したきり雀 第9話
――時は少し巻き戻る――
「あー疲れた疲れた」
恵美は農作業を終えたお年寄りのように腰を叩きながら立ち上がった。周りの生徒達も伸びをしながら、うな垂れながら、笑顔になりながら、多種多様な様子で席を立つ。
ようやく6時間目の授業も終わり、部活、遊び、家に直行でゲームなど、様々な楽しみを抱えてそれに汗を流しに行く事が出来る放課後となった。
「えと……。本日の私達の活動はどうするのですか?」
莉緒が重そうなカバンを手に持ち華子の席に来た。恵美も薄っぺらいカバンを男子のように肩にかけて、華子の席に来ていたずらっぽい笑顔で二人の様子を探るように見ている。
今日は珍しく華子は莉緒よりも遅く登校してきて、更には珍しく華子はお弁当ではなく学食を食べに行った事以外は、普通の日と変わりなかった。
「今日は……直帰よ! 私は家で調べ物がまだ残っているからねっ!」
華子は、二人の目の前で指をパチンと鳴らすと、得意げな顔をして言った。
「あ……例のですか? 私にもお手伝いできる事はあります?」
「もちろん! 調べ終わったらその情報を元に、判明した容疑者に一緒に聞き込みに行くわよ!」
華子が、そう莉緒に言っている様子を恵美は感心した様子でホーっと声を出して見ている。
「私は部活だけど……それ面白そう。何か分かったら昨日みたいにメールでも何でもいいから教えてね!」
「任せなさい。あんたにもきっちりと仕事与えてあげるから」
恵美はチラッと時計を見ると、二人に向かって「部活やだなぁ」と言って、笑顔で手を振り教室を出て行った。
「つかの間の休息ですね。では帰りましょう」
「そうね。さあ帰るわよ」
華子と莉緒も教室を出て靴箱に向かう。上履きを履き替えると、校門へ向かった。
「華子、Seven Daysでも食べに行きますか?」
「おっ、 それ良いわね。私はチョコクッキーにでも……。あっ! しまったぁ!」
そこで華子は、目をつぶりながら指先で自分の額を一度叩いて悔しそうな顔をする。
「私、地理の青柳に呼び出されていたのよ……」
「えっ? 優等生の華子がですか?」
「やっばっ! ちょっと行って来るわ。莉緒はもうこのまま帰っておいて。また明日ね」
背を向けた華子の袖を莉緒はそっと掴んで、上目遣いに華子に聞く。
「華子、今日はほんの少し様子が変じゃないですか?」
「何を言っているの。普通でしょ。……あっ! ちょっとお腹痛い日だからかな?」
「……そうでしたか、それは失礼しま…」
「ゴホッ……ゴホッ……」
微笑んだ莉緒の目の前で、突然華子は咳き込んだ。
「大丈夫ですか? そう言えば……恵美さんも今日の朝、咳をしていましたよ」
「ん……んんっ!」
喉仏を触りながら華子は軽く咳払いをすると、何事も無かったかのように笑った。
「じゃあ、恵美の風邪がうつったのかしら? それとも、昨日夜遅くまで起きていたからかも。それじゃ、地理の青柳に風邪でもうつしてくるかな」
華子は舌を見せると、靴箱に戻っていった。
その背中を見ながら、莉緒は表情を無くした様な、能面な顔でポツリと言った。
「様子が……変……ですよ。……あなた……達」
莉緒は正門から学校を出ることなく、踵を返すと別の場所に向かった。
「私は悪に罰を与えたい」
どうしてこんなに悪が栄えているのか。神は何をやっている。神の雷とは……まさに雷。年間に数えるほどの人にしか当たる事が無い。そんな悠長な事で、この溢れる犯罪者達をどう裁くのか。順番待ちする長蛇の列。殆どの者が裁きを受ける前に天寿を全うしてしまう。
あいつもそう。こいつもそう。なのに、人間に任せておけば、真っ黒じゃなければ罰を与えないぬるさ、無能さ。
人は言う。人間は神を模して作られたと……、勝手にのたまう、ほざく。
違う。神の代弁者、代替者とは……私。
悠長な神、無能な人間に代わって…………。
私が裁きを下す。
無罪か有罪。釈放か……罰。
You are sentenced to death.(死刑)
その人物は用心深く廊下を覗いた。人の姿が無いのを確認すると、角から出て真っ直ぐに進む。
鷹の様な鋭い目、兎のような臆病な耳で近くにいる全ての生命の存在を掴もうと努力する。
ある教室の前で足を止め、背を扉につけると、瞳だけを動かして左右を探る。後ろ手でドアを横に動かし拳が入るほどの隙間を開けると、横目で中を覗いた。中には人気が無く、その室内の角の席にはもちろん誰も座ってなどいない。
音も無く中に入ると、静かにドアを閉める。薄暗い教室内でチカチカとスクリーンセイバーがその人物を照らす中、教室一番後ろ、窓際の席に座った。
太陽は力尽きるように地平線に落ちてゆく。その弱った光すらも気にかけるように、机に座った人物はカーテンを自分の席が隠れる程だけ閉めた。パソコンの時計を見ると、時間は十八時三十分と表示されていた。
USBメモリを端子に突き刺す。ソフトが起動するのを眺めているその人物は呟いた。
「悪の証拠を確認しただけで終わったのはうかつだった。あの子は何を見つけたのか……。深田がこちらの事を気づいていたとは考えられないが……。カメラでも仕掛けていたのか?」
程なく画面にサルベージ完了の文字が出た。すぐにその人物は次のソフトを起動させる。途端にパソコンのハードディスクはカリカリと音を立て、何かを書き込む音を響かせる。
「とりあえず今日は時間が無いからこの簡易方式でハードディクスを上書きしておくか。明日の朝一で、復元不可能な方法でさらに上書きをする…」
[ガラッ!]
その時、勢い良くパソコン教室のドアが開いた。パソコン前にいた人物は体を大きく震わせた。
「珍しいわね。あなたが……パソコン?」
ドアを開けた少女は、薄暗い室内においても目を爛々と輝かせているように見えた。
「ま……まあ、私もたまには……」
「たまには……で、その席?」
「こ…の席が……。何か?」
ドアを開けた少女は真っ直ぐに一番後ろ、角の席に向かって来る。
髪を揺らして歩いて来た少女は、長い前髪を指で後ろに流しながら言った。
「その席は深田さんがいつも使っていた席なの」
パソコンの前に座っていた、こちらも黒髪で長い髪の人物は椅子から立ち上がる。目に軽く掛かった前髪を、少し首を振る事でよける。少女の前に立ちはだかり、そのパソコンの前に来させないようにして愛想笑いを浮かべる。
「そう……。それは知らなかっ…」
「もう一度聞くわ。…………恵美、あなたはそこで……何をしているの?」
「……………………私も華子達の手伝いがしたかったの。実は家でお姉ちゃんのパソコンを使う事が良くあって……実はちょっとだけ詳しいの」
「それで? その席でデータを探っていたって事?」
「うん。華子が何か見つけたんなら、私にも少しは手がかりを見つけられるかもって…」
その恵美の話を遮るように華子は口を開く。何かを見つけたように顔を緩ませた表情の華子。それは、自分の心の奥底まで見透かすような顔に恵美は思えた。
「あなた……さっきはこのパソコン、深田さんがいつも使っていた物だって……、知らないって言ったわよ」
「…………っ」
恵美の顔から表情が消えた。歯を噛み、口を閉じたが、その奥歯は小さな音をカチカチと鳴らしていた。
その横を、恵美を睨みつけるような目で華子は身をかわして通り過ぎ、パソコンのディスプレイを覗いた。画面には『処理中 8%完了』と表示されていた。
「これは一体何を? サルベージ? いえ、ひょっとして、ハードディスクの消…」
するりと華子の首に巻きついた何かが口を塞いだ。右側から気配を感じ、そちらに目を向けた華子が見たのは、黒い髭剃機のような物だった。
[バチッ!]
「あっ…がっ………」
華子の黒い瞳が色を失った。糸が切れた操り人形のように、垂直に崩れて床に伏した。
スタンガンの先から放たれる火花を見ながら笑っていた恵美は、左手で倒れた華子の髪を掴んで引き起こすと、その顔を見ながら……また笑った。




