王との謁見
テレポートの際に感じる一瞬の浮遊感の後、フラーレンが最初に認識したのは周囲の喧騒。この時点で自分が思わず目を閉じていた事に気付く。目を開けると、周囲を見回し、無事に目的地に着いた事を確認した兵士が、王城のほうへと歩き出す光景が目に飛び込んでくる。馬車等での迎えは無いようだ。
「王様って意外とケチだね」
兵士達から少し距離を取り、喧騒の中にあっても木倉にだけ聞こえるように声量を絞って愚痴るフラーレンを、木倉は優しく諭す。
「冗談でもそう言う事は言わないほうが良いですよ。いくら小声でも、この距離だと兵士達の耳に確実に入っているでしょう。あの兜には聴覚補助の魔法が掛かっているみたいですし」
木倉が言ったとおり、五人の兵士のうち後ろを歩く二人が顔をこちらに向けている。いきなり転送広場に現れた城の兵士と冒険者。異様な組み合わせを遠巻きに眺めつつも、道行く人や立ち止まって見る城下町の人達の様々な会話が飛び交う中、特定の声をピンポイントで拾う……。
脅威の性能にフラーレンは内心焦ったものの、咄嗟に肩を竦めるジェスチャーを見せて冗談である事をアピールする。
「……そう言えばダイアは? 呼ばれて然るべきだと思うんだけど」
本来なら出発前に聞くべきなのだが、いきなりの事態で聞きそびれていた事を木倉に尋ねる。……というのは建前で、本音は今この場に漂っている気まずい空気を入れ替えるのが第一の目的だったりする。
「本人に聞きましたが、ダイアさんは遺跡に入っていませんよね? 今回の件では残念ながら対象外なんですよ」
木倉の返答に思わず納得してしまう。確かに今重要なのは遺跡と、それに関連していると思われる男。特異な形状をした得物を振るい、グラファイトと互角以上に渡り合う異能と戦闘力を持つ未知の敵。……言い方は悪いが、ダイアの出る幕ではない。
「はぁ……前途多難とは正にこのことね」
これから起こりうる事象を想像したのか、フラーレンは溜息と共に肩を落とし、げんなりとした表情を浮かべる。
そんなフラーレンの憂鬱など露知らず、兵士達は普段から往来の絶えない大通りの人の流れを真っ二つに引き裂き、当然のようにそこを通る。これは兵士の権力のようなものである。兵士が身に着けている鎧は王家の権力の象徴なのだ。大多数の人は脇に寄り、よく分からない人はとりあえず大多数の人に従い、結果として道が出来る。 兵士の持つ見えない権力に驚きつつも木倉とフラーレンはついていき、門をくぐって町の外へ出る。ここからはモンスターが出現する為、戦闘準備を取ろうとしたフラーレンを木倉が制止する。
「何で止めるの?」
「落ち着いて周りを良く見てください」
言われて横を見ると、立派な四頭立ての馬車があるではないか。更に兵士達の姿は見えず、御者も手で乗るように促している辺り、王家の物である事は間違いない。
促されるままに馬車へと乗り込むと、中は案外広く作られており、八人位なら余裕で入れるほどのスペースが確保されていた。座席については、仕切りのような物は無かった為、二人は比較的空いているところに腰を下ろす。御者が覗き窓から全員座った事を確認すると、掛け声と共に手綱を操る音が聞こえ、馬車はゆっくりと走り出した。
どれ程の時間が経っただろうか、馬が激しく嘶き、馬車がその歩みを急に止めた。急停止した為に車内が揺れ、座席から放り出されそうになる。兵士が御者に何があったのかを尋ねると、御者は切羽詰った声で答えた。
「し、襲撃です! 進路上にモンスターが!」
その言葉にフラーレンが立ち上がり、声を荒げる。
「何ですって? 結界とか張ってなかったの?」
「フラーレン、今は対策のほうが先ですよ。馬をやられると後々面倒ですから」
「いえ、ここは我らにお任せを!」
馬車の外に出ようとした木倉を手で制し、代わりに兵士達が鎧から忙しなく金属音を鳴らしながら馬車から外へと躍り出る。そして入れ替わるようにして御者が車内に転がり込んできた。
「……どうするの? このまま兵士に任せちゃう?」
「丸投げする訳にはいきませんよ。どうも兵士達は前方にしか集中していませんし、ここは後方の見張りと援護に別れましょう」
「流石木倉さん、そう来なくっちゃ!」
「いくら褒めても何も出ませんよ?」
二人は頷き合うと、フラーレンは身軽さを生かして馬車の屋根へ飛び乗り、木倉は馬車の後ろに背中をぴったり付けて後方の見張りを行う。
(戦況は……って、まだ始まってないか。敵は――スライムとウルフか、苦戦するような相手じゃないわね) 敵は固体とも液体とも言えない半透明かつ緑色をしたゲル状の体を持つスライムと、以前ソタン砦を襲い、遺跡に近付くフラーレンたちにも攻撃を仕掛けてきた狼に似たモンスター。
どちらも四体居るので計八体。対してこちらは武装した上に戦闘訓練も積んでいる兵士五人。不意を突かれたとはいえ、鎧も剣も既に装備している以上、負けることはまずありえない。
(もしグラファイトなら、この間に剣を三本位生成して、スライムに投げつけているでしょうね。――あ、スライムが居るってことは、水場が近くにあるのかな?)
戦いの結果がどうなるかは目に見えているため、フラーレンは視線を前方から外し、周囲の観察に移る。
今馬車が居るところは整地された道で、その道は真っ直ぐ王城へと続いている。城への距離はそう遠くないが、決して近いとも言えない。強いて言うなら徒歩より馬車を走らせたほうが早い距離である。
そして道を外れた場所には大人の膝丈ぐらいの草がずっと遠くまで生えており、水場の確認は極めて困難。
もし大きな水場があればスライムが大量発生している可能性があったが、逆に危惧するほどの大きさであればここから見えない訳が無いので、フラーレンはひとまず安心だろうと見当をつけた。
その時、兵士達の気合の篭った声が聞こえてきたので、フラーレンは前方に視線を戻す。
どうやらウルフが先陣を切り、それを兵士達が迎え撃ったようだ。兵士の頭を噛み砕こうと大きく口を開けて飛び掛ったウルフは、次の瞬間には兵士に上あごと下あごの間に刃を入れられ、そのまま横に一刀両断された。
他のウルフも爪の一撃を弾かれた後に返す刃で切られたり、突進を躱され、更にすれ違いざまに首を飛ばされたり等してあっという間に全滅した。
そして兵士の中でも隊長と思われる兵士には、ウルフが向かってこなかった為、単身でスライムを倒しに行った。
スライムはまるでこっちに来るなと言わんばかりに兵士に向けて毒性の強い体液を飛ばすが、兵士はそれを難なくかわすと持っていた剣の先を下に向け、スライムの頭上から一気に突き立てた。
スライムは刺されてからも何とか逃げようともがいていたが、やがて力を失ったのか、粘性を失った水が飛び散り、地面に染み込んでいった。
(流石にスライムの倒し方くらいは知ってたか……) フラーレンはそっと手に持っていた札をホルスターに戻した。スライムはその見た目から軟体生物と思われがちだが、実際は魔法によって作り出された擬似生物である。
しかし何があったのか今ではすっかり自然界に適応し、大雨が降った数日後に大量発生しては、度々討伐依頼が出されたりしている。
そして弱点はスライムの中心部にある直径十センチほどの球体。それが核であり、魔力の集合体である為に非常に不安定で脆い存在だ。
その核を守る為にスライムは魔力を使って様々な特性を水に付与して生き残ろうとする。先ほどの毒液や粘性を持った水もその一つである。
(空にも敵影は無し。今回はアタシの出る幕は――いや、一つだけあるわね。おせっかいかもしれないけど)
フラーレンは気付かれないように結界用の札を取り出し、屋根に貼り付けて呪文を詠唱する。数秒もしないうちに詠唱は終わり、札を中心とした半径十メートルに透明色の結界がドーム状に展開される。
少なくともこれでスライムやウルフを初めとした低級モンスターの接近は防げるはずである。
フラーレンが結界を張り終える頃には、他の兵士も残りのスライムの核を的確に貫いて倒していた。そして兵士達は倒したウルフ達の残骸を馬車の進路上から取り除くと、馬車へと戻る為にこちらへとやってくる。
(後腐れの無いように時限式にしてっと、急いで戻らなきゃ……)
王国の教育方針なのか兵士達は皆プライドが高く、自分達が有利な状況で横槍を入れられることを酷く嫌う。同じ兵士ならともかく、一介の冒険者に助けられるなど、エリート意識の強い彼らからしたら許せないのだろう。
丁度フラーレンが馬車から降りたところで、兵士達の目に留まる。
「お前達、何をしていた?」
兵士達のうち、一番先頭に立っていた者が咎めるような口調でこちらに詰め寄ってくる。他の兵士達はさっさと馬車の中へ戻っていった。
「見張りをしていただけですよ。後ろから敵が来ないとも限らないでしょう?」
それに対し不敵な笑みを浮かべて返す木倉。兵士は得心がいったのか、口調が少し柔らかいものに変わる。
「なるほど。しかし、杞憂だったようだな。……早く馬車に戻れ、置いていくぞ?」
軽い冗談を交え、他の兵士と同様に馬車の中へと戻っていく。フラーレンと木倉は互いに顔を見合わせ、示し合わせたかのように同じタイミングで肩を竦めるのであった。「……近くで見ると、大きいね」
「そうですね。遠くから見るだけでしたから、より一層大きく感じるのでしょう」
「さっさと歩け、王が首を長くして待っているのだぞ!」
その後何事も無く城に着き、馬車から降りたフラーレンと木倉は、始めて見る原寸大の城の大きさに圧倒されていた。しかしぽかんと大口を開けて城を見上げる二人を、後ろから兵士がせっつく。
結局、西洋風の造りだという事しか確認できないまま、二人はあれよあれよという内に謁見の間へと可及的速やかに通される。
まるで物のような扱いに、フラーレンは何か嫌味の一つでも言ってやろうと自分達を広間へと叩き込んだ兵士を睨みつけるが、肝心の兵士は「王の御前だ、粗相はするなよ」とだけ言い残し、両開きの扉の向こうへと消えた。
(失礼ね、アタシ達だって王族への対応ぐらい知ってるわよ!)
騎士兜の所為で顔は良く見えなかったものの、声は完全に覚えた。後で何かしらの報復を心に誓ったフラーレンは、気を取り直して顔を上げ前を向く。
謁見の間は天井がかなり高く作られており、吊るされているシャンデリアはそれを差し引いてもかなりの大きさである事が伺える。
そして明り取りの為か、縦長の窓がドーム状の屋根にそって十二枚、まるで時計の文字盤のように取り付けられていた。それは意匠だけでなく実益も兼ね備えており、窓から取り入れられた柔らかな陽光は大理石で作られた白い床と、その上に敷かれた細長く赤い絨毯との美しいコントラストをより一層引き立てている。
陽光が差し込む赤い絨毯の先には、細かな意匠は違えど立派なことには変わりない玉座が二つ。フラーレンから見て向かって右には王妃が、そして左には今回フラーレン達を呼んだ王がどっしりと構えている。
そのままでは少し距離があったため、お互いの顔と声がハッキリと認識できる距離までフラーレンたちが歩み寄る。
表情が読み取れる範囲まで近付いたあたりで、フラーレンは素早く二人の表情を確認する。
王はそれなりに齢を重ねており、更に呼んだ張本人でもあるために落ち着いているが、王妃はどこか落ち着きが無くそわそわとしており、見た目の若さとあいまって夫婦というより親子のような印象をフラーレン達に与える。ちなみにフラーレンと木倉はポーカーフェイスである。 そして声も表情も問題なく交わせるであろう距離を何となく掴んだ二人は、敬意を表するためにその場に跪く。具体的には頭を垂れ、利き腕と同じ方の膝を立て、その上に自らの利き手を置く、というものだ。
「良い。面を上げよ」
二人の形式に問題がない事を確かめた王は、二人に顔を上げるように告げ、二人もそれに従う。王は一息つくと、続きを語るためにその重い口を開いた。
「今回そなた達を呼んだのは他でもないある目的の為じゃ。そなた達は当然知っているであろうが、『千の刃のグラファイト』から注意喚起を促す旨の手紙が儂宛に来た。念を押すようであるが、この手紙に間違いは無いか?」
そう言いながら王は右手を緋色のガウンの内側に入れ、一枚の手紙を取り出した。
木倉は一目見てグラファイトの物だと気付いたらしく、ただ頷くことで首肯の意を示す。フラーレンは手紙のことなど一切知らなかったので面食らったものの、木倉が頷いたのを見て、取り繕うかのように頷く。
王は手紙が本物であることの確認がとれたが、あまり顔色が優れない。
(……不安になるのも分かります。私だって、最初に聞いたときは質の悪い冗談だと思いましたから)
木倉は言葉にこそ出さなかったが、王の心中をなんとなく察することが出来たので、落ち着くまでそっとしておこうと決めた。
「王様、顔色が優れないようですが、如何なされましたか?」
木倉の些細な気遣いは、フラーレンによって粉微塵に砕かれた。
しかし怪我の功名と言うべきか、王様は意を決したように手紙の内容について語り出す。
「絵空事だと言ってもらいたかったが、本当なら仕方ない。この手紙に書かれた男について、知っていることを聞かせてくれぬか?」
王のその言葉に、グラファイトの手紙を見せてもらった木倉が名乗りを上げる。
「では、私から説明致しましょう」
質問は、王の問いに木倉が答える一問一答形式で行われた。魔法は使えるのか、具体的な身体能力や得物は何か、どんな異能を持っているのか等、基本的かつ重要な事を答えていく。
「ふうむ……魔法に加え異能の数々、極めつけはグラファイトと互角以上に渡り合うその戦闘能力か。とんでもない敵じゃのう」
「グラファイトの戦闘能力には目を見張るものがありますからね……」 何も無い空間から一切の予備動作もなく凶器を生み出すグラファイトが負けるというのは、俄かには信じられない。やはり二城を人質に取られたのが大きかったのだろう。
「分かった。近衛兵士長のゼノタイムに言って砦に増援部隊を送らせよう。――最後に聞かせて欲しいのじゃが、手紙の最後に書かれていた機械兵とは何を指しておるのだ?」
「……それについては、実物を見ているフラーレンの方が詳しいかと」
そう言って木倉は一歩身を引き、代わりにフラーレンをずいと前面に押し出した。
「え、えっと、機械兵というのは、その名の通り機械のみで組み上げられた人型の兵士です。機動力はそれほどでもありませんが、驚異的な防御力と火力を併せ持っています。最悪の場合、量産体制も整っている可能性があります」
「あの、それはつまり……どういう……?」
途中でつっかえながらも機械兵について力説するフラーレンだが、王妃が控えめながらも待ったをかける。
そこで我に返ったフラーレンは、王も王妃も理解しているのかそうでないのか曖昧な表情を浮かべていることに気付き、咳払いをひとつして気まずい空気を誤魔化すと、なるべく平易な言葉に置き換えて話し出す。
「つまりですね……、機械の塊なので足は遅いんですが、その分生半可な魔法や剣は通用しません。更に相手方はいつでも火の玉と矢を発射可能な武器を両手に備えています。そして最悪の場合、兵士と違っていくら壊されても修理若しくは補充ができます」
「な、なんと……!?」
流石の王も驚いたようで、玉座から身を乗り出さんばかりの勢いである。
「よほどのことが無い限り、交戦は避けた方が得策かと」
最後にそう進言すると、フラーレンはそれ以上何も言わず引き下がる。
「う、うむ……。砦への増援は送るが、遺跡の調査隊については見送らせて貰えぬか?」
「ええ、そうしてもらえるとこちらも助かります」
何も喋る気が無さそうなフラーレンをちらりと横目に見て、木倉は代わりに王の問いに答える。遺跡については下手に手を出されても困るので、木倉にとっては王の提案は願ってもないものであった。
「う……うむ、心得た」
王は兵を無闇に失いたくはないし、木倉は下手に手を出されても困る。利害の一致により、目に見えない不可侵条約がお互いの間に結ばれた。「これ以上聞ける事は無さそうじゃな。手間を取らせた、帰りの馬車は既に手配しておる故、安心して帰れる事を保証しよう」
「在り難き心遣い、感謝いたします」
木倉とフラーレンは立ち上がり、最後に深くお辞儀をすると、体の向きを反転させ、来た道を引き返すように赤い絨毯の上を歩いていった。
馬車を待たせるわけにも行かないので、場内の観察もそこそこに、開かれた縦横五メートル程の城門をくぐり、二人は外へと出た。
城へ来た時と同じ馬車だったが、引く馬は変わっていた。来る時は茶色と白が二頭ずつであったのに対し、今では黒と栗色に取って代わられていた。幸か不幸か御者は同じだったので、二人は軽く会釈をすると、御者は小声で「襲われたときはありがとうございました」とお礼を返してくれた。
ちなみに何故同じ馬車だと分かったのかというと、馬車の屋根にフラーレンが貼り付けた結界用の札まだ生きていたのだ。王と会っていた時間は三十分にも満たないほどの短時間だったので、そもそも切れる道理が無かったとも言える。
いざ馬車に乗ってみると、元々八人乗りとして設計されている為か、二人だと随分広くなったように感じられた。そして結界のお陰か道中モンスターに襲われるようなことも無く、二人は無事に城下町へとたどり着いた。正確には城下町へと続く門の手前で降ろしてもらったのだが、大した違いは無いだろう。
転送広場に行き、フラーレンが転移の呪文を唱えようとしたところで、木倉が急に向きを変えて歩き出した。驚いたフラーレンは巻き込みと暴走を避けるために詠唱を一旦止め、木倉を呼び止める。
「ちょ、ちょっと木倉さん? 一体何処に行く気なの!?」
「少々、用事がありましてね。遺跡……というよりは廃墟の方が表現としては正しいのでしょうが、とにかくそこに私の欲しいものがあると分かったので、取りに行くだけですよ」
「じゃあ私も――!」
「ダメです。あなたは武器であるグローブを持ってきていないでしょうに。その上私は兵士に頼んで預かって貰っているので、取りに帰るなんてこともしません」
何が何でも付いていこうとするフラーレンに木倉はピシャリと言い放つ。言い返そうにもグローブを持っていないことは紛れも無い事実なので、上手い言葉が見つからずにただ不満げに唸るだけだ。「……なら、せめて帰還用の札くらいは持っていって! 効果は保証するから!」
「わ、分かりました! 分かりましたから落ち着いてください!」
ぐいぐいと力強く札を押し付けてフラーレンに辟易しながらも、魔法店で購入した帰還用巻物の節約になるので受け取る木倉。フラーレンは木倉がちゃんと札を使って帰還ポイントを設置した事を確かめ、更にあれこれと細かい注意点を言い聞かせると、どこか満足げな表情を浮かべて転送用魔法陣の中に消えていった。
(はあ……この突き刺さるような無数の視線、一体どう処理すれば良いのですか? フラーレン……)
さっきの二人のやり取りを見て、恋人に必要以上に世話を焼かせるダメ男、若しくは娘を心配させるダメ親父か。遠巻きに見ていて話の内容まで聞き取れなかった一般大衆が、先ほど見た二人のどうとでも取れる外見や身振りに好き勝手な妄想を付け足し、好き勝手に解釈していた。
やがて一般大衆の思考は木倉が総じて悪いという方向に動き始め、今の視線が殺傷力を持つ段階にまで至ったわけである。
しかし木倉もただの冒険者ではない為、視線からの逃れ方も熟知していた。あたりを素早く見回し、一番自分と背格好が近い集団を見つけ、そこに早足で駆け込む。
上手い事紛れ込むと、次に広範囲に何の変哲も無い霧を発生させる『ミスト』の巻物を使う。これで大体の人の目は誤魔化せるので、後はどさくさに紛れて裏路地にでも入れば完璧である。
今しがたやって見せた方法が、木倉の知る限りでは成功率が一番高い為、木倉は常に『ミスト』の巻物は懐に数本常備している。
良い感じに人の目もばらけたところで、木倉は表通りに出て普通に歩き始めた。目指すは町の西端にある門、そこで預けていた槍を受け取り、町の外に出る。そして今回の目的地である『キルギス伯爵家跡地』に向かえば良い。(後一つ……『不死の宝玉』さえあれば、もう妻や娘の幻影に怯える必要は無くなる。……いや、それどころか私自身の手で復活させるんだ、むしろ感謝されて然るべきだ!)
妻子をある事件で失った木倉は、すぐに後を追いかけようとしたが、出来なかった。自分の手で死ぬのが怖かったのだ。それと同時に、許せなかった。生前あれほど愛していた妻と娘を、死別しただけで諦めようとしている自分が。
木倉は悩み、そして――禁忌を犯すことにした。自分から会いに行けないなら、相手に来てもらえば良い。
死者の蘇生――犯してはならない領域に、木倉は踏み込む。罪を償う為に、別の罪を重ねるのだ。それはとても愚かしく、あからさまな矛盾を孕んでいる行為だが……木倉は気付かない。いや、気付けない。もう、狂っているから。




