心底嫌そうに師匠が重ねて尋ねてきたが、ここで拒否する選択肢はあり得ないだろう。
「出ます」
「チッ」
舌打ちは、もう少しこっそりとやるものですよ師匠。
俺が子機を受け取ると、師匠はその場にしゃがみ込んでじっと俺を見つめてプレッシャーをかけてくる。思わず救いを求めて功児さんを見るが、小学生二人の相手で忙しいようだ。
……あるいは忙しそうなふりをしているか。
「……もしもし、お電話代わりました野田です」
覚悟を決めて応答する。
『あ、は、はい中谷です』
なるほど女の声……というより女の子の声だな。
『こ、この度はイルンがご迷惑を……』
やっぱりか。
問題の「ママ」はこの人だな。
ただ俺たちが――いや、俺が間違っていたこともわかった。
『あ、あの……』
黙り込んでしまったことで相手――中谷潤を不安にさせてしまったようだ。
「う、うん。用件はわかってる……と思う。とにかく、ちょっと待ってくれ。いろいろ混乱してる。だけどまず……連絡くれてありがとう」
『あ……は、はい』
お互いに途切れ途切れの会話だが、もうすでに十分に意思疎通が出来たような気がする。
つまりは最初に功児さんが指摘したとおり、ストーカーとかヤンデレに思える部分はイルンが引き起こした不幸な事故で、彼女自身はそれを外に出すつもりはなかったのだろう。
いやむしろ、本人としては墓まで持っていくつもりだった。
しかし、あの“事件”が起きてしまう。
彼女は知らぬ存ぜぬを決め込むことも出来たはずだ。実際、イルンを足止めも出来るようだし。
だが、それは彼女の良心が許せなかった。
キチンと謝りたい――それが自分の恥をさらすこととなっても。
一週間という時間が経過したのは、やはり迷いがあったから……いや、彼女なりに冷却期間を置いたということかも知れない。
もっともそれが迷いであったとしても、俺には責める事なんて出来ない。
こちらは迷うこともせずに、ただひたすらに息を潜めていただけで、彼女の事を思い出したのもただの偶然だ。
それならもう、俺がするべき事なんか決まり切っている。
「こっちは……実のところそんなに面倒なことにはなってないんだ。俺はずっと大人しくしていただけで、迷惑をかけたのはむしろ道場の功児さんとか――知ってるんだよな?」
『あ、あの、すいません』
いかん。
何を言ってもイヤミになるぞ、この状況。
とにかく話を先に進めよう。師匠の瞳がいよいよやばい。
残念だけど師匠。もともと付き合ってもいないから師匠の大好きな別れ話にはなりようもないんですよ。
とにかく、これ以上電話越しで会話するのは危険だ。
しかし……
『あ、あの私の家に来ていただけませんか?』
そこにタイミング良く向こうからの申し出。
『その……色々と説明が必要なんじゃないかと思って』
確かに単純に謝罪を受け入れて、
「はい、さようなら」
で済ませたくはない。それに何より相手がそれを望んでいるのだ。
そして、ここまでの勇気を見せてくれたのだから、俺もそれに応えないわけにはいかない。
意地悪く考えれば、中谷さんには何かしら言い訳をしたいという欲求もあるのだろう。だが俺にはそれを受け入れる義務がある……と思う。
なによりこの道場でこのまま話を続けるのは俺の生存本能が許さない。
「鉄矢さんの女か~」
「鉄矢さんに女性から電話……雪でも降るのかな」
小学生ズも功児さんから解放されたらしい。
そのおかげで師匠がこれ以上ないほどに煽られている。
そして功児さんがそれを止めるはずもない。
『や、やっぱり突然こんな話、ダメですよね。ご、ごめんな――』
しまった。
色々確認している間に、向こうが話を完結させようとしている。
「い、いや大丈夫だから。むしろ是非、会ってみたい」
『え……あ、はい。じゃああの……』
「そちらの都合が良いのなら、明日か明後日でどうだろう?」
土日であるから、妥当なところだろう。
『わかりました。じゃあその……明後日で良いですか? 住所は――あと私の携帯番号……』
「うん。じゃあ俺のも」
もう知ってるんじゃないか、と思ったがそれは口にしない。
もっとも電話越しの反応だと本当に知らないみたいだった。やはり最初に感じた色々な恐怖はイルンの言動によって増幅されたと考えるべきだろう。
『そ、それじゃ。日曜日に……』
「わかった。細かな話はその時に」
と、社交辞令的な締め方でとりあえずは終わった。
しかしこれで日曜日を待つだけ、という一仕事終わった雰囲気にはなりそうもない。
まず龍馬にこのことを知られると面倒になる。この場にいる面々にとりあえずの口止めをしなければならない。
そしてそれを行うためには――
「鉄矢。稽古を付けてやろう」
師匠がこれ以上ないほどに力の向きを整理して立ち上がっている。
ただ真っ直ぐに、天地を貫くような力の流れ。
おかしい。
今、師匠は絶対に平静でないはずなのに、どうしてこんなに美しく構えられるのか。
鍛錬の成果が感情を上回っている――他に使い道はないのか?
そして師匠が唯一感情を抑え込んでいない、瞳がいよいよ人外の領域に突入しつつあった。
歪んだ瞳孔が俺を見下ろしている。
「どうした。立て」
た、立てって……立った瞬間に投げ飛ばされる。
それこそ俺の存在ごと。
そんな予感があるのに、ここで立ち上がるのは我が流派として正しいのか。
「ちわ~っす、お、い、いや、師匠! 数日顔を出さなかったぐらいで、そんなに怒らなくても!」
――龍馬が現れた!
俺は龍馬の声で皆の気がそれた一瞬の隙を突いて、その龍馬に襲いかかった。
龍馬を師匠に差し出す。
師匠の機嫌が幾分か良くなる。
そのついでに、龍馬の意識を飛ばせば他の人間の口封じをするまでもない。
何という一石二鳥な計画。
躊躇う理由は何もない!
「あ、こら、てめぇ! 何しやがる!!」
だが龍馬は往生際の悪いことに抵抗してきた。
ええい! 空気の読めない奴め!
こうなると、なまじ腕が互角であるだけに話がややこしくなる。
「よくやった龍馬。そのまま抑えておけ。鉄矢には祝福を与えなければならんのでな」
しまった!
師匠の一言で俺の華麗なるプランが一瞬でひっくり返ってしまった。
「祝福? ……鉄! まさかお前!!」
加速度的に状況が悪くなる。
一番知られてはいけない相手に“中谷潤”の情報が渡ってしまった。
こうなったらせめて師匠からだけでも逃れなければ――
――…………甘かった。
*
あちこちに痛みを抱えたままの日曜日。
俺たち――誠に遺憾ながら俺たちなのだ、これが――中谷家の最寄り駅にバスで降り立った。
ちぐはぐなことを、と思うかも知れない。
だが俺たちが住んでいる地域は南北移動には不自由しないのだが、東西の移動にはバスしか移動手段がないといっても良い状況だから仕方がない。
中谷家は、俺たちが住んでいる地域からバスで東に二十分ほどという駅が最寄りとなる……らしい。
この駅は隣の市の中心的な大きな駅でバスのロータリーもスペースたっぷり。様々な店舗が軒を並べている今は、午後一時。日曜であることも手伝ってなかなか賑わっている。
道案内はこの駅を基準に行われているので、ここからが本番という気分になってきた。
この駅からは話を聞く限りさほど遠くないらしく、向こうには出迎えを断って最寄りの大通りまで来てくれれば良いと伝えてある。
下火になったとは言え未だにマークされている可能性もあるし、出来るだけ既知の有人を訪ねていったという体裁は保っておきたいところだ。
それでもまったく土地勘がない状態で、未知の場所を進んでいくという高揚感は確かにあって、それが俺を“本番”という気分にさせているのだろう。
なし崩し的に連れになってしまった龍馬などは、目的がロボットとはっきりしている分、秘密基地を探し出すような気分なのだろう。
連れてくるに当たって、幾重にも釘を刺しておいたが龍馬は龍馬であるのであまり期待せずに、その場その場で対応するしかあるまい。
赤のブルゾンにジーンズといういかにもな格好だが、それには触れるまい。
俺は功児さんからジャケットを借りて、一応の体裁を整えている。
そうだった。
その功児さんに何か土産を買っていくように言われていたな。
俺はキョロキョロと周囲を見渡して、すぐに正解に辿り着いた。
あそこのケーキ屋で良いか。
「おい、どっちに行くんだ?」
焦れた龍馬が振り返りながら問いかけてくる。
もちろん、こいつに住所を教えるような間抜けなことはしていない。
「待てよ。何か買っていかないと――シュークリームとかで良いと思うか?」
「チッ! 何でも良いから早くしろよ」
俺はその背中を無言で蹴り飛ばした。
龍馬はたたらを踏みながらも何とか踏みとどまる。
もっと強く蹴るべきだった。
「な、なにしやがる!!」
「お前……自分の立場わかってんのか? 何ならここで置き去りにしてやろうか?」
実際、置き去りにしたいのだが、こいつは道場代表でもある。
師匠の犬となったこいつをおざなりにするとあとが怖い。
怖すぎる。
だから、そこは仕方なく妥協したが他の部分では全く妥協するつもりも義務もない。
「鉄……!」
実に恨みがましい声を出してくるが、もちろんそれにも取り合わない。
「いいから、そこのケーキ屋行くぞ。お前も半分出せよ」
「何で!?」
「お前の目的考えたら、媚びを売れるならいくらでも媚びを売っておいた方が良いだろうが」
何しろこいつの目的は「俺用のロボットを作ってくれ」という無茶なのだから、相手にゴマをすれる機会があるならすった方が良いに決まっている。
まったくこの龍馬は、こうも一から教えてやらねばダメなのか。
しかし多少は言葉数を増やしたせいか、今度は龍馬も素直にうなずいた。
――さて、今日という日が無事に終わればいいのだが。
起承転結で「承」が一番難しいような気がしてきました。
あと、サブタイトルが決められません。
以上、言い訳終わりです。