表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/18

二〇六四年六月六日 午後七時三十分 守屋猛(ロボット・クーナ)

「出てくれよ。ホントに申し訳ないと思うんだけど」

 電話の背後からは、鳴りやまない電話のベルの音からチーフスタッフの中田の怒鳴り声まで聞こえている。守屋猛の勤めるピザ店の店長の番号がスマートフォンに映った時から腹に溜まりはじめた苛立ちは頂点に達しかけていたが、それをかろうじて飲み込みながら話を続ける。

「他のスタッフはどうなんですか?」

「都築は実家の方に帰ってるし、土井と山本は連絡がつかないんだ。お前しかいなんだよぉ」

 店長の情けない声を聞きながら眉間にしわを寄せ、不機嫌さを全開に外界にアピールする。外は相変わらずの豪雨。猛が電話をするパチンコ屋の出入り口から、景品の入った袋を大量に抱えたホクホク顔のスーツ姿のサラリーマンが出てくる。彼はしばし眼前のすさまじい雨を見てしばし固まりながら顔をしかめてはいたが、やがて決心し袋を病気の赤子を抱きしめるようにかかえて小走りに店を後にして行った。

 高卒で勤めたビーイング社の新潟工場を二年で解雇されてから、特に目標も無いまま次の就職先までのつなぎにと今のピザ店にアルバイトとして勤めてもう十年になる。おかげですっかり仕事はできるようにはなったが、そのすぐカッとなる性分とあまり他人の事を顧みない自己中心的な性格が災いして、人望は薄い。もともとその性格から工場でも度重なる問題を起こし、休憩中に猛の勤務態度について陰口を叩いていた上司に対して暴行を働き、全治三週間の怪我を負わせたことが解雇のきっかけでもあった。

 猛の趣味はもっぱらパチンコである。非番であった今日は朝から雨風が強く、『天気が悪い日は客の出入りが悪いからパチンコ屋は出血大サービスをする』という特に根拠もない、それでいてどこか信憑性のあるジンクスを信じて朝一から居住するアパートから徒歩一分にも満たない近所のパチンコ店に突撃した次第だった。一日粘った結果、八日前に支払わられたばかりの先月分の給料をほとんど使い果たしてしまうという大惨敗を喫したが、最後半ばやけくそ気味に選んだ台に突っ込んだなけなしの一万円で見事当たりを引き、負けた分が半分は取り返せると踏んだ所で店長からバイトのヘルプの電話が来たのだ。猛にとってこれほど腹立たしいことは無かった。


「ですから、ちょっと風邪気味なんですって」

「……もう言うけど、どうせパチンコなんだろ?」

「え? な、なんでそんな事を」

「さっきから聞こえるんだよ店の音が。出入り口の近くかどこかで電話してんでしょ?」

 心の中で猛は舌打ちをした。雨を避けて出入り口の庇で話していたのがいけなかった。雨音がうまく店の喧騒を打ち消してくれるだろうと思ったが、考えが甘かったようだ。

 次の言い訳を考えている間に、電話のさらに向こう側からチーフ中田の「店長! 持ち帰りの客の対応して!」というヒステリックな声が届いた。

「中田が早く俺に出ろと。とにかくさっさと来て、いつか埋め合わせはするから」

 一方的に電話を切られ、今度は大きく舌打ちをした。虫歯患いのようなしかめ面で店に戻ると、店員にぶっきらぼうに玉の精算を指示した。「こちらまだ台は確変状態ですがよろしいでしょうか?」とわざわざ聞いてくる研修中の札を下げた店員に、「用事があるから帰るんだよ、そのくらい分かれボケッ!」と台をガンガンと拳で叩きながら怒鳴った。その様子を見ていた、大分歳をいった老人二人が「パチンコ屋のあんな光景は何十年経っても変わらぬものだな」と談笑しているのがまた無性に腹立たしく、猛はいっぺん怒鳴り散らしてやろうかと考えていたが、ここで余計な騒ぎを起こして仕事を遅れたら面倒な事にもなると考えて何とかとどまったのだった。結局換金した額は負けた額の三分に一程度にしかならなかった。


「お帰りなさい」

 アパートに戻ると家庭用ロボット、クーナがちょこっと頭を下げて待っていた。

「うっせぇ」

 猛はここぞとばかりの八つ当たりにクーナの顔をつかむとそのまま壁に打ち付け、そのまま引きずるように押し倒した。人間のように悲鳴をあげるわけもなく、玄関近くに山積みになったゴミの山にクーナは埋もれるしかなかった。

「クソ、絶対忙しいじゃねぇか。ボケ。だいたい雨の日はスタッフ多くシフトに入れとけっつうの」

 ぐちぐちと不満を口から滑らかに漏らしながら制服を通勤用のリュックサックに詰め込む。視界の隅に何事もなかったかのように起き上がるクーナを見ると、また忘れかけていたひどい苛立ちを覚え、猛はクーナを思い切り蹴り倒した。クーナは玄関の扉に全身を強かに打ち付けたが、少し時間が経てばまた立ち上がるのだった。猛のクーナのこのような扱いは日常茶飯事であった。クーナは猛が好んで買ったというわけではなく、ビーイング社の入社祝いに一人一台与えられる十二年前の最新型のモデル、現在では最も古いA-1型のロボットであった。もっとも家庭用ロボットは猛には特に必要のないものであった。家庭用ロボットというのは一般的に掃除、洗濯、食事といった主人の身の回りの世話をするものである。宅急便の受け取り、非常時の際の警察、消防への通報といった機能もあるが、それらが備わっているのは比較的最新の型であり、クーナのA-1の型式のロボットには備わっていないものである。

 猛は部屋が散らかっているほうが好きであるし、食事は材料を買ってきて作る家庭料理よりも社割で買うピザなどといったジャンクな物を好んでいた。洗濯物の匂いはあまり好きではなかったし、インターネットショッピングを全く利用しない上に両親と仲が悪く、昔の友人と疎遠になっていた彼に宅急便なぞを送ってくるような人間はいなかった。六畳一間台所ユニットバス付きで家賃二万二千円、築四十年を超えるボロアパートには、どんな物好きな泥棒でも入ってこないだろう。家庭用ロボットというものは日常生活では猛に不要なものであり、逆に六畳の部屋に身長百五十六センチのボディが片隅に陣取っているのはうっとおしくもあった。

 猛は人間と外見も動作も寸分も変わらないこのロボットに対して、人間で言う所の虐待を繰り返してきた。仕事で腹の立つことがあった時、パチンコで負けた時、懇意にしていたバイト先の女子高生に彼氏がいると分かった時。とにかく何か気に食わないことがあれば、クーナを殴る、蹴る、煙草を押し付ける、暴言を吐くといった事をした。時には馬乗りになって殴り続け、自分でモノをしごいてレイプの真似事のようなこともしたが、悲鳴を上げたりする人間的な機能が備わっていないためすっかり萎えた記憶もあった。人間なら大問題であるが所詮はロボット。猛にとってはいいストレス解消用の道具であった。加えてろくなメンテナンスも受けさせておらず、メンテナンスを促すロボット業者のハガキはポストの肥やしと化している。そんな扱いだから、ロボットの寿命はメンテナンス次第で三十年はもつところをわずかこの十年近くですっかりガタがきているようだった。クーナの特殊の人間の肌と寸分違わない感触と強度を持った合成樹脂ボディには所々に煙草を押し付けられた跡が痛々しく残っている。適当な服を着せられているわけでも無い、裸のマネキン状態のクーナの姿は、惨めな事この上なかった。

 コンピューターグラフィックで計算される七億六千万通りの顔の中から猛は最も平凡な物を選んだ。ブサイクではないが取り立てて美人ではない、可もなく不可もない外見。それが今まで乱雑に扱われたボディと相まって、薄幸な雰囲気を発散している。クーナを見ると、猛はクーナに対するうっとおしさをさらに感じるようになった。何故早い所売り飛ばさなかったのだろうかと考えては、クーナが贈られた際にオークションに転売して高く売り飛ばそうと考えていた十年前の自分を思い出す。しかし同じように転売をする輩は多くおり、それ故転売しても大した額にはならないと踏んでいた当時の猛は、いっそのことこのA-1型がプレミアが付くほどの年になったら、出張鑑定にでも出してみようという半ば夢想じみた事を考えたのだった。

 冷蔵庫からコロッケと鶏のから揚げがそれぞれ挟まった総菜パンを二つ取り出して貪り食い、二日前にバイト先からかすめておいたシーザーサラダをコーラで流し込むと、いくらか気分も落ち着いた。

 時計は八時前を指していた。至急来てくれと言われたからにはそろそろ行かなければ、と猛にしては妙な責任感を持ちながら部屋を後にする。出る直前、食後の一服に吸っていた煙草をクーナの左腕に押し付け、吸殻を台所の三角コーナーに投げ捨てた。外の変わらぬ豪雨にまた舌打ちをしながら、愛車の屋根付き水素バイクでアルバイト先まで向かった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ