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二〇六四年六月六日午後六時 日本電力甲信越支部新潟支所(ロボット・サラ)

六月六日午後六時、日本電力甲信越支部新潟支所は、にわかに慌ただしくなっていた。前日から東北、北陸地方の日本海側を中心に非常に激しい雷雨が襲うとは、天気予報で周知の通りだった。しかし、いくら科学が発達したとはいえ、自然災害の予測というものはいまだ不完全な姿を残したままである。今夕から明日の朝にかけて想定を大きく超える、まさに十年に一度というレベルの雨、雷が襲うという通達が気象庁から来たのは既に豪雨が新潟県全域を襲い始めていた頃であった。支部は落雷による停電が起きた際に新潟県全域をカバーする予備電源の準備に追われていた。


「まったく、気象庁ももう少し精度を上げて欲しいものだなぁ」

 所長の栗原は大きくため息をついた。ホログラムコミュニティによる役員会議で、停電時に新潟含む各県の自然エネルギー発電所から緊急時の電力供給の切り替えを速やかに行うことが決まった。先ほど支所にもひとまずの方針が伝えられ、オフィスは落ち着きを取り戻していた。

「自然というものに人間がかなうというのは無理な話ですよ、所長」

 部下の近藤が苦笑しながら電子煙草を吹かす。ミントの爽やかな香りが室内に広がった。

「どうやらスカイレールはほぼ全面運休のようで」

「参ったなぁ。タクシーで帰りたいが、ここの所運賃の値上げがうっとおしくて」

 近藤の隣では、エンジニアの柳沢と鈴木がリキッドフォンを操作しながらしかめ面を浮かべている。鈴木の手元には薄透明な液晶が浮かんでいる。いつでも一声かければ呼び出して空間に立体映像を浮かべて通話することも、プライバシーモードにしてあらゆるインターネットの閲覧を行う事も出来る。あらゆる機能を持った最新型のリキッドフォンだ。普及はまだまだではあるが、新し物好きな鈴木がボーナスの三分の二をつぎ込んだ結果だ。

「こういう時に人間の無力さというものが分かりますね。僕はもう会社に泊まります。もういいぞ、パレット」

 鈴木のその一言で、リキッドフォンはコミカルな動きをしながらぽん、と空間から消えてしまった。最初は物珍しさから鈴木がこれを行うたびに冗談交じりの歓声が上がっていたが、最近では当たり前の光景となってしまった。

「まぁ一段落、とりあえず着いたことだ。コーヒーでも淹れよう。おい!」

 栗原が声をあげて呼ぶと、給湯室から一台のロボットが出てきた。ロボットと言っても、外見、動作は人間とほとんど変わらない。少しくぐもった合成音声だけが、唯一ロボットと見分けられる点である。日本電力関東支部の掃除、雑用その他を行っているA-1型家庭用ロボット。愛称は「サラ」だった。

 恰好は女性社員と同じスーツ姿で、サラはコツコツと栗原のそばに歩いてくる。

「何か、ご用でしょうか」

 サラは体をかがめ、栗原に機嫌をうかがうようなしぐさをする。

「コーヒー4つ、すぐにだ。それが終わったら掃除」

 手元の書類に目を落としながら、栗原はさらにそう答えた。余りにも愛想のない返事であるが、サラは「かしこまりました」と無機質に返事をして給湯室へ戻って行った。


「技術の進歩について考えたことはありますか?」

「ん?」

 コーヒーをすすりながら、柳沢が近藤に唐突に話しはじめた。外はひどい土砂降りで、時折雷がその存在を存分に誇示するように光り、雷鳴をとどろかせている。時計は九時を回っていた。

「近年、科学技術は急激に発展しました。家庭用ロボットなんてのが生まれ、鈴木は『出ろ!』と言えば出てくる出来た犬のような携帯電話を持っています。こんな事、五十年前には想像できなかったことでしょう」

「それもそうだなぁ」

 近藤はあまり興味が無さそうに同じくコーヒーをすすった。可もなく不可もない、インスタントコーヒーの味が口いっぱいに広がる。

「やはり人間というものの進化は素晴らしいですね。私自身、この世界に入れることを幸せに感じています。自然災害の予知などに関しては今日のように、まだまだの領域ですが……」

「君のいう事は確かに分かる。だが……」

 飲みかけのカップを机に置いてから、近藤は遠くの机の後ろでせっせと掃除をするサラを見る。

「私はあまりそう思わん。サラを見ているとな」

「サラ、ですか?」

 柳沢が怪訝な顔をして近藤とサラを交互に見る。

「彼女は……いや、彼女というのも変かもしれないが、私の娘と同じくらいの年頃に見えるんだ。十七、八くらいだろう。だから、サラが支部長に特に愛想もないまま使われていると、何か胸が痛くてね。それに彼女の型番はA-1だったか……ビーイング社が作った、最も古い型の家庭用ロボットだっただろう。かれこれ十年近くはこき使われているのだと思うと、みじめというか何というか……」

「そんな事を言っても、たかがロボットではないですか。家庭用ロボットが普及しはじめてから、もう十年以上経ちます。ロボットの寿命はメンテナンスや部品交換次第で三十年以上。しかし今では最新型でも新品で十数万円で買えるものです。その気になればすぐに買い換えることもできる機械にそんないちいち気にかけていては、この世知辛い世の中を生きていけませんよ」

 柳沢の軽い口調に、自分に真意がまるで理解されていない、と近藤は少し不快な気分になった。しかし実際、柳沢の言う通りなのだ。人類は科学技術と同時に経済や国家間関係というという点でも進歩しつづけていた。表立った国家間の紛争はこの二十年近くは起きていない。不景気や貧困といった言葉は死語と化し、誰もが皆与えられた環境の下で幸福に生きている。その一方でより高みを目指す弱肉強食な社会が日本では形成されており、人々の心に周りを見るような余裕がなくなってきていたのもまた事実であった。

 近年では家族への無関心や同年代への過剰な対抗意識が社会問題となりつつあった。自分よりテストでいい点を取ったからと同級生を殺した高校生の事件などが記憶に新しい。「愛」の感情が欠落しつつあるような社会のムードが、この世を徐々に蝕んでいる……

 科学の進歩は人を貧しくさせる。近藤はこの時代に生きる者としてそう悟っていた。しかし、果たして自分と同じ考えがこの日本に、この世界に何人いるのだろうと暗い気持ちになってしまうのだ。誰もロボットなんか気にかけない。皆自分の幸せをより確かに、より良いものにするために生きているのだ。

「コーヒーはもう結構ですか?」

 柳沢は空になった自分のカップを持って、近藤に話しかけた。サラは既に掃除を終えていて、部屋の隅で次の指示を待っている。

「いや、もういい」

「そうですか。おうい、コーヒーもう一杯ちょうだい!」

 近藤に遠慮したのか、柳沢はサラを手招きしながら呼びかけた。いつもであれば、乱暴者の亭主のようなものの言い方なのだが。サラはいつもの様に「かしこまりました」とだけ返事をして、給湯室へ戻って行った。

「まぁ、先ほどの話は分からなくもないですが……」


 その瞬間、全てを震えさせるような雷鳴が響き、全てが闇に包まれた。電源はほんの数秒足らずで復旧し、オフィスには明るさが戻った。

「やっぱり停電したか」

 栗原がいまいましげに電灯を眺める。外は相変わらずの豪雨で、その音がオフィスの中に変わらず漏れている。

「でも予備電源の切り替えに異常は無かったようで……」

「それは何よりだ」

「後は本部から何か対応の電話さえ来なければなぁ」

「それに尽きますね」

 そう言って柳沢がふとオフィスを見渡し、異変に気付いた。何かが足りない。

「サラ?」

 柳沢のつぶやきに他の三人が一斉に振り向く。本来であれば停電なぞお構いなしに、給湯室から柳沢のコーヒーカップを持って出てきているはずのサラの姿が見当たらなかった。以前栗原が風邪をこじらせてオフィス内で倒れてしまった際、救急車を呼ぶなど切迫した状況にあるにも関わらず「十七時です。退社の時間になりました。お疲れさまです」と知らせるサラに対して「うるさい!」と鈴木が一喝した。普段ひょうきんで冗談を言っては笑いを生む鈴木らしからぬ行動にオフィスがしばし沈黙したその状況を、皆が思い出していた。都市伝説である『感情発火』でも怒らない限り機械は感情が無い。故にサラは栗原を「大丈夫ですか?」と心配することは無かった。その幼い子供かボケた老人のような空気の読めない、かみ合わないやりとりが、今この一瞬の停電というひっ迫した展開から生まれるはずであった。それが無いというのは柳沢のみならず、皆が不自然に感じて当然の事であった。

「あれ?」

「給湯室にいないか」

「いない。どこに行ったんだ」

 四人があたりを見回しても誰もいない。サラの行方は誰もが知らない事であった。ただ分かったことは、給湯室にはまだ温かいコーヒーが残っていたということだけである。

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