遺跡探索
二城たちが遺跡の内部に足を踏み入れると、まるで監視でもしているかのような絶妙なタイミングで扉が閉まった。二城達は驚いて振り向くが、既に扉は閉じられて暗闇が場を支配している為、状況を確認するには至らなかった。
「ち……面倒くさい事になったな。フラーレン、明かりの準備を!」
グラファイトが言い終わると同時に、辺りがさっと明るくなる。どうやらフラーレンだけは、振り返るより術式の発動を優先したらしい。人間は情報を取り入れるためのツールとして目を優先的に使う為、暗い場所の探索には光が必要不可欠なのだ。
明かりに照らされた事で、周囲の状況を目で認識できる。壁、床、天井は全て黄色で、そこを走る線は長方形を規則的に並べたような形で、まるでレンガ造りのように見える。通路の幅は二城達三人が一列に並んでもまだ余裕がある。ざっと目測で五メートル程だろうか。床から天井も同じくらいの高さがあるため、頭をぶつける心配は無さそうだ。
「さてと、さっき変形したばかりだから、次の変形までには時間がたっぷりあるな」
懐中時計を開き、頷きながら時間を確認するグラファイト。退路を断たれたにもかかわらずここまで冷静なのは、ひとえに帰還用魔法陣のお陰であろう。
「とりあえず通路は二手に分かれてるね」
フラーレンが発言したことで、二人の注意は前に向く。進めそうな道は確かに二つだ。一つは道を真っ直ぐ進み、右手に折れる普通の道。もう一つは少し進んだ先にある扉だ。本来ならここで二手に分かれるべきなのだが、定期的に形状が変わる遺跡でそんな事をするのは自殺行為に等しい。三人は常に固まって行動する事に決めたらしく、警戒しながらも扉の前に移動する。
「やっぱり探索ってのは、寄り道するべきですよね」
二城が小さく呟く。形状が変わるのだから、真っ直ぐ進む事と先に進むことが必ずしもイコールで結ばれる事は無いのだが、二城がそれに気付く気配は一向に無い。
二人は二城に呆れながらも、扉を少しだけ押し開け、フラーレンがすぐさま光源である光を放つ球を滑り込ませ、続いてグラファイトが確認の為に首を突っ込む。少しして危険は無いと判断したグラファイトは首を引っこ抜き、扉を開ける。そこには、先ほどと同じような通路が伸びており、フラーレンの光球を持ってしても通路の終点は見えてこなかった。
「どこまで伸びてるのよ、この通路……」 フラーレンは驚愕を通り越して呆れている。しかしそれよりも気になることは、通路の両端に等間隔で作られている扉だ。数メートルおきに作られているため、何か事務的なことに使われる部屋であると思われる。
「とりあえず確かめてみるか」
手近な扉に近付き、さっきと同じ手法で安全を確認すると、扉を押し開ける。中は意外と広く、ベッドがあり、簡素な机と椅子まで備え付けてある。等しくボロボロではあったが……。他の部屋も五つほど見てみたが、全て同じような造りで、損傷の度合いも同じであった。
「何だここは……。元は何かの施設だったのか?」
「傷み具合からして、機械文明時代の物かも知れないわ。――これはもしかしてもしかすると、世紀の大発見かも!」
一人盛り上がるフラーレンの頭を、軽くグラファイトが小突く。
「だとしたら既に他の冒険者が見つけてるだろう。こんなでかい建造物なら、森の外からでも充分に見える。だから俺達だって気付いた訳だしな」
この遺跡は何時からあったのか定かでは無い。この遺跡は突如現れたとかそんなものではなく、初めから森の中にあったのだ。グラファイト達が気付かなかったのは、遺跡がある方へ行こうとすると、先程のオオカミ型モンスターの群れに襲われる為、誰も行こうとしなかったからだ。その事も併せて考えると、ギルドが出来る前からあったと考えるのが普通であろう。……そうなると当然、ギルドに所属していない流れの冒険者という先客も少なからず居るはずである。
「でも、ここは地図に載ってないよ?」
「こんな絶好の探索ポイントを漏らす馬鹿が居るか? 来るたびに形が変わるんだ、下手すりゃ探索を終えるまでに何年も掛かるぜ」
ギルドに所属しない(若しくは出来ない)流れの冒険者にとって、誰にも見つかっていない遺跡は生命線である。簡単に場所を漏らすわけにはいかず、情報を漏らしてしまうような奴は生きていけない。その為か、流れの冒険者は腕っ節と酒に関しては異様に強いのだ。酒は情報屋にいくら呑まされても情報を吐かない為で、腕っ節は単純に強ければ強いほど良い。そういう世界で彼らは生きている。
「じゃあ、この遺跡には同業者が居るかもしれないんですか?」 二城の言葉に、何やら言い合っていたグラファイトとフラーレンが途端に静かになる。言われてみれば、何故そんな事に気が回らなかったのか不思議でならない。同業者の可能性は一番に疑って掛かるべきなのだ。遺跡で最も危険なのは罠でもモンスターでもない、他でもない同業者である。彼らは――と言ってもほんの一握りの極悪人に限るが――不意打ちや待ち伏せなんて当たり前、果ては間諜から殺人まで何でもござれな悪のエキスパートである。不運にも彼らが探索中の遺跡に足を踏み入れてしまった場合、死ぬ確率は三割増しだと言われている。あくまでも言われているだけなので真実は定かではない。
「その可能性は充分にある。余り騒ぐのは得策とは言えないな」
「でもこの遺跡の仕組みを上手く使えば撒けるわよね?」
「逆に鉢合わせになる可能性も忘れるなよ?」
数秒前の発言はどこへやら、早速睨み合いになる二人。だが、先ほどのように声を荒げて言い争うようなことをしないだけマシである。
「とりあえず、この廊下を探索する意味は余り無いですよね? ですから一旦戻って通路を進みましょう」
見かねた二城が案を出し、二人もそれに乗った。確かに同じ部屋と通路が延々と続く場所を探索するより、何があるか分からない通路の先を探索するほうが有意義であろう。三人は来た道を引き返し、右に折れている通路を曲がる。するともう嫌と言うほど見慣れた木製の扉があった。
「ねえ、さっきから考えていたんだけど……どうしてさっきの部屋のベッドや机はボロボロだったのに、扉や壁や天井はピカピカなのかな?」
フラーレンが投げかけた疑問に、投げかけられた二人は首を傾げる。確かにおかしい、しかし説明できない、情報が圧倒的に足りないのだ。今やるべき事は考察ではなく行動、情報は古来より足で集めるものといわれている。進むより他道は無いのだ。
「考えるのは後だ。今は少しでも動いておきたい」
外で見たように、物理的な方法ではいけないような場所に移動してしまう部屋がある以上、できるだけ探索しておきたいのがグラファイトの考えだった。それに、今居る部屋が空中浮遊状態になってしまう可能性もある。そうすると十分もの間行動が制限されてしまう。全体的に見れば僅かな時間なのだが、それだけは避けたい。 扉を少しだけ開け、光球を先に行かせる。こうすることでいきなりの不意打ちをある程度防げる。遺跡に住むモンスターは、当然の事ながら光に弱いか、驚くほど敏感であるかの二種類に大別される。なので光球を先に行かせれば、そこに何かが居た場合に少なからず反応が得られる。光に弱いものは怯んで飛び掛ってこないし、逆に敏感なものであれば真っ先に飛び掛ってくるからだ。
結論を言うと、反応は得られなかった。グラファイトが首を突っ込んで確認するが、モンスターらしきものは影も形も無い。そのまま扉を押し開け、二人はグラファイトの両脇から顔を出す。
通路は左斜め、直進、右斜めの三叉路になっており、その手前の通路には左右に一つずつ扉が付いていた。今回は探索する場所が多い為、三人で別々の場所を調べる事にしたようだ。フラーレンが追加で光球を二つ呼び出し、グラファイトと二城に一つずつ付ける。流石に三つを同時に操ることは不可能なので、光球の簡単な操り方を二人にレクチャーすると、自分の担当である通路右側の部屋を調べに行った。二城は簡単に通路の先を照らしてどうなっているかを確認、グラファイトは通路左側の部屋の調査である。
グラファイトは深呼吸をすると、扉を音を立てないように開けると、隙間から光球を滑り込ませる。するとその刹那、耳をつんざくような甲高い鳴き声と共に、黒い何かが光球に飛び掛った。二城が剣を抜き、フラーレンが振り向きざまに右手を突き出すが、既に決着はついていた。扉を素早く開け放ったグラファイトが、どこからか取り出した剣で黒い何か……外で見たオオカミ型モンスターの変種らしきものを貫き、更には壁も少し穿つことで剣を固定して空中に縫い止めていたからだ。モンスターは何度か体を痙攣させた後、弱々しい鳴き声と共に四肢をだらんと力なく垂らす。グラファイトの剣は、モンスターの心臓を的確に貫いていたのだ。
二城達が駆けつけたときには、グラファイトは流れ出たモンスターの血でべっとりと汚れた自身の右手と、刃の部分が無い剣の柄のようなものを魔法で生み出した水で洗い流していた。
「何、大したことは無かったさ。コイツみたいに鳴き声で分かる奴はまだ良い方で、本当に恐ろしいのは音を立てない奴だ。特に蜘蛛なんかには要注意だな」 グラファイトは血だまりの中でぐったりとその身を横たえているオオカミ型モンスターの変種を指し示しながら解説していた。正に余裕と言った感じが滲み出ている。しかしそんな事よりも気に掛かる事が二城にはあった。
「そのモンスター、どうやって倒したんですか?」
二城の言うとおり、グラファイトが持っている物は剣の『柄』であり、刃の部分は無い。それなのにモンスターの死体には何かで貫かれたような痕がある。流石に剣の柄だけでモンスターの肉体を貫く事は不可能だ。
「あれ、俺の宝具の事、お前に言ってなかったっけ?」
「団長の宝具くらい知ってますよ。金属を自由に操れ――まさか!」
「どうやら気付いたみたいだな。そう、俺にとって武器は柄さえあれば後は自由自在なんだよ」
そう言うと、グラファイトは着ていたロングコートを広げてみせる。露になったコートの内側には、様々な武器の『柄』が収納されていた。グラファイトの宝具『メタモルフォシル』は金属を自由自在に操ることが出来る。つまり、武器の柄――いわゆるベースさえあれば、ナックルでもハンマーでも双剣でも自由自在なのだ。その代わり金属以外を使う武器や構造があまりにも複雑な物は無理らしい(鞭や銃等がそれに該当する)。
つまりグラファイトは、一瞬で剣の柄を取り出して刃を作り出し、それをモンスターに突き出したのだ。とてつもない早業で、二城は逆立ちしても真似できないだろうと思った。
調査の結果、二人の部屋に目ぼしいものは無く、通路はそれぞれ別の部屋に通じているそうだ。どう進むか思いあぐねていると、おもむろにグラファイトが懐中時計を取り出し、「そろそろだな」と呟いた。
次の瞬間、突如として部屋が小刻みに振動し、目の前にある通路が上にせりあがっていき、代わりに遺跡の中がどうなっているのか見えた。遺跡の中は――空洞だった。その中を箱型に区切られた大小様々な大きさのブロックが行き来している。高速で動いている為にわかりづらいが、良く見ると通路や部屋の扉のようなものが見える。そして、周囲の動きからしてこの部屋が下……つまり地下に向かっていくのも分かった。
「やっぱりか……おかしいと思ったんだよな。全体的なフォルムが箱型の建物なのに、沈み込んだり突き出たりして。……原因はこれだったか」 グラファイトは得心がいったのか、腕を組んでしきりに頷いている。フラーレンは出会い頭にモンスターと遭遇しても対処できるように右手を前に出す構えをとっており、二城は遺跡が見せる光景に見入っていた。
「おお、凄え……カッコイイ……」
二城の目の前でブロックは行き来し、変幻自在の軌道を描いて組み直されていく。まるでジグソーパズルのようにピッタリと組み合わさっていくブロックは、見る者によっては気分の良いものだろう。少なくとも二城は良い気分であった。
「二城、お前パズルが好きなのか?」
「はい、他人が組み立てている光景を見るのは楽しいです。あまりにも下手だと楽しさは二割減ですけど」
少しずれた二城の意見を聞いて、グラファイトは顔をしかめる。そして「いつかコイツには本当のパズルの楽しさを教えてやろう」と密かに思うのであった。
やがて振動は収まり、二城達の前には新たな道が現れる。今度は左右に分かれている道である。ここで光球一つの寿命が尽きたため、グラファイトとフラーレンがそれぞれ通路の角から顔を出して安全を確認する。二城は何となく後ろを振り返ると、来たときに通った扉は消えていることを確認した。どうやら道が無くなると扉は消えるようだ。少なくともこれで扉や床や天井が綺麗なままであることには説明が付く、自動修復機能、魔法で言うとオートヒーリングのようなものが働いているのだ。
「こっちは異常なし、そっちは?」
「一応安全よ。でも、途中でまた二手に分かれてるから、それ以上は無理ね」
協議の結果、グラファイトが安全を確認した左に曲がることにした。これにはちゃんとした理由があり、まずは安全そうなところから探索する事で危険度を下げる方法である。一本道なら最悪挟み撃ちで済むが、三叉路だと三方向、十字路だと四方向といったように、分かれ道が多いほど多方向から攻撃される可能性が増す。一本道なら挟み撃ちより危険な状況はそうそう無いので、結果として安全なわけだ。
そして今はグラファイトを先頭にして、次に二城、殿にフラーレンといった隊列で進んでいる。普通は二城が殿を買って出るべきなのだろうが、二城とフラーレンではフラーレンの方が戦闘には慣れているために殿を任されている。それに二城は遠距離攻撃の手段を持ち合わせていないため、長い通路での殿には不向きである。 しばらく歩き、正面についた扉と右に折れる通路が見つかった。グラファイトは警戒を怠らず、前を向いたままで「どうする?」と問いかけてきた。恐らく、どう進むかを決めかねているのだろう。今現在の選択肢は大まかに分けて三つ。扉を開けて進むか、右に折れるか、引き返すか。
「……済みません。もう少し考えさせてください」
二城は思わずそう答えてしまっていた。大事なところで優柔不断になってしまう自分の決定力の無さにため息が出る。
「まあ、存分に悩め。一番悪いのは、そうした挙句に答えを出さない事だからな」
そう言うとグラファイトは二城の頭をポンポンと軽く叩き、右に折れる通路の向こうを確認しに行った。
「一番悪いのは、考えた挙句に答えを出さない事……」
グラファイトに言われた事を小さく復唱する二城。不思議な事にそうしていると、さっきまで頭の中でこんがらがっていた思考が段々と落ち着き、自分でも驚くほど自然に答えを出すことが出来た。
「俺の答えは――」
二城が答えを口にしようとしたところで、それは爆発音にかき消される。続いて爆発の余波を背後から感じ、慌てて振り返るとフラーレンの手甲から煙が上がっていた。
「敵を発見、数は一つ。見た目は機械で出来た人形!」
フラーレンが信じられない事を口にする。機械で出来た人形など太古の文献の中にあるだけで、今の技術では再現不可能と言われている代物だった。もしフラーレンの見たものが本物であれば、正に世紀の大発見といえるだろう。
「何で攻撃したんだ!?」
「左腕が弩みたいになってて、先端がこっちを向いてたの! あれは間違いなく撃つ気だった!」
フラーレンの言い分を確かめようにも、爆発とその衝撃で崩れた瓦礫が生み出す砂埃が煙幕となり、フラーレンの言うような存在は片鱗すら見えない。しかしフラーレンの言うとおり敵は撃ってきた。――矢ではなく炎の球を、しかも狙いは二城である。
「うわっ!」
二城は咄嗟の出来事に対応出来ず、腰を落として両腕をクロスさせる事しか出来なかった。しかし敵が撃ってきたのは恐らく魔法。魔法の前には物理的な防御は役に立たないというのに、目を瞑り、やってくるであろう衝撃に対して備える。
いくら待っても予想していた衝撃や傷みの類は来ない。目を開けると、グラファイトが大きな盾を持って立ちはだかっていた。「二人とも早く行け、ここは俺が何とかする!」
もの凄い剣幕で言うグラファイトの気迫に押され、二城は立ち上がるとフラーレンの手を掴んで走り出す。そして蹴破るくらいの力を込めて扉を開けるとまた走リ出した。
「嫌、私も一緒に戦うの! 離してよっ!」
フラーレンがメチャクチャに振り回す右腕を何とか避けながら、二城は決定打となる一言を言う。
「二人とも早く行けって団長は言っただろう? それに団長の事だ、何事も無かったかのように――」
そこまで言ったところで、二城の言った通りグラファイトはやってきた。しかしその表情は真剣で、二城たちを見ると一気にまくし立てた。
「なっ、早く逃げろって言っただろうが! 何こんな所でのんびりしてやがる! 早く逃げないとやられるぞ!」
そして二城達を強引に押して前に進めようとする。
「ちょっと、さっきの奴はそんなにやばいんですか?」
二城がグラファイトに問いかけるが、これは至極当然のことである。何せ二城は敵の姿を見ておらず、炎の球を撃ってくる事以外は何も知らないのだ。
「アレには今の俺達じゃ勝てねえ。フラーレンの魔法を喰らっても傷一つ付いてなかったからな」
「嘘……」
まさかの発言にフラーレンがショックを受けている。無理もないことだった。フラーレンの魔法は相手に密着した札から発生するので、元々魔力の少ないフラーレンでもそこそこの威力を誇っているのだが、それが全く効かないとなると確かに不利だ。更にはグラファイトもどちらかといえば近接型で、宝具の性質上金属武器を多用する。しかし堅い機械が相手ではそれも通用しない。関節部を狙えばいけるかもしれないが、弩や魔法を扱える相手に通路と言う限られた空間内で接近するなど愚の骨頂である。そして二城に至っては論外。よって残された選択肢は逃亡しかないのである。
「まずい、盾がもう限界だ! 破られる!」
開けっ放しの扉から見ると、盾は無残にもボコボコに凹んでおり、破られるのも時間の問題に思えた。二城達はそれを察したのか、全速力で通路の奥へと駆け出す。そして見えてきた十字路を右に曲がったところで、グラファイトは「くっ! 破られたか……」と呟いたのだった。「ど、どうするんですか……?」
急に全力疾走した事で乱れた息を整えながら、二城が尋ねる。
「そんなん決まってる、逃げるんだよ!」
そう言ってグラファイトは駆け出し、突き当たりの左右に伸びる通路を左に曲がった。すぐさまフラーレンが後を追い、曲がり角の先に消えた。二城はまだ疲れが残る足取りで二人を追う。走りだした数秒後、さっきまで息を整えていた場所が爆音と共に爆ぜ、炎に包まれる様を見て、体は熱いのに血の気が引いていくという貴重な体験をするのであった。
そして左に曲がり、少し走ると十字路に差し掛かり、そこで立ち止まってしまう。右、左、そして真っ直ぐ伸びる道。どれを選べば良いのか、既に二人の姿は見えない。思わず俯いてしまうと、地面に何かが彫られていた。それは既に消えかけていたが、辛うじて矢印だという事は分かった。そして、右に行くように指示されている事も。
「右か……道は分かったし、後は敵の確認だな」
二城は振り返り、敵の姿を自分の目にしっかり焼き付けておこうと身構える。しばらく待っていると、何か重いものが地面を踏みしめるような音と、敵のものと思しき駆動音が断続的に聞こえてくる。嫌な汗が滲む手を、ぐっと力強く握り締める。剣を抜くような事はしない、グラファイトのいう事が本当であれば、二城なんかが敵うはずがないのだ。現にフラーレンの魔法は敵に傷一つ付けられなかったし、グラファイトの盾も砕かれた。しかし二城はそれを話に聞いただけで、実際には見ていない。
――実物を見てみたい。ふとそんな思いが沸き起こり、二城の足をその場に強く縫い付けた。今すぐにでも敵から逃げたい、しかし敵の正確な姿も見たい。二つの思いがせめぎあい、正確な判断力を遅効性の毒のように徐々に蝕んでいく。そんな時、聞こえてくる音が一際大きくなったように二城は感じた。すぐさま前方に意識を集中させた二城の目に入ってきたものは、正に機械で出来た人形と形容するにふさわしい姿だった。一つ一つの部品の正確な名称を二城は知らないが、無数の部品が組み合わさって一つの人形を形作っている。中でも目を引くのは、まるで神経のように張り巡らされたむき出しの配線、背中に背負ったタンクのような物。そして――左手の弩と、腕のかわりにそのまま砲身を取り付けたかのような右腕。 二城は直感的に悟った。コイツには確かに勝てそうにない、グラファイトの言っていたことは本当だと。すぐさま踵を返し、矢印で示されたほうへと逃げる。二城に気づいた機械人形は弩を寸分の狂い無く撃つが、ギリギリで二城の姿は角の向こうへと消えた。機会人形は特に悔しがったり残念がる素振りは見せず、通常通りの速度で二城の追跡を開始するのであった。
何度も角を曲がり、時には途中まで進んで引き返す等の(機械相手には無意味とも思われる)フェイントを入れながら進み、息を切らしながらも二人のもとに辿りつく。
「随分遅かったね、モンスターにでも遭遇したの?」
フラーレンが二城に尋ねる。どうやらモンスターに出会い頭に遭遇して戦闘したために遅れている、と思っているようだ。というより、普通はそう考えるだろう。
「いや、二人が言ってた奴に遭遇した。下手すると追いつかれるかも知れない」
二城の発言にグラファイトが苦虫を噛み潰したような表情を見せる。
「そいつはまずいな。果たして逃げ切れるかどうか……」
コートのポケットから砦で渡された懐中時計を取り出し、文字盤を二城たちに見せる。針は長針とも短針ともとれる微妙な長さの針が一本だけで、それは既に時計の四分の三を過ぎていた。
「そろそろ動き出す頃だ。間違っても追いつかれるような事態は避けたい」
蓋を片手で閉じ、ポケットに滑り込ませながら真剣な表情で言うグラファイト。どう足掻いても勝てはしないと思っているのか、逃げきることに全てを懸けているかのようであった。そしてグラファイトが言いきる前に遺跡が僅かな振動を始める。
「始まったな。さて、ここで待機するか、敢えて移動してみるか……ん? あれなんか良さそうだな」
不意に何かに気づいたグラファイトが駆け出す。それに二城たちが付いていくと、今居る通路から見ると下降しているように見える別の通路があったが、そのスペースはかなり狭いように二城は感じた。しかしグラファイトはスライディングで自分の胴体とほぼ同じスペースの隙間を強引に潜り抜ける。かなりギリギリであったにもかかわらず、当の本人は向こう側の通路に座り込み、呑気に手招きをしている。一応三人の中で一番大柄なグラファイトが抜けられたため、後の二人にはそれほどの苦ではなかったようだ。
「何で急に移動したんですか?」 二城の問いに、グラファイトはあっけらかんとした返答を返す。
「ん? そりゃあ直前で移動すれば確実に撒けるし、お宝は下のほうにあるってのがお約束だろ?」
つまり、追っ手を撒くためと、お宝は下層(若しくは最下層)にあると信じて疑わないグラファイトの独断と偏見による逃走ルートだったのだ。それでも不平不満が出てこないあたりに彼の人徳を感じる。
二城たちが呆れている間にも、滑り込んだ通路はどんどん下降していき、端の方からどんどん組みあがっていく最下層と思しき場所すら通り抜け、更に下へと沈んでいく。
「あっ、そろそろ明かりが限界に近付いてるみたいだから、補充しておくね」
フラーレンはそう言うと、ホルスターから札を取り出し、三枚まとめて投げた。するともうすっかりお馴染みの光球が三つ現れ、三人の下に一つずつ近付き、ふよふよと滞空を始める。それとほぼ同時にこれまでの光球は明かりを失い、やがて虚空へと消えていった。
「……何はともあれ、どうやら俺達は大当たりを引いたみたいだな!」
とても良い笑顔で宣言するグラファイトに、そんな笑い事ではないだろうと、二城は心の底からそう思った。怒鳴りたいのだが、その気すら起きない。フラーレンは既に諦めているのか、迎撃の用意ありといった佇まいである。
二城は、前にフラーレンから聞いた事を思い出していた。「グラファイトと一緒に冒険すると、必ずと言って良いほど面白い事が起こる」と。それまで誰にも見つかっていなかった隠し通路を偶然発見したり、本来そこには生息していないはずのモンスターと遭遇したり、話のネタには事欠かないのだとか。
やがて降下速度が緩やかになり、三人の目の前には一直線に伸びる一本の道が現れる。脇道に逸れるような通路は無く、ひたすらの一本道であり、突き当たりまでの距離はざっと百メートルほどであろうか。
「これで何も無かったらとんだ骨折り損だな」
そう言ってずんずんと前に進むグラファイト。罠があるかもしれないのに、まるで気にしていないかのような歩みに、二城のほうが気が気でない心理状態にさせられる。しかし一向に罠にかかる素振りは無い。しかし付いて行かないわけにも行かないので、警戒しつつ後を追うというあまり意味の無い行動に終始してしまう。 通路を何事も無く歩ききると、通路は左へとほぼ直角に折れていた。そこを曲がると、五メートルほど先にこれまでの扉とは明らかに違うものがあった。両開きの二枚扉で、色は黒。グラファイトが冗談のつもりで軽くノックすると、鉄を叩いた時のような音が返ってきた。材質はどうあれ、この扉は金属製。つまり、ここが「本当の」最下層である確率が高い。三人は互いに頷きあうと、グラファイトが左を、二城とフラーレンが右の扉を力一杯押す。すると扉はゆっくりと開き、三人を開けた部屋へと誘うのであった。
「広い空間だが……、入ってきた場所以外に扉の形跡が無いな」
広場は縦横共に三十メートルほどの広さで、天井までの高さはおおよそ十メートル。広い上に障害物が無いため、酷く殺風景に見える。まあ遺跡に景観を求める事自体間違っているのだが。
ふと、地面に手をつき、目を閉じて何かを探るような仕草をしていたフラーレンが立ち上がり、部屋の中央部へと駆け寄る。
「ここ、かなり薄いけど魔法陣が描かれてる。しかも見る限り、つい最近まで使われていたみたい」
いわれた部分を見てみると、確かに黒い線が魔法陣の形に引かれている。しかもこの図形はフラーレン曰く転移用のものだそうだ。だとすれば、この先はどこかに繋がっていると考えるのがごく自然であろう。
「何処に繋がっているか分かるか?」
グラファイトの問いに、フラーレンは少し考えた後、魔法陣の端に人差し指の先端をつけ、そのまま固まった。そして数秒後に立ち上がり、力なく首を横に振った。
「無理だよ、転移に必要な魔力が多すぎる。それに例え起動に成功したとしても、実際に転移するにはパスワードが必要みたい」
転移が不可能な原因は主に二つ。一つは多量の魔力が必要である事、これは数を揃えれば何とかできる。そして二つ目はパスワード、これが難関だ。総当りで確かめようにも使える文字が分からない上に、仮に古代文字だとすれば完全にお手上げである。
完全に手詰まりだと三人が思ったその時、フラーレンの背後、つまり魔法陣から眩い緑色の光が溢れ出した。
「フラーレン、前に跳べ!」
グラファイトの咄嗟の指示に反応し、前方へと跳ぶフラーレン。もし指示がなければ、転送時の光に体を両断されていたことだろう。フラーレンは警戒レベルを引き上げたのか、二人を追い越して一番後ろまで後退する。「さて、何のお出ましだろうな?」
徐々に光が治まり、魔法陣の内側が明らかになる。そこに居たのは、ローブの丈が足元まであるために首から下を全てローブで包んだように見える、銀色というよりは灰色に近い色の緩やかに波打つ髪を肩の辺りまで伸ばした男性であった。