残された者達
二城をリオールに拉致されたグラファイトとフラーレン。砦に帰還した後、グラファイトは兵士長であるカーボンに探索を継続する旨と、現状を維持する旨を伝え、二城が居ない事を訝しむダイアに「後で話す」とだけ言い、三人で基地へと帰り、そのままブリーフィングルームへと向かう。
「二城君が連れ去られた? それは本当なの?」
「ああ、本当だ……」
問いただすダイアに、暗い表情で答えるグラファイト。いつものグラファイトであれば、ここで軽口の一つでも言って即刻バレてしまうのが通例であったが、今回ばかりは違った。ダイアは僅かに現実味を帯び始めた空気を変えるため、フラーレンへと質問の矛先を変える。
「フラーレン、今の話は本当なの?」
「……アタシはそのとき気絶してたから、詳しい事はわからない。でも、二城君とアイツだけが消えていた事を考えると、団長が言った通りだと思う」
ダイアはフラーレンが話した内容の中で、一つだけ聞き覚えの無い単語に眉をひそめる。
「――アイツ?」
ダイアが抱いた疑問に、グラファイトが答えを述べる。
「今の俺達の敵……だと思う。遺跡の奥に居たんだが、めっぽう強い野郎でな。手も足も出なかった」
グラファイトはアイツ――リオールがグラファイトと似たような能力を持っていること、機械兵を召喚した事などは伏せて話した。今は情報が少なすぎる、正確な情報をやり取りできる技術が無い為、不確定であやふやな情報を共有すれば、それが取り返しのつかない事態を引き起こす可能性があるのだ。
「良く生きて帰ってこれましたね」
ダイアのいう事は最もだ。遺跡で同業者と出会った場合、よほどの事が無い限り戦闘は免れない。まして負けたとあっては、殺されても文句は言えないのが暗黙の了解となっている。
そのためか冒険者の防具には全体的に軽装が多い。遺跡では先に仕掛けたほうが圧倒的に有利なため、重戦士でもない限りは軽装にする。その方が例え不意打ちされても回避しやすく、尚且つ立ち回りも良くなるので、戦闘で優位に立つ事ができるのだ。
「何か知らんが奴は急いでいた。目的がどうこうとか言っていたが、皆目見当が付かん」
手がかりが途切れ、それと同時に会話も途切れる。重苦しい空気が辺りを包み、発言することさえも許されないかのような雰囲気が漂い始める。
「やはり皆さんここにいたんですね。探しましたよ?」 そんな重苦しい空気など何処吹く風、と言わんばかりのスマイルを浮かべてブリーフィングルームに入ってきたのは、結成当時のメンバーの中で唯一基地に残っていた木倉だ。そんな木倉に三人はしかめていた顔を僅かにほころばせ、挨拶を交わす。だが、次の瞬間、三人は先程と違う理由で再び顔をしかめる事になる。
「木倉、お前――何か魚臭くないか?」
そう、木倉からは魚――主に鮮魚特有――のなんとも言えない匂いがするのだ。言われた木倉本人は、そんなに気になるのか? と言った表情で鼻を動かしたが、彼にとってはそれほど気になる匂いではなかったらしい。何事も無かったかのように話を始めた。
「実は今朝まで漁村の方にお世話になってまして。ここにはついさっき戻ってきたところなんですよ」
後頭部を掻きながら、にこやかな笑みを浮かべて話す木倉。その疲れていながらもどこか幸せそうな表情は、まるでワガママ盛りの娘に振り回される父親のようであった。
「漁村……ああ! まさか襲われたのか?」
出発前の自分が予想していたとはいえ、遺跡の件ですっかり忘れていたようで、グラファイトはポンと手を打って一人納得していた。
グラファイトは必要の無い知識を頭から綺麗さっぱり消すことができ、更に思い出すことも可能というパソコンのような記憶方式の持ち主だ。ただ、これは本人が無意識にやっているため、有効活用される機会は無さそうだ。
「はい、狼型五十匹ほどの群れでしたが、場所が平野だった上に仲間二人も連れてきていたので、割と簡単に倒せました」
つまり、基地を空けていたことになるのだが、それを責める者はこの場には居ない。守りがしっかりとした城塞と、ろくな防壁が無く、しかも男が漁に出ていて女子供しか残っていない村。どちらを優先するべきか、最初から答えは見えている。
「それで偶然その場を見た人が居たらしくて、お礼として宿に無料で泊めて貰ったんですよ。二人はその日の内に基地へ帰って行きましたが」
話を聞く限り、好意を受けて泊まったのは木倉一人だけだ。
「それで翌日、漁を終えて帰ってきた人達も含めた村の人に、挨拶回りをしまして、立ち話ついでに活きが良いのを貰ったという訳です」
話を要約すると、木倉は基地を空けた上に漁村に泊まっていたことになるが、やはり責める者は居ない。そしてこれにもちゃんとした理由がある。 運悪く質の悪い者が木倉達を見ていた場合、誰かが残らなければうまい具合に真実をねじ曲げて手柄を横取りし、村を食い物にする可能性があるのだ。実際この手の詐欺は辺境と呼ばれる地域で多発しており、王都も対策に乗り出している。
「で? まさかタダ飯食らって帰ってきた訳じゃないだろうな?」
グラファイトが不敵な笑みで木倉を見ると、木倉も見よう見まねで不敵な笑みを返す。
「自分なりに恩は返しましたよ。まあ、雑用程度のことですけどね」
そう言ったものの、木倉は実によく働いた。泊めて貰う日に村から穴の開いた鍋などの調理器具を集めて全て修理した。そして次の日には帰ってきた男衆の話を聞き、古くなって調子の悪い漁船のエンジンをメンテナンスしたり、どこ製のエンジンが良い等のアドバイスを与えたりもしたのだ。
機械の扱いや、日用品の修理に長持ちさせる方法など、冒険者のスキルはそのまま日常生活に応用出来る物が多い。これは、過酷な環境で冒険者が生き残るために編み出した生活の知恵であり、必須スキルでもある。
「そうか、それなら良いんだ」
グラファイトは満足げに頷くと、もう喋ることが無くなったのか、黙ってしまった。
「そう言えば、漁村で珍しい魚料理をご馳走になりました。確か――刺身と言ってましたね。生魚の身をスライスして、そのまま食べるんですよ」
木倉の発言に、その場にいた木倉以外の人間が怪訝な表情を浮かべる。それは無理もないことで、この世界は食品を加工せずに保存する技術に乏しく、沿岸部以外の地域で魚料理と言えば、干物や薫製等の加工品に限られるのだ。
「そんなもん食って、腹壊さないのか?」
グラファイトが疑わしげに聞くが、木倉は迷うことなく答える。
「全くもって平気ですよ。それどころか、出来るものならまた食べてみたいものです」
「そうか……今度港町に行くから、そこで食ってみるか」
グラファイトの言葉に、ダイアが首を傾げる。
「ここ最近、外出の予定は入っていませんが?」
「そんな刻一刻と変わる予定なんぞ書き留めたって無駄だ。兎に角俺は用事があるから暫くここを空ける。その間はダイアを仮のリーダーとしてくれ」
突然のリーダー変更宣言。これにはさっきまで笑顔を維持していた木倉も面食らったようである。そして一番驚いているのは、もちろん仮のリーダーを任命されたダイア本人である。「ちょっと待って下さい! この大変な時期に基地を空けるなんて、何を考えているんですか?」
ダイアが珍しく怒りの感情を見せている。これまでは些細なことなら見逃していたが、流石に緊急時に基地を離れるとは、正気の沙汰とは思えない。
「時間が無いからこそ! 敵の懐に潜り込む必要がある! そして俺には心当たりがある。……王には今から状況説明の手紙を書くから、それを届けてほしい。俺はここを今日中に発つからな」
リオールに関係あるかは分からないが、グラファイトにはただ一つの心当たりがあった。まだグラファイトが青年であった頃に宝具『メタモルフォシル』を手に入れ、そのまま探索せずに帰った遺跡。あそこには、当時開けること叶わなかった巨大な鉄扉があった。
実際問題、そこから手がかりに繋がる可能性は低い。だが、複数の機械兵に加え、パスワードまで解析しなければいけないあの遺跡に比べれば、難易度は天と地ほどの差があるだろう。
「では、直ぐに発つのですか?」
木倉の問いに「そうだ」と短く返すと、木倉は残念そうに、しかし背を向けてブリーフィングルームを出ようとするグラファイトにしっかりと聞こえるほどの声量で呟いた。
「残念ですね……。時間さえあれば、村の方達から頂いた新鮮な魚で刺身を作ろうと思っていたのですが……」
そう呟いたのである。現に木倉が村を朝早く出発した理由は、ギルドのメンバーに鮮魚の刺身を振る舞うためという目的あっての行動だ。
そして木倉の声を耳聡く捉えたグラファイトは「しかし、あまり強行軍で行うべきでは無いな。しっかりと準備をしようか」と言って、ジェームズの店『八百万の手』に足を運ぶのであった。
「いつも悪いわね、グラファイトの手綱を締めてもらって」
ダイアが申し訳無さそうに言うが、木倉はそれをやんわりと否定する。
「いえいえ、私は思ったことを口にしただけですから」
そう言っているものの、今の木倉の発言で、意固地になってろくな準備もせずに飛び出そうとしたグラファイトを、見事引き止めた。魚の話をしたのは全くの偶然なのに、木倉は機転を利かせてグラファイトを引き止めるための材料として魚の話を使ったのだ。 ――木倉は見た目以上に頭が切れるのかもしれない。ダイアはそんなことを考えつつふとフラーレンの方を見た。よほど疲れていたのだろうか、彼女は机に突っ伏して寝ていた。ダイアは優しい微笑みを浮かべると、フラーレンを背負い、部屋を出る。そして出た瞬間振り返り「刺身、楽しみにしてるわ」と言ってフラーレンの部屋へと歩いていった。
そして部屋に一人残った木倉は、浮かべていた笑顔をふっと消し、驚くほど平坦な表情と声で呟いた。
「当然ですよ。私の目的のために、こういったギルドは必要ですからね……。――さて、腕によりをかけて作るとしましょうか。といっても、魚の身をスライスするだけですけど」
そしてもとの笑顔に戻ると、食堂の厨房を借りるために歩き出すのであった。
「――美味いな、これ。本当に魚なのか?」
「本当、これが生肉だなんて、信じられないわ」
食堂で舌鼓を打っているのは、グラファイトとダイアの二人だ。二人は最初、スライスした魚の身を調理したものが出てくると思っていたらしく、木倉がスライスしたものをそのまま出すと、疑わしげな眼差しを木倉に向ける。しかし木倉に促された二人は恐る恐る身を口に運び、自分の心配が杞憂だったと気付いたようだ。
「本当は身につけるソースのようなものもあったのですが、一朝一夕で作れるものでは無いらしいので、作り方は聞きませんでした」
「このままでも充分美味いから、別に良いじゃねーか」
「いえいえ、また違った味わいがあるのですよ」
「へえ、いつか食べてみたいものね」
談笑しつつも刺身を平らげ、今ここに居ないメンバーの分は冷凍して食堂の冷蔵庫に放り込み、残りは食堂のおばちゃん達に振る舞った。おばちゃん達も最初は恐る恐るだったが、一口食べた後はきゃあきゃあ言いながら、あっという間に平らげてしまった。
その後グラファイトは部屋に籠り、一時間ほどかけて王都ミンスターのトップ、つまり国王宛に手紙を書き上げた。内容は遺跡のこと、リオール(グラファイトは名前を知らないので男と表記)のこと、そして自分が他の大陸に出掛けることや、遺跡関係の警備を厚くして欲しい旨が書かれている。そして差出人の所にはちゃっかり昔の二つ名『千の刃のグラファイト』を使用していた。 ちなみにインクは、国王が信頼している者だけに与える特注品を使用している。インクは、特定の合い言葉に反応して淡く発光するようになっており、これで有名人を装ったイタズラ等を見分けるのだ。
グラファイトは書き上げた手紙を木倉に預け、なるべく早く、出来れば今日中に届けて欲しいと言付けると、必要最低限の装備をして基地を出て行った。
今回移動に魔法陣を使わなかったのは、港町には新たに魔法陣を作るスペースが無かったのと、ギルド『ヘカトンケイル』は主にファシナシオ大陸内を活動の拠点としているからである。
よって徒歩での移動となったわけだが、最低でも四日はかかる距離である。馬車を使っても良かったのだが、そうすればここ最近の騒動で、住処である森を追われたモンスターに襲われるため、グラファイトは敢えて徒歩を選んだ。
襲われない為に念を入れ、森どころか街道からも離れた海辺の砂浜を歩きながら、グラファイトは遺跡で出会った男に思考を巡らせる。自分と同種の能力持ちであり、かつ自分よりも巧みに使いこなす。
そのことがグラファイトの負けん気に火を付けた。雄叫びと共に拳を振り上げ、闘志を奮い立たせる。そうと決まれば特訓あるのみ、グラファイトは修行をしつつ、港町に着くまでの日数を減らすために砂浜を走り出した。
グラファイトが砂浜を無我夢中で走っているその頃、基地のテレポートルームに木倉の姿があった。これから王都ミンスターに転移し、手紙を届けるついでに野暮用を済ませてしまおうという魂胆だ。
魔法陣の上に立ち、起動させるための呪文を唱える。木倉の魔力総量は世間一般より劣っている(それでもフラーレンよりは多いが)ため、自分一人だけが転移出来るほどの小さな輪をイメージする。そのイメージをしている最中にも、黒い線で描かれた魔法陣の線上をなぞるように緑色の光が走り、魔法陣が完全に緑一色になった瞬間、眩い光が溢れ、木倉の姿はテレポートルームから消えた。
転移の感覚を肌で感じた木倉は、閉じていた目を開ける。まず目に入ってきたのは、石畳で舗装された円形の広場と、そこから四方八方に伸びる通路。次に広場を行き交う人々に目を移し、次は建物。そして背後を振り返り、遠目にも堂々と聳えているのが分かる城を視界に入れた。 城の造りは西洋風で、四方から尖塔のような見張り台がついた城壁に囲まれ、見えるのは城の二階から上の部分のみ。白い城壁と青い屋根、王家の紋章にも白と青が使われていることから、王は白と青の色が好きなのだろう。
そこまで考えると木倉は城に背を向け、集配所という看板の掛かった木と漆喰で出来ている建物に足を踏み入れる。
中は落ち着いた感じだが、決して空いているという訳ではなく、むしろ順番待ちが必要なほどだ。木倉は仕方なくフロアに置かれた椅子に座り、人が少なくなるときを待つことにした。
そして暇つぶしに順番待ちの列を見ていたが、ふと気付いた。順番待ちの列が、三つあるのだ。恐らくは列によって担当が違うのだろう、確か案内表のようなものが入り口脇にあったはずだ。椅子から離れて確認しに行きたいが、適度に混んでいるため、確認するには並んで順番待ちをしている人達の列を崩さなければいけない。
流石にそこまでするわけには行かないので、近場で済ませることにしたようだ。木倉は隣に座っていた自分と同年代と思しき男性に声をかけた。
「あの、尋ねたいことがあるのですが」
「はい、何でしょう?」
男性は、少し頭頂部が薄いことを除けば、人当たりの良さそうな普通の人であった。
「手紙を出しに来たのですが、担当窓口はどれですか? ここには初めて来たので、勝手が分からないのです」
「手紙ですか? もし荷物つきなら、こことは反対側の窓口。そうでないなら、更に国内か国外かで別れます。あなたはどっちですか?」
「国内ですね」
「ああ、それなら一番長い列がありますよね? 正にそれです」
木倉はそれを聞き、男性に礼を述べた後、自分の用事は当分先になりそうだと知り、がっくりと肩を落とすのであった。
遠く離れた木倉と時を同じくして、ダイアも肩を落としていた。これまでにも、放浪癖のあるグラファイトに代わってリーダーを務めたことは何度かあったが、あくまで代理のリーダーだった。
その証拠に、置き手紙で何時までには帰ると予告し、いつもその通りに帰ってきた。だが今回は違う、その置き手紙は無いし、グラファイトが直々にダイアをリーダーとして任命したのだ。
何かが違う……とても小さく、しかし得体の知れない不安がダイアを襲う。もしかして帰ってこないのではないか? そんなバカな考えが浮かんでくるほどに。 あのグラファイトに限って死ぬことなどあり得ない。前線に出ても無傷で帰ってくるような人が勝てないモンスターなど、もし居たら、とっくの昔に国家レベルの問題にまで発展しているだろう。
「……駄目ね、全然仕事が手につかないわ。少し休みましょう」
何故こんなにも胸騒ぎがするのか、何故グラファイトのことばかり考えてしまうのか。ダイアは気付かなかった……いや、認めたくなかったのかもしれないし、決めつけるのは早計だと思ったのかもしれない。自分の中のグラファイトに対する想いは、一体何なのか……見極めるには、まだ時間がかかりそうだ。
ダイアが仮眠をとったのとほぼ入れ違いで、フラーレンは目を覚ました。
ベッドからむくりと上半身を起こすと、掛けられていた毛布が落ち、そこで始めて毛布と、それを掛けてくれた誰か――恐らくダイアであろう――の存在に気付く。それと同時に、寝てしまう前の記憶も徐々に鮮明になっていき、やがて全ての出来事をはっきり思い出す。
「アイツ……結局名前は分からなかったけど、手も足も出なかった……」
フラーレンは、遺跡の戦闘で敗北を喫したのは自分のせいだと考えていた。フラーレンの扱う魔法は、予め術式を描いた札を使用する特殊なものであり、大半の魔法使いのように詠唱すればすぐに効果が出るものと違い、発動までに少しのタイムラグがある。
そのために先を見越した行動が必須であり、あの時も敵を結界に閉じ込めた時点で後方に下がり、相手のいかなる行動にも対処できるようにしておかなければならなかったのだ。なのに、フラーレンはそれをしなかった。数の上では三対一で有利であったし、なによりグラファイトが居た。勝利を確信し油断した所を敵に突かれ、あっという間に戦闘不能に追い込まれたのだ。
(……なんだかんだ言ったところで、アタシは心のどこかで団長に甘えていた。でも、それじゃ駄目なんだ。アタシ自身も頑張らなきゃ、アイツには勝てない。そんな気がする)
フラーレンはそこまで考えたところで、ふとあることを思い出す。王都に住むとある少女と交わした約束の期日は、今日ではなかったか? 恐る恐るスケジュール帳に手を伸ばし、震える指先のせいで上手くめくれないページをもどかしく思いつつ、目的のページに辿り着く。そこにはしっかり『ジェミニ・ノウライトと会う日』と記されていた。顔面からさっと血の気が引くという珍しい体験をしたフラーレンは、次の瞬間には顔を真っ赤にしながら準備に取りかかる。現在時刻は午後三時。決して間に合わない時間ではない。
部屋の扉に鍵をかけ、クローゼットを開けると、実用一辺倒の味気ない装備品一式を脱ぎ捨て、普段着に着替える。
余談だがフラーレンはかなり小柄であり、そのせいかどんな服装をしても背伸びしたティーンエイジャーにしか見えない。本当は二十歳を余裕でぶっちぎっているので、酒場で中ジョッキ片手に騒いでいても何ら問題無いのだが、それをやるとフラーレンを見て勘違いした人が、かなりの高確率で官憲を呼ぶ。なのでフラーレンは、必要以上に酒場を避けて歩く妙な癖がついてしまった。
まあそんな話は置いておくとして、フラーレンは木倉と同じようにテレポートルームへと行き、木倉と同じ王都ミンスターへと転移するのであった。
転移を終えたフラーレンは辺りを見回し、ため息を一つつく。それは無事王都に転移出来た事への安堵であると同時に、転移一回でほぼスッカラカンになってしまう自分の魔力容量の低さに対しての呆れでもあった。
そしてフラーレンは、木倉が行った方向とは真逆の方向にあたる図書館に向かって歩を進める。今の自分に足りない物は、敵に関する情報だと考えたのだ。休館日と営業時間にさっと目を通し、開いていることを確認すると、木製の両開き扉を押し開けて館内へと足を踏み入れる。
図書館内は魔法による空調設備が整っており、夏や冬でも調べ物に集中できる環境が提供されている。フラーレンは公共施設特有の何ともいえない空気を肌で感じつつ、機械文明に関する書物が納められた書架の前へと移動する。
頭の中に「遺跡・機械・技術」と言うワードを刻み込み、目を皿のようにしてタイトルに該当語句がある本を選び、脳内でリストアップしていく。そうして脳内リストに残ったタイトルから、特に興味深そうな物を何冊か選んで借りた。 肩掛けバッグに借りた本を押し込むと、商店や公共施設が多数ある大通りを外れ、住宅街へと進む。やがて屋根の色以外にほとんど違いが見られない家が立ち並ぶ区域になり、そうなるとフラーレンは表札を注視しながら歩き始め、ある一軒の家の前ではたと立ち止まる。
「ノウライト――うん、間違いないわね」
前回来たときの記憶と照らし合わせ、間違いが無いことを確信すると、ドアノブにぶら下がっている輪っか状のノッカーを数度鳴らした。
少しして玄関が開き、中から少しくたびれた印象の中年の男性が顔を出す。そしてフラーレンに気付くと、僅かにその表情を綻ばせる。
「ああフラーレン君、来るのを待っていたよ。早く上がっておくれ。娘が中で首を長くして待っているから」
男性に言われた通り屋内に入ると、女性と手をつないで立っている一人の少女が、フラーレンの視界に映る。その少女こそが、スケジュール帳に書かれていたジェミニ・ノウライトその人である。
そして男性と女性はジェミニの両親であり、フラーレンとは数年間の付き合いがある。
「ジェミニ、フランちゃんが来たわよ。ご挨拶なさい」
「フランちゃん、来てくれてありがとう!」
ジェミニは母親と手をつないだまま、ぺこりと可愛らしいお辞儀をして見せた。ちなみにフランちゃんとは、フラーレンの愛称である。長いから、という理由で呼んでいるらしいが、今現在使用しているのは、ジェミニとその母親の二人だけである。
そして母親に背中を軽く押され、ジェミニは歩き出す。その足取りに迷いは無いが、目の焦点は合っておらず、どこを見ているのか定かではない。――いや、正確には、ジェミニは何も見ていない。生まれつきの病で、少女は光を知らないのだ。
「じゃあ、いつも通り奥の部屋で話してきますね」
フラーレンが確認をとるつもりで聞くと、両親は鷹揚に頷いて答える。
「うん、頼んだよ」
「滅多に会えないんだから、思う存分お話なさい」
それを聞くと、フラーレンはジェミニの手を取り、二人の後ろ姿は奥にあるジェミニの部屋へと消えて行く。
「……フランちゃんには、いつも辛い役を押し付けているわね」
母親が、そう俯きながら呟く。「しょうがないよ。私達は、娘の親であって、娘が本当に欲しがっている友達には、なってやれないんだ……」
母親の呟きを聞いた父親は、苦しそうな表情で答え、握り拳を作る。その拳は、小刻みに震えていた。
「だからといって、フランちゃんに、ジェミニと同年代の子供を演じさせるなんて……」
母親が横目でジェミニの部屋を見つつ、息を潜めて言う。ジェミニは目が見えない分、他の感覚が鋭敏であり、聴覚や触覚などが人より優れている。特に聴覚は目覚ましい進化を遂げており、まるで目で見ているかのように距離感などを掴んでみせるのだ。一人で町中を散歩しても傷一つ無いし、それどころか彼女が盲目であることにすら気づかない者もいる。
しかし、そんなジェミニが嫌でも、自分が盲目であることを気付かされる場所がある。学校だ。現在ジェミニは十五歳。本来ならまだ学校に通うべき年齢だが、数年前に一度早退したのをきっかけに休みがちになり、やがて一週間の半分以上を休み始めた頃、自主退学をした。
ノウライト家がフラーレンに会ったのは、ジェミニが自主退学して数ヶ月が経った時である。
退学した後のジェミニの日課は、午前中と午後の数時間、町内を散歩することと、近所の人達のお手伝いをすることだった。幸いにも近所の人達は優しい人ばかりで、ジェミニと同い年の子供はおらず、それなりに満ち足りた生活を送っていた。
しかし、やはり淋しかったのだろう。ジェミニはある時、無意識に「友達が欲しい」と言ってしまった。丁度両親が側に居るときで、両親の息をのむ音を聞いたジェミニは、怒られると勘違いして自室にそそくさと戻ってしまった。
そして、両親は当然の如く苦悩した。ジェミニは近所の子供と遊んではいるが、やはり年頃の女の子だ。同年代の友達が欲しいと思うことに関しては、なんら問題は無い。しかし、この町でジェミニと分け隔てなく接してくれる同年代の友達を探すことなど、至難のわざだ。
引っ越しも考えたが、目が見えないジェミニのことを考えると、全く知らない土地に移るのは余りにも酷だと断念した。正に八方塞がり、そんな時に出会ったのがフラーレンである。
ことの始まりは、父親が休みの日に町の図書館へと足を運んだことから始まる。父親は、図書館で栗色の髪を両側お下げにしている少女、フラーレンと出会う。 父親は見覚えの無い少女に、もしやと思い声をかけた。最初は不思議な顔をされたが、父親は気にせず「実は折り入って頼みがあるんです」と頭を下げながら言った。少女は父親の行動や表情を見て何かを感じ取ったのか、喫茶店に場所を移し、話を聞く態勢に入る。
そこで父親は、全てを話した。娘が生まれつきの病で全盲であること、そのせいで内向的になり友達が出来ないこと。そして、フラーレンなら娘の友達になってくれるのではないかと思って声をかけたことなど、洗いざらい話した。
フラーレンは全ての話を聞き終わった後、非常に申し訳無さそうに言った。
「同年代の子って言ってたけど、アタシは冒険者で、しかも今年で二十になるんです……」
父親はフラーレンの発言に対し、信じられないといった様子で目を見開くことで、驚きを表現してみせた。フラーレンはそういった反応をされることに関しては、既に慣れているために平然としていたが、父親が驚くのも無理はない。何せ今年で十二歳になるジェミニとフラーレンの身長は、ほぼ同じだったからだ。最も、そうでなければ父親はフラーレンに声をかけなかったであろうから、奇妙な巡り合わせである。
この時点で既に条件から外れているのだが、父親は粘り強く食い下がる。そしてあろうことか、身分を偽ってでも良いから接して欲しいと、これは冒険者に対しての依頼だと頼み込んで来たのだ。これには流石のフラーレンも呆れを通り越して哀れになり、一度だけ試しにやってから決めるという条件付きで、父親の頼みを聞き入れることになった。
――結果として、ジェミニはとても純粋で可愛い子であり、フラーレンは依頼を受けることにした。しかし、中央ギルドを通していない個人依頼のため、報酬の上下に対しての明確な規定は無い。フラーレンはそれを逆手にとり、格安で引き受けた。この行動には、ジェミニに対する罪悪感を、少しでも良いから和らげたいという、隠れた思いがあったかもしれない。
依頼を受けることにしたフラーレンは、ジェミニの父親と一緒になって、仕事から帰ってきた母親を強引に納得させ、その場しのぎの付け焼き刃で口裏を合わせた。そしてジェミニが寝静まったのを確認すると、フラーレンとジェミニの両親、計三人による深夜の作戦会議が開かれた。 主な議題は、ジェミニと同年代の女の子を演じるフラーレンの設定と、依頼内容……つまり期間や報酬が適正かどうかの交渉だ。前者は旅商人の娘ということであっさりと決まり、後者では熱い議論が交わされた。
フラーレンは本業である冒険者稼業を疎かには出来ないので、月に二度来れたらいい方だと言い、両親もそれを受け入れた。そして依頼の期間は、ジェミニに変化が見られるまでとした。つまりフラーレンの正体がバレるか、他に友達が出来るかすればその時点で依頼は強制終了だ。どちらも起きなかった(若しくは起きそうにない)場合には、頃合いを見て二十歳までには打ち明けようと決まった。
ちなみに話は少し戻るが、実際の旅商人の娘だとしたら、月に一度どころか、数ヶ月間会えないこともざらにあるのだが、国内を回るのだとしたらそれほど無理はない設定である。しかし国内ではどれほどうまくやっても、利潤は雀の涙ほどしか得られないことを付け加えておく。
続いて報酬だが、一番時間がかかったのがここである。報酬で揉めるのは個人依頼では良くある光景だが、今回の揉めた原因は、フラーレンが無報酬でも良いと言ったせいでややこしくなった。
今回の依頼は、いわばベビーシッターのようなものであり、依頼でなくとも賃金が発生してしかるべき状況なのだ。しかしフラーレンはそれを無料で良いと言ったため、揉めている。頑として受け取ろうとしないフラーレンだが、それだと法に抵触してしまうため、両親とお互い妥協し、最低賃金である一日一銅貨で手を打った。
一銅貨とは一番安い銅貨であり、例え身分の低い者がどんな仕事をしようとも、必ず得ることが出来る最低限の賃金である。そしてファシナシオ大陸は広い領土を持つために食料品が安く、銅貨一枚あればその日の糧を得ることが出来る。
フラーレン自身はボランティアのつもりだし、本業で充分稼いでいるため、この内容で手を打った。場合によっては数年単位で付き合うことになるため、下手に報酬を高く設定すると後々気まずいことになりかねないのだ。
――結果として、ジェミニは十五になったが友達を作ることは無かった。幸いにもフラーレンの演技には気付いていないようだが。
「――あなた、よっぽど疲れていたのね。私が話しかけてもぼーっとして、気が付いたら寝てるんですもの」 父親が目を開けると、母親は寝てしまった直後を思い出したのか、クスクスとさもおかしそうに笑う。
「ああ、すまないね。少し、昔のことを思い返していたんだ」
父親は頭を軽く振り、まどろみかけていた意識を次第にはっきりさせる。ちょうどそのとき、フラーレンがジェミニの手を引いてやってきた。
「あらフランちゃん、もう帰っちゃうの?」
母親の言葉に対して父親は窓の外を見やるが、日はとっぷりと暮れ、夕暮れの色を塗りつぶすように夜の闇が空の端ににじみ、ゆっくりと進んでいく。
「だが、外の様子を見る限り、あと一時間もしない内に日は完全に落ちる。流石に向こうの親御さんも心配に思うんじゃないか?」
父親の意見に、母親も窓から見える外を見て納得したらしく、父親に同調する。ジェミニも肌で気温の低下を感じ取っていたため、別れを惜しみながらも引き止めようとはしない。フラーレンはお礼を言い、ノウライト家に玄関先から見送られながら家路につく。
(……でも、何であんなに話が合うのかな?)
フラーレンは基地へと帰る道すがら、そんなことを考えていた。始めの頃こそは十代の女の子が好みそうな話題を振っていたが、ある時ジェミニが『無理して話さなくても良いよ』と言ってくれたのだ。それからは多少気が楽になり、他愛ない世間話などが主流になった。しばらくするとジェミニは町の外、世界の話をして欲しいと頼んでくるようになった。
幸か不幸か、冒険者として世界中のギルドを飛び回っていた時期があった為に、フラーレンは各地の色々な大自然の話をしてやると、ジェミニは目を輝かせて聞いていた。
海や砂漠、火山に永久凍土。雨の降らない荒野と地下に広がる大迷宮など、自分で行ったことのある場所や、他人から聞いた不思議な場所の話を語った。もちろん話の最後は、そこには恐ろしいモンスターが住んでいるから、絶対に行ってはならないというお決まりのパターンで締めた。
時たまジェミニが良く分からないといった表情をした時には、内容を噛み砕いてもう一度聞かせることも怠らなかった。
流石に話しているだけでは悪い気がしたので、一回だけジェミニに話を振ってみたことがあった。すると「フランちゃんに比べたら、大したこと無いよ……?」と前置きし、ところどころ詰まりながらも、一生懸命話してくれた。 それは、平凡だけど貴重な、二度と来ない過ぎ去った日の綺麗な思い出と、両親や近所の人達の優しさに対する感謝で出来ており、冒険ばかりしていたフラーレンの心に、忘れていた人の温かみすら戻ってきたような気がした。ジェミニの話には、どこか人の心を温かくさせる何かがあるとフラーレンは確信した。
(やっぱり、放っておけないような何かあるのかな……。それとも、アタシが気にしすぎてるだけなのかな?)
フラーレンは自問自答してみるが、答えが出る前に転送広場に着いてしまう。こんなに考えなくとも、ジェミニの両親にひとこと聞けば済む話なのだが、根が臆病なフラーレンは、数年間続けてきた関係を自分から変える勇気を持っていなかった。
胸にモヤモヤしたものを抱えたまま、フラーレンはギルドへの転送魔法陣を呼び出す。しかしこんな不安定な気持ちでは、魔法陣の暴走を引き起こしてしまうかも知れない。フラーレンはかぶりを振って多少強引に気持ちを切り替えると、他とは違う材質の地面に新しく描き出された魔法陣に魔力を通し、ギルドへと帰還した。