修理完了
「さぁさ、どうぞ座って座って」
穂村ロボット修理店の、雫の住居である二階の居間にヴェラ、希衣子、そしてアイは通された。麻美は先ほどまで雫が眠り込んでいた、その体温のぬくもりがまだ冷めやらないソファに座るよう促し、皆一様におとなしく腰掛けたが、ただ一人希衣子だけは、もじもじと指を動かし、落ち着かない様子であった。
麻美は目を爛々と輝かせていたが、そこに普段冷静な彼女らしくない好奇心の色が渦巻いているのは誰から見ても明らかだった。隙あらばチラチラとアイに視線を向け、目が合うとからかうような笑みを浮かべて目を反らすという、ケンカを売っているとしか思えない仕草を続けていたが、無論麻美にそのような意思は無く、あくまで“感情を持ったロボットが目の前にいる”という現実を前に好奇の目が押さえられないというか、日常生活においてありえない事象に出くわしているという状況が、深夜の妙なテンションと相まってハートの高揚に火をつけてしまっていた。
「さっきから何、チラチラ見ないで」
不快感を前面に押し出した、突き放すようなアイの言葉を受けても、麻美は軽く会釈をして「あ、いえ失礼しました。どうぞごゆっくり、むふふ」と、若干口角が上がったその笑顔を一切崩さずに答えた。
麻美のその態度を見て、ヴェラは思わず小さくため息を漏らす。本当にこの店に頼んでよかったのだろうか。そう自問してみては、ほかにアテもなかったのだから仕方無かったと、無理に自分を納得されるのだった。
同じ時刻、酒の飲みすぎ故ひとしきり吐き続け、すっかり酔いが醒めた雫は、階下の工場でバラバラになった希衣子のロボット、テルーの修理に取り掛かっていた。
両腕、両足、頭部、胴体が完全に切断された、というよりは何者かによって力ずくで捻じ切られたようなその傷口は、先ほどのあのロボットとよく似ていた。
まずは頭部の電子頭脳と、胸部の動作回路をチェックする。
頭部の電子頭脳と胸部の動作回路は、ロボットにとって非常にデリケートな部分であることは常識である。頭部の外的衝撃による損傷などは電子頭脳に致命的なダメージを与えるものであることは間違いない。しかし神から愛されたロボットというべきだろうか。テルーの頭部はほほの部分には何かに殴られたのか、ボディの骨格が不自然にひしゃげており、電子回路への影響は計り知れないものがあるだろうと、ちょっとした不安を覚えた雫であるが、精密検査の結果、奇跡的に電子回路は無傷であった。動作回路も特段問題は無かった。
先ほどのあの異形のロボットを修理した際、最後に現れたクリーンアップのエラーから考えるに、ロボットたちの感情の動力源は、間違いなく電子頭脳にある。そう仮説を立てていた雫は、まず電子頭脳が無事であることにほっと胸をなでおろした。
だが念には念を入れて、電子頭脳を改めて詳しく調べて見る。さまざまな電子回路や回線がつながれている中をマイクロスコープで、ホコリひとつ、傷ひとつ、決して見逃さないよう目を凝らした。特に異常は見られないようだったが、ここまで来ると徹底的に調べておきたいと考えた雫は、さらに念には念をと、普段のメンテナンスはもちろん、おそらくロボットが出荷から機能不全になり、スクラップにされるまで、おそらく一度たりとも人の目にさらされることは無いだろう、電子回路の一つ一つの部品の内部まで徹底的に調べることにした。マイクロスコープの先端に極細カメラを装着し、メンテナンス用のテレビジョンに映し出すと、雫でもここまでしっかり見たことは無いというくらいに、回路の一つ一つを隅から隅まで丹念に調べ上げた。
すると、動作と返事機能を司る集積回路の内部に、見たことの無い部品が装着されているのを発見した。黒いカバーに覆われているその集積回路の内側に、まず日常的に確認することは無いだろう小さな物体が装着されている。雫はメンテナンスの部品カタログなぞをバックナンバーも含めて隅々まで探したが、やはりそれに該当するような部品は見つからない。
一体に、この部品は何の役割を果たすものなのか? まさか、ロボットが感情を持ったことと何か関係があるのか。
そう考えた雫は、これは下手に触れないほうが良いと判断し、とりあえずは電子頭脳の検査をやめて四肢がバラバラになったテルーのボディを修理することを決めた。エナジーオイルを交換し、新しい関節部分のパーツと電子回路を用いて、四肢を再びつなぎ合わせる。かなりレベルの高い修理ではあるが、雫にとっては朝飯前であった。
こうして三十分きっかり修理を完了させ、最後に充電用のプラグを繋げてから、階上へと上がる。
居間ではヴェラと希衣子が午前三時という時間に必死に抗うように互い寄り添いながら、時たま顔をコクコクと揺らしつつ眠気に耐えており、一方アイは、頬杖を付きつつ相変わらず居心地悪そうに、まさに機嫌の悪い子供のごとく下唇を突き出して、仏頂面で窓の外の月を見やっていた。そしてその様子を麻美が、コーヒーを飲みつつニヤニヤとしているという、何かのお笑いコントのようなシュールな情景が生まれていた。
雫が部屋に入ると、先ず希衣子が、その可愛らしい目をぱちりと開いて勢いよく立ち上がる。
「あの、テルーは」
「大丈夫。電子回路も動作回路も特に異常は無かったですし、あくまで四肢が吹っ飛んだだけですから。治りますよ」
恐る恐るという様子でそう問いかける希衣子を、雫は落ち着かせるようにやさしく、ゆったりした口調で説明する。
「よかった……」
胸をなでおろす、という表現がぴったりなほど、ベタにほっとした様子を見せる希衣子であるが、遅れてうんと背伸びをし、ひとつあくびをするヴェラもまた、まどろみながらも雫の説明はしっかり頭に入っていたようで、目を細めつつ少しばかりの笑みを浮かべた。そしてスッと立ち上がると、雫の手をぐっと握り、そのデフォルトに鋭いのであろう眼光にあふれんばかりの優しさを輝かせつつ、頭を下げた。
「心から……感謝する、ありがとう」
「本当に、ほんとにありがとうございます」
次いで希衣子もまた、ぎこちなくはあるが雫に向けて最敬礼した。
「いや、そんな……」
二人の素直なお礼の言葉を受けると、つい照れくささから言葉が出ず、純粋なはにかみ顔を見せる。ロボットを修理して、ロボットを大切に思う者からの真摯なお礼を言われる機会というのは圧倒的に少ないのだ。
「とりあえず、テルーさんは今充電を済ませているところです。明日の朝ごろにはしっかり動くでしょう」
補足説明を入れる雫の横から、しばらくその様子をニヤニヤで見ていた麻美が不意に言葉を挟む。
「どうですか? せっかくですしウチで休みます? 夜も遅いですし」
「えっ?」
麻美の提案に、ヴェラと希衣子は少しばかり遠慮がちな反応をするが
「それがいいですよ。遠慮しないでください。実は、あなた方二人のロボットに興味がわいているんです。明日お二人に色々聞いてみたいですし、もし都合がよければ……」
と雫も麻美に加勢した。
この日は金曜日であり、学生には翌日午前まで学校が控えているはずだ。見たところ学生風であるヴェラと希衣子に雫はダメ元で聞いてみたのだが、意外とあっさりと、ふたりは大丈夫、と言いたげなまんざらでもない反応を見せたので、結句
「じゃあ、お言葉に甘えまして」
というヴェラの言葉により、この奇妙なロボット会合はひとまずの区切りがついた。
しかしここで唐突に、静観を決め込んでいたアイが
「あーあ、何さ。つまんないの。ヴェラ、明日起こしてね」
と、退屈に耐えかねた子供のような言葉を残すと、自ら後頭部の電源スイッチを切ってしまった。
「あらま。主人が自分以外の人と仲良くしているのを見て、嫉妬したんでしょうね」
麻美のからかうような言葉も、電源が切れ目を閉じきっているアイには届かない。だが、ヴェラが相も変らぬ慈悲深い、母性さえ感じる愛しみにあふれた表情でアイを見やっていた。