地底都市防衛戦線
ここは、偽りの太陽が人工的かつ無機質な明かりで偽物の地上を照らす地下世界。
地の底深く、まるで何かから隠そうとしているかのような造りの地底都市中央に、唯一天井まで届くのではないかと思うほどの高さをもってそびえ立つ塔がある。
その塔の上層部に、二城は囚われていた。
(……もう、何日目になるんだろうか?)
二城はどこか疲れた表情で、地底都市の天井にある人工太陽を見上げる。本物より随分低い位置に取り付けられているせいか、直視してもさして問題はない。
むしろ問題はそれ以外のことだ。人工太陽は時間によって光量の増減こそあるものの、基本的にいつも明るい上にそこから動かないため、二城の体内時計はすっかり狂ってしまっていた。今では日付も曜日も分からないであろう。
そしてもう一つ、二城の気分を盛り下げるものがあった。食事である。二城の食事は、一日に必要な栄養素が入った幾つかの錠剤をコップ一杯の水と一緒に飲み干すだけと、随分味気ないものである。
ちなみにリオールによれば、錠剤は水を吸って膨らみ、栄養素を出しながらゆっくりと時間をかけて消化されるらしい。
「初日と比べて、随分と大人しくなりましたね」
突然背後から声をかけられ、驚いた二城の肩が面白いほど跳ね上がる。音もなく部屋に侵入するのは止めて欲しい、と心の中で愚痴を言いつつも声のした方を振り向く。
そこにはいつも通り首から下をすっぽりとローブで包み込んだ銀髪の男、リオールが立っていた。二城の反応がよほど面白かったのか、口元は歪み、噛み殺しきれていない笑いが二城の耳にまで漏れ聞こえてくる。
「どうです? 地底と言えど住めば都、そろそろ快適に過ごせるようになってきた。等と自分で思いませんか?」
「それについては心配いらねえ、そうなる前にここから脱走する予定だからな」
リオールの問いに二城は嫌みを込めて返すが、リオールはまるで幼子の無為な行動を見守る親のような微笑を浮かべ、ゆっくりと首を左右に振った。まるでこたえていないようだ。
「そうですか、楽しみにしておきましょう」
余裕の表れだろうか、返答からして二城が脱走出来ないと踏んでいるように聞こえる。
「……そんなことより、本題は何だ? まさか住み心地を聞きに来ただけとは言わないよな?」
「おや、よく分かりましたね」 感心したのか、眉を少し吊り上げてやや大袈裟に驚いて見せるリオール。二城はこういったやけに細かい仕草を見る度に、リオールが人間ではなくナノマシンの集合体であることに疑問を抱く。どこからどう見ても人間にしか見えないからだ。
「今日あなたに会いに来たのは他でもありません。地底都市防衛戦線に参加してもらおうと思いまして」
リオールの口から飛び出した衝撃的な発言に、二城はあからさまに動揺する。
「な……どういう事だよ!? アンタは武器を持たない人間を戦わせるのか? それに、ここにいる間は俺の安全を保証してくれるんじゃないのか?」
二城はリオールに噛みつかんばかりの勢いで反論した。約束が違う、頭の中ではその考えのみが思考の大部分を占めていた。
「ふむ、今のあなたは少し冷静さを欠いている。こうしている時間も惜しいのですが仕方ありません、一つずつ答えるので、しっかり聞いていて下さい」
そう言うと、リオールは一息ついてから話し始めた。
「今この地底都市にはモンスターの襲撃という危険が迫っています。閉じられた地底という環境では逃げることは出来ないので、私達には迎撃という手段しかないのです。あなたはレベルこそ低いですが、そこそこの強さはあると見込んでいます。早い話が、武器を一時的に返すので自分の身は自分で守ってください」
それを聞いた二城は、徐々に落ち着きを取り戻す。ようやく非常事態である事に気付いたらしい。さっきまで動揺で揺れていた瞳には力強い光が宿っている。
「取り乱して悪かった。そうと分かれば話は早い、さっさと武器を返してくれ」
「言われなくとも返してあげますよ。ちゃんと手入れはしているのでどうぞ」
ローブの中からリオールの手が二城の武器を持ってぬっと出てくる。意外な隠し場所に面食らったものの、しっかりと受け取り、念の為におかしな場所は無いかと確認する。
「用心深いですね。良いことだとは思いますが、今は――」
「非常事態、なんだろ? どうせ逃げられないなら、協力させてもらうぜ」
何かを言いかけたリオールだが、簡易にではあるが武器の確認を終え、装備した二城がそれを遮る。
「……賢明な選択ですね。こっちです、付いて来て下さい」 リオールは入ってきた部屋の扉を開け、塔の外へと出る。二城も後を追って部屋から出るが、リオールはそれを確認すると、塔の外壁に沿うようにして作られた螺旋階段の手摺りを持つと、それを飛び越えて空中へとその身を投げ出す。
「なっ!!」
現在地から地上までざっと二十メートルはあるというのに、リオールはそこから飛び降りたのだ。二城は慌てて手摺りから身を乗り出してリオールの姿を探すが、当のリオールは危なげも無く着地して見せた。
(この高さから落下して無傷? 後、俺の見間違いかも知れないけれど、足が……無かった?)
ローブをはためかせて飛び降りた為、二城はローブの中を一瞬だけ見たのだが、そこに本来あるべきであるパーツの足が無かったのだ。勿論折りたたんでいた可能性もあるために、充分に疑問を挟む余地はある。
(いや、余計な考えは後回しだ! 今は防衛線に集中しないと!)
はっと我に返った二城は、これ以上無いほどの速さで怪談を駆け下りていく。半分ほど降りたあたりでリオールはどうしているだろうかと思った二城がちらりと横目で見ると、既に駆け出していた。恐らく防衛箇所がある方向なのだろう、二城はこの時点で確認しておいて良かったと痛感した。もし下りてから確認しようとしても後姿すら確認できなかったであろう。
やがて螺旋階段を降りきり、リオールの後を追うように駆け出す。何度か休憩を挟みながらも走り、やっと町の外周である鉄の壁へとたどり着く。ここの門を越えれば地下都市の面影は鳴りを潜め、移動に特化したトンネルがどこまでも続いている。
「準備は良いですか?」
既に着いていたリオールは涼しい顔で荒い息を付く二城に確認を取る。二城は見て分からないのかと言わんばかりにリオールを睨みつけるが、リオールは微笑んだまま首を傾げるだけ。どうして睨まれたのか分からないようだ。
「返事がありませんが、まあ良いでしょう。無言の肯定ということにして、さっさと先に行きましょうか」
「ま、待った! ちょっと……休ませてくれ……」
二城は思いっきり走ったせいで息も絶え絶えになっている。何とかその言葉だけを搾り出し、地面に座り込んでしまう。本格的に休むつもりのようだ。
「……仕方ありませんね、先に行っていますよ。ちなみに一本道ですから、迷う事はありませんので安心してください」 そう言うと、リオールは両開きの門の脇に歩いていき、壁に取り付けられた淡い光を放つパネルを指でつつきだした。すぐに低い音を立てて重たそうな門が両側の壁に吸い込まれていき、先の見えない大きく暗いトンネルがぽっかりと口を開けている。リオールは躊躇う事も無く迷いの無い足取りでその奥に消えていく。
リオールの姿は闇に紛れてすぐに見えなくなり、二城は一人取り残されたような気分になる。今すぐにでも後を追いたくなるが、疲れが完全に抜け切っていない今の状態で行っても、リオールの足を引っ張るであろう事は目に見えている。逸る気持ちを押さえつけ、ただ休養に努める。
その間に二城は深い闇を湛えたトンネルを観察する。トンネルの形状は所謂山型に掘られている。地面は平らで、壁と屋根は丁度アルファベットのUを逆さまにしたそのままの形だ。地面から天井までは十メートル、右端から左端までは五メートルといったところだろうか。なんにせよ大きい事には変わりない。
数分後、疲れの取れた二城はリオールの後を追ってトンネルの中を進んでいく。最初の頃は完全な闇であったが、トンネルを進むうちに淡い光が飛び込んでくるようになった。そして明かりは奥に進むにつれて徐々に強くなっていき、やがて真昼のように明るくなった。
(これは……マナライト? でも、こんなに強い明かりは見たことが無い!)
「驚きましたか? 地底は生き物が少ないので、比較的マナが溜まりやすいのですよ」
リオールはそう説明してくれたが、それを聞いた二城はある疑問を抱える事になる。
「ん? 何で生き物が少ないのにモンスターの大群が襲ってくるんだ?」
思わず抱いた疑問が口を付いて出てしまった。二城はこの際仕方ないと思い、答えを求めてリオールの方を向くが、リオールは何故か狼狽していた。あのリオールがうろたえている、そのことに二城は気を取られ、追求する事が出来なかった。
「それはですね、人間がモンスターにとって丁度良い餌だからなのです。地底の生き物は大抵硬い外殻に覆われていますからね、柔らかい肉と多量の魔力をその身に宿す人間は、魔力を糧とするモンスターには格好の餌なのですよ」
二城が呆けている間に落ち着きを取り戻したらしいリオールは、そう説明をした。 モンスターは基本的に同種を襲うようなことはしない、仲間を喰らって一時的に腹を満たすより、飢えてでも仲間と一緒に行動したほうが良いと本能的に理解しているらしい。
それにモンスターは外敵対策として毒やらなにやらを備えているものが多く、ハイリスクローリターンのモンスターより、弱い上に何の毒も持たない人間を襲ったほうが良いと思うのは至極当然であり、筋が通っている。
(一見筋が通っているように聞こえる。けど、何故か納得できない……)
魔力を糧とするなら、魔力の元であるマナが大量に含まれている周囲の土を食べれば良いのであって、人間を襲う理由などどこにもない。
そもそも、モンスターの生態については殆ど研究が進んでおらず、現存種の確認からその繁殖方法についてまで、ほぼ手付かずの状態で残っている。
二城達にとってモンスターとは百害あって一利無しの害獣だ、それを研究するのは余程の物好きであり、その物好きは未だに見つかっていない。
「とりあえず、今はやってくるモンスターを片付ければ良いんだな?」
「えぇ、――早速やってきたようですね」
リオールの一言に反応し、二城がトンネルの奥を見ると、まだ小さいながらも、周囲からの光に照らされた何かが確認できた。
「……まさか、あれが?」
「えぇ、モンスターです。規模は小型が百と少し、その後ろに大型が一体ですね」
「ひゃ、百……!?」
あまりの数に卒倒しかける二城。これまでモンスターとは一対一、悪くても数対同時にしか相手にしたことはなく、それ以外は逃げの一手をとっていたため、どうして良いか分からないのだ。しかも武装は長剣と散弾銃(水平二連式・狩猟用)の二点のみで、遠距離攻撃の手段は一切持ち合わせていない。
「――今から遠距離用の攻撃魔法を使います、巻き添えになりたくなければ私の後ろに退避して下さい」
リオールに言われ、二城は素直に後方に下がる。あの距離にもかかわらず威力を発揮する魔法だ、もし近くで食らったらと考えると、下がる以外の選択肢は跡形もなく消え去るだろう。
リオールはローブから両手を出し、その間に強い光を放つ球体を作り出す。そして詠唱を始めると同時に、周囲の明かりが急激に弱くなる。恐らくは地中のマナを魔力に変換したのだろう。
「――雷よ、その力を以て我に仇なす敵を焼き払え!『千雷槍』」 呪文が完成し、光球がより一層強く輝くと、そこからバチバチと何かが弾けるような音と共に無数の雷が放たれた。
放たれた無数の雷はトンネルの壁に当たっても跳ね返るだけで威力を損なわず、まさに槍のように敵陣へと飛び込んでいった。
「今のでどれだけやったんだ?」
「とりあえず厄介な大型は沈めましたが……小型はまだまだ残っていますね」
「そうか……」
二城はリオールの発言を確かめるためにトンネルの奥に目を凝らしてみるが、大型が倒れたことによって群れが少し小さく見える程度だった。
「取り敢えず、場所を移さないか? 流石にこうも暗いと何も見えん」
「……あぁ、そう言えば人間は暗い所での活動には適していませんでしたね。分かりました、防衛ラインを少しあげましょう」
リオールが使ったマナは相当な量だったようで、二城は自分の足元すら満足に見えないほどの暗闇に、言いようのない不安を覚える。こんな状態では存分に戦えるはずもなく、防衛ラインをあげるほか無かった。
二城はトンネルを駆け足で進み、視覚が正常に機能するだけの光量がある場所まで到着する。すぐさまリオールを探そうとするのだが、ふとある考えに至り真後ろを振り返ると、案の定リオールはいつの間にかそこに立っていた。
「……腕を上げましたね」
「リオールがワンパターンなだけだよ」
まるで弟子の成長を喜ぶ師匠のように微笑むリオールに皮肉を返すと、前方に向き直る。防衛ラインをあげたことと敵が接近してきていることがあいまって、二城の目にも敵の大まかな容姿が分かってきた。
(あれは……土竜?)
敵の姿を一言で表すならば、二足歩行の土竜と言う表現が最も適切であろうか。武器の類はいっさい持っておらず、両手の鋭く尖っている凶悪な形状をした爪が、周囲のマナライトを反射してギラギラと光る。
「何で、土竜が立って歩いてるんだ……?」
「――何で? あなたは、モンスターに既存の生物学が通用するとでも思っているのですか?」
リオールに呟きを聞き返されたが、二城は独り言のつもりで言ったので答えない。追求を諦めたリオールは、二城を押しのけるようにして前へ出る。
「数が多いですね、もう少し減らしておきましょうか」
「どうやってそんな事を――」 二城は最後まで言葉を言えなかった。リオールの手にはいつの間にか、遺跡の戦闘で見た恐るべきS字鎌が握られていたのだから。それも二本。
「決まっていますよ。こうするんです」
言うが早いか、リオールはS字鎌をそれぞれ片手で高速回転させ、横向きにして投げた。勢いよく回転する鎌は敵を巻き込み、両断し、紅に染める。敵陣を三つに分断し、血の雨を降らし、その身を朱に染めた二つのS字鎌は地面に突き刺さると、空気中に溶けるように消えていった。
あまりにも凄惨な光景に呆然とする二城を尻目に、リオールは手に三本目のS字鎌を持ち、陣形の崩れた敵陣へと駆けていく。その後ろ姿を見て我に返った二城も追従するが、リオールは何者をも寄せ付けぬ猛者であった。
敵陣の先頭に突っ込み縦横無尽にS字鎌を振るう。それはまるで竜巻のような激しさで、一度巻き込まれたら最後、例え味方であろうとただの肉塊になるまで切り刻まれるだろう。
しかし、そんな鬼神の如き戦闘力を誇るリオールにも、討ち漏らしというものはある。二城は自分の仕事は、リオールの討ち漏らしを確実に仕留めることであると解釈した。下手に背中合わせで戦おうとすれば、敵と一緒に切り刻まれてしまうのではないかと危惧したのだ。
現に今さっき、幸運にも死の旋風を抜けた敵がリオールの死角から飛びかかり、その直後挽き肉に変えられる光景を目撃してしまった。あんな光景を見た後では、共闘しようなどとはどうしても思えなかった。
そんな事を考えていると、敵の内の一体が飛びかかってきたので、咄嗟に袈裟懸けに斬り伏せた。何か湿ったものを地面に思いっきり叩きつけた時特有の嫌な音が響き、赤い血が飛び散る。ただ、剣で斬ったというよりは、叩きつけたといった方が相応しいかもしれない。
(今、俺は自分の手で命を奪った……!)
相手は身の丈五十センチ程のモンスターであるが、二足歩行でシルエットだけは歪な人間に見える敵を斬るのは、まだ冒険者として若く浅い二城にはやや抵抗がある。
冒険者として生きていくなら、この先敵対した獣人や有翼人といった亜人、若しくは人間を斬らなければいけない場面も必然的に出てくるだろう。さっきは咄嗟の事で反射的に身体が動いたが、そうではなく、自分に主導権がある時、自分は命乞いをする相手の首筋に、情け容赦なく白刃を振り下ろせるだろうか? 二城は自分自身に問い掛ける。 今まで人型の討伐依頼を避けてきた二城の精神面の弱さが、ここに来て露見してしまった。一度芽生えた迷いは一瞬にして心と体に根を深く張り、その動きを阻害する。
「――しまった!」
傷が浅かったのだろう。一度斬った敵が起き上がり、町の方へよろよろと歩いていく。
二城はこれから斬るのはモンスターなのだと自分に何度も言い聞かせながらそのモンスターの後を追い、後ろから辻斬りよろしく一刀両断する。
到底この世のものとは思えぬ程の醜い断末魔をあげて倒れていくモンスターを見て、二城の心中に殺してしまったという自責の念が沸き起こる。
「もう敵はいませんね。防衛は完了です、協力感謝します」
ただぼーっと血に染まった剣を見つめる二城に、リオールが声を掛ける。そこで二城は我に返ったようで、慌てて取り繕うように答えた。
「そ、そうか。……ところでさ、この死体、片付けないとマズいんじゃないか?」
モンスターの死骸を何もせずに放置しておくと、大抵良くないことが起きる。死んだモンスターの血におびき寄せられてくる捕食者(当然倒したモンスターより強い)は当然として、本当の問題は匂いである。
モンスターは死んでから適切な処理をされずにある程度の時間が経つと、周囲に強烈な死臭や腐臭をまき散らす。臭いは地面に染み付き、あらゆる生物は引っ越しを余儀なくされる。
「心配無用です。地上でもそうですが、こういった死体はスカベンジャーと呼ばれる生き物達が適切に処理してくれるので、気に病む必要はありませんよ。ただ、スカベンジャーですら住めないような土地に住んでいるのであれば、話は別ですけどね」
なにやら意味ありげな言葉と共に二城に微笑みを向けるリオール。ここまで来ると微笑みがデフォルトなのではないのかと疑いたくなる。もちろんそんなはずは無いのだが。
「そっか。後、出来ればで良いんだけどさ、一人にしてくれないかな……少し、考える時間が欲しいんだ」
「いいですよ。もしかして、ここへの移住を考えているのですか?」
「……あぁ、それ、良いかもな」
二城の返答に、リオールの表情が一瞬だけ強張る。それと同時に、冗談に応えるだけの気力も無いのだと察したリオールは、二城を塔へ返し、自らは地下の協会へと向かう。 パスコードを入力し、声紋認証を終え、無数のライトに照らされる。まるで尋問のようだと考えたが、すぐに訂正する。これは、尋問そのものだと。
「リオールよ、襲撃に来たモンスターの種類は何だ?」
「小型土竜種が百十二体と、ドラゴンの変異種が一体。一匹残さず殲滅しました」
リオールの報告に、真正面に座る小さな黒い影が頷く。
「よい。次は捕虜の様子」
「はい、今回の戦いにおいて精神に多少の変調をきたしておりますが、原因は不明です」
これにも影は鷹揚に頷いた。
「ふむ、地上の拠点は?」
「現在、機械兵にモンスターの駆逐と、施設の整備を同時に進行させております。本格稼働は一ヶ月以内になるかと」
「そうか……ようやくこの日が……」
影は感極まったのか、握り拳を震わせてそう言った。
「……では、私はこれで失礼いたします」
報告が全て終わったため、リオールは背を向けてさっさと退室する。
リオールが退室してしばらくすると、その部屋からはわっと歓声が上がる。「ついにやったな!」や「地上に出れるぞ!」等と希望に満ちたフレーズが絶え間なく聞こえてくる。そんな中、未だに肩を震わせる小さな影に一人の青年が話しかける。
この前小さな影から一喝を受けた新入りだ。
「とうとうこの日が来ましたね! 俺、帰ったら真っ先に家族へ報告しますよ!」
新入りの言葉に、小さな影はぴくりと僅かに反応した。
「ならん!」
そして、即座に打ち消す。まるで人が変わったような激しい声音に、新入りが思わず体をびくつかせる。
「地上に出て日の目を浴びれるのは、我ら高貴なる者達のみだ」
その言葉に、俄に会場がざわつき始める。新入りが辺りを見回すと、騒いでいるのは皆、ここにいない者を家族や愛する人に持つ者達だった。
「どういう事ですか?」
「この役職に就く試験の中に、魔力量の検査があったのを覚えているか?」
「あ、はい。覚えてます」
話題のすり替えかと新入りは疑ったが、一応答えることにした。
「あの検査は、我らとそれ以外を隔てる大きな壁なのだ。……地上への移動方法がテレポートというのは皆知っているだろう。問題は、そのテレポート用の魔法陣が使用者の魔力しか受け付けないことだ」
「つまり……俺ら以外の人は……」
「うむ、テレポートどころか、魔法陣を起動させることすら危うい」 影の口から語られる衝撃の事実に一際大きなざわめきが沸き起こる。無理もない、自分達以外の人間は死ぬことが決まっていると告げられたも同然なのだ。
「……すみません。俺は、この計画から降ろさせて下さい。今後地底で家族水入らずで暮らします。今までありがとうごさいました」
しばらく考えこんだ後、新入りはそう言って頭を下げて部屋から立ち去り、その後何人かも後を追うかのように無言で立ち去る。彼らは今後二度と、この部屋に訪れることはないだろう。今この部屋にいる誰もがそう考えた。
新入り達が誰にも引き止められずに立ち去った後、誰も何も喋らず、残った者達も無言で部屋を立ち去った。