二〇六四年六月六日午後五時三十分 穂村雫(ロボット・ケリー&シェリー)
「修理は無事完了しましたが、ひとつお伺いしたいことがあります」
神経質そうに、首筋に手を添えて“肩が凝った”のジェスチャーをしつつ、穂村雫はテーブルの向かいに座る、上品そうな婦人に向かって刺々しい声を浴びせた。化粧っ気はないさっぱりとした顔に妙に釣りあった猫眼をキッと鋭く向けながら、手元の書類をざっと七、八枚テーブルの上に並べる。書類には、婦人が所有する家庭用ロボット、ビーイング社のCX-24型の左肩関節装置の誤作動の修理明細が一枚。残りの書類はすべて修理中に発見した別の部位の不具合の報告書と、それを直す修理の見積書であった。
「これは、どういったものでしょうか……?」
婦人はいささか困惑の表情を浮かべていた。使用していた家庭用ロボットの左腕が突如として機能しなくなり、この際なので色々点検してほしい、なる旨を述べつつこの“穂村ロボット修理店”にロボットを持ち込んだのは、ほんの一時間前のことであった。
そして穂村ロボット修理店の店主である目の前の女、雫から修理が完了した連絡を受けて再度来店した次第であったが、その雫はどうしたことか、イラつきというか、怒りにも似た雰囲気を発散させている。
何かよくないことを自分はしただろうかと、婦人は気弱そうな表情を浮かべた。すると雫は、二人のテーブルの横、壁際に置かれたロボットの充電カプセルにつながれた婦人の、すでに見て分かるほどに色褪せ、古びた雰囲気を纏ったロボットにチラリと目をやり、そして突然早口で、まるで裁判で容疑者を問い詰める検察官の如く、恐るべき迫力とスピードでもって話を始めた。
「見ての通り、このロボットの不具合一覧です。ずいぶん長い間……というより、このロボットをお買い上げ頂いてから今まで、一回たりともまともなメンテナンスを行っていませんね? 電子頭脳のクリーンアップをしばらく行っていないようで、特に左半身の基盤は動作エラーが頻発している状態のようです。今回の故障はその基盤のエラーが原因で、左肩関節の動作をつかさどるパーツ回路に不具合を起こしたと考えられます。その他にも、右眼球の緊急時録音、録画システムのカメラ機能系統の起動エラー、右手首のパーツ破損、右手小指及び左手中指薬指の機能不全、音声検索機能のインターネット接続障害、返事機能で使われる音声分析回路のエラー……それからエナジーオイルの交換及び補充も向こう八ヶ月行われてません」
「あら。そんなことでしたか」
雫の説明をざっと聞いた婦人は、先ほどの気弱な表情をサッと明るく、まさに拍子抜け、という様に目を丸くした。
雫はついに眉間にしわを寄せ、ギンと思い切り睨み付けるが、婦人は「こんな事になるなら、買い換えたほうが良かったかしら……」と言いながら手元のバッグから長財布を出し、精算の準備を始めようとしていたので、ついに雫はバンッと机を少々強めの勢いで見積書ごと手のひらで叩きつけ、婦人を大声で怒鳴りつけた。
「そんなことですって!? ここまでロボットをほったらかしにしておいで、挙句に買い替えとはなんですか!!」
雫の激昂もどこ吹く風。婦人は“なに急にキレてるのかしらこの人?”といわんばかりの、実に不思議そうな目で雫を見やる。その目に、ボロボロになったロボットの身を案ずるような色は毛ほどにも無かった。
「そういわれても、最近はロボットもだいぶ安くなりましたし。そこまで気を使うことも無いかな、なんて思ってるので」
そのまるきり他人事のような、温かみのある感情に欠けた婦人の言葉を聞くと、雫は何かブチ切れでいる自分がひどい空回りをしているというか、えらい虚しい存在に感じてしまい、眉を八の字に下げてガックリと椅子に腰を下ろした。
この人にも、何を言っても無駄だろう。
「そうですか。いや、失礼しました。じゃあ、お会計を……」
ため息交じりに会計を勧め、婦人は修理費をさっと払うと、ロボットは後日配送する旨を確認してから、さっさと退店してしまった。店にロボットを持ちこんできてから今、この瞬間まで、婦人がロボットに目をくれることは結局一度としてなかった。婦人のエア・カーが宙に舞い、空中国道に合流するまで雫はその姿を見届け、やがて深いため息を一度ついた。
穂村雫は元来ロボットオタクというか、ロボットという存在を愛してやまない人間であった。
それはプロ野球を見るのが好きとか、アイドルの誰が好きとか、そういったニュアンスではなく、まさにライクよりラブ、愛に近い意味合いで“ロボットが好き”なのである。三ヶ月ほど前に大学を卒業し、同時に親元を離れ、学生時代のアルバイト料に加えてあちこちから借金をし、それらを元手にたまたま地価、物件ともに安かった新潟のセントラルブロックに位置するこの街に穂村ロボット修理店を開業した。
正直に言えば、開店してからのこの三ヶ月間、穂村ロボット修理店は大盛況であった。国内において最高レベルの偏差値で知られる北陸工業大学のロボット専攻科を首席で卒業した。この経歴が物語るように、雫は大げさでなく、ロボットに関して知らないことは無いと言ってもいいほど、卓越した知識と修理、メンテナンス技術を持ち合わせていた。とどのつまり、実に腕のいい職人なのである。加えて二十四時間営業という、ロボット修理店であればまず当てはまらない規格外な営業時間。これらがあいまって昼間夜間を問わず多くの人々が修理の依頼に来てくれるようになった。
だが、いくら店は黒字経営、盛況であっても、日を追うごとに雫の気持ちはふさぎがちになっていた。雫が穂村ロボット修理店を開業したのは、多くの人々のロボットをこの目で見、そして多くの人々にロボットを大切に扱う心を持ってほしいというのが大きな理由であった。
正直に言えば、大学在学中にロボット修理に関するコンテスト、ロボットの知識、技術研究等で多くの成果を挙げてきた雫は、多くの有名なロボット企業や大手修理工場などから、就職の斡旋を受けることができた。だが雫はそれらをすべて蹴散らし、縁もゆかりも無い新潟のこの地にロボット修理店を開いた。それは、大学在学中より前。理由は無いが、まさにロボットというものに対する無限の愛を感じるようになった幼少期より抱いていた、“ロボットを乱暴に扱わず、大切にする”という、雫にとっては当たり前以外の何者でもなく、そして世の中の大多数の人間に欠落しているこの感情を広めたい、という内に秘めた情熱があったのだ。
だが、修理店を開いてからはそうした情熱は延々と空回りを繰り返していた。多くの人々が修理に訪れてくれるが、修理に出されたロボットは、不具合以前にメンテナンスが圧倒的にされておらず、ひどい状態で動かされていたものがほとんどであった。雫は修理を終え、引渡しの際に必ず客にメンテナンスを怠らず大切に扱ってほしいという旨を伝えていた。
だが、結局のところいくら自分がロボットを大切に扱う意義を説いたところで、多くの人々には
「そう言われてもたかがロボットじゃないか」の一言で片付けられてしまう。それが雫には歯がゆいというか、鈍重鈍感な意中の人に自分の必死な気持ちを伝えても理解されないような、やりきれない思いが溢れてならないのだ。
最近ではそれが妙な苛立ちに変わってしまい、客とケンカじみた言い合いをすることも多々あった。結局のところ、自分のロボットに対する情熱を同じく理解してくれる人は、ほんの一握り以下でしかないのだろうか。もしくは、自分がこれまでの人生における指針を決めてくれたといっても過言ではない、“ロボットを大切にする”などという気持ちは、安価で家庭用ロボットを求めることができるようになった現代のロボット事情を考えると、もはや時代遅れな思想に過ぎないのか。そんな後ろ向きな考えが頭の中で点滅を繰り返し、なおさらに気が滅入ってしまうのだった。
午後七時を回ったころ。土砂降りが街を包む中、修理店の扉が開いた。
「おはようございます」
夜勤アルバイトの地元の工科大学生、戸谷野麻美だった。ぐしぐしと頭をタオルで拭きながら、店頭奥の修理工場で修理を続けている雫に声をかける。
「ああ」
雫は意気消沈、といった様子で気の無い返事を返すと、ふぁ、と大きくあくびをしてから伸びをした。
「明日の朝九時にCJ-07型のお客さん取りに来るから、最終確認とメンテだけしておいて。なんかあったら起こしてね」
「了解です」
きわめて事務的に二人は会話を終え、雫は修理店の二階へと階段を上がっていく。
穂村ロボット修理店は一階が修理を受け付ける店頭カウンターと修理、メンテナンス工場が一体となっており、決して広くは無いが狭くも無い、絶妙な面積をもっていた。この面積はそっくりそのまま二階にある雫の居住スペースにも当てはまるが、所詮独り者である雫にとって、ちょっとした核家族一組分は十分に暮らせる二階はありあまる寂しい広さをもっている。階段を上がってすぐに廊下があり、突き当たりは居間とキッチンが併設されている。左側には風呂と脱衣場、トイレ。右側には特に使用していない部屋が二つあり、ひとつは麻美が夜勤明けに大学通学までの間仮眠なぞを取るのに使っていた。
「おつかれさまです」
居間に入ると、雫の家庭用ロボット、シェリーがねぎらいの言葉をかける。昨年開発された“会話プログラム”により、まさに喜怒哀楽を表現するロボットとして注目されたビーイング社のDS-001の最新型DS-003、この春発売された最新式の家庭用ロボットであった。
「ありがとう。お風呂沸かしておいてくれた?」
「もちろんですよ。今日のメニューはどうしますか?」
雫がケリーに笑顔で話しかけると、ケリーもまたロボットとは思えない、人間と寸分違わない花が咲くような笑顔で元気に答える。DS-001型からは“感情表現機能帯”と称される、会話機能、表情変化機能、喜怒哀楽判断機能の三つが備わっており、ほとんど人間と違わない会話が可能になった。
「ありあわせでいいよ……そうだ、ほうれん草のおひたしが残っていたはずだから、塩コショウでベーコンと一緒に炒めて。あとは任せるから」
「かしこまりました」
「今日も美味しいの、頼んだよ」
そう言って雫がいたずらっぽい笑顔を向けると、ケリーもまた、ぱちんと可愛らしいウインクをしてから、鼻歌を歌いつつ台所へ消えてゆく。その様子を見ると、雫はついに、普段の彼女らしくない気味の悪いニヤニヤが抑えられなくなり、ついにケリーから伝染するかのように鼻歌などを歌いながら、暖かい風呂にゆったり浸かり、一日の疲れを洗い流すのだった。
三十分後、バスタオル姿のまま居間に戻ると、ほうれん草とベーコンのバターソテーのいい匂いが鼻孔をくすぐり、否が応でも食欲が刺激される。冷蔵庫から缶ビールを一本取り出し、砂時計の砂が落ちる最後の数秒のごとく、さーっと一気に飲み干し、一息つく。生来の酒豪である雫にとって、この仕事終わりの一杯は何物にもかえ難いひとときであった。
「お酒の一気飲みは危ないですよ」
フライパンを揺らしながら、ケリーがすでに冷蔵庫に大量にストックされている缶チューハイに手をつけはじめている雫に忠告する。じろりと訝るような目を向けるケリーに、わずかながら酔いが回ってきていた雫は軽い絡み酒を始めた。
「なぁに。そんなこと、法律で決まってるんですか~? ん?」
「……いいですか。昨年度の厚労省のデータによると、急性アルコール中毒による死亡事故は前年比より二パーセント増加しているんです。急性アルコール中毒の原因はアルコールの過剰摂取と一気飲みなんですよ!」
「細かいことはいーの。この、この」
いたってまじめに反論するケリーが実にいとおしく、缶チューハイに口をつけながら頬をつん、つんと突っついてちょっかいを出してしまう。
「ふん、もう知らないから」
ケリーが口を尖らせながら、ぷいとフライパンに視線を落とす。その拗ねたような、人間とまったく変わらぬ横顔をまじまじ見ると、本当にロボットなのだろうかと疑ってしまうほど、そのつくりは精密だ。そして同時に、ロボット技術の大いなる発展に未来への強い希望を抱き、また明日から仕事をがんばろう、という気持ちになるのだった。
だが雫はふと、台所の端に目線を送る。そこには、ロボット専用のチェック柄のカバーをかけられた一台の家庭用ロボットが横たわっている。シェリーと名づけられたそのロボットは、雫の幼少期に穂村家に買われたビーイング社のA-1型という、ロボット科学創成期に生まれたもっとも古い型の家庭用ロボットであった。これまでさまざまなロボットを買い求めた雫であるが、幼少期よりともにすごしたシェリーにだけは、妙な愛着があった。この穂村ロボット修理店の自身の居住スペースに、実家から持ち出して置いているのも、シェリーの姿を見てはロボットを大切にするという初心めいたものを忘れないでおくという、ある種今の雫の活力を支えるひとつの要素となっていた。
シェリーに歩み寄ると、カバーを少しずらして、その少し色褪せ始めた、金色の髪に包まれて妙に物憂げな表情をしながら目を閉じる彼女の顔を撫でる。そしてケリーとまた違う、狂おしいほどのいとおしさを感じながら、雫はしばしその場に座り込んでいた。その内に何気なく、メンテナンスついでに明日電源を入れて動かしてみようと思い立ち、電源プラグにつなげて充電を開始すると、すぐに雫はソファへ戻って、またとめどないアルコールの快楽に浸る。
その後、缶チューハイからウイスキーの水割り、ワインをハシゴし、外の雨音をBGMにソファでまどろみ始めたときであった。思わず飛び上がってしまいそうなほどの、恐ろしい大音量の雷鳴が鳴り響き、雫はソファから転げ落ちてしまった。
「なっ、何」
混乱している間に、電気はあっさりと復旧した。同時に、居間の壁に設置された階下の工場に繋がる直通電話が鳴り響く。言わずもがな、電話の主は麻美であった。
「一瞬停電しましたが、特に工場のほうは異常無いので、安心してください」
「あ……ああ、そっか」
「では。おやすみなさい」
実に冷静に状況を報告すると、さっと電話を切ってしまう。麻美は穂村ロボット修理店最初のアルバイトであり、なおかつ夜勤という身体的に響く仕事を精力的にこなしてくれている彼女に雫はいつも感謝の念を感じているが、基本的にクールでどこか近寄りがたく、また自分のことをあまり話したがらない性格をしているので、いつも事務的な仕事の話しかできないのが、悩みの種というわけではないが、ちょっとした日常引っかかるコトのひとつだった。
「ねぇケリー。戸谷野さんってどんなものが好きかな?」
不意にケリーに問いかけては見るが、ケリーから返事は無く、わずかな沈黙の後に充電中だったことを思い出す。
ひとつ大きくあくびをした後、テーブルの上に一口だけ残ったワインをクッと飲み干すと、それがトドメの一撃といわんばかりに、ソファにくたっと沈んで、ついに雫は眠ってしまった。