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したきり雀  作者: 音哉
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プロローグ

2012年5月の作品です。

 

 カツン カツン


 白く冷たい床の上で複数の靴音がこだまする。

 

狭い廊下を三人が並んで歩く。制服を着た体格の良い警察官に挟まれた男の腰には紐が付けられ、紐の先は左の警察官の手の中へと伸びていた。

 

廊下の先にある木製の扉。その前に立った男の口は緩む。こみ上げる笑いを堪え切れなくなった男は、咳払いでそれを誤魔かした。


「高遠どうした? 昨日は冷えたが、体長でも崩したか?」


「いや……むせ込んだだけです。拘置所は快適でしたよ」


 高遠と呼ばれた男は、腰紐が外される様子を見ながら答えた。そして、顔を上げると警察官の顔を見ながら続ける。


「良い経験でした。こんな所に泊まれる機会なんてめったにありませんしね」


「判決はまだ出ていないぞ」


「ふふふ……」


 男は分かっていた。有り余るお金で雇った有能な弁護士から「証拠不十分で無罪になるのは確実」と、聞かされていたからだ。



 静まり返った部屋で、中央に座っている裁判官がゆっくりと口を開く。

「主文。被告人は無罪」

 傍聴席で泣き崩れる家族があった。





「では失礼」


「……ああ」


 拘置所の前。出口で男は刑務官に軽く頭を下げる。そして踵を返すと、背中を震わせて笑った。


「何を笑っている」


「ははは……。いえ、別に……、ぷっ…くっ……あはは!」


 振り返ると、不快な顔をして男を睨みつける刑務官。それを見て男の笑い声はますます大きくなる。


「私は無罪。あの女など殺してはいない。罪人でもない私にその顔は駄目でしょ」


「……分かっている。この睨んでいるような目は生まれつきだ」


「それではごきげんよう。もう二度と会う事は無いと思いますけど!」


 男は手を広げておどけた様子をみせた後、足を揃えて敬礼をする。それを見ている刑務間の頬は、痙攣するかのように細かく震えていた。


「因果応報。悪い事をすればきっと自分に不幸が返ってくるぞ」


「あっはっは! 神様が何とかしてくれる? そんなものは貧乏人の僻み。金があれば力がある。力があればこの世界の事実など捻じ曲げられる。喰われた奴らは天に向かっていつまでも祈っていればいいっ! ふはははは!」



 足取り軽く、スキップに近い歩き方をしながら男は近くの繁華街に向かう。日はビルの建物に姿を隠した夕方、男は赤く染め上げられた大きな公園へ足を踏み入れた。


「久しぶりの一服だな」


 ポケットからタバコを取り出し、ベンチに座りながら火を付けた。男は深呼吸をするかの様子で大きく吸い込み息を止め、そして煙を口から吐き出した。


「ふう。…………ん?」


 タバコの余韻に浸りながらうつむいていた男。視界に僅かに入っていた靴を見つけて顔を上げる。すると、目の前五メートル程の所に一人の女が立っていた。いや、女と言うには幼く、しかも何処かの学校の制服を着ている。


「何か用か?」


「無罪になられた方ですよね? OLさんが殺された事件の」


 少女はまるで道を尋ねるかのように男に聞いた。事件関係者のような敵意も感じないので、男も口元を緩めて話の相手をする。


「……ああ、そうだ。残念だよ、お腹に俺の子供を身ごもっていたってのにな」


「裁判でそう判決が出たのでしたら、貴方は何もやってない、そうですよね?」


「もちろんだ」


 男は平然と少女を眺めながら答える。


「たとえ嘘を付いていても、それは神様か自分しか分からない」


「……証拠を集めて、100%黒じゃなきゃ牢屋にぶちこめないって決まりがこの人間世界だからな」


 男は火がついたままのタバコを女のそばへ投げ捨てて、ベンチから立ち上がった。


「校内新聞か? それとも……売りか? 後者なら他を当たれ。ほとぼりが冷めるまで危ない橋はしばらく渡らない」


 男は少女の頭からつま先をジロリと目でなぞった後、顔を背けて公園を繁華街に向かって歩き出した。


「貴方は無罪なんですよね。誓ってくれますか」


 少女は後ろから、男にやっと聞こえるような声で言ってくる。


「ああ? 誓わないとすっきり出来ないタイプなのか?」


 首を返した男を少女は黙って数秒間見つめていたかと思うと、また口を開いた。


「ええ、私に誓っていただけますか。貴方は無罪だと。女の人を殺していないと」


 男は一度目をつぶり、体を少女の方へ向けると、目を三日月のようにして笑いながら言った。


「いくらでも誓ってやる。俺は女を殺してないっ! 無罪だっ! 誰も俺を裁く事はできないっ!」


「……舌きり雀はちんとんしゃん。嘘つき悪い子はちんとんしゃん。舌を引き抜き黙らせろ……」


 男が言い終わった時、少女は小声で何やら子守唄のようなものを歌い出していた。静かなその歌声は、雑多な世界の音を全て打ち消し、男の耳に大きく響いた。


「ちっ……。なんか気味の悪い奴だな。もういい! 取材は終わりだ!」


 男は眉間にしわを寄せながら再び少女に背を向けると、憤ったような足音をさせながら公園の出口に歩を進めた。少女が後ろで小さくなり、目の前に繁華街が広がった時、男の目尻は下がり、口元が緩んだ。


「嘘か……。嘘発見器とかチャチな物とかじゃなくて、本当に心の声を聞く事が出来たら、裁判も簡単になって、俺のような奴が大手を振って外を歩く事も無くなるのにな。あっはっは……………はっ」


 空に向けて大口を開けていた男の目が急にカッと見開いた。


「がっ……がはっ……!」


 喉を押さえて咳をしようとするが、上手く空気が吐き出せない。男の顔はあっというまに赤から青になり脂汗が出始めた。


「い……息が……喉……が……声が……舌………舌………かっ」


 ついには膝をついた男。その周りをいぶかしげな顔をした人々が通り過ぎていく。


「たすけ……」


 右手を伸ばしながら前のめりに倒れた。


 人垣が出来、救急車のサイレンが聞こえた頃、男の呼吸も脈も完全に止まっていた。





「神様っていると思う?」


「いるんじゃない?」

 


 子供の会話ではない。最近高校生達の間でよく交わされる話題。いや、社会人の間でも同様だ。



『女性会社員殺人事件。証拠不十分により無罪判決を受けた元容疑者死亡』



私のお母さんが言うには、実は20年前の高校生も時折そんな会話をしていたそうだ。そのお母さん、お婆さんの世代もそうらしい。昔からひっそりと伝わっている言い伝え。



――悪い子には(ばち)があたる。



 迷信? 違う、近頃では都市伝説のレベルも超えている。



「でも無罪だったんでしょ?」


「やっぱりやってたんじゃない? 人間には限界あるけど、神様だと分かるからとか?」



『放火殺人元容疑者、事故死。持病か?』



 嘘をつくと閻魔様に舌を切られる。聞いた事ある子多いよね?



『また! 元容疑者、喉に舌を詰まらせて窒息死。伝染病か? 集団練炭殺害事件』



 テレビで偉い学者が話していた。調べてみると昔からある病気だと。最近になってウイルス性の伝染病じゃないかとメディアが騒ぎ出したため、皆の知る所になる。どういう訳か犯罪者やそれに近い人ばかりなると言う偏りで、社会が興味を持ち始めた。


素人目には絶対犯人に間違いなく、100%嘘付いているのに、それを覆せる証拠が無いから仕方なく軽い量刑にされた人や、無罪になった人が頻繁にかかる病だ。ストレスから現代病の可能性を調べている研究者もいるらしい。



 でも、私は知っている。


 それは舌切り雀がやった事だと。



本日22時に第一話が掲載されます。

以後、一日一回、時間は不規則更新です。

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