機械と魔法
――ぱちり。と、何の前触れもなく青年は目を覚ました。目覚めたばかりの脳は、起きるなり青年の目に飛び込んで来たものの判別を怠けているようだ。そのものを表現する言葉が上手く出てこなかったので、取り敢えず朝の挨拶を返すと、青年の顔を覗き込むように見ていた老爺は、心底呆れたような表情を見せ、口を開いた。
「お主は、自分が置かれた状況に、もう少し危機感を持ったらどうじゃ?」
そう言われた青年は、まだ完全に目覚めきっていない脳を精一杯回転させ、こうなったいきさつを思い出す。
そして、思い出していくのと同時進行で血の気が引いていき、最終的には顔面蒼白と言っても良いレベルになっていた。そのあまりの急変ぶりは、有利なはずの老爺を畏怖させるのに充分な効果を上げたようで、老爺は青年に恐る恐る聞いた。
「お主――本当に人間か?」
青年……二城はおかしなことを聞くものだと思いつつ、答えようと口を開きかけたとき、横から聞こえてきた第三者の声に阻止される。
「その少年は人間ですよ。あなたや私とは少し異なるかも知れませんがね……」
二城が声のした方を見遣ると、いつの間にか壁に寄りかかるようにしてリオールがそこに立っており、本人は隠そうとしているのか、はたまた隠す気がないのかは分からないが、くつくつと噛み殺したような笑みが僅かに漏れている。
何が可笑しいのか聞こうとした二城を遮って、老爺が尋ねる。
「お主が何を聞きたいのか、儂は分かっておる。儂等の正体についてじゃろう?」
老爺はしたり顔で言うが、当の二城はちんぷんかんぷんといった表情で、下手をすれば老爺とリオールの正体ではなく、質問の意図に対して「どういうこと?」と聞き返しそうである。
「おや、もう言ってしまうのですか? 詰まらないですね」
口ではそう言いつつも、仮面のようにぴくりとも動かない微笑を浮かべているリオール。詰まらなくてそれなら、面白いときはどんな顔になるんだ? という二城の疑問は本人の口に上ることはなく、答えは迷宮入りとなった。その代わりに老爺の口から老爺自身とリオールの正体が語られる。
「儂等の姿は限りなく人に近いが、その正体は限りなく人と違う。儂等の体はナノマシン――人の目に見えぬほどの小ささを持つ無数の金属粒子と、それを制御するプログラムの集合体じゃ」
「ナノマシン……? プログラム……?」 話が飛躍しすぎたせいか、初っ端から理解が追いつかない二城は、頭を抱えて考え込んでしまう。
「前言撤回――これはなかなか面白い光景です」
リオールは、何も知らない二城に、過程を飛ばして答えを教えようとしている老爺が滑稽に思え、意識せずとも笑いがこみ上げてくる。
「何じゃリオール、儂のやり方にケチを付ける気か?」
「いいえ。ただ、あなたがやっていることは、読み書きが出来ぬ者に読書を、剣を振るえぬ者に剣技を教えるのと同じこと。知識を伴わないまま教えても、到底理解出来るはずもない」
「地上人はナノマシンやプログラムも知らぬのか?」
信じられないといった面持ちの老爺に、リオールは額に手を当て、困ったような仕草を表現しつつ答える。
「この前の調査で新たに判明したことですよ? ……まさか、アップデートしてないんですか?」
リオールが聞いた途端、老爺の表情が苦虫を噛み潰したようなものに変わる。
「……儂は『協会』のやり方がどうも気に食わん。じゃからアップデートも受ける気は無い」
「頑固な所は、昔からちっとも変わっていませんね」
「ちょっと待った! 頼むから俺にも分かるように話してくれ!」
両手を精一杯広げ、老爺とリオールの間を遮るように割り込む二城。ようやく自分の置かれた立場と状況を理解したのだろう。ここで生き残るために必要なものは、武力ではなく情報だという事に。
「ふん、儂の話を理解できぬお主が悪い」
「では、私が代わりに話し手を引き継ぎましょう」
つっけんどんに返す老爺に対し、リオールは相変わらず微笑を浮かべたまま答える。
まるで仮面をつけているかのような、一切変化の無い微笑を見ていると、言いようのない不安に襲われるが、二城は意を決して尋ねる。
「まずはリオール、ナノマシン……だっけか? それについて教えてくれ」
(――人にものを頼む態度からして、なっとらんな)
二城の、まるで旧友に話しかけるかのような、あまりにも不躾な尋ねかたに、人知れず内心で愚痴とため息を零す老爺。しかしリオールは表情を全く変えず、二城の問いかけに応じる。
「難しい質問ですね。人間との違いはある程度知っているつもりですが……、やはり見てもらった方が良いでしょう」 言うが早いか、リオールは首から下を完全に覆い隠している灰色のローブから素早く右手を出し、その手にいつぞやのS字鎌を虚空から出現させる。グラファイトの能力と良く似ているが、柄を必要としないあたり上位互換かも知れない。
「これがナノマシンの機能、分解と再構築です。分かりましたか?」
「いや、全く……」
「あなた達の常識に合わせて言うと、魔力を鎌の形に集めて固めているだけですよ」
「ああ、そういうことなら何となく想像が――」
しかし、純粋な魔力で作った物は非常に脆く、膝の高さから落としてもアウトだ。戦闘に耐えうるものなど、二城の記憶には一つも無かった。
「――まあ、切れ味を始めとしたその他諸々は、魔力と比べ段違いですが」
S字鎌を片手で軽々と振り回しながらリオールが言う。まるで「試してみますか?」と言わんばかりの仕草だが、不穏な気配を察知したのか、二城は丁重に断った。
「もう良い? ……なるほど、わかりました。では、他に聞きたいことはありますか?」
リオールが手を離すと、鎌は空気中に溶けるように消えていき、数秒後には跡形も無くなっていた。
「あ、さっきので終わりなんだ。だったら――、ここの外を歩いてみたい」
二城は握り拳を作ると、親指だけを立てて部屋の壁――正確にはその向こうだが――を力強く指し示す。老爺に頼めば部屋の壁と天井の透明度を上げて外の景色を見せてくれるが、実際に部屋の外に出ることだけは、断固として拒否された。
「外出ですか……。確かに施設の説明も兼ねて、実際に見てもらった方が早いですね」
「リオール! それだけはならんぞ! こやつのような地上人は何をするか分かったものでは――」
「いいえ、それは違います」
ゆっくりと、しかし一切の反論を許さぬ力強さを持って、リオールは老爺の言葉を遮る。見事なまでに話の腰を折られ、二の句を継げないでいる老爺に対して、リオールは話を続ける。
「彼に教えすぎるのは確かに考え物ですが、このまま何も教えずに彼を地上に返し、地上人達に一方的に宣戦布告。……我々がやろうとしていることは、大昔の地上人と大差無いのではありませんか?」
リオールの意見に老爺は一瞬口を噤んだものの、すぐさま反対意見を口にする。「――ほう、つまり機密情報も何も全て垂れ流しにしろと言いたいのか? ……武人を気取るのは構わんが、これから起こる戦争には、一切の私情が持ち込めぬぞ?」
「――覚悟の上の発言ですよ」
リオールと老爺の間に一触即発の空気が漂い始めるが、二人の間に二城が強引に割って入る。
「ちょっと待った! なんで二人とも論争の中心である俺を置いていくんだよ! それに戦争って何だよ? ……まさか、地上に侵略戦争を仕掛けようって腹積もりじゃないよな?」
いまいち緊迫した場の空気を読み切れていない二城の発言に、老爺が食ってかかる。
「儂等が行うのは侵略戦争ではない! 奪還作戦じゃ!」
「言い方をいくら変えても、やることが一緒なら意味が無いじゃないか!」
二城が入ってきた途端、早くも話が脱線しそうになったため、なるべく自然な形で、リオールが老爺と二城の不毛な言い争いに割り込む。
「二人とも、揚げ足取り合戦はそこまでにして、本題に戻りましょう」
「本題?」
「ええ、本題です。町へ連れて行くのは決定事項なので、そのことよりも道順を決めた方が効率的ですから」
笑顔のまま、楽しそうに喋るリオール。その笑顔を見た二城は、戦闘前に自分に見せた無慈悲な表情との比較を無意識に行い、あまりの落差に思わず背中が冷たくなるような感覚を覚えるのであった。
その後、「こうした方が合理的です」というリオールの意見の元、二城のみを部屋に残し、老爺とリオールの二人だけで話し合うために部屋の外へ退出する。
やはり締め出しを食らった二城は、むしゃくしゃした気分を落ち着ける意味も込めて、今まで考えないようにしていた物事を、記憶の片隅から引っ張り出す。
――リオール、ナノマシン、グラファイトやフラーレン、ギルドの仲間、ジェームズ……。そこまで考えた時、はっと二城の脳裏をよぎる物があった。
急いで着ている服の全てのポケットに手を突っ込み、目当ての物を探り当てる。ナイフ等のあからさまな危険物は全て没収されていたが、一見普通の物に見えるマジックアイテムの類は軒並みスルーされたらしく、上手く駆使すればここから脱出することも不可能ではなさそうだ。 しかし、今すぐに脱出するのは得策とは言えない。このまま大人しく捕まっているつもりは無いが、ことを起こさない限り身の安全は保証されている。ならば、より多くの情報を持ち帰った方が今後有利になるのではないか? そんな思考が二城に芽生え、逃走しようという思いに歯止めをかける。それこそがリオールの作戦かもしれないというのに。
(落ち着け……脱出はいつでも出来る。だから今は情報を集める事に専念すれば良い……)
ゆっくり深呼吸をし、自分に言い聞かせるように心の中で復誦する。心を落ち着かせ、情報収集に専念し、可能ではなく確実に逃げ出せるような状況を待つべきだ。
「大まかな事は決まりました。付いて来てください、素敵な地底世界を紹介してあげますよ」
壁の一部が音も無く開き、そこからリオールと老爺が入ってくる。すぐに出るつもりなのか、壁が閉じる気配は無い。リオールと連れ立って部屋を出ようとした時、老爺から折りたたまれた衣服のようなものを渡された。
「お主の格好は一目見れば地上世界の衣服だと判ってしまう。それを身に纏い、リオールの付き添いだと言えば怪しまれる事も無かろう」
渡されたものを広げてみると、リオールが纏っているものとそっくりなローブであることがわかった。早速纏ってみると、首から下は完全に覆い隠される。そして動きにくい。遺跡での戦闘時、リオールがあまり動かなかったのも頷ける。布地が厚く、更にどんな素材を使っているのか見た目以上に重い。そのためになにかと動きが制限される。これで素早く動けというのは多少無理がある。
「何をしているんですか? 早く付いて来て下さい」
「いや、何かこれ、とてつもなく重いんだが……?」
「当たり前ですよ。私のローブと形状こそ似ていますが、それは拘束具の一種。体に必要以上に力を入れようとすると、それ以上の圧力で相殺するようにプログラムされています」
「だから、そのプログラムってのは何だ? それが分からなきゃどうしようもねえよ」
二城は動きづらい拘束具に四苦八苦しているようで、普段通りの動きをしようとしてつい力を込めてしまい、数歩歩いては止まるということをひたすら繰り返していた。老爺は呆れて物ものも言えないようで、聞き分けの無い子供を見るような目で二城を見ている。「プログラムを地上人にも理解できるように。――ふむ、そうですね……言うなれば、プログラムは無機物に命令を与える魔法によく似ています」
「無機物に命令を? 魔法人形ってことか?」
リオールが言い直したことにより、二城が反応する。ちなみに二城が言ったような魔法人形は特殊な例であり、無機物に命令を与える魔法の一般的な使用例には、主に錠前の類が挙げられる。持ち主の魔力パターンを照合する事で開く仕組みになっているので、ピッキングには強い。ただ、魔力パターンを自由自在に操れる程の魔術師相手となると途端に無力化してしまうのが難点だが。
「決められた動きに決められた反応を返す点では、ほぼ同じと言えるでしょう。まずは深呼吸をして落ち着いて、それから動いてみると良い」
リオールの言う通りに行動するのは癪であったが、そうしないと動けない事は百も承知であったので、二城は大人しく深呼吸をし、気持ちを落ち着ける。そしてためしに体を少し動かしてみると、拘束具の力が何とか動ける程度にまで弱まっているのが分かった。
「まともに動けるようになったみたいですね。では、付いて来てください」
やっと訪れた敵情視察の機会(拘束具付きで尚且つ捕虜であるが)。何一つ見逃すまいと二城は心に決め、リオールの後を付いて部屋から出るのであった。そして二城達が出て行った後、部屋に残った老爺はあることについて考えていた。
(やはり協会は信用ならん……。『アレ』の開発を急がせた方が良いのう)
「まずは中央公園です」
リオールの説明を話半分に聞きつつ、二城はさっきまで自分が拘束されていた建物――とてつもなく高い塔を惚けたような表情で見上げていた。どうやら随分と高い場所に拘束されていたらしい。部屋を出た直後に下を覗き込んだせいで足が竦み、それに何故拘束具が反応して早速動けなくなった。騙し騙し動かして何とかエレベーターに乗り込んで事なきを得たが、リオールは「今度動けなくなったら問答無用で置いていきますよ」と冗談かどうか判断しかねる事をさらっと言ってのけた。
地上に降りて幾分か安心した二城は、周囲の景色を観察しながらリオールの後についていく。一見すると別段地上と変わっているところは無い。降り注ぐ陽光も、そよぐ風も、公園内に生えている芝生も、地上となんら変わらない。――全てが作り物だという一点を除けば。「どうです? 地上と比べても遜色ない出来だとは思いませんか?」
「ああ、凄いな。これらの自然も、全部機械で管理してるのか?」
二城の問いに、リオールは鷹揚に頷く。
「ええ、場所はいえませんが、マザーコンピューターがほぼ全ての自然現象を管理しています」
(なるほど、この地底都市のどこかにあるマザーなんちゃらを壊せば、ここから脱出できるか?)
「間違っても壊そうだなんて思ってはいけませんよ? もしも壊れようものなら、地上への転送装置も止まってしまいますからね」
まるで、二城の考えを先読みしているかのようなタイミングで釘を刺すリオール。二城の性格をある程度知っていれば、リオールでなくとも大体の思考は読めるのだが、当の本人はその事に気づいていない。
「次に行く前に、少し寄り道してみましょう」
いきなりリオールは歩いていた道を外れ、公園内へと入っていく。仕方が無いので二城も付いていくと、しばらくして滑り台などの遊具が設置された広場へとたどり着く。小さい子供達が遊ぶスペースのようだ。そして円を描くように設置された様々な遊具の中央にある噴水付近で、あっという間に子供達に周りを囲まれているリオールの姿が目に入ってくる。
少し離れたところでは、公園内に設置された休憩スペースに子供達の親と思しき人達が腰掛け、その光景をほほえましそうに見ながら時折他の人と談笑している。リオールが来る事自体はそれほど珍しい事ではないのだろう。そしてこの光景は、二城に強い違和感を抱かせる事になる。
(何でこの人たちは、着ている服が全部同じなんだ?)
大人は愚か、子供たちまで来ている服が全て同じなのだ。流石に色は何種類かあるようだが、あまりバリエーションに富んでない事は見た目にも明らかだ。色以外は老若男女問わず全てTシャツにズボンという簡素な組み合わせであり、スカートの類は見受けられない。
リオールに近付いていくと、子供達の何人かが二城に気づき、物珍しさに次々と寄ってくる。逃げようとしたが力をこめた途端に拘束具が体を圧迫し始めたので却下、更に振り向けばすぐ後ろにも子供が居た為、うかつに動けない状況に陥ってしまった。 いくつもの純粋などんぐり眼が二城を見上げ、「お兄ちゃんだあれ?」と同じ質問が子供達の口からバラバラなタイミングで発せられている。どう答えれば良いか返答に困窮した二城は、アイコンタクトでリオールに助けを求める。
それを察したのか、リオールは子供達に一言で説明した。「このお兄ちゃんは私の友達だよ」と。すると子供達のうちの誰かが「じゃあ僕達と一緒だね」と言い、それで興味をなくしたのか包囲網はなくなった。その後リオールが「今日はここまで、また明日」というと、子供達は総じて名残惜しそうな表情を浮かべていたが、特に引きとめようとする子供は現れなかった。止めても無駄だと分かっているのだろう。
公園から出て、歩道を歩く二人。道はアスファルトで舗装されており、工学技術においては地上世界を優に上回っている事が分かる。
「それにしても友達か……皮肉だな」
捕虜と友達、立場的に言えば対極も良いところである。
「あの場では他に言いようがありませんでした。それとも、捕虜とでも言って欲しかったのですか?」
リオールの返答に、二城は口を噤む。言わなくてもわかるだろうという意思表示のつもりだ。
「なぁ、リオールは本当に機械なのか? どう見ても人間にしか見えないんだが」
二城の知っている機械とは、何か一つの作業に特化した物であり、口などの意思表示手段すら持たない。それに対してリオールは、ナノマシンという機械にも関わらず人と変わらない行動をとる。言葉は発するし、嘘をついたかと思えばジョークを飛ばす。二城の目から見れば、リオールは機械というよりも人間に近かった。
「……最初に言ったはずです、この地下世界は作り物だと。私自身も例外に漏れなかった。ただそれだけの事ですよ」
リオールは一瞬だけ悲しげな表情を浮かべたが、それ以降は余計な事は喋らずに案内に徹した。学校、各種工場、浄水施設、農園、超大型商店等、二城にも分かるように噛み砕いて説明して行った。そして数時間後、再び塔の前に帰ってくる。
「地底観光ツアーはどうでしたか?」
「ああ、色々と勉強になったよ。ところで、ここって昼と夜の調節なんかはどうやっているんだ?」
二城が塔の中から見た光景では、ちゃんと昼夜の区別があり、作り物とはいえ満天の星空なんかも拝めた。「気づかなかったのですか? 昼夜の明るさ調整は、作り物の太陽がやっていますよ。昼は太陽として光と熱を放出し、夜は月として冷たい光を投げかけています」
まさかと思った二城は上を見上げ、擬似太陽を視界に入れる。眩しいが直視できないほどではない。そしてあることに気付いた。
「数時間前と、位置が変わっていない……?」
「おや、本当に今気付いたのですか? とうの昔に気付いているものかと思っていましたが」
そう言ってくつくつとかみ殺したような笑いを漏らすリオール。心底楽しそうに笑うリオールを見て、二城は若干気を悪くしたようで、少々ぶっきらぼうな口調で答える。
「悪かったな。こっちはそれ所じゃなかったんだよ」
「そう気を悪くしないで下さい、私は心の底から面白おかしくて笑っているだけですから」
「尚の事悪い!」
怒鳴る二城の体を、拘束具が容赦なく締め付ける。そのお陰か、烈火のごとく燃え盛っていた二城の怒りの炎は、頭から冷水を浴びせられたかのように静まった。
「痛え……、怒りにも反応するのかよ、これ」
「当然です。怒りは感情の中でも暴力と破壊しか生み出さない、人の負の側面です。……ましてや、通常の行動にすら支障をきたす感情など、必要ないのです」
「……嘘だ。それならなんでリオールはそんな顔してるんだよ。感情なんていらない? じゃあさっきまで笑っていたリオールはなんなんだよ!」
リオールの顔に浮んでいたのは、世間一般では悲しみや憂いと呼ばれるもの。感情を否定しておきながら、本人の顔にはその感情がありありと表れていた。
「それすらもプログラムなのです。その証拠に、私は怒る事も、涙を流す事もできない」
「なあリオール、今どんな表情を浮かべれば良いか分からないだろ? それ、『迷い』とか『悩み』って言う立派な感情だぜ」
「……馬鹿馬鹿しい。私はいずれあなたの敵になるのですよ? まさか、私を惑わせようとしているのですか?」
二城に指摘され、自分に感情など一切ないと思っていたリオールは、自分の中に存在する何かにエラーを起こしかける。
「まさか、俺はリオールが人間みたいだなと思っただけだ。他意は無いよ」 それだけ言うと、二城は階段を上り始める。リオールもそれに続き、終始会話が無いまま二城の部屋の前にたどり着く。するとリオールは拘束具に手を当て、機能を解除したからいつでも脱げると二城に告げた。
部屋に入り、二城はしつこく感想を求めてくる老爺と、押し黙ったままのリオールを部屋から追い出し、拘束具を剥ぎ取るように脱いでそのままベッドにダイブ――したのだが思ったよりマットレス部分が薄く、硬い土台に鼻を強打して少しの間悶絶する事になる。ちなみに部屋の扉に鍵は付いてなかったが、どういうわけか押しても引いてもびくともせず、殴ったり蹴ったりしても全く開く様子は無い。お手上げである。
(ここから脱出か――上手く行けば良いけど)
まだ少し痛む鼻を押さえつつ、二城は思う。服のポケットから脱出の鍵となるものを取り出し、外の景色が見えるよう処理された壁から差し込む擬似太陽の光に翳す。
(ジャックビーン、か……。ジェームズに騙されて買ったこれが、こんな形で役に立つなんて、大した皮肉だな)
ジャックビーン。茶色いソラマメのような形をしたそれは、成長の魔法を封じ込めた樹木の種であり、一度魔力を注ぐだけで術者の意図通りに際限なく成長し、巨大な豆の木へと成長する。二城はそれで壁を破り、更には足場にして下まで降りる計画を立てていた。
(しかし腹減ったな……どうせする事もないし、横になって疲れを取っておくか)
捕虜としては破格の扱いの良さだが、その事を知らない二城は好待遇の理由を考える事もなく、呑気にベッドで眠りこけるのであった。
二城が完全に寝付いた頃、リオールは町外れの森の中にある古びた廃屋の中に居た。慣れた手つきで痛んでボロボロになった壁に掛かった、これまたボロボロの絵画を裏返し、現れた端末にパスコードを打ち込む。
すると、床の一部がずれ、地下へと続く階段があらわになる。急な階段を降りきると、ノブも鍵穴も見当たらない、一枚の板のような鉄製のドアに行き着く。リオールはうす暗い中で淡い光を放つ脇の端末に声をかける。
「コードN1624。リオール・ギュゲス」
そういったリオールの声に端末は反応し、程なくして扉が上にせり上がり、奥へと続く道が出来た。『声紋、コード共に照合完了。どうぞお通り下さい』
端末の電子パネルにはそういった文字が現れたが、リオールはそれを一瞥すると更に奥へと進み、地下のある場所へと直通しているエレベーターに乗り込む。階層を指定する間も無くエレベーターは動き出し、地下へともの凄い速度で下っていく。結構な速度で下っているはずなのに揺れ一つ無いエレベーターの中で、リオールはあることを考えていた。
(私とは、一体何なのだ? 機械でありながらも人の形を取り、今も身に覚えのないプログラムや、解析できない謎のプログラムを処理している。私は――機械なのか? それとも、人なのか?)
答えが出る前に、エレベーターの扉が開く。一歩踏み出すと、四方八方からライトで照らされ、まるで尋問を受けているかのようだ。そしてリオールを中心に円を描くように設置された机に、次々と誰かが着席していく。席についたものの顔は、部屋自体の暗さとライトの逆光があいまって、リオールからは良く見えない。その反面で、席についた者達にはリオールの姿が良く見えるようになっている。
「今回の報告は何だ?」
しわがれた声が部屋中に響き渡る。恐らくマイクの類を使って増幅しているのだろう、とてもそのしわがれた声からは想像しがたい声量であった。
「今回は、厳密に言えば報告ではありません」
リオールがそう言うと、場が俄かにざわつく。リオールが報告とメンテナンス以外でこの場に訪れた事など、ただの一度も無かったのだから、当然の反応である。
「では、なぜここ――『協会』に来たのだ?」
しわがれた声がリオールに問いかける。リオールの真意を測りかねているのか、僅かに困惑の色が混じっていた。
「私が何者かについてです。私は、私自身が分からなくなりました。私は機械なのか、人なのか、それとも全く別の何かなのか――」
リオールがそういった瞬間、ざわつきが大きくなり、雑多な声に混じって「こりゃまたメンテか?」、「ここ最近多いよな」などといった愚痴も聞こえてくる。しばらくしてざわつきが完全に収まるのを待った後、しわがれた声が言った。
「笑止。お前はリオール・ギュゲス以外の何者でもない。分類では機械だが、我らからすれば最愛の息子であり、我らの悲願を達成する為の最高傑作でもある」 しわがれた声の宥めるような口調に、リオールはそんな事は百も承知だと言わんばかりに声を張り上げた。
「それは分かっています! 私が聞きたいのは――!」
「解析不明のプログラムか? それなら気にしなくて良い。お前を人に近づけすぎた故の結果だ。気になるかもしれんが、特にこれと言った影響は無い」
しわがれた声はそう言うが、自分の意思ではどうにも出来ない範囲で、正体不明のプログラムが処理されているというのは気持ちが悪い。まるで痒いところに手が届かないようなもどかしさをリオールは感じていた。
「……分かりました。次は、必ずや報告を持って参ります」
「うむ、期待しておるぞ」
リオールは最後に一度深く頭を下げると、踵を返してエレベーターに乗り込んだ。席についていた者達も立ち上がり、それぞれが自分の持ち場に戻ろうとしていたが、一人の若者が先ほどのしわがれ声の発生源である老人を呼び止めた。
「議長! 何で監視プログラムの事を明言しなかったのですか?」
「あれはリオールが暴走しないか見張る為のプログラム、本人に教えたら本末転倒もいいところ。それに、監視プログラムに連動してアポトーシス・プログラムも付いておるからな、下手に言って調べられたらまずい事になる」
若者が耳慣れない単語に首を傾げる。
「アポトーシス・プログラム……?」
まるで今始めて知ったとでも言うような若者の反応に、議長と呼ばれた老人が振り返り、自分から見ればまだ年端も行かぬ若者である事を認めると、一つ息を付き、話し始める。
「知らぬという事は、お前は新人のようだな。良い機会だし教えておこう。リオールが秘宝の力で驚異的な再生力を持っていることは知っているな? アポトーシス・プログラムはそれを封じる為、細胞――リオールの場合はナノマシンだが、それに自滅するようにという命令を一斉に送るのだ。リオールの再生は全てコピーによって行われている、故に自滅を促し周囲に感染するアポトーシス・プログラムに抗う術はリオールには無い。我らは残った残骸の中から秘宝『ギュゲスの珠』を取り出し、新たなリオールを造れば良い」
「そんな――!」
若者が信じられないといった風に狼狽し始めるが、老人は諭すように言う。「考えてもみろ、もしリオールが暴走してマザーコンピューターを破壊でもしたらどうする? 地下の苛酷な環境に晒され、我らは一人残らず全滅するだろう。だから、監視プログラムもアポトーシス・プログラムも必要なのだ。機械には万に一つも誤作動があってはならない。百回命令すれば百回、千回命令すれば千回同じ行動を繰り返すのが機械だ。感情など必要無いのだ……分かったか?」
「はい……分かりました……」
何も言い返せなくなった若者は意気消沈したように言い、すごすごと己の持ち場へと帰っていく。老人はきつく言いすぎたかと思ったが、すぐにそれはないだろうと打ち消した。そして老人も自らの持ち場へと戻っていき、『協会』内部は無人となった。




